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22.かりそめの平穏

 アリーシャが無事に元ピアソン伯爵を追い返して、花森屋敷へと帰っていった数日後。


 ギャレットの屋敷では、ノエルがふくれっ面をしていた。


「ねえハロルド様、失敗しちゃいましたよ? あんなにじめじめの牢獄まで行ったのに無駄足になっちゃいました」


 そしてハロルドは、頭を抱えていた。


「……少し、考える時間をくれ。私としても、この流れは予想外だったんだ。またしても、ヴィヴのやつが邪魔をしたらしい……」


 元ピアソン伯爵、アリーシャの父であるあの男を脱獄させたのは、ハロルドとノエルだった。彼らはノエルのギフトで生み出した金をもって、牢獄の番人を買収したのだ。


 そして二人は元伯爵と相談した上で、あの日元伯爵をあの場まで送り届けたのだった。きっとここにアリーシャが来る、そう踏んで。


 かつてのアリーシャは、父である元伯爵の言うことには何一つ逆らわない女だった。父に対して、おびえている節もあった。


 だから元伯爵を彼女に会わせれば、きっと彼女は大いに苦しむだろう。ハロルドはそう予測していた。


 しかし現場を陰から監視していた配下の報告を聞いたハロルドは、うめかずにはいられなかった。


 なんとアリーシャが、元伯爵に逆らい始めたのだ。


 それだけならまだしも、なぜかその場に居合わせたヴィヴまでが彼女に加勢し、元伯爵に立ち向かっていったのだ。


 結局、元伯爵は引き下がらざるを得なかった。彼を野放しにしておくと何を吹聴されるか分からないので、ハロルドは彼を屋敷の一室にかくまっている。


 そのこともまた、ハロルドの気分を重く沈ませているのだった。


「元伯爵は、アリーシャと共に隣国デンタリオンに逃げ込もうと考えたようだったが……」


 そうすれば、アリーシャは花森屋敷を出ていくことになる。そしておそらくはヴィヴも。それはハロルドとしては、願ったりの展開だった。


「ヴィヴ……どれだけ調べても、隣国デンタリオンの貴族であるということしか分からない……しかしあの首飾りとは、どうにも釣り合わない……奴は、何者なんだ……」


 そうつぶやいて、ハロルドは身震いする。彼はヴィヴのことを、得体の知れない人物だと感じるようになっていたのだった。アリーシャとヴィヴ、二人をまとめてどこか遠くにやってしまいたい、そう思っていた。


「……ひとまずアリーシャに、少し揺さぶりをかけてみるか……父親との再会で多少なりとも動揺している今が好機だろうな……」


 そのつぶやきは、部屋の中をうろうろと歩き回っていたノエルには聞こえていなかった。





 どことなくぎこちない空気と共に、私とヴィヴはお母様の墓の前を後にしていた。最後に、もう一度だけお母様にあいさつして。


 花森屋敷へ帰る道すがら、ヴィヴに尋ねてみた。一つ、ずっと気になっていることがあったのだ。


「その、ヴィヴ。今さらなのだけれど……あの時、父を捕らえておくべきだったのではないかしら。私とあなたの二人がかりなら、なんとかなったかもしれないし……」


 ためらいがちにそう言った私に、ヴィヴは柔らかな微笑みで答えてくれた。父と対峙していた時とはまるで違う、見ているこちらをほっとさせるような表情だ。


「おそらく、それは難しかったと思いますよ」


 彼はあの時、こっそりと蝶を飛ばして周囲を探っていたのだそうだ。投獄されているはずの私の父が、いきなりお母様の墓の前に現れたことをいぶかしんで。


 そうしたら、近くの森の陰に馬車が止まっているのを見つけた。しかもそこには、屈強な男たちがいて、こっそりとこちらの様子をうかがっていたのだとか。


「身なりからして、彼らは貴族の家の使用人のようでした。あなたの父君とどういった関係なのかは分かりませんが、僕たち二人だけでは到底太刀打ちできない相手です」


「そうだったの……」


 納得すると同時に、ちょっぴり落ち込む。私は突然現れた父に立ち向かうだけで精いっぱいだったのに、ヴィヴはそこまで考えていた。本当に、彼には助けられっぱなしで。


「アリーシャ、僕はあなたの力になりたいんです。あなたが困っていたら、笑顔になれるように手を差し伸べたいんです」


 まるで私の考えを読んだかのように、ヴィヴが静かにつぶやく。


「僕がそうしたいと、勝手に思っているんです。だからどうか、気にしないでください」


 彼の言葉は、じんわりと胸に染み通っていく。その温かさに、うっかり泣きそうになった。


 まばたきして涙をごまかしながら、考え考え言葉を返す。


「……あなたの気持ちが、嬉しいわ。その……私も、あなたの力になりたい」


「あなたは既に十分すぎるくらいに、僕たちの力になってくれていますよ。僕たちを滞在させてくれて、ミラのために頑張ってくれていますから」


 無意識になのか、ヴィヴは僕『たち』と言っている。それに、私がミラのために努力していることが嬉しいと言ってくれている。


 私の言葉を、彼は自分とミラの両方に向けられたものと感じているのかもしれない。


 ヴィヴとミラは、とても仲の良い兄妹だ。ミラの病を治すために、旅に出てしまうくらいに。だから、彼がそう感じるのも別に不自然ではない。


 それは分かっているんだけど……もどかしい。ヴィヴとミラに何か、というより、ヴィヴに何かしてあげたい。


 そんな思いが、胸の中でぐるぐると回っている。どうしてこんな風に思ってしまうのだろう。ヴィヴが喜んでくれればそれでいいのだと、ちょっと前まではそう思っていたような気がするのに。


 結局自分の思いをきちんと言葉にできないまま、私は黙って手綱を取り続けた。




「おかえりなさいませ、アリーシャお姉様!」


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、おかえり! あのね、ステイシーちゃんが押し花をしおりにしてくれたの!」


 そうして花森屋敷の前に馬車を止めたとたん、玄関が開いてステイシーとミラが飛び出してきた。


「おかえり、ご主人様、ヴィヴ様。今日はポリーが肉のワイン煮を作ってくれるってさ」


 庭の茂みの陰からひょっこりと顔を出したブルースが、手綱を受け取って馬小屋のほうに向かっていく。


「ねえ、お墓参りどうだった? お姉ちゃんのママ、喜んでた?」


 私にしっかりと抱きついたミラが、無邪気に笑いながらそう尋ねてくる。お墓参り。その言葉に、また父のことを思い出してしまった。


「え、ええ。みんなからの贈り物、喜んでくれたわ」


 そのせいで、ほんの少し返事が遅れてしまった。ミラはそれに気づかずにきゃあきゃあとはしゃいでいるけれど、ステイシーは何かに気づいたようだった。


「……お姉様? その……何かあったんですか?」


 ヴィヴに目配せしてから、にっこりと笑って答えた。


「疎遠になっていたお兄様と再会したのよ。元々仲は良くなかったし、久しぶりだったから、どう話していいか分からなくて……」


 帰りの道中、ヴィヴと話して決めていた。父に会ったことについては伏せておこうと。


 ステイシーやミラを怖がらせたくはなかったし、割と直情なところのあるブルースに下手に話すと大変なことになりそうだったし。


 ダニエルとエステル、それにポリーについては後で折を見て話しておくつもりだ。万が一ということもあるから、一応警戒しておいて欲しい、とお願いして。


「お姉ちゃんのお兄ちゃん? 仲、悪かったの?」


 ちょっぴり悲しそうな顔で、ミラがこちらを見上げてくる。やはり彼女には、仲の悪い兄妹なんて想像もつかないのだろうな。


 そう思ったら、ミラがふっと大人びた目をした。今まで見せたことのない表情に、思わず口ごもる。


「……うん。そういうこともあるよね。ミラ、知ってるよ」


 どことなく切なげな笑みを浮かべてから、ミラは私をまっすぐに見上げてきた。


「でも、いつかきっと仲良くなれるって、ミラは信じてるよ」


「ふふ、ヴィヴと同じようなことを言ってくれるのね。……ありがとう、本当にそうなるような気がしてきたわ」


 そんなことを話していると、ステイシーが首を傾げた。


「兄妹ですか……やっぱり、見当もつきません」


「ステイシーは一人っ子だったのよね」


「はい。……たぶん、ですけれど」


 ポリー、ステイシー、ブルースの三人とも、長く一緒に過ごしてきて、たくさん話した。でもお互い、過去のことはほとんど語らなかった。語りたくない理由があるらしい。


 だから、ポリーが妙に博識なこととか、ステイシーがきちんとしつけられている割には野生児なところとか、どうも農夫の経験がありそうなブルースが屋敷の使用人になったいきさつとか、私はどれ一つとして知らないのだ。


 別に、知らなくても困らないし。他人の事情をせんさくしたくなかったし。


 少しずつ仲を深めていけば、いつか自然と語り合う機会がめぐってくるかもしれない。そんな風に考えていた。


 もっとも、ヴィヴに関してだけは違っていた。彼のことが知りたい。そんな思いが、やけに強く自己主張してくるのだ。それも、日に日に強くなる。


 ステイシーとミラに旅の話をしているヴィヴの顔を、気づかれないようにちらりと見る。


 ちりりと痛む胸に、私どうしちゃったのかなあ、とこっそり眉をひそめていた。




 そうして、花森屋敷での平和な日々が戻ってきた。けれど私は、眠れない夜を過ごすようになっていた。


 もしかしたら、また父と会うはめになるのかもしれない。そんな考えが、頭から離れなくなってしまったのだ。


 蝶で見ていたヴィヴによれば、父は貴族のものらしき馬車に乗って去っていった。誰か、父に協力している者がいるらしい。


 だったらいずれ、私がここにいるのだと知ってしまうかもしれない。ここに来てしまうかもしれない。


 もしそうなったら、きっとヴィヴがまたかばってくれるだろう。ハロルドを、父を追い払った時のように。でも同時に、彼に迷惑をかけることになる。それが申し訳なくてたまらない。


 彼は、自分がそうしたいのだから気にするなと言っていた。あの言葉は、社交辞令でも嘘でもなかった。


 でもやっぱり、気になる。というかそもそも、私はどうしたいんだろう。何をすれば、この胸のもやもやは晴れるんだろう。


 考えることばかり多すぎて、答えは一つとして見つからない。毎夜ベッドに腰かけて、ただため息をつくばかりだった。




 そんなこんなで、その日もやはり寝つけなかった。横になって必死に目をつむり、どうにかこうにか頭がぼんやりし始めた頃。


「起きてください、アリーシャ!」


 切羽詰まったヴィヴの声が、とろりとした夢の中にいた私の意識を現実に引き戻した。

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