21.望まない再会
そうして、ヴィヴともう少し丘の上に留まった。お母様のお墓の前で、あれこれとお喋りをして。
まるでお母様と三人で喋っているような、そんな気分だった。サイラスとの和解も含めて、とってもいい気分だった。
でも、そんなふわふわした気持ちに水が差されることになった。とんでもない形で。
「……おや、またどなたかやってきたようですね」
丘の下に目をやって、ヴィヴが首をかしげる。彼の視線の先をたどると、枯野の中を誰かがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
目を凝らして、その人影を見つめる。それが誰なのか分かった瞬間、私は悲鳴を上げていた。
「お父様!!」
それは、間違いなく父だった。私を政略結婚の駒としてハロルドのもとに嫁がせ、サイラスをがんじがらめに縛っていた、そして病に倒れたお母様を見舞うことすらせずに、そのまま死なせた男。
サイラスとは和解した。これから、仲良くなっていける気もする。
でも、父だけは駄目だ。彼のことだけは許せない。
「大丈夫ですか、アリーシャ? その、いっそ……急いで馬車に飛び乗って、逃げてしまいましょうか」
私の様子がおかしいのを見て取ったのか、ヴィヴが耳元でそんなことをささやいてくる。
「いえ……そうすれば、私はきっと父の幻影におびえて暮らすことになる……だって、父は私を見つけてしまったから。逃げればさらに追ってくる、そんな気がするの」
確か父は、何か犯罪に手を染めて投獄されたはずだ。その父がこんなところにいるのが、まずおかしい。お母様の墓参りに来るような人間ではないし。
そして父の目は、まっすぐにこちらに向けられていた。子供の頃から大嫌いだった、人を値踏みするような目だ。
「ふん、元気そうだな、アリーシャ」
父の第一声は、そんな言葉だった。不機嫌そうな、闘犬がうなっているような声だった。
久しぶりに見た父は、やけに質素な服を着ていた。肉付きの良かった顔はやつれ、肌にも艶がない。……やっぱり、つい最近まで牢獄にいたのだと思う。
「……あなたは、罪を償っている途中では?」
私が冷静に言い放った一言に、父の眉がぴくりと動いた。
お母様が生きていた頃は、父に口答えしたことなんてなかった。私がしくじったら、お母様まで罰を受けてしまうから。
そしてお母様が亡くなった後も、私は口答えができなかった。ピアソン家を放り出されでもしたら、どうやって生きていけばいいか分からなかったから。
だから私がこんな風に堂々と父相手に言い返すのは、生まれて初めてだ。
「……うるさい。あれは罪などではない。我がピアソン家を栄えさせるために必要なことだったのだ。それを賄賂だ脅迫だと、言いがかりをつけよって」
家族を力ずくでねじ伏せることしかしてこなかった父は、どうやら外でも同じようなことをしていたらしい。相手を動かすために金品で釣ったり、無理やり言い含めたり。つくづく、救えない人だ。
「ピアソン家はもうありません。あなたのその努力は、全て徒労に終わりました」
さらに淡々と言い返してやると、父のこめかみに青筋が浮かんだ。
「なくなったのなら、また作るまで。幸い、こうしてお前がここにいるからな」
顔を真っ赤にしたまま、父は私をにらみつける。少しも怖いと思えなかった。ただ、哀れだなと、そんなことを思った。
「ギャレット家との縁は切れてしまったが……お前をまたどこぞの貴族に嫁がせれば、私とその家との縁ができる。そこを足掛かりにしていけばいい」
何とも失礼なことを言い放ってから、父は私の隣のヴィヴを見た。
「ほう……離縁されたと思ったら、もう新しい男を捕まえたか。さすがは私の娘、と褒めてやらなくもない」
「お父様! ヴィヴとはそういう関係ではありません! 彼は客人で、友人で、そもそも隣国デンタリオンの方です!」
一生懸命に言い返したのが、どうやらよくなかった。父はにたりと笑い、こちらに半歩歩み寄ってきた。
「隣国の貴族か。それはまったくもって好都合。隣国であれば、私の罪とやらも不問にできるだろう。アリーシャ、そうと決まればさっさと縁組だ」
「ですから、お父様!!」
父はやっぱり、私の話をまるで聞いていない。どうにかして私を、ヴィヴとくっつけようとしている。でもそもそも、私たちはそんな仲ではない。
ヴィヴと一緒にいると楽しくて、幸せな気持ちになれるけれど。できることなら、ずっと彼と一緒に笑い合っていたいと思うけれど。
黙りこくっていたら、父がいらだたしげに足を踏み鳴らした。その拍子に、ステイシーからもらったドライフラワーの花束の端っこが踏みつけられる。
「あっ!」
とっさに進み出て、花束を父の足から救い出した。端のほうが汚れてひしゃげているけれど、まだ無事だ。ああ、良かった。
花束を抱えてほっとため息をついていたら、父の心底軽蔑したような声が耳に飛び込んできた。
「まったく、そんなゴミのようなものを大切にしおって……お前の育て方を、少々間違ったな」
あなたに育ててもらった覚えはございません。そんな言葉はいったん横に置いておいて、花束の形をせっせと直す。汚れは払って、曲がった花は慎重に伸ばして。
「ともかく、お前はそのヴィヴとかいう男に嫁ぎ、私を連れて隣国に渡れ」
そう言って父は、にやりと笑った。
「さもなくば、私はお前の手引きで脱走したのだと証言してやる。お前も晴れて罪人だな」
「なっ……それは、いくらなんでも無理が……」
「無理なものか。私はなんと親思いの娘を持ったのだろうと涙の一つも流してやれば、取り調べの役人など簡単にだませるからな」
いけしゃあしゃあとそんなことを言っている父に、どう反論したものか必死に考える。
科学捜査やら監視カメラやらがあった前世と違い、この世界では口頭による取り調べが主、というかそれくらいしかない。
となると、父との演技勝負になるのだろうか。私はそういうの苦手だし、勝てる気がしない……。
「彼女は脱獄の手引きなどしていないと、僕が証言しましょう」
焦りでいっぱいになった私の耳を、そよ風のようにヴィヴの声が通り抜けていく。
「彼女は日々、庭仕事に精を出しています。他人の脱獄に手を貸せるような時間はありません」
あっけに取られながら、ヴィヴを見つめる。いつも穏やかな彼の顔は、とても凛々しく引き締まっていた。その横顔に、今の状況も忘れて思わず見とれてしまう。
「そして彼女は、この墓参りへの旅に出るまでずっと屋敷で暮らしていました。一日たりとも屋敷を離れたことはありません」
穏やかなその声にも、どことなく威厳のようなものが漂っていた。割って入ることを認めさせない、そんな響きだ。
「そのいでたちからして、あなたが脱獄したのはつい最近のことでしょう。でしたら、僕の証言と照らし合わせれば、アリーシャの無罪は立証できますよ」
すらすらとそう言って、不意にヴィヴが言葉を切る。
「……もしあなたがアリーシャを陥れようとするのであれば……僕は、持てる力の全てをもって彼女を守ります」
父はそんなヴィヴをじっと見つめていたけれど、やがてふてぶてしく言い返した。でも気のせいかな、さっきまでよりどことなく腰が引けている。
「はっ、一人前の口をききよって、若造が。その女は、罪人の娘だぞ? 守る価値などなかろう。見た目は良いから、飾っておくには十分だが」
「彼女の真の価値はこの美しい見た目ではなく、その奥にある心です」
とっさに言い返そうとしたものの、またしてもヴィヴのほうが早かった。
「身分も立場も超えて、様々な人たちを仲間として受け入れる懐の深さ、他人のために力を尽くせる優しさ、子供のように無邪気に人生を楽しんでいる姿……どれも、とても魅力的です」
……ヴィヴが私をかばってくれていることは嬉しい。嬉しいのだけれど、ほんのりとこそばゆい。
「それに、彼女の親が罪人だということは、彼女には何ら関係がありません。彼女は清廉潔白なのですから」
ひっそりと恥じらっている私をよそに、ヴィヴは胸を張って父を見据える。
「あなたは、アリーシャの幸せな未来のためには必要のない方です。どうぞ、お引き取りください」
彼はそう言ったと思ったら、今度は私の肩に手を置いて抱き寄せてきた。親愛の情のこもった、優しくも力強い仕草だった。
「……若造が……覚えておれ!」
真心のこもった言葉を次々と投げかけてくるヴィヴに圧倒されたのか、それとも反論できないと思ったのか、父がそう吐き捨ててこちらに背を向けた。
父が丘を降りていって、遠くの森の向こうに消えていくまで、ヴィヴは私を守るかのようにしっかりと抱きしめてくれていた。




