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18.ハロルドたちの思惑

 その日の夜、ハロルドの屋敷、彼の私室にて。


「ハロルド様、どうしてあのまま引き下がっちゃうんですか! 黄金ならあたしがいくらでも作れますし、アリーシャがあきらめるまで積み上げてやったらいいのに」


 椅子に座ったハロルドの耳元で、ノエルがきゃんきゃんと言い立てている。


 しかしちっとも自分のほうを見ようとしないハロルドにじれたのか、ノエルはついと彼のそばを離れ、棚に置かれた小さな彫刻をひっつかんだ。


 大理石でできた白い彫刻、その表面にノエルの細くしなやかな指がからみつく。と、彼女の手が触れたところから、彫刻の色が変わっていった。


 白い地肌を侵食するように、金色の染みのようなものが広がっていったのだ。やがてその彫刻は、じきに黄金の彫刻へ変わってしまった。


 これが、ノエルの有するギフトだった。触れたもの――生きていないものに限るが――に触れて念じることで、そのものを黄金へ変えることができる。


 昼間、アリーシャの屋敷に運んでいった黄金も、全て彼女がこうやって作り出したものだったのだ。


 実のところ、ハロルドがノエルを新たな妻にすると決めた理由の一つが、このギフトだった。


 見た目は愛らしく、少々騒がしくはあるが男を立てることを知っていて、そして莫大な富をもたらす力を持つ女性。


 そんなノエルに出会ったからこそ、ハロルドはためらうことなくアリーシャを捨てる決断をしたのだった。


「ほら、あたしまた黄金を生み出しましたよ? だから、またあの屋敷に行きましょうよお」


 彫刻を手にまたしても騒いでいるノエルを無視するかのように、ハロルドはただじっと自分の手元だけを見つめている。


 そこには、ヴィヴから渡されたあの首飾りが載せられていた。絹の布の上に置かれたそれは、持ち主が代わったことも気にしていないかのように、ゆったりと輝いている。


「……いや、そうもいかないのだ、ノエル」


 ハロルドの声は、ひどく固くこわばっていた。その様子に、ノエルが小首をかしげている。


「この首飾りだが……恐ろしく古い。そして、かなりの価値がある」


「そうなんですか? 真ん中の宝石は綺麗だけど、何だか古くてほこりっぽいっていうか……職人に頼んで、何か別の装飾品に作り変えたほうが絶対素敵ですよお」


「そんなことをしたら、この首飾りの価値は半減してしまう……」


 彼が当主を務めるギャレット家は、比較的歴史の浅い家だった。そしてそのことに引け目を感じている彼は、こういった古い品々に目がなかった。


 ノエルにいい顔をするため、そしてアリーシャに嫌がらせをするためにこの首飾りを突き返す。ハロルドはどうしても、その道を選ぶことができなかった。


「あのアリーシャに正面から手出しできなくなったのは痛いが、この首飾りを差し出されてしまってはな……」


「手出ししちゃ駄目なんですか?」


「そうすれば私たちが、義理を通さない恥知らずと噂されることになるだろうな」


「そんなの、別に困りませんよ?」


「いずれ、困ることになるかもしれない。それでなくても私は、行く当てのないアリーシャを一方的に離縁したことで、社交界での評判が少々よくない。だからこそ、黄金を積んで屋敷を買い取りにいくという、正攻法に見えなくもない手を使ったのだが、な」


「世間体なんてどうでもいいですう」


「落ち着け、ノエル」


 じたんだを踏んでいたノエルに、ハロルドが静かに言い放つ。不服そうな顔をしていたノエルが、一瞬はっと驚いた表情になった。そうして、さっきまでの騒ぎようが嘘のように、静かになってしまう。


 ノエルがおとなしくなったのを見届けて、ハロルドはため息をつく。彼の頭の中には、また別の思いも渦巻いていた。


「あのヴィヴとかいう男、デンタリオンの貴族だと言っていたが……これだけの逸品をぽんとよこしてくるとは、一体何者だ……」


「ヴィヴ様はヴィヴ様ですよね? 綺麗な方でした。あそこに遊びにいったら、またお話できるかしら?」


 ノエルはよほどヴィヴのことが気に入ったのだろう、乙女のように頬を染めて、そわそわしながらそんなことを言っている。


 普段のハロルドなら、大いに気を悪くしているところだったろう。しかし彼は恐ろしく真剣な顔をして、静かに言った。


「いや、それはやめておけ」


 その言葉が気に障ったらしく、ノエルがきりりと眉をつり上げる。


「なんでですか、ハロルド様あ。あたし、またヴィヴ様に会いたいのに!」


 ふくれっ面でそう言い放ったノエルだったが、ふと目を軽く見開いた。その表情が憤りから悲しみに、あっという間に移り変わっていく。


「あ、もしかしてあたしが浮気するとか、そんなことを疑ってるんですか? ひどい……」


「……そうではないんだ」


 答えるハロルドの声には、どことなく疲れたような響きがあった。


「もしかするとヴィヴの背後には、何か大きなものがいるかもしれない。それを見極めないうちに、彼にちょっかいをかけるのはまずい」


 尊大で傲慢で、そして妻ノエルにのぼせ上っていても、ハロルドはギャレット伯爵家の当主であった。


 欲望のままに突き進むノエルとは違い、そういったことを考えるだけの理性が残っていたのだ。


「しかしアリーシャめ、離縁されて少しはしおらしくしているかと思えば……妙な後ろ盾を手に入れたようだな」


 それはそうとして、やっぱり彼はアリーシャのことを煙たがっていた。


 彼女の父であるピアソン伯爵が是非もらってくれと言って押しつけてきた妻だったが、どうにも愛想がなく、他人行儀で、しかもハロルドを立てるのが下手な女だった。


 むしろ、彼女は自分のことを軽んじていたのかもしれない。ハロルドは、そうも思っていた。


 もっともそれは彼の低い自尊心からくる勘違いで、彼女はそこまでハロルドのことを嫌ってはいなかった、少なくとも結婚当初は。


 彼女が自由になりたいと願うようになってしまったのは、ひとえにハロルドの傲慢なふるまいによるものだったのだ。


「ヴィヴ様を独り占めって、ずるいですよね」


 ぎりぎりと悔しげに歯を食いしばったハロルドに、ノエルが上目遣いで同意する。それに気をよくしたのか、ハロルドがかすかに笑みを浮かべた。


「……直接手出しをすることは難しい。でも、間接的にちょっかいをかけることならできるな」


 その言葉に、ノエルがにいっと嬉しそうに笑った。


「ならばあの男が、アリーシャから離れたくなるよう仕向ければいいのか。そうすれば、今度こそあの生意気な女をねじ伏せてやれる」


「ふふ、素敵ですね。あたしも何か手伝えませんか?」


「頼む。二人で共に、あの邪魔者を排除しよう」


 二人は手を取り合い、正面から見つめ合ってにっこりと笑う。


 何とも物騒な密談は、それからしばらく続いていた。




 それから、しばらく後。


「ノエル、必要な分の金は持ったか?」


「はい。……でもこれ、重いです」


 ノエルの手の上には、小さな粒状のものがぎっしりと詰められた、プラムくらいの大きさの袋。彼女はそれをレースのハンカチで包み、ふくれっ面で歩いていた。


「すまないな。だが、私がそれを持つと目立ってしまう。あくまでも内密に行わないといけないからな」


 ハロルドとノエルは、窓のない塔のような建物の中を歩いていた。廊下は狭く、どことなくじめじめしている。


 ここは、国が管理する牢獄の一つだった。とはいえここは、牢獄にしては比較的環境のいいところではある。それでもハロルドたちは、まるで肥溜めか何かをのぞいているような表情をしていた。


「アリーシャを追い落とすため、ヴィヴ様と仲良くなるため、我慢なんだから」


「ノエルのため、そしてアリーシャに吠え面かかせてやるためだ……」


 そんな物騒なことを口の中だけでつぶやきながら、二人は廊下をしずしずと進んでいる。やがて、この牢獄の番人たちの詰め所が見えてきた。


 ハロルドだけが詰め所の扉に近づき、慎重にノックする。やがて扉が静かに開き、一人の番人が姿を現した。


 そうしてハロルドと番人は、廊下の片隅で何事かささやき合う。少しして、ハロルドがノエルにそっと目配せした。


 ノエルは心得たとばかりに進み出て、床石の段差に蹴つまずいたふりをしてよろめく。手にしたハンカチと小袋が、どさりと床に落ちた。


「あら、ありがとう」


 番人がかがみ込み、ノエルの落とし物を拾い上げる。そうしてうやうやしく、ノエルの手にハンカチを載せた。


 金の小粒が詰まった小袋は、番人の懐に消えていた。それを見届けたハロルドとノエルが、同時に笑った。ねっとりとした、糸を引くような笑みだった。

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