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16.華麗なる反撃

「ま、待ってくださいハロルド様……いくら黄金を積まれても、ここを譲ることはできません」


 ハロルドのとんでもない申し出……命令? に、必死に反論する。


 けれどなぜか、ほんの一瞬うなずきそうになった。おかしい。何か、強制力のような……まさか、ギフト?


「駄目よ。ここを売ってもらうまで帰らないから。それとも、もっと黄金が欲しいの? あっちの馬車に積んであるし、屋敷に戻ればまだあるわ。好きなだけどうぞ」


 ノエルがにんまりと笑って、他の馬車を指し示す。彼女が割り込んできてくれたおかげで、少し冷静になれた。


 あの馬車の積み荷が、全部黄金。そんなにたくさん、どこで手に入れたのだろう。私がハロルドのもとにいた頃のギャレット家は、ごく普通の伯爵家でしかなかったのに。


 この屋敷がなくても、私はどこででも庭を造ることができる。私に必要なのはただ、広い場所だけだ。日当たりと水はけがよければ、さらに良い。


 それは分かっていたけれど、それでも絶対にここを離れたくはなかった。


 ポリーと、ステイシーと、ブルースと。ヴィヴと、ミラと、それにダニエルにエステルと。みんなとの思い出や過ごした時間が、ここの庭には刻まれている。


 そんな場所を、ハロルドとノエルが二人で歩く。そう考えただけで、嫌悪感で背筋がぞわりとした。


 どうにかして止めないと。でも、どうやって?


 売る気はないってつっぱね続ける? ちょっと難しいかも。ハロルドは貴族で、私は元貴族。それこそあちらは、無理やり私を追い出すことだってできるのだから。


 ノエルの気を変えさせる? どうやったらいいのか想像もつかない。たぶん彼女は、狙った獲物は逃さないタイプのように思えるし。


 血の気が引いていく。駄目、絶望している場合じゃない、考えないと。


 必死に震えをこらえていたら、そよ風のような声がした。


「こんにちは、少しよろしいでしょうか」


 そんな言葉と共に、庭の奥からヴィヴが姿を現したのだ。いつもと同じ、とっても穏やかな甘い笑みを浮かべて。


「あらっ……」


 ノエルが目を真ん丸にして、ヴィヴを凝視している。ぱちぱちと大げさなまばたきをして、唇をほんの少し突き出して。……これって、いい男を誘おうとしている時の仕草のような。


 突然現れたヴィヴに様子が変わったのは、ノエルだけではなかった。ハロルドはほんの少し不満げに、ふてぶてしくヴィヴに問いかけている。


「なんだ、君は?」


「僕はヴィヴ・ルーフェ。隣国デンタリオンの伯爵家の者です。アリーシャにはとても親しくしていただいています」


 ヴィヴは少しも揺らぐことなく、穏やかに言葉を返している。


 ハロルドたちが来てすぐ、近くの木陰にヴィヴの蝶がひらりと飛び込んでいった。だからヴィヴは、ハロルドたちの目的については把握しているのだと思う。


 それにしては、落ち着きすぎのような……どうして?


「すみません。たまたま庭を散歩していたら、みなさんの話が聞こえてしまいました」


 そう言って、ヴィヴがにこりと微笑む。ノエルがきゃあと歓声を上げ、それを見たハロルドが苦い顔をした。


「ハロルド殿はこの屋敷を買い取るつもりなのだと、そうおっしゃっていたような……」


「その通りだ。我が愛しの妻ノエルが、どうしてもここが欲しいと言って聞かないのでな」


 ちょっぴり下手に出ているヴィヴに、ハロルドがどことなく偉そうに返している。


 ノエルがヴィヴに関心を示しているのが気に食わないから、どうにかしてヴィヴを圧倒してやろう。ハロルドの顔にはそう書いてあった。こういうところは昔から変わらない。


「気持ちは分かります。ここはとても素晴らしい場所ですから」


 そうしてヴィヴは、ほんの一瞬だけこちらを見た。心配しないで、そう言っているような目だった。


「……ですが、この庭にはアリーシャが必要なのです。彼女がいなくなれば、じきにここはただの凡庸な庭に変わってしまうでしょうから」


 それを聞いて、ノエルが口を開いた。上目遣いにヴィヴを見つめながら。彼女、やっぱりヴィヴのことを狙ってる。


「じゃあ、あたしたちがここを買い取って、アリーシャを使用人として雇うのはどうかしら? それならヴィヴ様も、気軽に遊びにくることができますよね」


 ハロルドはものすごく嫌そうな顔だ。ノエルとヴィヴが近づくことも、私がこの屋敷で暮らし続けることも、どっちも気に入らないらしい。


 そんな彼の内心を見透かしたように、ヴィヴがふわりと微笑んだ。しかめ面をしていたハロルドさえ、つい目を見張ってしまうような笑みだった。


「いえ、それでは駄目なのです。この庭は、アリーシャとその仲間の自由な思いつきの上に成り立っているのですから。この庭が一番素敵な形で繁栄していくには、ここの主はアリーシャでなければならないんです」


 やけに熱っぽく、ヴィヴは主張する。普段の彼とはちょっと違うその雰囲気が、何だかくすぐったい。


「ですのでどうか、ここはお引き取り願えないでしょうか。対価は払いますので」


 え、ちょっと。ハロルドとノエルを追い払うために、ヴィヴが対価を払う? ヴィヴのことはこの屋敷で暮らす仲間だと思っているけれど、そこまでさせるのは申し訳ない。


 ふわふわした気持ちを追いやって、口を挟もうとする。


 しかしヴィヴは私が止めるよりも早く、懐にしまっていた何かを取り出した。ひときわ柔らかな笑みを浮かべて、ハロルドに差し出している。


「こ、これは……」


「我がルーフェ家に伝わる品の一つです。見ての通り質素なものですが、物は悪くはないですし、長い時を経たものですよ」


 ハロルドは、手の中のものを凝視していた。信じられないといった顔で。


 しなやかな絹の布の上に、古い首飾りが載っている。ヴィヴの言うように、少々シンプルなデザインだ。


 けれどその真ん中にはまっている、素晴らしく青い宝石ときたら。あれ、サファイアよね。ウズラの卵くらいあるんだけど……いくらするんだろう。


 気がつくと、場がしんと静まり返っていた。


 ハロルドは相変わらず首飾りを見つめているし、ノエルは待ちくたびれたような顔をしつつ、ちらちらとヴィヴに色目を使っている。


 そしてヴィヴは、とても涼しい顔をしていた。まるで、自分の要求がもう通ったのだと悟っているかのような、そんな顔だ。


 どうしたらいいのか分からなくなって、仕方なくなりゆきを見守る。内心、大いにはらはらしながら。


 すると、やがてハロルドが低い低い声でつぶやいた。


「……分かった」


 え、分かったって、何が!? そんな疑問をのみ込みつつ耳を傾けると、彼はまた元通りの偉そうな態度に戻ってしまった。


「今日のところは引き下がってやるとしよう。この見事な首飾りに免じて、な」


「ありがとうございます。あなたの寛大なお心に、感謝いたします」


「ええーっ、そんなの嫌あ!」


 この流れに納得できていないらしいノエルが、頬を膨らませて話に割り込んでこようとする。


 ハロルドはそんな彼女に、短く命令する。乗ってきた馬車に向かいながら。


「帰るぞ、ノエル」


 すると彼女は今までごねていたのが嘘のように、私たちに背を向けた。


 そうして私とヴィヴは、来た時と同じように唐突に去っていく馬車の列を、ただ並んで見送っていた。

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『捨てられ令嬢は田舎で新たな家族と夢をかなえることにします!』
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