14.私たちの花森屋敷
ちょっと緊張しながら、ミラの寝室を訪ねる。ベッドで寝込んでいるミラと、彼女を見守るヴィヴたち。
ヴィヴたちは私たちと違って特に取り乱してはいない。でもみんな、ちょっぴり悲しそうな顔をしていた。
ミラは熱に浮かされてぐったりしていたけれど、蜂蜜を入れたハーブティーを差し出したらごくごくと飲んでいた。すっごくおいしい、と言って、すぐにそのまま寝てしまう。
そうして時々様子を見にいって、さらにハーブティーを差し入れて。
次の日の朝には、ミラはけろりとしていた。「もう元気、おなかすいた!」と大はしゃぎだった。
そしてそれを見たヴィヴが涙ぐんでいる。彼によれば、ミラがここまで早く回復したのは初めてのことだったのだそうだ。
「いつもなら、少なくとも丸一日は寝込んでしまうんです。ありがとうございます、あなたのおかげです」
「いえ、あの記憶の図鑑のおかげなのだから。つまり、ミラちゃんのおかげ、ね」
声をひそめると、ヴィヴはとても優しい笑みをこちらに向けてきた。
「いいえ、あなたのおかげです。この屋敷に来て、あなたに出会えて、本当によかった」
それはとても晴れやかな笑顔で、恋愛ごとに縁のなかった私ですら、ついうっかりぐらりと揺らいでしまいそうになるくらいに甘かった。
違う違う、ヴィヴはそういうつもりで言ったんじゃないから。あくまでも、ミラのためなんだから。
そう自分に言い聞かせて、穏やかに微笑み返した。
そんなこんなで、ヴィヴたちはこれからもこの屋敷に滞在し続けることになった。私が陽光草を生やせるまで。
それにここにいれば、月に一回のミラの発熱も軽く済ませられる。もっと色んなハーブを組み合わせれば、さらに楽にしてあげられるかもしれない。
そして私はヴィヴやミラだけでなく、ダニエルやエステルにも自分のギフトのことを明かした。もう、このことを彼らに隠さなくてもいい。そう思ったから。
今ではヴィヴたち四人も、この屋敷で暮らす仲間になっていた。ミラは毎日元気に屋敷の中を走り回っているし、ダニエルやエステルが手伝ってくれるおかげで屋敷の管理もより楽になった。
そしてヴィヴは、それまで以上に庭仕事に精を出すようになっていた。陽光草のこともあるけれど、それ以外のハーブもミラを楽にする助けになってくれると実感できたことで、がぜんやる気がわいたらしい。
やがて彼は、虫の駆除を手伝ってくれるようになった。私が庭に出るより先に虫を捕まえ、小鳥の餌台にそっと置いていく。おかげで、私が庭仕事中に叫ぶことも少なくなっていた。
私としては大いにありがたかったけれど、ステイシーがこっそりふくれっ面をするようになっていた。アリーシャ様を虫から守るのはわたしの仕事なのに、と言って。
人見知りのステイシーがみんなと打ち解けてくれたのは嬉しいけれど、彼女はちょっぴり嫉妬深かったのかもしれない。たまに、ミラと張り合うような様子を見せることもあるし。
ポリーに相談したら「そういうお年頃なのですよ」とおっとり返された。この感じだと、たぶん放っておいても問題ないのだろう。
それからも私は、思いつくまま植物を生やし続けていた。時にはみんなのアイディアを形にしてみることもあった。
さらに自由に、さらに面白く。そんなテーマのもと、庭を造りまくった。だって、お金を稼ぐ方法はもう見つかったし、あとは好き勝手やっててもいいと思うのよね。
そして同時に、陽光草を生やそうと頑張ってもみた。ただやっぱり、姿について何も情報がないのは痛い。陽光の化身のような草って……どんなの?
何度も試してみたけれど、よく分からないひょろひょろの草が生えては、すぐに枯れるだけだった。一度、ヒマワリが咲いてしまったけれど、夏至の日以外に咲いているからこれは違う。結局今年の夏至の日は、空振りに終わってしまった。
そうこうしているうちに、数か月が経っていた。私がやってきた頃は、この屋敷の周りはただの草原だった。それが今では、花であふれかえった美しい場所になっていた。
育ってきた木々が屋敷をうっすらと隠していて、遠くから見るとまるで花の森のように見える。その姿が見たくて、私たちは時々庭の外、街道の辺りまで出ていくこともあった。
そんなある日、いつものようにオリバー伯爵の使いの人がやってきた。
「ようこそ、こんなところまでご苦労様です。こちら、今回の分の茶葉です」
あれからもオリバー伯爵との取引は続いていて、こうして使いの人が定期的に茶葉を取りにきてくれているのだ。
記憶の図鑑のおかげで、今では自在にハーブを調合できる。まずは効果を追求してハーブを調合し、みんなで試飲してもっとおいしいものになるよう改良して。
オリバー伯爵も、そしてその取引相手である隣国デンタリオンのミディス伯爵も、すっかり私たちのハーブティーを気に入ってくれていた。
最近では、『こういった効果の茶葉を作ってくれないか』などという個人的な注文が入るようになったのだ。
快く引き受けたら、代金をかなり弾んでくれた。正直、伯爵二人とその知り合いたちの依頼を受けているだけでも、十分にこの屋敷を維持していけそうだった。
「一、二、三……はい、確かに受け取りました」
私が考え事をしている間に、使いの人が茶葉の箱を数え終えている。部下に金を奥に運ばせて、箱を馬車に運び込むよう指示を出しながら、ふと彼はこちらを見た。
「そうだ、あなた方はご存知でしょうか?」
ご存知かと言われても、何のことやら。同席していたヴィヴも、分かりませんといった顔で首をかしげている。
「このお屋敷なのですが、ちまたでは『花森屋敷』と呼ばれているのですよ。花盛りの森に埋もれたお屋敷。美しいこの場所に、ぴったりの呼び名ですね」
朗らかにそう言って、使いの人は帰っていく。去っていく馬車が見えなくなるまで待って、口を開いた。
「花森屋敷って、素敵な名前ね」
「愛らしい呼び名がつきましたね」
ヴィヴとまったく同時に、そんなことを口にする。同時にきょとんとして、顔を見合わせて笑った。
「ふふ、感想が重なってしまいましたね。でもここの庭は疑いようもなく素晴らしいですから、仕方ないですね」
そう言って、ヴィヴは手を差し出してきた。
「今日の用事も済みましたし、少し散歩しませんか? 庭の見回りも兼ねて」
最近彼は、こうやって庭の散歩に誘ってくるようになっていた。
「ええ、もちろんよ」
にっこり笑って、彼の手を取る。そうしてそのまま、庭の中へと踏み出していった。
まるで花の渦のような区画を、手を取り合って歩く。とにかく隙間という隙間に花が植えられていて、目が回るくらいにぎやかだ。
ここは『とにかく一年中お花がいっぱいのお庭がいい』というミラのリクエストに応えた結果だったりする。
ちなみにブルースは、前に作ったフルーツガーデンをもっと広げて欲しいと言っていたし、ポリーは新鮮な料理用ハーブを植えて欲しいと言っていた。
これについては造作もなかった。ブルースは庭仕事の合間にレモンを丸かじりするようになったし、ポリーの料理はさらにおいしくなった。
柿とかシソとか、そういうのもこっそり混ぜておいたのだけれど、二人とも案外気に入っているようだった。
ダニエルとエステルにも、リクエストを聞いてみた。ダニエルは『一見すると野原、でも花壇』という挑戦しがいのあるコメントをくれたし、エステルは『水を取り入れた庭』が見たいですねと言っていた。
なので庭の一角に流れていた川に手を加えて、小さな池を作った。木陰を作って、地面はタンポポやオオバコなんかの、雑草扱いされがちな草を敷き詰めた。
そして池の中に、可愛いスイレンを何株も植えた。桃色のものと、白いもの。できるだけランダムに、自然な感じになるように。
そうしてできたウォーターガーデンは、結構居心地のいい場所になった。たまにダニエルとエステルが、夫婦でくつろいでいるのを見かける。
しかしながら、ステイシーのリクエストは予想外だった。彼女はもじもじしながら『みんながびっくりするような、変わったものばかりの花壇が見たい』と主張してきたのだ。
しばらく悩んで、皇帝ダリアをずらりと並べてみた。二階に届くくらいに茎が伸び、人の顔くらいありそうな花が咲く、とんでもない植物だ。
さらにその足元に、変化アサガオを植えまくる。江戸時代に流行ったとかいう、妙な形のアサガオだ。花びらが裂けていたりねじれていたり、とにかく不思議な形をしている、らしい。絵しか見たことがないので、断言はできないけれど。
とどめに、チューリップをてんこ盛り。一重に八重にフリル咲き、色も様々だ。
これで、春から秋まで妙な花が咲き乱れる、驚くような花壇ができた。……ちょっと趣味が悪い気もするけれど。
「考え事ですか、アリーシャ?」
ヴィヴの柔らかい声に、ふと我に返る。いけない、今は彼と散歩中だったんだ。
「ええ、本当にたくさんの植物を植えたなって、そう思って……」
「そうですね。あなたのギフトの素晴らしさを、僕はずっと目の当たりにしてきました。隠しているのがもったいないと、そう思えるくらいに」
「ありがとう。でも今の私は、ただの元貴族に過ぎないから……もし誰かがこのギフトを悪用しようと考えでもしたら、それを防ぐすべがないの。だから隠しているのだけれど」
せめて私の実家であるピアソン家が存続していたら、もう少し事情は違っていたかもしれない。あんな家だけれど、少なくとも私を守る壁の役割は果たしていた。
ヴィヴは隣国デンタリオンのルーフェ伯爵家の令息だというし、いざとなったら彼に頼ることもできるかもしれない。でも、そんなことで彼に迷惑をかけるのも申し訳ない。
「……あなたの言う通りですね」
そしてヴィヴは、なぜかとっても悔しそうな顔をしていた。私のギフトのことを、そんなに買ってくれているのかと、嬉しさを覚えてしまう。
それはそうとして、彼が暗い顔をしているのは嫌だとも思えた。
「ほらヴィヴ、それより見て。あちらの木の、あの枝に……」
そう言って、近くの木を指さす。優しい緑の葉を茂らせた木の枝分かれのところに、細い木の枝を組み合わせた塊が載っている。小鳥の巣だ。
じっと見つめる私たちの前で、綺麗な青い小鳥が飛んでくる。たちまち巣がぴいぴいと騒がしくなった。ひな鳥だ。小鳥はひなに何か食べさせて、またすぐに飛び立っていく。
「……こうやって庭を造ったことで、あんな鳥も来るようになったのね」
「ふふ、素敵なおまけですね、アリーシャ」
そのまま二人で、小鳥の巣を見つめていた。手をつないだまま、並んで。
どんどん幸せが増えていく。そんなことを思いながら。




