第17話 強敵との戦い。不利な状況の中で。
これは、やばいな。
背中に冷たい、嫌な汗が流れる。
俺の目の前には小型とはいえ、俺より一回りは大きいクマ、真っ黒い毛に覆われた獣がいる。
救いがあるとすれば、そのクマの興味が俺にではなく、俺の右の方にある、ヤシの木に吊るされた、干し肉の入った籠にあるという事。
俺をちらちら見つつも歩く方向と目線、そしてクマの鼻が求めているのも、先日、倒して干し肉にした、イノシシの肉、籠の中にある肉をめざしている。
俺はクマを刺激しないようにゆっくり後退りする。
これって、あれだよな。RPGでいうところの、ルート間違えて格上の敵がいるダンジョン入っちゃったみたいな、しかもパーティ組んで入らなきゃいけないのに無理してソロで入っちゃったみたいな、ゲームオーバー確定の戦闘?
逃げるけど、逃げられないみたいなパターン?
俺は、あまりのクマの存在感に、走馬灯のように子供の頃にやったRPGの失敗シーンが流れてくる。
まあ、ガチの人生の振り返りシーンが流れないだけ、気持ちに余裕はあるのかもしれないが。
俺は冷静にクマを観察しながら後退りし、距離をとる。レオも俺に従う。
クマが干し肉を食べて満足してくれれば、結果オーライ、1時間粘って、一角と明日乃が戻って来てくれて、人数差に怯んでくれたら、まあよし。って感じか。
できれば、神様がなんとかしてくれるとありがたいんだが。
「全能神様は神力を回復する為にお休みになられています。声を掛けていますが起きる気配はありません」
神様の秘書的な眷属神の秘書子さんがいつもの無感情で冷静な声でそう言う。
いやいや、この人、必死に起こそうとしてないでしょ?
「神界は精神世界のようなもので物理的な干渉はないので、必死にお声がけしても、小声でお声がけしても結果は同じです」
秘書子さんがしれっとそんな事を言う。
いやいや、そういう話じゃないんだけどな。
まあ、秘書子さんとしょうもない話をしたおかげでイラっともしたが、冷静にもなれた。
クマも俺に無視されて干し肉に集中できたのか、干し肉が入った籠を吊るしてあるヤシの木を揺すったり、籠を落とす方法を探ったりしているようだ。
このまま逃げようか?
でも、このまま、海の方向に逃げたら、明日乃や一角との距離がさらに広がるだけだし、クマの横をすり抜けて、森に入り2人との合流をめざすのは藪蛇な気もするし。
せっかく、クマも干し肉に集中しているのだから下手に刺激はしたくないな。
このまま、睨み合って、時間稼ぎもありかと思ったが、時計を見ると熊と遭遇してからまだ7分しか経ってない。こんな調子で1時間にらみ合いで粘るのは難しいよな?
とりあえず、このまま、海まで逃げちゃって、拠点とクマを迂回する様に海岸ぞいを北上、そこから西に森を横切り、明日乃や一角と合流するか。
俺はそう考えると、レオと一緒に、クマに気づかれないように後退して南の海岸まで出るとそこから海岸沿いに東に迂回して逃げる。その後、海沿いに北上し、明日乃や一角に対し東に当たる位置まで移動する。
落ち着いたところでマップを開き明日乃と一角の位置を確認すると、2人は真っ直ぐにキャンプをめざしているようだ。
一角の馬鹿。あいつだけは冷静かと思っていたが一番冷静じゃなかったのか。
俺の位置も確認せずにがむしゃらに俺を助けるために来た道をそのまま戻ってしまっているようだ。
俺は魔法で連絡を取ろうとするが反応がない。
もう一度呼びかけるが、反応も進む方向が変わる気配もない。
「マナが足りていませんね」
秘書子さんが冷静にそう言う。
マジか? 一角に連絡した1回と明日乃に返事した1回でMP切れってことか? ステータスを見ると、マナが9。微妙に足りてないのかよ。
これ、無理に魔法通信使ったら、前の明日乃みたいに昏睡するかもしれないな。
俺は魔法での通信を諦め、慌てて、現在の位置からだと西にある森に駆け足で飛び込む。急いで合流しないと今度は、明日乃と一角がクマに襲われてしまう。
俺の判断ミスを悔やみ、MP切れを怨みながら、ひたすら走る。マップを開き、2人との合流ポイントを予測しながら全力疾走する。
これで、明日乃や一角がクマに襲われようものなら悔やんでも悔やみきれない。俺を助けるために走ったのに、その俺自身はクマを無視してのうのうと逃げていた。本当に洒落にならない。
「先に行く」
レオはそう言って木の槍を捨てると、四つん這いになり全力疾走。速い。
俺はレオの捨てた槍を拾い、息が上がるのを気にせずに走る。この後、クマと戦う事も計算に入れず、ひたすら走る。間に合わない事が恥であり、命を懸けてでも二人を守らなければいけない。打算や計算など考えない。とにかく、俺の判断ミスを、汚名を返上する為だけに無我夢中で走る。後のことはどうでもいい。間に合う事だけを考えて。
そして、明日乃と一角が見える。ほとんど森が途切れて、キャンプが見える直前での合流。まさに俺が時間稼ぎと逃げる為だけに無駄に走ってしまった。そんな感じだった。
「レオ? それに流司? なんでそっちから?」
一角が予想しなかった方向から出てきた俺の顔を見て驚くのと同時に、キャンプの方から迫る黒い大きな影。
「一角、話は後だ。前を見ろクマが来るぞ」
俺はそう叫び、何も考えずに、黒い塊に向かって走る。
もう、自分の息が上がっているのか、疲れているのか、分らない。何も考えられない。がむしゃらに走り、体の感覚がマヒし、脳に血が回らない。頭の中に、何かおかしな脳内物質が分泌され、ただ、2人を守りたい。それだけ、その意志だけでクマに飛び掛かる。
「えっ? きゃぁ!!」
一角が振り返ると目の前に立ちあがるクマ。両腕を上げて、二足歩行、今にも振りかざした爪を、振り下ろそうとしている。
「一角ちゃん!!」
明日乃も突然のことに体が動かない。
「くそっ、どうにでもなれ」
俺はそう叫ぶと、そのままの勢いで木の槍をクマに真っ直ぐ構えると、走る勢いと全体重をかけてクマの脇腹に木の槍を突きさす。
クマの毛皮が厚すぎてほとんど刺さらない!!
「グアアアアッ!!」
クマが痛みに吠える。
そして、一角に向けて振り上げていた左手を、俺に向けて振り下ろす。
「ああ、俺、死んだな」
俺は心の中でそうつぶやき、俺に向けて振り下ろされたクマの手がスローモーションに見えて、ゆっくりと近づいてくる。だが、体は動かない。時間だけがゆっくり進んでいる。これが死の瞬間なのか?
「緊急スキル、『獣化解放』を使用します」
突然頭の中に響く、秘書子さんの声。
そして急に鮮明になる俺の意識。そして急に視野が広がる。脳の中に熱い血潮がどくどくと流れる感触を感じる。その感覚が徐々に体中に広がっていく。そして熱くなる全身。
そして、スローモーションで進んでいた世界と俺の意識、そして俺の体がリンクする。
俺は、クマの脇腹に刺さった槍を手放しそのまま、姿勢を落とし、四つん這いの姿勢に。そして、本能のままに、脳みそに「そうしろ」と言われたように姿勢を落とし、四肢を踏ん張り、力を貯めると、クマの爪が迫ってくる右側とは反対、大きく左後ろに飛び跳ねる。
「えっ?」
俺はその視界の変化に驚く。
というより俺があり得ないくらいのスピードで、ありえないくらいの距離を飛び跳ね、クマの攻撃を紙一重で避けたのだ。
何が起きたのか分からない。
だが、このままではいけない。クマの一撃を躱した今、反撃のチャンスでもある。
俺は姿勢を低くして、再度飛び掛かる、いや、飛び掛かろうとした瞬間、
「流司クン、よくやったわね」
明日乃のいる方向から聞きなれない声、いや、よく聞いた記憶のある女性の声が俺に向かって放たれる。
そして、明日乃の後ろには薄く透明になったおっさん(神様)が仕事した感を醸し出し、親指を立てていい顔で消えていく。
そして、明日乃の後ろから一人の人影が飛び出し、すり抜け、
「君、ちょっとこれ借りるわよ」
その人影は一角から変幻自在の武器を変化させた槍を奪うと、そのままクマに突進、俺に攻撃したクマは俺に意識を集中していて、明日乃や一角、その人影に向かって左わき腹を無防備に向けた状態だった。
「いくわよ」
人影はそう言うと、迷いもなくクマの左脇の下に潜り込み、
「術式開始。メスで外皮を切開、肋骨12本目を回避しつつ、腹膜、横隔膜も貫通、左肺下葉を貫通、上葉まで到達」
その人影は独り言を言うようにぶつぶつと言いながら、槍を綺麗にクマの横腹に突き刺し、深々と沈める。
「メスを3分の1後退、侵入角度を25度下方に修正、切開を再開」
人影はそうつぶやき、槍を綺麗に半分ほど引き抜くと、角度を変えて、再度クマの横腹から押し込む。押し込むというより吸い込まれるように綺麗に流れるように槍が進む。
「メスは心臓に到達、左心室を貫通、中膜も貫通、三尖弁を経由して、右心房も貫通。緊急オペ終了」
人影がそう呟き、槍を思い切り引き抜き、クマから距離を置く。
「クマの左肺が二つに分かれてるか知らないけどね。雰囲気よ、雰囲気」
人影はよく分からない独り言、捨て台詞を吐いて、戦闘の終了を告げる。
何を言っているのかよくわからなかったが、雰囲気で適当な事を言っていただけらしい。
クマも何が起きたのか分からないようで、左脇に開いた穴を認識し、痛みを感じ、そして槍を差し込んでその穴を作った張本人を目視で認識したところで、その穴から、どぼどぼ、と赤い液体をたれ流す。
「クマさんは流司クンに気を取られ過ぎだったね。隙だらけで、私はやりたい放題だったわよ」
人影がそう言ってクマの敗因を告げる。クマが人語を理解するとは思えないが。
俺がクマの気を逸らしたおかげってことか?
クマは右腕を振り上げたところで、その行為が無駄であることに気づき、気づいた時にはクマは意識を失い、そして絶命した。
ズシン。
と重い音を立てて倒れるクマ。俺も何が起きたのか分からない。
動物の肉体を完全に理解し、固い骨を回避しての急所への見事な攻撃。そして、懐かしい気持ちと安心感が沸き上がる。この口調、声、おかしな台詞。多分あの人だ。
「久しぶり、流司クン。中学校3年生の時以来だから3年ぶりかな?」
そう言って俺に笑いかける女性。
「麗美姉!!」
俺に変わって一角がそう叫んで嬉しそうにほほ笑む。
「ああ、一角ちゃんだったのね。後ろ姿だったから分からなかったわ」
呼ばれた彼女から、間の抜けた返事が返ってくる。
「流司クンも一角ちゃんもよく頑張ったね。っていうか、この状況、どういう事?」
麗美姉と呼ばれた女性がそう呟く。
そう、この人は阿丹麗美さん。俺の高校受験の時の家庭教師で中学2年、3年生の時に同じ時間を過ごした俺の先生。そして、一角の父親の合気道道場の師範代でもあり、そして医師の卵でもある。
「久しぶりだね、麗美さん。4人目の仲間は麗美さんだったのか。詳しくは後で話すから、とりあえず前を隠そうよ」
俺はそう言ってなるべく体を見ないように、麗美さんの顔だけを見て話す。
「ありゃりゃ、なんで裸? というか、みんなもほとんど裸みたいなもんか」
麗美さんは恥ずかしがることもなく、周りを見渡し、一角や明日乃の葉っぱの服を見てそう言う。
そう、この人はそうだった。なんか浮世離れしているというか、医学、特に骨と内臓と筋肉以外にあまり興味がない、変わった女性、いや、ダメな女性だったな。
確か、一角の父親の道場に通っていたのも、
「合気道は人間の骨や関節を理解するには最高の武道ね」
とか訳の分からないことを言っていた記憶がある。
俺はそれを思い出し、呆れるように、はあ、とため息を吐くと一角に目で合図して、明日乃と一角二人で葉っぱの服を麗美さんに着せてもらう。
それにしても見事な体だった。大人の女性の魅力? 確か、俺の家庭教師をしてくれた最後の年が医大3年生だったはずだから、今は6年生で23歳か24歳ってところかな?
俺は麗美さんの見事に熟れた双丘を思い出し少し赤面してしまう。
「もう、りゅう君、エッチな顔しないの」
明日乃が頬を膨らませて、俺を叱る。
「ふふっ、嫉妬かな? そして、この子が明日乃ちゃんかな? ふーん、この雰囲気だと、流司クン、上手くいった感じ?」
麗美さんが一角に葉っぱの服を着せてもらいながら、にやぁっといやらしい笑い顔をする。
そう、この女性は、俺のすべてを知っている。俺が中学校2~3年の時に、明日乃と同じ高校に行きたくて必死に勉強をしたことを、そしてそのころから明日乃に片思いだったことを。
たぶん、大人の女性が、恋する子供をからかうつもりで俺に接していたんだろう。散々、明日乃の事でいじられたことを思い出す。
俺は麗美さんのいたずらっぽい顔を見て、家庭教師時代の彼女との懐かしい思い出が浮かび上がるのだった。
次話に続く。




