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【前編】公園の主とド派手女子高生

 深夜の公園。

 ベンチに横たわり、穏やかな寝息を立てる男が一人。


 芽吹正哉めぶきまさやは二十六という齢でありながら、路上生活を強いられている。

 勤め先の企業が倒産し暫く日雇い派遣の会社からの仕事を受けていたが、その会社から突如連絡が来なくなり宿代わりにしていたネットカフェの料金を払えなくなった結果、今に至る。


 人間は与えられた環境に順応していく生き物だ。

 鞄を枕に、上着を布団に。

 硬い感触の木製ベンチも、何日も体を預けていれば上質なベッドになる。


「ちょっと、止めてよ!」

 暗闇を支配するのは虫の声ばかり。夜中に公園付近を徘徊する人間は珍しい。


「なんだ、ちょっとだけじゃないか」

 今日はその限りではないらしい。


「んだよ、うるせぇなぁ」

 正哉は疲労の溜まった上半身をのっそりと起き上がらせる。

 正哉がいる公園は歩道に面している。視線をそちらに向けると、若い女性と年の頃は四十代後半ほどの男性がなにやら身体を密着させて言い争っていた。


「おいうるせぇぞ! 何時だと思ってんだ発情期のサルども!」

 睡眠を妨げられた正哉は当たり散らすように罵った。


「なんだお前?」

「え?」

 正哉は狼狽した。男がこちらに近づいてきたからだ。

 夜中、突然赤の他人からの罵声を浴びれば、誰しも怖気づいて一目散に散っていくと考えていたからだ。


「あっ、おい待て!」

 男から解放された若い女性が足早に去っていった。

 男女は年の差から察するにあまり健全な関係ではないように伺える。

 男は一瞬少女が逃げていった先を振り返ったが、すぐに諦めベンチに座る正哉の正面に立ち、睨みを利かせた。


「クソ、この社会の底辺が」

「ぐえっ」

 男は拳を握ると、正哉の左頬を思いきり殴った。


「ちっ」

 座ったまま項垂れる正哉。殴った箇所が痛いのか、拳から手首までを左手で擦りながら男は夜の闇に消えていった。

 男がいなくなるのを確認すると、正哉は公園に備え付けてある蛇口をひねり、殴られた頬を水で冷やした。


「ふん、軟弱なおっさんのパンチなんて効かねぇさ」

 誰もいない公園に水が流れる音が虚しく響く。


「なんだよ、社会の底辺って、ふざけんな」

 惨めな感情が胸の中でとげのように刺さっている。

 蛇口を閉めると、頬の痛みだけはすっかりと引いていた。



「ん……朝か」

 直射日光を浴びながら正哉は覚醒する。

 手元の目覚まし時計で時刻をチェック……そんなものはない。公園中央に聳え立つ時計台から確認する必要がある。


「あ? なんだこれ」

 正哉が立ち上がると、地面に一枚の紙切れがはらりと落ちた。


「ホテルのポイントカード? 誰のだこれ」

 聞き覚えのない人間の名前がマジックで書きなぐられた一枚のポイントカード。


「けっ、ホテルたぁ贅沢なもんだね」

 正哉は悪態をつくと、何の気なしにそれをズボンのポケットに入れ、時計台に向かった。


「七時半……夕方まで暇だし図書館にでも行くか」

 時間を確認した正哉は鞄を探ると中から小学生がお泊りで使うような歯磨きセットを取り出した。

 水飲み場で洗顔と歯磨きを済ませると、正哉は一日の行動を開始する。


「ふぅー、疲れたぜ」

 午後十時、看板持ちの仕事を終えた正哉は公園のベンチで一息ついた。

 夕方五時から居酒屋の看板を掲げ、無心でただ木のように直立不動を貫くには若さと忍耐力が必要だ。


「さて飯を……ぬあ、しまった!」

 鞄にあるはずのものがない。


「弁当貰ってねぇ!」

 正哉は仕事先から終業時に手渡しで日給と弁当を受け取っていた。

 その特製まかない弁当を貰い忘れたのだ。


「食費が……仕方ない、カップ麺買うか、名物の六個入り五十円のサーターアンダギーを買うか……」

 頭の中でスーパーまでの地図を描き、立ち上がろうとする。


「は?」

 目の前の異質な存在に、足を奪われた。


「……これ」

 制服を着た金髪ロングの派手な少女が、レジ袋を掲げて正哉が座るベンチの前に立っていた。


「な、何なの、誰?」

「お礼」

「あ?お礼だぁ?」

 少女は仏頂面でレジ袋を受け取らせようとする。

 正哉は言動の意味が理解できず、聞き返した。


「昨日、おっさんに絡まれて」

「ああ、あの時の」

 昨日は制服を着ていなかったので正哉は気がつかなかった。


「そう、助けてくれたから」

 言葉に抑揚がない。早く受け取れという圧を感じた。


「あ、ありがとう?」

 眼前で何やらかぐわしい香りを放つレジ袋を手に取ると、正哉は袋の中身を取り出した。


「牛丼?」

 正哉が真っ当に社会人として生きていた時代によく口にしていたものだ。

 最近は値上がりが進み、手が出せない代物となっていた。


「え、これ食べていいの?」

「ははっ」

「え?」

 正哉が尋ねると、少女はおかしそうに笑った。


「ちょー嬉しそうじゃんっ。流石ホームレス、簡単に餌付けされるんだ」

「な、なんだとてめぇ……」

「ははっ、いや冗談じゃん。横座んね」

「お、おう……」

 少女は正哉を馬鹿にするや否や唐突に気さくな態度を発揮し、隣に腰かけた。


「食べるとこ見てていい?」

 上から目線の物言いに正哉は少し苛立ちを覚えたが、手元で湯気を放つ牛丼が冷静さを呼び戻してくれる。


「……好きにしろ、ホームレスなんだ。見世物になるぐらい訳ないさ」

「やっぱりホームレスだ、凄い」

 珍獣の類に示す反応だ。

 正哉は気にせず容器のふたを開け、割り箸を割った。


「うはっ、良い食いっぷり。お腹減ってたんだ」

 わき目も降らず牛丼にがっつく正哉。

 少女は嬉しそうに微笑んだ。


「ねえ、美味しい?」

 頬杖をついて聞いてくる少女に正哉は咀嚼しながら首肯した。


「公園とかで暮らしてる人って普段ご飯どうしてるの? 草とか食ってんの?」

「知らね。俺路上生活始めたの最近だし……炊き出し行ったりスーパーでカップ麺買ったりとかじゃね? あと残飯漁り? 雑草はねぇだろ」

「知らない割にめっちゃ答えてくれるじゃん、ウケる。もしかしてお兄さんの胃袋掴んじった?」

「お嬢ちゃんこそ俺に興味津々じゃないの」

 からかいを込めて正哉は言った。


「やめてそのお嬢ちゃん呼び、お店の人みたい」

「お店?」

「……何でもない」

 急にばつが悪くなったように呟く少女。口でも滑らせたのだろうか。


「何してたの、こんな時間まで」

 今度は逆に正哉から質問をした。


「別に、バイトだけど」

「偉いねぇ、こんな時間まで」

 正哉は暗闇に浮かぶ月を見上げた。半月が少し膨らんだような形だったか、その種類までは判別できない。


「ごちそうさん」

 正哉は米粒一つ残さず牛丼を完食した。


「うわっ、もう食べちゃったんだ。足りた?」

「ああ、満たされたよ」

「満たされたんだ」

「なんつーか……身も心も満たされたわ」

「何それ、変なのっ」

 そう言うと少女は立ち上がった。


「帰るね、流石にママ心配するし」

「そっか、ありがとよ。じゃあな」

「……ねぇ、明日も来ていい?」

「え?」

 別れの挨拶をする正哉に予想外の返答を返す少女。


「お兄さんと話すの、面白くて」

「気味悪くないの?」

「ん? なんで?」

「いや、ホームレス」

 言いながら自身の顔を指さす正哉。


「……あいつよりずっとマシだって」

「え?なんか言った?」

「ううん、別に!じゃあねお兄さん」

 少女は元気よく手を振るとそのまま夜の街に消えていった。


「変な学生だったな……でも」

 胃袋には牛丼が、心には少女の言葉が温かく残っていた。


「なんでって、普通気味わりぃだろ……」

 今度は一人で空を見上げてみる。

 いつもより星が瞬いて見えた。



「来たのはいいけど……暇かも」

「暇ってお前……今日平日だろうが、学校は?」

 昼下がりの午後、制服を着た少女と正哉が隣り合って公園のベンチに腰を下ろしていた。


「もう終わったもん。ねぇ、お兄さんって毎日こんなに暇してるの?」

 少女は自慢の長髪を人差し指にくるくると巻き付けている。


「んなことねぇよ、今からちょうど仕事しようとしてたんだよ」

 気だるげに正哉が答えると、少女は目を丸くした。


「え、働いてんの!?」

「お前、家がないからって仕事もないわけじゃないからな」

「なになに、何の仕事? ついて行ってもいい?」

「いいわけねぇだろ、迷惑だ」

「えーっ、それはありえないっしょー」

「何がだよ」

「だってー、昨日ご飯食べさせてあげたじゃん」

「お前、あれはおっさんを追っ払ったお礼で……」

「……ダメ?」

 正哉の瞳を覗きこむ少女。随分と甘え上手らしい。


「……衆人環視の前に晒されても平気ならな」

 正哉は折りたたまれたごみ袋を鞄から取り出した。


「やったね! で、何すんの?」

「簡単な作業さ、ホラ行くぞ。まずはリヤカーだ」

 正哉は立ち上がると、少女を先導して歩き出した。



「なんかすげーホームレスっぽいっ」

 公園に隠してあったリヤカーを引きながら、町中を闊歩する正哉を見て少女はおかしそうに笑った。


「まずは水分補給?」

 自動販売機の前に立つ正哉に疑問を投げかける。


「いや、ここが目的地その一」

「へ?」

 首をかしげる少女を横目に正哉は自動販売機の横に備え付けてあるゴミ箱の蓋を開けた。

 箱の中の空き缶を一つ手に取る。その種類を確認すると、空き缶をゴミ袋に放り込んだ。


「まさかそれが仕事?」

「おう、帰るか?」

 正哉は振り向きもせず返した。


「……まさか。むしろ手伝っていい?」

「好きにしな」

 正哉が了承を出すと、少女は正哉の横に並んで空き缶を一つ手に取った。


「これを袋に移せばいい?」

 少女は空き缶を見せつけるように正哉の眼前に差し出した。


「それ、スチール缶」

「スチール缶?」

 正哉は少女から空き缶をひったくると、スチールと書かれたマークを指さした。


「今回持ってくのはアルミの空き缶。スチール缶は売れないからあとでまとめてゴミ箱に戻す」

「持ってく?」

「ああ、近場のリサイクル業者に持ってくってこと。そこはアルミ缶一キロ百三十円で買い取ってくれる。スチール缶が混入してると業者が迷惑するだろ?」

「あぁー」

 少女はわかったようなわかってないような声を出すと、空き缶選別を再開した。


「うわ、まだ入ってんじゃん。お兄さん飲む?」

 少女は意地悪な笑みを浮かべて正哉に飲み残しのあるジュース缶を渡してきた。


「そこまで落ちぶれてねぇよ、こういうのは構わず捨てとけ」

 正哉は中身を路面の排水溝に流した。

 タバコなどが中に入っているものもあるので、逐一中身を確認する必要があるのが面倒だ。


「あんま人通んないね」

 少女は振り向きながら呟いた。


「そもそもこの辺のこの時間帯は人通りが少ないからな」

 廃品回収は、近隣住民への配慮が必要である。

 空き缶のぶつかる甲高い音、邪魔にならない作業スペースの確保……

 夢中で作業していると、いつの間にかゴミ箱の中身の分別が完了していた。


「結構集まったじゃん。ゴミ袋一枚ぱんぱんじゃね?」

 達成感を表情に出しながら、アルミ缶の詰まったゴミ袋を叩く少女。

 スチール缶は最初の一個だけだった。そもそも強度がウリのスチール缶は全体的な母数が少ない。


「いや、まだまだ回るぞ。一通り回ったら公園で缶を潰す。このままじゃかさばって仕方ないからな」

「ここで潰さないの?」

「ここじゃ邪魔だから公園の広いスペースを使うんだ」

「ほうほう」


「次の場所はっと……」

 正哉は独りごちると、リヤカーを引きながら次の目的地へ向かった。



「ふぅー、足めっちゃ使ったー」

 額の汗を拭いながら少女はため息をついた。

 目的地までの移動に加え、空き缶を足で潰す作業。慣れるまで翌日の筋肉痛は避けられないだろう。


「四、五時間集めて袋三枚。一枚あたり二百缶くらいで合計千円強ってとこか」

「マジ!?こんなに苦労してそんだけ?」

 正哉の計算に少女は驚愕した。


「しょうがねぇだろ。割に合わないから誰もやらないんだ」

「でもこれじゃご飯食べていけないじゃん」

「そうだな。だから他の仕事と掛け持ちでやったり、後は裏技を使ったりするんだよ」

「裏技?」

「ああ、とっておきのな。そこなら大量に空き缶が手に入る」

 正哉はしたり顔を作ると、再度リヤカーを引いた。


「ありがとう、葉水はみずさん」

「いいんだよ、あんたも気の毒だ。芽吹さん」


 初老の女性とマンションのゴミ集積所から空き缶の入ったゴミ袋をリヤカーに積んでいく正哉。

 正哉が葉水さんと呼ぶ女性はマンションの管理人だ。

 正哉の会社員時代の知り合いであり、彼がホームレスになった事情を知る数少ない人物である。


 このようにマンションの管理人と関係を結ぶことができれば、住民が出した空き缶を廃品回収の一助にすることができる。

 家庭のゴミの持ち帰りは罰則になるケースも当然存在するが、こと空き缶においては自治体の条例による。

 マンションへの進入、空き缶の売却が管理人により認められている以上、お咎めは無いと正哉は考える。

 正哉は葉水に深くお辞儀をすると、その光景を遠くから眺めていた少女のもとへ向かった。


「こんなことまでしないと生きていけないって……」

「軽蔑したか?」

 言葉を詰まらせる少女に先を促すよう正哉が口を挟んだ。


「……どうだろう、むしろ共感したかも」

 そう吐いた少女は決まりが悪そうに視線を逸らした。


「共感?」

「どんな手を使ってもお金を稼ぐ。生活の為なら仕方ないよね」

「随分黒い部分に共感してくれたもんだな」

「仕方ないじゃん。世の中綺麗事ばっかで生きていけないって思うから」

「なんだそれ、闇バイトでもやってんのか?」

「違うって! 犯罪なんかじゃない……と思う……」

 言葉尻が弱くなる少女。後ろめたさのようなものを正哉は少女から感じていた。


「あのおっさん」

「え?」

「二日前お前が絡まれてたおっさん。お前とどんな関係なんだ」

「……別に」


「お前何歳だ」

「は、二十歳……とか?」

「学生服着た二十歳がいてたまるか。どこのイメクラ店だよ」

「……十八」

「さしずめ年齢詐称して大人のお店で働いてます、ってところか? それこそイメクラかソープか知らねーけど」

 少女の言動から正哉は確信していた。


「でも、それでお金いっぱいもらえるならいいじゃん。別に誰にも迷惑かけてないし、ダメなの?それにまだ変なことしてないし、させてないし……」

「あのなぁ……」

 正哉はため息をついた。


「そんな論法通用しねぇよ。未成年があたしは成人だーって嘘ついて夜店とかで働くのは完全に法に触れてるぜ? 騙された客や店側は児童買春とかの疑いにかけられるんだ。たまったもんじゃねぇ」

「でも公認なら?」

「あ?」

 少女はいつの間にかその両眼で正哉をしっかりと見据えていた。


「店の人だっておっさんだってそんなことわかってるし。わかった上で雇ってもらってんの。お互いにウィンウィンならいいじゃん」

「ウィンウィンってなんだよ」

「おっさんも店の人も喜んでくれて、あたしもお金貰えて嬉しいから」

「はん、嬉しいか」

 正哉は嘲笑した。


「そう、嬉しい。明日も呼ばれてるんだ。しかもいつもよりお金くれるっておっさんが」

 自慢気に胸に手を置き鼻を鳴らす少女。


「なら耄碌した爺さんの相手でもなんでも好きにすりゃあいい。厚顔無恥貫いて、一生風呂に沈んじまって幸せなんだろうよ」

「自分が貧乏だからってお兄さんもしかして嫉妬してんの? お兄さんにもウチの店紹介して相手してあげようかと思ってたけど、よくよく考えたらお金持ってないんだっけ、あははっ」

「そりゃ残念だよ、未成年様の手練手管なんてもう一生味わえなかったろうに」


「じゃあねお兄さん。もう会わないかもだけど」

 終始言い争いのような形になってしまった二人の会話。

 少女は手をひらひらと振って正哉と二人で集めた空き缶の乗ったリヤカーを放置して去っていった。


「はぁ、何を必死になってんだ……」

 一息つくと、顎先から汗が垂れた。


「換金したら……コインシャワー使うか」

 正哉は重い足取りでリヤカーを引いた。

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