ominous hair
年の瀬を越し、迎えた元旦。
俺は今年二十一の年をほどほどに祝うため近所で一番大きい神社にやって来た。朝九時だというのに蟻の行列のような人集りの中、日本人らしくおみくじを引いた。生まれてこのかた大吉しか引いたことのない稀有な俺は、いつもの安らかな心地でおみくじを開く。まさに運命に祝福されているといっていい幸運の連続に「神も物好きだな」と思いながらおみくじの中身に目を通すと、今年のおみくじは普段のものと大きく違っていた。
○願望;金髪ショートカット(美人) ○待ち人;金髪ショートカット(美人) ○旅立ち;金髪ショートカット(美人)今すぐ ○商法;金髪ショートカット(美人)ありて、金髪ショートカット(美人)以外なし ○方角;金髪ショートカット(美人)が立つ方角 ○争事;金髪ショートカット(美人)以外に勝つ ○転居;金髪ショートカット(美人)が決めるが良し ○生産;金髪ショートカット(美人)によりけり ○病気;金髪ショートカット(美人)の病にかかる。治る術なし ○縁談;心のままに生きれば金髪ショートカット(美人)に出会ふ 心配するな
大凶;豪運
「舐めてんのか」
ふざけたおみくじは住職の溜まったイタズラ心の結石なのかなと思いながら俺は松の木の下にベンチに座った。何度見ても書いてある内容は変わらず、これが本物であることを不思議に思った。神社も本格的にエンターティンメトに力を入れるべきなのだろう。住職もお経やお守り制作ばかりで嫌気が差していることの表れだった。俺が下手で矮小なクレーマーではなかったことに我ながら住職め運がいいなと思った矢先だった。
「すいません」
突然、声をかけられた。
誰もが一度はナンパしたくなるような金髪ショートカットの美女だった。自分より少し年上に見える彼女はプリッとエロティックな格好をしている。黒いスキニーにニットを着込んだ彼女は怪訝な顔で俺を見て、おもむろに指をさした。
「それってアッシュグレーですか?」
つい先日、髪を黒からアッシュグレーに変えたばかりだった。
「そうですが……」
謎の美女に声をかけられて、それも妙なことを言われた俺は内心ドッキドキであった。謎の美女は手に持ったおみくじを何度も見ては俺を見てを繰り返して、「やっぱそうなのかな〜」とぶつぶつと呟いた。
「あの、なんでしょうか?」
俺が尋ねると、謎の美女は手にしていたおみくじを見せてきた。
「ここに書いてある特徴があなたとピッタリなんです」
彼女が持つおみくじには驚くようなことが書いてあった。
○願望;アッシュグレー(眼鏡) ○待ち人; ○旅立ち;アッシュグレー(眼鏡)今すぐ ○商法;アッシュグレー(眼鏡)ありて、アッシュグレー(眼鏡)以外なし ○方角;アッシュグレー(眼鏡)が立つ方角 ○争事;アッシュグレー(眼鏡)以外に勝つ ○転居;アッシュグレー(眼鏡)が決めるが良し ○生産;アッシュグレー(眼鏡)によりけり ○病気;アッシュグレー(眼鏡)の病にかかる。治る術なし ○縁談;心のままに生きればアッシュグレー(眼鏡)に出会ふ 心配するな
大凶;豪運
金髪ショートカット(美人)以外の項目がまるっきり俺のおみくじと一緒だった。
「うっそ」
目を丸くして驚いた。書いてある特徴は自身と一致している。眼鏡にアッシュグレー。俺のことだった。
「でしょ。絶対ふざけてるよね」
彼女も頷いて「これはおかしいなり」と言った。俺は謎の美女にも自身のおみくじを見せた。
「俺にも似たようなことが書いてあるんです」
彼女は俺のおみくじを見て。自身の髪を見てを繰り返した。
「まじ?」
「おそらく」
「こんなことある?」
「まことに奇怪なことで」
「君、変な喋り方ね」
ずり落ちそうな眼鏡をクイっと上げて直し、俺は彼女を見た。スリムな体型に女性にしては身長が少し高い。百七十センチある俺とほぼ同じだった。ギャルといえばギャルっぽいが、知的な雰囲気を漂わせていてる。美人なことも相まって俺はすでに彼女に惚れそうだった。この運命的とも呼べる出逢い方はまるで御伽噺のようにすら思えた。むしろ神社からの信託であろう。
「なーんか運命的だね」
それは彼女も感じていたようだった。
「ですね」
俺は頷いて見せたが、彼女はため息を吐いた。
「でも私もっと筋肉があって、背の高い人が好みなんだけど」
私はすぐに神社に参列する女性に視線をやった。金髪ショートカットなどいくらでもいる。髪さえ染めれば誰だって金髪になれるこの時代、きっと俺の運命の相手はこの中にいる。しかし、目立つはずの金髪ショートカットは目の前の美女以外、どこにも見当たらなかった。アッシュグレーの眼鏡男子も探してみたが、どこにもいない。
「住職も遊びたくなったんでしょう」
「にしてもふざけすぎよね。まっ、これも何かの縁ってことで、これあげる」
彼女は小さな鞄からガムを取り出して俺にひとつ分けてくれた。味はグレープ味だった。
「ありがとございます」
「いいってこと。それじゃあ良いお年を」
もう会うつもりがないからか、来年に向けての挨拶を先取りした彼女は悠然と雑踏の中に消えていった。俺は長く彼女の魅惑的な尻を目で追った。姿が消えてもなんとなく呆然とベンチにいた。すっかり昼下がりになった青空には二羽のカラスが飛んでいる。漆黒の羽に似合わない澄んだ青い空を自由に羽ばたき、小鳥たちを追い回していた。
「世知辛い」
悟りを開いた気になった大学生のごとく、俺は煙草をもうもうと吹かして神社から立ち去った。
姫路城前を国道2号線沿いに歩き、缶コーヒーを飲みながら当てもなくぶらついた。
大学の友人たちは皆里帰りをしており、俺は持て余した暇に呑まれて途方もなく街を見ていた。道路には昨日降った雪が溶け出してたくさんの水溜まりができている。道路横の歩道を歩いていると、背後からエンジンを蒸したプリウスが走り去って水溜まりを勢いよく踏んだ。濁った水が俺の体にまで跳ねて、足元がずぶ濡れになった。
「クソッタレめ」
品性のない車を睨みつける。あっという間に消えて行ったプリウスを忌まわしく思いながら水滴を払っていると、通りすがりの観光客に声をかけられた。
「hey」
相手は外国人だった。
「I would like to see the inside of Himeji Castle, how can I enter?」
頼むから日本語で話してくれ。ヒゲもじゃの君。
しかし俺の祈りが届くことなく、まったく聞き取れない英語をペラペラと話す。俺はひたすらに「アイムハッピー」と返すのが精一杯で、サングラスをかけた彼は「NO,NO,NO」と言って、再度英語を話す。ここで見捨てるほど冷血な俺ではない。そんな人並みの優しさが俺の首を締め上げた。
俺が悪戦苦闘を強いられる中、ヒゲもじゃの外国人の後ろから人影が見えた。
「hey」
外国人を呼んだのはさっき神社で運命的出会いかつ詐欺的出会いをした金髪ショートカットだった。
「If it is Himeji Castle, you can enter by crossing the signal, crossing the bridge, and passing through the gate.」
流暢に英語を話して外国人と楽しげに話すと、彼は手を大きく降って姫路城に向かって歩いて行った。
「あの、ありがとうございます」
助けてもらったことにお礼を言うと、謎の美女は辺りをきょろきょろ見回して鋭い目つきで俺を見た。
「ちょっと来て」
有無を言わさぬ剣呑な雰囲気だったので、断りきれずに俺は彼女の後をついていった。
駅前の喫茶店に入ってお互いにコーヒーを頼む。コーヒーが届いてから彼女は砂糖を二つ入れてかき混ぜる。一口飲んでから煙草に火をつけた。
「おみくじ、まだ持ってる?」
Vaundyが流れる店内で彼女は静かに切り出した。
「持っていますけど」
「出して」
何が何だかわからないが、言われた通りにおみくじを出す。彼女もおみくじをテーブルの上に置いた。
「神社を出てから変なことなかった?」
思い返してみるが、特に変なことはなかった。たまたま水溜まりに跳ねられ、たまたま外国人に声をかけられただけだった。
「強いて言うならさっきの外国人くらいです」
「そう。それならまだマシか」
一人納得する彼女に俺は訊いた。
「あの、なんなんですか?」
紫煙が揺蕩う向こうで冷徹な眼差しをした彼女はため息を吐くように煙を吐いた。
「私、神社を出てから嘘みたいに変なことが起きたの。立て続けにね」
彼女の話によると、神社を出てから彼女は姫路駅前のモールに向かっていたらしい。しかしその道中で彼女はどこぞの犬の糞を踏んだ。ソフトクリームを持った少年とぶつかり、脚にソフトクリームがべっちょりついた。コンビニでひとまずタオルを買い、ソフトクリームを拭き取ろうとした途端、公園で遊んでいた少女が転び膝を擦りむいた。彼女はわんわん泣く少女に持っていたタオルを渡して手当をしてあげた。その時に少女の父親らしき男に連絡先の交換を執拗に迫られ、その父親の肩に鳥の糞が落ちてきた。驚いた父親は慌てて手に持っていたカップコーヒーを美女にかけてしまう。
このほかにも、元旦だと言うのに熱心なキャッチに捕まり、謎の占い師に「死相が見えます」と脅され、大学生のチャラ男に「モバイルバッテリーありますか?」と聞かれたりと奇怪なことが彼女を襲った。
「災難でしたね」
「でね、もしかしたらと思っておみくじを見たの。厄災のところがアッシュグレー(眼鏡)といないと死ぬって書いてあった」
彼女のおみくじを見せてもらうと、確かにそう書いてあった。
「たぶんこれマジよ」
「じゃあ俺が外国人に声をかけられたのも……」
「明らかに前兆ね。君のおみくじにも似たようなことが書いてあるんじゃない?」
自身のおみくじを見ると、厄災のところが金髪ショートカット(美女)といないと死ぬと同じように書かれてあった。明らかに偶然とは思えない。得体の知れない神通力が働いていた。
「書いてありました。こんなことってあるんですか?」
「実際に起きてるし、あるでいいんじゃない? そんなことより、このままだと私と君死んじゃうよ」
「それは言い過ぎじゃないですか?」
「私、こう見えて昔巫女さんやってたから。やばいって直感がいってるのよねー」
巫女さんをやっていたように見えない金髪ショートカットであるが、そのギャップがなおさら真実味を帯びていた。このまま一人で下宿先に帰ろうものなら大凶と呼ぶにたる災難が降りかかるかもしれない。生まれてこのかた大吉人生を謳歌してきた俺にとってこれは運命の岐路なのだろうか。人生山あり谷あり。まさに谷の期間が始まった。
「じゃあ一緒にいたほうが良さそうですね」
「そうね。今年一年はよろしくね。私は西条。君は?」
「所沢です」
「呼びにくいわね。サワって呼ぶわ」
これが西条さんとの奇妙な出会いだった。
彼女はカフェ定員をしている俺より二つ上の女性で実家は山奥の神社らしい。彼女が大学生の頃、金髪ショートカットにしたことをきっかけに実家から追い出された。「髪を元通りにするまで家に帰ってくるな。麓の田中さんのところなら格安でやってくれる。早く行け。これはその代金だ。会ったらよろしく言っておいてくれ。粗相のないように!」
そんな彼女の父が拗らせた親心で散髪屋に送り出したはずが、彼女は「これは僥倖」と思い姫路へと降り立った。以来、彼女は金髪ショートカットのままだった。
協定関係を結んだ西条さんと喫茶店を出て、彼女は服屋さんに向かった。途中まで一緒だったけど俺は隣の書店に入った。
「いい? お互い離れすぎないこと。もし遠くに行くなら電話すること。おけ?」
「おけ」
西条さんと別れて書店に入る。充満した紙の匂いと細やかな音が密集して空間BGMの役割を担っている。落ち着きすぎて逆に落ち着かない読書の空気に揺られながら棚を物色した。小説の気分じゃなかったので漫画を読む。立ち読みを始めて十分足らず。俺はトイレに行きたくなった。この現象は書店に通う人は誰しもが通るものであるが、いつもいいところでやって来るこいつの空気の読まなさは群を抜いていた。そして無視することもできないので急いでトイレを探す。しかしこの書店にはトイレがなかった。
「クソ! 膀胱の限界が近い!」
俺は書店を出て一番近い地下街のトイレに向かって走った。
こうしたことは人間なら誰にでもあることだと思う。
しかし、この先に起きたことはあまりにも奇々怪々で多すぎたので端的にまとめた。驚かずに聞いてほしい。まず書店を出てすぐバナナの皮を踏んでずっこけた。何故バナナがあったのか。おそらく車両販売でやってきたチョコバナナの店の不始末だと思う。なんとか起き上がってすぐに配達業者と衝突し、露出の多い艶やかなキャッチに足止めをされて長い信号を待った。信号を渡って地下街の階段を降りると小学生の集団が道幅を埋め尽くしており、そこに百匹の猫の大群が押し寄せた。しっちゃかめっちゃかな乱戦をくぐり抜けてトイレへ辿りつき、事を済ませて出ると謎の占い師に「おめえ死にたいの?」などとメンチを切られて逃亡した。地下街から地上へ出たタイミングで鳥の糞が頭に振り、また地下街のトイレに行って頭を洗うと占い師に「マジで死ぬぞ」と脅された。
何がどうなってそうなったのか。
俺の方が知りたいくらいなので余計な詮索は控えてほしい。とにかく俺は慎重に進んで書店まで戻ると、服屋の前で全身が青くなった西条さんがいた。
「何があったんですか?」
「そっちこそなんで頭がずぶ濡れなの」
西条さんは店内でペンキを塗っていた業者のミスで青いペンキを頭から被ったそうだ。
「離れる時は電話って言ったでしょ?」
「まさかこうなるとは」
「言い訳無用。これでようやくわかったわ。もし一駅分でも離れようものなら……」
「ものなら?」
「確実に死ぬ」
馬鹿みたいな話に悪寒が走った。朝のおみくじのことが思い出される。この一年、俺のすべては金髪ショートカットによって一切が決まる。おそらく生も死も彼女といるかどうか、そんな些細なことで決定づけられる。俺は力強く頷いた。
それから俺は西条さんと暮らした。
結論から言って彼女とねんごろになったとか、惚れた腫れたの逸話は残っていない。残せなかったと言ってもの相違ないが、誤差の範囲なので訂正はしない。とにかくどん底とてっぺんが同居していたかのような時間だった。
西条さんは綺麗好きで、料理が苦手だった。彼女は週に5回映画館に行くので俺はついて行くほかなく、タバコを買いに行くのも一緒だった。彼女の生活習慣に合わせるため大学は休学した。命に関わることなので仕方なかった。
彼女の髪が元通りになりかけた時は世界が滅びそうな雨が降った。俺の髪が元通りになりかけた時は世界が消えそうな雪が降った。姫路で始めてハリケーンが観測され、俺と彼女は飲み屋街の常連たちとブルーハーツを大熱唱して鎮めたりした。何度も髪を染めたせいで俺と彼女の髪の生命力はみるみる失っていき頭皮は悲鳴をあげた。それを隠すように最高級トリートメントを買い続けて財政事情が逼迫した。お互いの髪に櫛を入れてドライヤーで乾かし、もずくと納豆をたくさん食べた。「これって効果あるんですか?」と聞いた俺に彼女は「髪に聞いて」と返して堪えるように笑った。煙草の灰が髪について、危うく家も髪も全焼しかけた。疾風怒濤の生活は西条さんの実家まで轟き、金髪でいいから戻ってきなさいと言われて先日彼女は帰省した。
彼女と過ごした二階建ての小さなハイツの一室はまだ西条さんの痕跡が残っていた。フロータイルの床には窓から差す陽光で黄金色に輝く数本の毛が落ちている。年明けとともに西条さんと一緒に髪を黒色にした。長く彼女の髪は金髪というのもあって違和感があった。けれど西条さんは大抵のものは似合うし、生まれてすぐは黒色だったのだからすぐに馴染むと思う。
俺は一人で去年と同じ神社に赴きおみくじを引いた。
結果は大吉で、どの欄にも金髪ショートカット(美女)という言葉はなかった。不吉極まった去年であったが、俺は漠然とした淋しさと冷たい風に肩を震わせた。神社に参列する雑踏の中にはたくさんの金髪ショートカットがいた。一目惚れしそうな可愛い人もいたが、俺にとっての不吉を抱えた金髪ショートカットはもう姫路にはいなかった。
3「金髪ショートカット」
人間たちが苦しむ姿が見たいからのお
手始めに消費税は100%じゃ! デンノコ男から抜粋