三六 叫ぶ間も与えられなかった
メガラニカ財務相の少女が悲鳴を上げた。
はやし立てていたニキビ面の将軍も、言葉を失っている。
エリカは険しい表情で、顔を背けた。
児玉は目を見開き、歯を食いしばり、突き刺したナイフをゆっくりと動かし、真一文字に腹を割いてゆく。
大量の血がびちゃびちゃと床に落ちた。
「元帥、……介錯を……」
絞り出すような声で、児玉は懇願する。
「見事だったぞ少佐。後は任せておけ」
ウベクは児玉に寄り添い、硬直した児玉の体を支えた。
「あっ晴れな最後だったと、遺族には伝えよう」
「馬鹿じゃないの? 本当に大人って、馬鹿じゃないの?」
エリカが叫んでいた。国家元首としての立場を忘れ、一人の少女として、声を震わせている。
独裁官は少年中佐に、医者を連れてくるように指示する。しかし、その動きを城島が制止させた。
「このまま死なせてやれ。大人には、面子や体裁というやつがあるのだから」
「本当に馬鹿じゃないの?」
エリカの声は悲鳴に近いものとなっていた。
児玉はまだ息を止めてはいない。その乾いた口腔から、掠れた言葉が漏れている。
「……早く、……早く」
ウベク元帥の目にも涙が浮かんでいた。元帥は大きく一度、わかったと頷き、児玉の腹へと手を伸ばす。
その黒い手は、児玉が握るナイフの部分をすり抜け、割かれた皮膚さえ通過した。
周囲の誰も、その姿が見えていない。半分の者が目を背け、もう半分の者もウベク元帥の大きな背中しか見えていなかった。
そして、ウベクの手は目的の物に触れる。
興奮が絶頂に達したのか、ニキビ面の少年が笑い声とも叫び声とも判断できない奇声を発した。
その瞬間だった。
ウベクは素早く振り向き、予めその居場所を確認していた人物へと手を伸ばす。その指先には、血まみれの小型オートマチック拳銃が握られていた。
少年中佐が「しまった」と叫ぶ間も与えられなかった。ウベクは目的の人物、パラケルススの眉間を正確に撃ち抜いた。