十四 メガラニカ
南極という極寒の地に居住することは、当時の技術をもってすれば然して困難なことはなかった。百年近く前から人類はこの地に観測隊を派遣していた為、ノウハウは十分蓄積されていた。しかし、これから新たに構築しなければならない施設は、数十人規模が住まう観測所とはわけが違う。数百万、あるいは数千万の若者たちが生活するためのスペースが必要となる。
指導者たちは巨大なドームを建築することに決めた。三キロ平米の広さに、五階層を基本とした生活空間を構築し、一基当り百万人以上の居住を可能とするものだ。これをまずは五基建築する。南極に集う若者はファミリーネームを捨てねばならないという条件は、半端な心意気の持ち主を弾くという機能も果たし、初めからその新国家に参加しようとする人数は然程大規模なものにはならないと予想された結果だった。事実、世界中で新国家移住を希望した若者の数は一五〇万人を下回っていた。後々その数が増加することは見込まれていたが、当面はこの五基のドームで居住空間は事足りるものとなる。
かつてない規模となる巨大ドーム建築には、資金・資材の確保では成功したが、技術・労力面における不備が目立った。全て若者の手で進められた計画であったため、経験と知識において至らなさが多く、ドーム建築は予定が大幅に遅れることとなる。
また器の建築の他にも、政治的な問題も数多く残されていた。1959年に制定された南極条約により、それまで各国が主張していた南極大陸の所有権は凍結されていた。これに対して若者たちの新国家が、南極を所有するということは認められなかった。あくまで、国連がその代行者となり租借する権利を与えられたのみであった。同様に、租借する権利は単に居住することを認められたのみであり、膨大な量が眠ると考えられているその地下資源を発掘するようなことも、当然容認されないことであった。居住施設としてドームではなく地下にその空間を求めた計画も立てられていたが、大地を掘り下げることは発掘に当該するとして、各国政府はこの案を認めなかった経緯がある。
様々な困難が、若者たちの新国家の前に立ちはだかったが、計画始動より約二年の期間を経て、第一のドームが完成する。第一ドームは新国家の首都として定められ、ケルト神話における愛と若さの神から名を採り『オィンガス』と命名された。そして、自らの手でそのドームを作り上げた若者たちを中心として、第一期の入植者四〇万人による国家が始動した。民主的な選挙により、五人のリーダーの中からエリカがその初代執政官に選ばれる。エリカは指導者としての初めの仕事として、新国家に名を与える。
メガラニカ。それが史上初となる、年齢を唯一の帰属意識として持つ世代国家の名となった。メガラニカとは、古代ギリシア時代に考えられた空想上の大陸であり、大航海時代には多くの探検家がこの大陸を求めて南へと舵をとった。これがオーストラリア大陸、そして南極大陸の発見へと繋がる結果に至るのであるが、想定されていた南半球を覆うような巨大な大陸は存在しなかった。エリカは新国家を、世界を覆い尽くす程の規模にまで発展させることを願い、この名を採用したのだった。




