9 呪いと出生の秘密
かつての生での夫について想いを馳せ、黙り込んでしまった私を、目の前の男スレンがもの言いたげに見つめていた。腕のことやタイグの母のことを聞いたりしたのだから、まあ訝しむのも無理もない。
「……ともかく、ここには魔女の軟膏はない。魔女かどうかはさておき、私には軟膏の作り方も分からない。」
「そうですか……。であればお暇する他ありませんな。わしはまた旅に戻ろうと思います。」
「そなたは……主が死に、隠居した身で、何のために旅をしているのだ?」
「……タイグ様のかつての恋人を探すためです。」
「かつての?」
「父であるヌアザ様に結婚を反対されたタイグ様とその恋人殿は、あの日駆け落ちをなさった。」
駆け落ちが流行っているのだろうか。
「ヌアザ様は死に瀕し、二人の結婚を認めるために枕辺に呼ばれました。その時恋人殿にはお腹に子供があったため、タイグ様は彼女を隠れ家に待たせ、自分は急ぎ実家に戻られました。そして父を看取り、彼女の元に急ぎ戻ったタイグ様に残されていたのは、一枚の書き置きでした。」
「それでその恋人を未だに探していると?」
「当時も騎士団を出して捜索しましたが見つからず…‥。今わしは隠居して時間ができましたのでな。恋人殿というよりは、タイグ様のお子様を探しております。」
「気長なことだ。当て所なく人探しとは。」
「いえ、当てはないこともないのです。書き置きには『今まで黙っていましたが、昔から私には満月になると獣になる呪いがかかっています。生まれる子供が人でなかったらと思うと、怖くてここにはいられません。ごめんなさい』と書かれてあったのです。」
呪いとはまた物騒な話だ。夜や特に満月に魔力が高まるという話は聞いたことがあるし、年に一日だけ鳥から人に戻れるというような話も聞いたことがあった。
自らの魔法で変身したものは当然自力で戻れるだろうし、他人に掛けられた変身の魔法は魔女の軟膏や薬草モーリュで対処できるらしい。
「……呪いというのは他人に掛けられた変身の魔法、ということなのか?」
「書き置きにはそこまでは書かれていなかったので、とりあえずは恋人殿とお子様と、魔女の軟膏をそれぞれ探しておるところです。」
「そうか……。力になれず、すまないな。」
「いいえ、隠居の気長な旅ですのでお気になさらず。よろしければまた寄らせてくだされ。」
「ああ、そなたならば拒みはしない。」
スレンを見送り、畑とドルドナの世話をしてから、私はいつもの見回りに行くことにした。
狼に変身してからふと考える。タイグの恋人は呪いではなく獣人なのではと。
親に説明もされず、任意の変身ではなく満月のみの自動変身であれば、呪いと勘違いしてもおかしくはない。スレンがいる時にその考えにたどり着ければよかったが後の祭りだ。いや、そもそも自動変身などありえるのか?
まあ、20年前に死んだヌアザの死期に妊娠中だったならば、その子ももういい大人だろう。人であっても獣人であっても獣の姿であっても、もういい加減自立しているはずだ。産み落とされてすぐに親に死に別れた私だとて、こうして生きているのだから。
そうして自分が生まれた日を思い出す。……そういえば私が生まれた日も満月だったような。……タイグの恋人は何の獣に変身する呪いだったかだけでも、スレンに聞いておけばよかった。
「まあいいか。」
私はそのまま、念の為いつもより長い見回りに出ることにしたのだった。
しばらくしてまた年配の訪問者があった。
大男で片目に包帯を巻き、スレンほどの年ではないがよれよれと覚束ない足取りを見ると、やはりすげなく追い払うこともできず家に招き入れてしまった。
「……怪我の治療を望むのか?」
「いや。貴様の薬草の噂は聞いているが、望みはそれではない。」
弱っている割には横柄な口調である男を観察すると、中々に上等な衣服を身に着けていた。人にものを頼む態度ではない居丈高さだ。
……不快な態度であったが、思えば20才そこそこの自分も同じような口調で話しているのだからそれを言うのもお門違いかと考え直した。それに情にほだされ招き入れた手前、話を聞かずに帰れとも言えず、男が用件を述べるのを鬱々としながら待った。
「娘を探して欲しい。」
「人探しは請け負っていない。」
「魔女であればそのくらい魔法でできるのでは?」
非常に背の高いその男は椅子にも座らず、物理的にも心理的にも私を見下すようにして言い放った。先程のよれよれは何だったのだろう。
「私は魔女だと名乗ったことなどない。」
「……娘が駆け落ちしたのだ。探してくれ。」
やはり駆け落ちが流行っているのだろうか。それにこちらの事情はお構いなしだった。
「人探しはやっていない。」
「……では娘とその腹の子を呪い殺してくれ。」
私は目の前の男が何を言っているのか理解できなかった。
「…………」
「あのまま塔にいれば殺しはしなかったものを、手元にいなければ子供を殺すこともできない。部下に留守を任せている間に書き置き一つで駆け落ちなど……。娘を連れ戻せないのであれば諸共に殺してくれ。呪いでも直接手を下そうともどちらでも構わない。」
「……なぜ子供を、お前の孫を殺すのだ?」
「貴様には関係ない!」
「…………帰れ!」
「……我が神より、娘の産んだ子供に我が殺されるというお告げがあったのだ。」
私は確信を持って尋ねた。
「……お前のいう塔とはどこのことだ?」
「トーリー島の塔だ。」
ということはやはり、目の前にいるこの名乗りもしないいけ好かない男は、あの塔から赤子を捨てさせた男であり、エフニェを閉じ込めた父親であるということだ。
「お前の名は?」
「……バロルだ。」
それはかつて私を殺し夫を殺し、一族を魔眼で惨殺した男と同じ名前であった。もちろんそれはここヒベルニアでのことではない。それを行ったのは目の前にいる男ではない。
しかしこの男は、娘を閉じ込め赤子を捨てさせ、新たに生まれる子供に怯えるあまり、娘諸共殺させようとしている。
であれば私のすべきことは故ない復讐ではなく、エフニェとその子を殺させないことだろう。逃げ延びたあの赤子も含めて。
もしもあの赤子が「ルー」だとすれば、バロルを倒すのは彼だ。まるでそれをこの世界の主神が後押ししているようだった。
「……かつてトーリー島の塔から赤子が海へ落下するのが目撃された。海に落ちる直前、大きな番の鷲が赤子を背に拾い受け、海の彼方へと飛び去ったという。」
「な、なんだと?! 番の鷲? 鳥神か?!」
「私が思うに、お前の神の予言を信ずるならば、生まれるかどうか分からない次の子を追うよりも、すでに大きく育っている子供への対策を考えたほうがいいのではないか?」
「そ、そうか……そうだな! 分かった、そうしよう。依頼は取り消しだ。ではな!」
その男バロルは慌てた様子で戸を開け放ち、再びよれよれと足をもつれさせながら私の視界から消えていった。
空を見上げて私は問いかける。
「……鳥神よ、見ているか? そなたらの世界では、この因縁をどう始末するつもりだ?」
エリンではキアンとエスリンの子である「ルー」が、ヌアザの次の上王を任されて「邪眼のバロル」を討つのだ。
数ある噂の一つには、バロルがルーの親の敵だったという話もあったが、エフニェは駆け落ち済みだ。バロルの目を反らしたので、手にかかることはないだろう。
どちらにしてもこれ以上私が関わることではない。この先は鳥神が連れ去ったあの赤子の物語となるだろう。
そういえば、ヌアザが病死して次の王たる「ルー」がまだ子供だとすると、今はその前の上王の時代か……。さて、名前は何と言っただろうか。
2021.10.31