8 勇士と軟膏
見捨てずブックマークして頂いた方々お待たせしました。予告通り前話までの部分にニュアンスが変わる程度の手直しがあります。大筋は変わりませんが、お時間ありましたらおさらいしてから続きをお読み頂けると分かりやすいかもしれません。
私の大樹の家に新たな訪問者があった。
それは一人の旅装の男だった。白髪なのか銀色がかった髪に、顔にはシワが見えるが立ち姿にはスキがなく、使い込まれた剣を下げた様子はまるで歴戦の勇士のような趣があった。
流石の私もくたびれた旅装の年配者をすげなく追い返すのは気が咎めたので、仕方無しに室内に招き入れて席を勧めた。この家に椅子は一つしかない。私は客人に薬草茶を出し、立ったまま用件を尋ねた。
「私に何用か?」
「これはご丁寧なおもてなし、痛み入り申す。……ここにはあなた一人きりなのだろうか?」
「……用件は?」
探るような男の様子に、私は早くも招き入れたことを後悔し始めた。
「いや、申し訳ない。旅の途中で、辺境の村に妖艶で優秀な魔女が住んでいるという噂を聞いたのでな。わしの願いを叶えてくれる御仁にやっと巡り会えると足を運んだのだが、まさかこれ程に若くて可憐な魔女殿だったとは……」
「……それで、用件は?」
しばしの逡巡の後、やっと男は来訪の理由を述べた。
「……魔女の軟膏を分けていただきたい。」
「魔女の、軟膏?」
その名前は以前の生で聞いたことがあった。エリンより南方の島に住む、ヘカテーとかキルケーとかいう魔女が考案したという軟膏で、確か動物に変身したり元に戻したりするものだったような気がする。
エリンに住んでいた前世の私たち姉妹は、女神やら魔女やらと呼ばれていたのだが、容易に鳥などに変じることができたので、そのような軟膏は作り方も知らず、また作る必要もなかったのだ。
「……分けてはいただけまいか?」
「ここにはないし、作り方も知らない。……それに私は、魔女だと自ら名乗ったこともない。」
「そうであったか……」
うなだれる男に、私は以前から聞きたかったことをぶつけた。
「……そもそも魔女とは何なのだ? 魔法を使える女は全て魔女なのか?」
かつて養母が私に期待した魔法使いと、追い出される時にぶつけられた淫魔や魔女には確たる隔たりがあるように感じていたのだ。
「うぅむ……。申し訳ないが、その問いに対する答えを、残念ながらわしは持ってはおらぬ。……確かに、ただ魔法を使えるだけの女性を誰でも魔女と呼ぶわけではないな。」
「魔法を使えるだけでは魔女ではない、か。……私は人に魔法を披露したこともないのだがな。」
つぶやく私に目を向けながら、男は思案するように言葉を重ねた。
「……村人として村の中に住む魔女をわしは知らぬし、両親揃った魔女というのも聞いたことがない。それに魔女とは森に住む妖艶な美女か老齢な女性という、勝手な想像もわしはしておったようです。」
「おや? 私は淫魔だ魔女だ誘惑の魔法だといって村を追い出されたのだが、そなたには私は妖艶には感じられなかったようだな。」
私は10年前のことを思い起こしながら鼻で笑った。
「淫魔……。あなたのような可憐なお嬢さんにそのようなこと……。いやいや、わしがあと数十才若ければあなたに夢中になったことでしょう。」
「若ければ? 養父も村長も、そう若くはなかったように思えたが……」
年配ではあってもすっと背筋の伸びたこの男は、くたびれた様子の当時の養父とそう年は変わらないように思えるし、村長に至っては10年前ですら今のこの男より年嵩に見えた気がした。
「養父や村長が、あなたにその言葉を言ったのですか? ……なるほど、やはりこの村にはもっと外部の目が必要なようですな。」
「……私が村を追い出された10年前と違い、恐らく今ではあの村にも徴税官が出入りしているようだ。」
徴税は痛いが私にはもうドルドナがいるし、お偉い魔法使いを見慣れれば、彼らの魔法への過剰な期待も忌避もなくなるだろう。
「……10年前ですと? その頃にはまだあなたは幼子だったのではありませんか?」
「多分10才の時だな。ふむ。……天涯孤独で誘惑する魔法使いの女が森に住んだら魔女の出来上がりか。なるほど纏う空気は異なるようだが、私はヒベルニアでも歴とした魔女なのだな。」
今生でも常人と違う自分を潔く受け入れようと、私は噛みしめるように発言をした。すると目の前の男が急に椅子から立上がり、騎士のように跪いて頭を下げてきた。
「いいや! 申し訳ないお嬢さん。わしが間違っておりました。あなたは魔女ではない。この世界は夫婦神であられる鳥神様の御力で存在しておるのです。男女の仲を歪めるような、魅了や誘惑の魔法は存在しません。それが理由だというのであれば、あなたは魔女ではないでしょう。」
「だが……私の漏れ出た魔力のせいで、養父や村長が淫の気を帯びたのであれば……」
「それはそやつらが幼女趣味のクソ野郎だからです! 無垢なる幼子が女である要件を満たしているはずもない。魔女ではありえない。……お労しい。天涯孤独というからには親兄弟もおられないのでしょう。幼き頃よりご苦労をされて……」
「い、いや、それほどでも。最後は啖呵を切って自分から飛び出してきたわけだし……」
「それでいいのです! クソ野郎どもの魔の手から逃れられて重畳でした。……ああ、わしを警戒してのことでなければどうぞあなたが椅子に掛けてください。わしはこのままお話させてもらいます。」
私が座らず立っていたのは別に警戒してのことではない。まだ今生で試したことはないが、手練と思しきこの男に対しても、ヤろうと思えば遅れは取らないつもりだ。
「……椅子を取ってくる。」
どうにも調子が狂った私は、外の木から椅子を作るべく、一旦その場を離れた。
恐らくあの男が考える魔女とは、やはり淫魔とやらに近いもので、魔法以外で誘惑する存在なのだろう。私もかつての生では何度も夫を持った身だ。彼の言わんとする意味は分かる。確かに今生で私はまだ女ではない。
この世界に生まれ変わってから、庇護するべき存在として私の心配をし、その不遇を我がことの如く嘆いてくれる存在は今まで誰もいなかった。
今、私は動揺しているようだ。普段は使わないようにしている魔法で木から椅子を作り、抱えて玄関から室内に戻った。
私が戻ると、未だ跪いていた男が頭を下げて口上を述べた。
「名乗りも上げず、とんだ失礼を。……わしの名はスレン。フィルボルグ族にしてダナ神族に仕える者です。隠居の身ですが、主の望みを叶えるため各地を旅しております。どうぞお見知りおきを。」
「スレン? フィルボルグの?」
「……わしの名をご存知でしたか?」
「いや……」
私は目の前にいるこの男の名を知っていたわけではない。かつての生で、夫だったダナ神族の男ヌアザ。彼の腕を戦場で切り落としたのが、フィルボルグのスレンという名の勇士だったのだ。
「そなたの、主の、名は?」
「わしの主は、今は亡きヌアザ様。そしてそのご子息であるタイグ様です。」
「えっ!? 死んだ、のか?」
かつて私と共に戦場に散った我が夫、ヌアザは……。エリンとは似て非なるここヒベルニアにも存在し、知らぬ間に去っていたのか……。
「はい。およそ20年程前に病にて儚くなられました。」
「病? ……腕は?」
「よくご存知で……。戦場でわしが切った腕は、主治医ケヒト殿による銀の義手の措置で事なきを得ました。……わしらは敵同士ではありましたが、終戦後に拾っていただき、以後は主としてお仕えしておりました。」
私は混乱していた。知った名がどんどん出てくるのに、まるで違う道筋を辿っているからだ。
エリンでのスレンはヌアザに仕えたりしないし、ヌアザは病死しない。私とともに戦場でバロルに殺されたのだ。トーリー島に塔を持ち、魔を放つ目を持つフォモル族の男に。
それからヌアザの兄弟である医師ディアン・ケヒトの子は、確かキアンという名だった。あのドルドナの元飼い主と同じ名だが、エリンではキアンは塔から捨てられた赤子の父だったはずだ。しかしここヒベルニアでバロルの娘は、子を手放してから彼に相見え、駆け落ちをした。
似ていてもエリンとヒベルニアは別の世界の、似ているだけの別の島だ。だが、分かっていても聞いておきたい。
「……タイグとやらの、母親は?」
「……存じませぬ。わしがお仕えし始めた時にはもうヌアザ様のご子息としていらしたので、実子か養子かも分かりかねます。」
かつての生でも私達は惚れた腫れたで娶されたわけではないし、ヌアザの妻は一人ではなかった。それに私達の間には子もなかったのだ。うん……ただちょっと、気になっただけだ。
それにヌアザが病死したという20年前は私がこの世に生まれた頃だ。どちらにせよ今生に縁はなかったらしい。
2021.10.30