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 7 カラスと豊穣の牝牛






 大樹の我が家で私が人の身に戻ると、玄関扉の前には寝転ぶキアンと草を食むドルドナがいた。



「どうでした? 美人でしょ? 恋人はいましたか? 駆け落ちは?」


 すごい勢いで起き上がって私を質問攻めにする男に、我感せずとばかりの牝牛。彼らと出会ってから私は、ため息が頻繁に出てしまうようになったらしい。


「彼女はエフニェ。駆け落ちは了承された。行き先の希望はないが、父親の手の届かないところに行きたいらしい。」


 報告を聞くとキアンはとても嬉しそうな顔で、私の手を両手で握りしめてきた。


「ありがとうございます! 実は大陸に伝手がありまして、そちらに行こうと思ってたんです。ただ船が小さいので……それもあってドルドナを譲るのにふさわしい相手を探していたんです。こいつは前からの私の親友ですから。」



「旧知の親友を手放してまで、名前も知らなかった女と駆け落ちをするのか?」


 これまでの、牛を大事に扱うキアンの様子を思い起こしながら、私は彼に真意を問うた。


「そうですね。一目惚れ……いや、運命を感じたんですよ。運命なんて、そんなおめでたいこと、私はこの世界に生まれてこの方、全く信じていなかったんですけどね。彼女をひと目見た時に、感じたんです。この先の人生を彼女と共に歩むことは、予め決められていた、確定の未来だって。」


 常に興奮気味に浮ついた喋り具合だったキアンが、訥々と記憶と心の内を確認しながら喋るような、そんな様子を見せたのは意外だったが納得がいった。


「そうか……。まあお前らがそれでいいならば私に言うことはない。……ただ、ドルドナは私と過ごすことに納得しているのか?」


 緑の斑のある白い牝牛の、黒く潤んだ瞳を見つめながらその意思を問うと、ドルドナは草から顔を上げて私の顔を見上げた。そして数歩こちらに歩みを進めると、再び私の足元の草を食み始めた。



「ああ、よかった。ドルドナも魔女さんを気に入ったようですね。これで安心してこの地を離れられます。決行はいつですか? もうトーリー島の住処は引き払ってあるのでいつでも出られますよ。船旅の準備もしてあります。」


「お前……そこまで準備して断られたらどうするつもりだったんだ?」


 なんとも性急な男の有り様に疑問を呈すると、キアンはなんでもないことのようにからりと笑って言った。


「その時は拐って逃げるだけですよ。ただ魔女さんに頼んだ方が姫には無理強いをせずに済むし、心の準備ができて安全だろうし、親友の行く末が安心だっただけです。ドルドナを捨てて、姫を拐って逃げるだけなら俺だけでもできたんです。」


「あの塔に至る手段があるとでも?」


「私は風の魔法が使えますので飛んでいきますよ。」



 私は心底驚いた。自分以外に魔法が使える人間を他に知らなかったからだ。相手が黒髪で油断していたのもある。村人の教えにより、赤青黃かそれが混ざった色が魔法の色だと聞いていたからだった。


 私はこれまで誰にも魔法を使うところを見せてこなかった。今生では特別な存在として疎外されたくなかったからだ。それなのに魔女と呼ばれ、忌まれて村を追い出された。いや、自分から出て来たようなものだったが。



「お前は魔法が使えるのに牛飼いをやっていたのか?」


「牛飼い……まあ親友とのんびり過ごしながら乳を売って暮らしていただけですけどね。私の魔法なんて大したもんじゃありませんよ。」


 キアンは全く気負いなく肩をすくめた。


「塔までその身のままで飛んでいける魔法が大したものじゃないだと? この世界は一体どうなっているんだ? お前のような魔法使いは沢山いるのか?」


「……うーん、沢山はいませんがいないわけでもないです。トーリー島じゃあ結構普通ですよ。まあ、魔法が使える人間がずっといなかった村なんかでは、過剰に反応することもあるみたいですけどね。」


 なんと……。普通の人生を送りたかった私は、私を胎に宿した母が行き倒れ出産した地があの村だった時点で、その望みを絶たれていたということだった。だからといって今更家を変える気にもならないが……。



「つまりあの村はめったにない珍しい村だったのだな。」


「魔法が使える人間は支配階級に多いですから、平民じゃむしろ使える方が珍しいですよ。どちらかというとその村は、支配者から干渉されないことが珍しかったんじゃないですかね。普通は役人が徴税に来ますから、時折は魔法が使える偉い人が見張りに来るものでしょう。」


 私が子供の頃には、あの村には徴税官は来ていなかった。牛乳も、私が村を出てから税で取られるようになり、平民の口に入らなくなったのだと考えられる。……とすると、今ではあの村でも魔法は珍しくなくなったのだろうか。



「……新月の夜に決行だ。船に乗って塔のそばで待っていろ。いやむしろ、私が船の番をしているから、自分で迎えに行け。」


「そうですね、それがいい。そうします。では新月の晩に海上で会いましょう。ドルドナはこのままここにご厄介になっていいですか?」


「ああ、構わない。旅の準備は完璧にしろよ。」


「分かりました。では2日後! ああ、楽しみだな……」

 

 キアンはぶつぶつ言いながら、生け垣の結界から外に去っていった。



「はぁ〜。私は知らないことだらけだな。……ドルドナ、お前はもしかして神獣なのか? それとも獣人か? 言葉を持つならば、もの知らずな私にこの世界のことを教示してくれ。」


 一縷の望みを賭けて私は豊穣の牝牛に言葉を掛けたが、彼女の口はもっぱら草を食むことに使われていて、私の求める言葉を発することはなかった。







 新月の晩、私はまず村長宅で物資の交換を行った。


 一月に一度10年間、私はこの村を訪れていたが、村内の環境の変化を全く感じていなかった。もしかすると要求される薬草の増加は、税の納入に関係していたのかもしれない。もしかして私も税を収めなくてはいけないようになるのか?


 そんなことを考えながら私は大樹の自宅に戻り、木に吊るした蕪を一つ外して用意した木の棒に括り付けた。


 そしてカラスに変身して木の棒を口に咥え、真っ暗な空の中をトーリー島の塔のそばまで飛んでいった。羽を緩めて見下ろすと、ほど近い海上にこじんまりした船とそこに立つ男の姿が見えた。




「カラス??」


 この化身では初対面のキアンがとぼけた声を上げた。私は蕪を甲板に置いて答える。


「私はかの者の使いだ。私がここで船の番をしているゆえ、早く娘を迎えに行ってこい。」


 カラスが急に話し出しても、キアンは驚かなかった。そんなことより彼にはもっと気に掛かるものがあったようだ。


「魔女さんの使い……。それでその、棒に括った生首は何なんだい? 餞別なのかい?」


 キアンは甲板に置かれた蕪を凝視して問うた。この蕪は私が大量に作ったウィルオウィスプ(鬼火)の住処で、3箇所の穴からスプーンで中身をくり抜いたものだった。大きめの蕪だったが、乾燥して大分縮んでいる。


「何のことだ? これは蕪だぞ。」


「蕪に顔をつけて光らせているのかい? 魔女の呪い(まじない)か何かなのかな。」


 どうやら魔法や言葉を話すカラスは珍しくなくとも、くり抜いた蕪に鬼火を入れて灯火とするのは珍しいようだ。


「単なる明かり代わりだ。玄関扉の前にも吊ってあっただろう? それより早く迎えに行け。父親に見つかるぞ。」


「あ、ああ。光ってはなかったし、顔がついてるとか気にしてなかったけど、どういうセンス? ……でもそうだね。では行ってきます。」


 キアンは蕪をしきりと気にしながら魔法を発動し、すーっと月のない夜空へと消えていった。





 程なくしてキアンはエフニェを抱きかかえて戻ってきた。


「あら、ブランじゃない!」


 ひと目を忍んで、わざわざ朔の闇夜に駆け落ちを試みている者とは思えないくらい、明るく通る声でエフニェが私を呼んだ。


「ブラン? 魔女さんの使いのカラスを、エフニェは知ってるのかい?」


 すぐに出発の準備をするでもなく、キアンの方ものんきに話しだした。


「魔女さん? 何のこと? ブランはわたくしの子供の父たる神の、御使いよ。」



 なんだろう。なぜかこの二人と話していると、養母や村長と話すよりも疲れる気がするのだ。しかし間違いは正さねばならない。


「そんなことを言った覚えはない。私は森に住む赤髪の女の使いだ。……それよりも、お前たちの行き先は大陸で変わりないな。」


 私はさっさと仕事を終わらせることにして、返事も待たずに蕪に入っている鬼火に話し掛ける。


「蕪を与えた対価として、この船が大陸に辿り付くまで水先案内をしろ。済んだらどこへ行くなり好きにしていい。」


 儚い光の鬼火は、分かったと言うようにその光を強めた。


「へぇ、すごいな。これなら暗闇の中でも安全に航海できるね。」


 キアンが感心したように蕪を眺めた。エフニェはすでに眠る体勢に入っている。自由だ。



「では私は帰るぞ。ドルドナは大切にすると約束しよう。……ときにエフニェ。もしもあの赤子から連絡があったらいかがする?」


 半分眠っていたエフニェは、上体を起こしてこちらを見つめた。


「子が母に会いたいと言うのであれば大陸に来るように伝えてください。あの子は神の子。母たるわたくしは、我が子が勇士たる生涯を送ることを陰ながら祈っています。」


 暗がりの中、最後に俯いたエフニェの表情は確認できなかったが、その声はカラスとの再会を喜んだ時の明るい声とは異なり、静かながらもきっぱりと言い切る、凛とした様だった。


「……そうか。承った。私もお前たち二人の行く末に幸あることを祈ろう。」


 エフニェは身を横たえて微笑んで目を閉じ、キアンは深々と頭を下げた。




 キアンの船から飛び立った私は、ぼんやりと灯るウィルオウィスプ(鬼火)の明かりを背に、漆黒の身を闇夜に溶かしてヒベルニアの我が家へとくちばしを向けるのだった。




2021.8.21









アイルランド語の読み方は難しいです。

ただ、牛といえばド○ドナかなということで……。

『【番外編】バードの歌』の参考資料にもルビは振っていません。ふわっと読んでいただけると助かります。




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『番外編 バードの歌』赤鬣の魔女と渦巻きの結び目の関連作

【参考資料】シャムロックの一葉

【詩】王の圧政への風刺・公僕の嘆き

【詩】フィネガンの黄泉返り

ネタバレもあるかもしれません。元ネタを知りたい方は随時、ネタバレがお嫌いな方は完結後にお読みください。

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