2 鷲と赤子
私は探索に出ることにした。
獣人として狼に変身するのとは別に、私は前世の魔法同様カラスに変身することができた。巨木のウロで変身し、窓用の穴から外へ飛び立った。
村長宅で学んだことによると、今私が住むのはヒベルニア島という島だった。
比較的大きな島で、5つの地方に分かれている。アルスター、ミード、コノート、レンスター、マンスターの5つだ。
そしてこの島は、前世に私が住んでいた島、エリンに非常に似通っている。そこにはウラド、ミデ、コノハト、ラギン、ムウの5つの地方があった。
そしてこの村の近くの海崖から見える小さな島、トーリー島。この島はアルスターの北西に位置する。
私はこの島と同じ名で、ウラドの北西に存在した島を知っていた。過去の私の、数あるうちの一つの生を奪った者が治める島だった。
過去の生に執着はないが、ここまでの類似性があればやはり気にはなる。私はトーリー島にくちばしを向けるのだった。
さほど広くないこのトーリー島は、カラスの羽ではあっという間に一周できる。特に変わったものはなかったが、強いて言うならばヒベルニア島側に立つ塔が目立って大きかった。塔の上階には人影があり、人が住んでいるようだ。
何かが記憶に引っかかるような気もするので、今後も巡回しようと思う。その塔は恐らくヒベルニア島の突端からも目視できるだろう。
森の拠点の大樹は、居住に耐えうるほど巨大に成長していた。幹に大きなウロがあるのに、なぜ成長できるのかは分からないが、数年後には二階部分も作れるだろう。
別の木を切り加工して、扉を作る。斧がないので魔法を使った。村の家の窓にはまっていたガラスはまだ作れないので、雨戸だけ先に木で作った。これだけでも大分家らしくなってきたと思う。
泉に水を汲みに行くと、ウィルオウィスプが沢山漂っていた。家に戻ろうとするとついてくるので、明かり代わりに家で飼うことにした。
畑から野菜を沢山収穫し、鍋で煮て食べる。余った根菜は葉の部分で枝にくくりつけて吊るし、保存用に乾燥させる。
魔法で成長を促進させれば食材が不足することもないだろうが、できることは魔法以外でやりたい。ないものを魔法で出すのは非常に疲れる。だからあるものはあるままに使っていこう。そのうち狩りもしたい。自分の手で狩りをするのはいつぶりだろうか。
一週間もするとすっかり家は整った。狩りと畑で食材は充実している。窓にガラスも入り、日中は明かりの心配はいらない。
夜はウィルオウィスプがいるのだが、彼らがあまりに干した蕪に群がるので、蕪をくり抜き吊るし直してやると、その中に住み着くようになった。希望するものが多すぎて、手作業で蕪をくり抜くのが追いつかないほどだ。毎食くり抜いた蕪を食べることになった。
この家は、村と海の間の森にある。そのため毎日海崖まで歩いて散策している。霧のない日は、そこからトーリー島の塔が見える。何かあの塔に関する物語を知っているような気がするのだが、未だに思い出せない。
村人は最近はこの辺りには立ち入らないようだ。少し離れたところに薪小屋のようなものがあるのだが、一向に誰も近寄る様子がないため、そのまま放置されるのかもしれない。その他、水汲みに使用している泉、狩りにいい茂みなどが私の散策の経由地だ。
時折気が向くと内陸も、カラスに変身して探索をする。
この周辺に村はあそこだけ、まさに辺境の村だった。他には少し離れた周囲にいくつかの村、東側の海寄りまで行くとナヴァンフォートという町がある。
そばにネイという名前の湖があることからも、そこは前世のエヴァンヴァハの地と対応しているのだろう。このヒベルニア島は前世のエリン島よりは狭いが、とても似通っていた。
空気中に魔力が漂っていることからも、私は当初ここは全く別の世界なのだと考えていた。しかし夜空を見上げれば、輝く星は前世と同じに見える。季節が移り変わっても、それぞれ前世と同じ星が輝いているのだ。
似て非なる世界。どちらが良いとも言えないが、私は今、この生活を気に入っていた。
ようやく蕪づくしの食事から逃れられたある日、平坦な生活に変化が訪れた。
その日私は人の身で散策をしていた。この地では霧もなくすっきり晴れて遠くまで見通せる日は少ない。私は気分を変えて、いつもの道のりとは逆に、海沿いを南へと上機嫌でひたすら歩いていた。
ふと見ると、常人よりはいいであろう視力で見えるギリギリの先に、男児と思しき人間が座り込んでいた。懸命に砂で何かを作っているようで、当然こちらには気が付いていない。私よりは年少のようだった。
その男児が、急に立ち上がると「あ!」と声を上げて海の方を注視し出した。そして慌てた様子で周囲をキョロキョロと見回す。
その頃には私と男児との距離は狭まっていたので、当然私は見つかった。
「ねぇ! あの塔から赤ちゃんが落ちた!」
男児は大声でこちらに訴えかけてきた。
「何?!」
「それを大きな鳥が受け止めて、あっちの方に飛んでっちゃった!」
「分かった! お前はそこにいろ!」
私は森まで駆けて身を隠すと、カラスに変身した。鷲の捕食のための狩りであれば仕方のないことではあるが、あの塔のことはまだ思い出せていないため、赤子が気に掛かった。私は男児が指差した方向にくちばしを向けた。
それはトーリー島の西の海上をゆったりと飛行していた。
一羽の大きな鷲の背の上に産着を纏った赤子が乗っており、その背を護るように一回り小さいもう一羽の鷲が覆いかぶさっていた。
なんとか追いついた私は、その鷲に羽を並べた。
「やあ、これはヴァハ殿。」
大きい鷲が人の声を発した。
「……今はその名は使っておらぬ。」
まともな会話をするのが久しぶりだった私は、どうでもいい返答をしてしまった。
「今は魔女殿とお呼びするのがいいかしらね。」
小さい鷲が答えた。
「そなたらは何者だ? その赤子をどうするつもりだ?」
私はようやく問うべきことを問うた。
「僕たちは君の同業みたいなものだ。」
「魔女ではありませんよ。過去の生の同業ですね。」
「妖精……いや、神か?」
過去の生では姉妹も夫も神であったが、それ以外の同業と見えるのは初めてであった。
「まあそんなものだね。」
「……餌が欲しくば私が狩った獲物をやろう。その子を渡してはもらえぬか?」
あの男児の泣き顔を思い出しながら、私は自然の摂理に反する提案をした。まだ塔のことも思い出していないのだ。
「私たちはこの捨て子を親類に届けに行くところですよ。」
「そうであったか。それは失礼した。……この世界でも、子は一度親類に預けるものなのだな。」
私は過去の生の習慣を思い出しながら安堵した。
「まあこの子は母方の親類に殺されそうになってただけなんだけどね。」
「この子の父親のいとこが住む島、マグメル島に届けるところです。」
「この世界にもマグメルがあるのか……」
私は過去の生でも話にしか聞いたことがなかった、死者が招かれる極楽の島のことを思い浮かべた。
「まあ、君が思っているのと同じかは分からないけどね。この子は親類がちゃんと育てることを保証するよ。」
「そうか。差し出口をしてすまなかった。」
「気にしないでね。あの坊やにも上手く言っておいてください。では!」
「この赤子と君たちに縁があれば、また会うこともあるだろう。じゃあ!」
スピードを上げた二羽の鷲と赤子は、にわかに湧き出した霧の向こうに消えていった。
「今戻ったぞ!」
ヒベルニアに舞い戻り、木々に隠れて人の身に戻った私は、言いつけどおりにその場で待っていた男児に声を掛けた。
「赤ちゃんは?」
「ああ。……あの鳥は神の使いで、あの赤子の親のいとこのところへ届けるところだったそうだ。」
「神の使い!? すごいね、本当にそうだったんだ。」
「だから安心しろ。」
私は愚かにも、少し得意げに男児に告げた。
「あなたはどうしてそれが分かったの?」
「?! ……あ、それは、カラスに……友達のカラスに頼んで聞いてきてもらったんだ!」
「そっか……。あなたもきっと特別な人なんだね。きれいだし妖精かな。」
男児はすこし寂しげにそう言った。
「まあ、それほどのこともあるが、大したことはないぞ。」
「……ねぇ、また会える?」
特別な人間として崇め奉られたくない私は、すがるような青い目から視線をそらしごまかした。
「私はいつもここにいるわけではないから、もう会えないだろう。」
「僕はしばらくアルスターにいなくちゃいけないから、時間を作ってまた来るね。」
「また来ても私はもうここには来ないぞ。」
「それでも僕は来るからね。じゃあまたね!」
帰宅時間を過ぎていたのか、男児は名残惜しそうにしながらも、西日に髪を輝かせながら足早に去っていった。
2021.8.10