16 涙と結婚
クウが泣いていた。
一人で海崖でゴーレムを作っていた時も、狼にやめろと吠えられた時も、この世界では捨てられていないと気づいた時にも泣いてはいなかったのに。
かつてクウが泣いたのは……スコランと別れる日。それではもう……私とは会わないつもりなのだろう。ならば別れの前に言わなくてはならない。
「先程は……なぜ立ち去った、の?」
私が口調を迷いながら問いかけると、嗚咽するわけでもなく、いつかのように顔を隠すこともなく、ただ静かに涙を流しながらクウが答えた。
「僕は……邪魔者だと思ったから。」
「確かにあの時、家族の……感動の再会というのが繰り広げられていた、ね。あの時の部外者としてのいたたまれない気持ちはよく分かる。あの母子はちょっと変わっているし、頼りのキアンもちょっと我道を行く男だし……」
あのおかしな家族を思って私が目を遠くすると、ふと鬼火が光を強くしたので、私は意識をこの場に戻した。
「ク……お前の、レンスターの家族は?」
クウは袖で涙をぐいっと拭うと、目に力を込めて言う。
「父は……トレンモーは死んだよ。騎士団長との……前騎士団長との決闘で。僕も闇討ちを掛けられたけど返り討ちにした。とどめは刺せなかったけど……。ほとんど会ったことない弟は騎士団の見習い。彼の母親は彼と一緒にレンスターの家に住んでるよ。」
前世に続き、ここでもクウは家族の縁が薄いらしい。そんな彼が先程の光景を目の当たりにしたら、さぞや寂しい思いをしたことだろう。
「……他に家族は?」
もしもレンスター以外に家族が……妻子がいるのならば、私の心配など無用ということになる。
「ふっ……僕に家族はいないよ。家族になって欲しかった人は、もう他に家族を作っていたからね。あぁ、ライオン丸も闇討ちの時に壊れてしまったよ。」
「そう、なのか……。ならば、もしもお前が一人で寂しいというのならば……仕事があるだろうから、共には暮らせなくても……例えば祭りの日には帰ってくるとか、そういう形でも家族と言えるんじゃないだろうか?」
「あなたが家族になってくれるの?」
クウが目を輝かせて私に尋ねてくるが、魔女の私がクウの家族になるわけにはいかないのだ。
「いや、私は……ダメだ、から。スコランとまた……」
「……スコランを僕にくれるの?」
「えっ? いや、それは……流石に難しい、な。」
騙し続けるのは心苦しいが、狼の姿で色々と話を聞いてしまった以上、今更私がスコランだとは言えない……。
「……じゃあブランは?」
「それ、も、難しい。……ああ、いや、ブランでもスコランでも、ルーが良いといえばレンスターに行っても……」
多分ルーも治癒魔法を瓶に込めることができるだろうし、私が大樹の家に居続けなくてもいいのかもしれない。魔女の姿でさえなければ、レンスターでクウと一緒に生活してもいいかもしれない。
「……ルーが良いといえば、ね。あなたの友達をどうこうできるくらい、あいつはあなたを言いなりにしてるのかな?」
「聞くべきことは聞くが、言いなりというよりは振り回されているというか、なんというか。」
確かに最近小言は多いし、禁止魔法も言い渡されたが、言いなりというわけでは断じてない。
「僕の初恋の人、僕の初めての親友、僕の相談相手をあいつは……。会いに来てくれる家族もいるのに……。僕には家族も恋人も友達もいないのに……」
私の言葉を聞いたクウが目を覆い、絞り出すような声でつぶやいていた。が、すぐに強い目で私に問いかける。
「騎士団長になってすぐの立秋の祭りにここに来たんだ。……でもスコランはいなかった。あなたとあいつとスコランとブラン、家族で過ごしていたの?」
いつのことだろうか。……でもスコランとブランはさておき、ルーが来たのは割と最近だ。そもそも私もずっと、祭りの日には家かここに来ていたかなので、祭りに参加したのは村に住んでいた時だけだった。
「私は……村を出てから祭りには行ったことないよ。ルーは村には出入りしてるみたいだけど、あの家に来たのは今年のルーナサドの後だし。」
「今年の? じゃあ最近じゃないか……。もしかして結婚はまだ?」
一歩前に出て問い詰めるようにクウが私に尋ねた。
「け、結婚? ルーが? 誰と??」
そういえばクウとキアンたちは一緒に辺境まで来たのだ。旅の途中にでもキアンたちから結婚について聞いたのだろうか? だがエフニェに渡した蕪は再会の時点まで任務も完了していなかった。だからルーの結婚事情について、キアンたちが事前に知っていたわけもなく、クウに教えられたはずもない。
「もしかして政略結婚か? 親は駆け落ちしたくせに、会ったこともない息子に政略結婚を準備するとはあまりにひどい……」
「政略結婚の話が? それは是非とも進めなくては……。じゃあ! あなたはまだ未婚なんだね?」
先程まで、まるでフラグラッハが出しているような禍々しい気配をさせていたクウが、ぱっと浄化されたような明るい気配に変わり、声をはずませ確認してきた。
「私は……結婚できないよ。」
「どうして? 親御さんが何か……?」
「いや、母親の行き倒れ出産だったから、今のところ私に親はいないよ。養父母とは縁を切ってるし……原因は私、だ。」
「どうして?! 僕は初めて会った時からあなたに結婚を申し込みたかったんだよ。スコランに言われて一人前になるまで我慢してたけど、あいつと結婚しないなら僕として!! あなたにあいつより愛してもらえるように頑張るから、どうか僕と結婚してください。」
急にザッと跪き、手を取って懇願するようにクウが私に求婚をした。
大樹の家の玄関扉を開けてからずっと、私は胸が苦しかった。そこにクウがいるのを見つけてからずっと。それがクウに手を取られた時に耐え難い痛みになり、求婚の言葉を聞いた瞬間息が止まった。私は……私はどうしてしまったのだろうか。
「クウは、博識だったな……。私が、何の病なのか知っているか? 治癒魔法でも治らないんだ。苦しいの……すごく胸が。」
服の胸元を握りしめ、痛みと息苦しさに耐えながら、私は涙をこらえてクウに尋ねた。
「……前世の常識では、お医者様でも草津の湯でも、直せない病は一つだけだけど……。本当ならうれしいけど、でもあいつは? 二股? どうして結婚できないの?」
クウは泣き笑いのような顔をした。
「それを……答えればこの痛みから、逃れられるのか?」
私は……言いたくなかった。クウは気にしないで一緒に居ようとするかもしれない。だがあの思いをクウにさせるのは絶対に嫌だった。
「理由が、分かればなんとかなるかもしれない。」
あぁ、なるほど。……何度も転生し、ここの神に同業だと言われても、私は村から出されたことに、普通の幼子のように傷付いていたのか。
自ら出てきたと強がってみても、親たる養父母の仕打ちに村長の庇護を求めていたのか。……だからスレンの言葉があれほど胸に響いたのか。
ならばなおさら、大きくなった孤独な男児に、同じ思いをさせてはいけない。
「それは私が……。クウ、私は妖精じゃないんだ。ここでは女神でもない。……私は魔女なんだよ。」
「えっ?」
クウが目を丸くして絶句したのを見て、私の目から涙がこぼれた。カラスに変化して、飛び去ってしまいたくなった。狼に変身して、走り去ってしまいたくなった。それを思いとどまったのは、ただクウの手が私の手をしっかり握って離さなかったからだった。
2021.11.7