15 導きの鬼火と再会の森
寒暖の差が緩やかなこの世界にも、秋の気配が感じられるようになったある日の午後、大樹の家の外で騒々しい声が鳴り響いた。
「私の赤ちゃ〜ん!」
「魔女さ〜ん!」
「…………」
私が2階の私室から降りていくと、ルーも部屋から出てきたところだった。
「知り合い? 誰っすか?」
「多分……。いや、とりあえず一緒に外へ出よう。」
扉を開けると、そこには3つの人影があった。
「あぁ、魔女さん。私の親友を丁寧に世話してくれてありがとうございます。今日は……」
キアンがドルドナを撫でながら私に話しかけると、その途中でエフニェが遮るように言葉を重ねた。
「あなたがブランの飼い主の魔女さんね。あの時はありがとう! 今日はわたくしの赤ちゃんを探してここに来たのよ。どこにいるのかしら?」
私は動揺していた。が、とりあえずは状況を整理しつつ情報を共有しようと考えた。
「つまりお前の……エフニェの赤子を探す契約した蕪の導きで、この家に辿り着いたということだな。この家にいる人間は私と、このルーだけだ。」
「まぁ! じゃああなたがわたくしの赤ちゃんなのね。……あの時はこの手で助けられなくてごめんなさい。立派に育ったのね。わたくしはあなたの産みの母です。」
ルーに駆け寄り手を広げて抱きつこうとしたエフニェだったが、寸前で立ち止まり謝罪すると膝をついて頭を下げた。そんなエフニェを優しい目で見ながら歩み寄ったキアンは、エフニェの手を取り立ち上がらせながらルーを見て言った。
「我が子よ、会いたかった。」
「えーっと……お義父さん、っすかね。んでお母さん? 変わってなさすぎ……。窓から落とされた時はビビったっすけど、じいさんの指示だって聞こえてましたし、養父とも楽しくやってましたんで、別に恨んだりとかしてないっすよ。」
「そうなの? 赤ちゃんだったのに覚えてるの?」
「えーまぁ……。ちゃんと可愛がってもらった記憶もあるんで大丈夫っす。俺を捨てさせたくそじじいの顔は、見てないから覚えてないっすけどね。」
「そう、よかった……。お父様は王都で騎士をやってて、わたくしが子供の頃にしか島にはいなかったのよ。」
「いや、よかった! これでエフニェの心残りも解消だね。じゃあ積もる話は立ち話もなんだし、中でお茶でも飲みながら……」
そう言って親子3人で勝手に扉へ入っていくのを私は遮った。
「おい、キアン。誰が入っていいって言ったんだ?」
「まあまあ、マジョコさん。お茶は俺が入れるんで、とりあえず入りましょうよ。」
「ちょっと待て! それよりもう一人の……」
私が先程まで一人佇んでいた人間の方に目を向けると、そこにはもう誰もいなかった。
「……さっきまで、そこに立っていたのは、あー……誰なんだ?」
「あ、そうでした。彼はナヴァンフォートで一緒に働いていた人で……」
エフニェはキアンに話させたくないのだろうか、またもや彼の言葉を遮って話し始めた。
「ブランを紹介して欲しいっていうから、護衛がてら一緒に連れてきてあげたのよ。赤ちゃんに会えたら蕪ちゃんのお仕事も終わりだし、一緒にすみかに戻ればブランもいるかもしれないって。まさかブランの飼い主さんのところに赤ちゃんがいるとは思わなかったけど。」
エフニェが蕪を掲げながらそう言った。私はどうにも落ち着かなかったが、ひとまず長らく頼みを聞いてくれたウィルオウィスプに意思を問うことにした。
「鬼火よ。長らくの働き、大儀であった。この蕪はお前のものだが、どうする? 好きなところへ去るか? それともまたこの樹に吊るして住むか? 家の入り口でもいいぞ?」
私が鬼火に問うと、蕪の中から出てきた光が私の下げていた革袋の中に消えていった。
「鬼火は生きてないんすね。空間魔法ポケットには生き物は入れられないのがセオリーっすから。……それにしてもさっきの人どこに行ったんすかね? 家族でお涙頂戴してたから遠慮させちゃったかな。」
気づかない振りをしたかった。しかしルーの言う通り、先程のやり取りはいけなかった。このまま彼を一人でいさせることはできない。ほぼ確信を持って私は尋ねる。
「……彼の名は?」
「クウァル・マックトレンモーさんですよ。上王ブレス様の所で少し前に騎士団長になられた方です。」
私は家をルーたちに任せ、一人で暮れかけた森の中を歩いていた。
家から離れた所で変身しようかとも考えたが、スコランとして会えばいいのか、ブランとして会えばいいのか判断がつかなかったのだ。結局一番避けていた人の身のままで目的の場所まで歩いている。
薄暗い森から少し開けた場所に出ると、大きな体を丸めるように座っている人影が見えてきた。
いつかの男児のように、私は安易に彼に近づくことはできなかった。あの時狼の身の私が気づいていたように、騎士である彼はきっと私がここにいることに気がついているのだろう。それでも顔を上げず声も掛けてこないのは、私のことを拒絶しているのかもしれない。
進むことも戻ることもできなくなった私が耐えきれず顔を俯かせた時、革袋から先程の鬼火がふわりと浮かび出てきた。光は小丘の上空へ向かう。赤紫の花々は不思議と一年中咲き乱れていた。私が燐光を放ちながら幻想的に漂う鬼火を見上げていると、ふいに空気にいつもより甘い香りを感じた。
「こんばんは、妖精さん。」
いつのまにかそばに立っていた美しい騎士が私に話しかけた。金の髪と青い目はここで別れたあの子と同じ。立派な体格はナヴァンフォートの木の上から観察した時と変わらず。ただその目に見つめられている私だけが別の姿をしていた。
「随分前に会ったよね? あの日に話してくれた友達のカラスはブランって名前だったのかな?」
「…………」
そういえばカラスに变化して鳥神と話したことを誤魔化すために、そんな話をしたような気もする。
「あなたを探すためにブランに会いに来たんだけど、まさかあんなに近くに住んでたなんて……。もうここから離れるって言わなかった?」
「…………」
そういえばトーリー塔の見える海崖の縁でそんな話をしたような気もする。ここというのは立っていた海崖のことだったが、彼が言うのは……辺境のことだろうか。
「いつかのあなたからも花の香りがしたよ。ヒース……いや、ヘザーの花かな? ここにいつもいた僕の親友、スコランをあなたは知ってる? スコランもいつも甘い香りをさせてたんだ。そういえばブランも……」
「…………」
スコランの時はここで会っていたからだろうが、ブランとして会った時には既にここから足が遠のいていたはずだが……。
「今思えばスコランは僕とあなたを会わせたくないようだった。ブランも話を聞かずに飛び去ってしまった。……僕はこんなに会いたかったのに、あなたはそうじゃなかった?」
「…………」
「あなたは……いつからあのルーと一緒に住んでるの? ルーを愛してるの? だからスコランもブランも僕を会わせないように……」
愛? ルーはお調子者で図々しいが憎めないやつで、親類だから世話をしてやらねばならないと考えていたが、それは愛と言えるのだろうか?
かつての生での家族は立場上の必然的なつながりであったように思う。姉妹としての神も感情を伴うものではなかった。あの辺境の村での擬似的な家族は? ……考えるまでもない。ただ、過去に自分が産んだ子たちには確かに愛を感じていた。
庇護するべき子供への愛。海に捨てられた赤子、長じて後に会いに来た青年。……うん、彼には確かに愛を感じているだろう。
「私は確かに、ルーを愛している。」
2021.11.6