12 靴屋と探し人
街はずれで夜まで待ち、私はカラスに身を変じてその靴屋の店内に忍び込んだ。
案の定そこには小さな人影があった。緑の帽子と前掛けを付けた小人妖精のレプラコーンが一人で靴を作っていたのだ。どうやら店外からはガラス越しにも認識できないような魔法が掛かっているようだ。
「そなたがレプラか?」
私がカラスのまま話しかけると、うるさそうに見やりながら作業の手を止めずに返答する。
「そうだがお主は?」
「……ブランという。」
以前エフニェの名乗った名を思い出し、ここでもそう名乗る。
「で、カラスが何用だ?」
「クルラからの依頼だ。音信不通の友の安否確認と体調不良であれば治癒を。」
どうみてもピンピンしている様子のレプラだが、一応依頼の内容を告げた。
「おぉ、我が友クルラか。そういやぁ長らく連絡してなかったが、良いところに来たな。体調不良は俺様じゃなくここの家主よ。いつもは家賃代わりに作りかけの靴を夜中に仕上げといてやるくらいなんだが、最近家主は寝込んじまっててな。そんじゃあ早速一緒に寝室に忍び込んでくれ。」
家主とは昼間に徴税官と揉めていた男のことだろう。あれなら死にかけでも手遅れでもないので、私の治癒魔法で足りるだろう。
レプラは戸を開けてさっさと奥に入っていった。……酒樽と革加工、どちらがより力を必要とするだろうか。
寝室の戸の隙間から魔法を掛け、あっという間に依頼は完了した。
ついでにレプラに昼間のいざこざについて話し、勝手に店の扉を開けて置くのも、商品を並べておくのもやめるように伝えた。どのみち家主は明日から仕事を再開できるのだろうが。
クルラの伝言を伝えると、レプラにもその時には一緒に飲もうと誘われた。……居場所を動かないのではなかったのだろうか。だがこの場合、人の身で行くべきかカラスの身で行くべきか。
クルラは使い魔をレプラに遣わせたと考えているので、今後は狼のスコランとカラスのブランは森の魔女の使い魔ということにしよう。そういえば当初村人にもそう言われていたかもしれない。
……ところで私の今の名前はなんだった? 最近は魔女と呼ばれていたが、最後の名前らしい名前は……マッカだったか。
これほど大きな街でも私ほど真っ赤な髪の人間はいなかった。そう考えると、ただの髪色の呼び名でも、十分に個人を特定できる名だと言えるのかもしれない。
カラスの姿のまま樹上で夜を明かし、靴屋の店主が元気に開店準備を始めたのを確認してほっと息を吐いた。これで堂々と命の水を自分のものにすることができる。
「ねえ、あなたブランじゃない?」
樹の下から声を掛けられ、私はくちばしを向けた。
「わたくしよ、エフニェ。塔の上で会ったでしょ? あ、船でもね。」
私の見た目は全く他のカラスと同じはずなのに、見破るとはさすがバロルの娘だ。
「なぜまだこの島にいる? キアンは?」
周りを見回してもエフニェは一人だった。
「わたくし達、大陸への駆け落ちに失敗しちゃって。今キアンはこの島でお仕事をしてるのよ。」
「……まさか上王の?」
エフニェは目を丸くしてうなずいた。
「どうして知ってるの? わたくし達は国境警備隊に捕まってしまって、罪を償う代わりに地図を作るお手伝いをしているのよ。と言っても働くのはキアンだけで、わたくしは蕪と一緒にお留守番なの。」
エフニェの手には、あの日渡したウィルオウィスプの入る蕪があった。
「お前……災難だったな。」
私が蕪に声を掛けると、エフニェが返事をした。
「何年か働けばわたくし達は自由なのよ。でも大陸の伝手の方はもうだめね。……だからわたくし達、自由になったらあの子を探しに行くことにしたの。ブランはあの子のいる島をご存知?」
「西にあるマグメル島だ。……なあ、鬼火よ。お前もうしばらくその蕪に住むつもりはあるか?」
私が鬼火に問いかけると、了承を示して鬼火が一度明滅光した。
「この鬼火の導く先を、エフニェの子供の居場所に指定し直そう。家ではなくて子供自身に導くため、相手が移動していると行き先が定まらないかもしれない。それでも子供を探すつもりがあるか?」
「えぇ、もちろん! 鬼火の助けがなくても探すつもりよ! 大陸へ行けなくなった時に、キアンとも相談して決めたの。でもこの蕪ちゃんの導きがあるなら頼もしいわ!」
「そうか……。では鬼火よ、キアンとエフニェを、エフニェの子供のところへ導いてくれ。対価はどうしようか……ん? 蕪が腐ってきた? では元の白くて丸い蕪に戻し、もう腐らないように表面を固めよう。何年掛かるか分からないしな……。目的を果たせばお前は自由だ。」
きれいになった蕪を喜ぶように鬼火は明滅したが、何やら飛んだ難題を課してしまったようで私は申し訳なく思った。
「エフニェ殿!」
私は声の主を見てドキリとした。
「そろそろお時間です。ブレス様のところにお戻りください。」
「あぁもうそんな時間? ではブラン、我が子探しへのご助力に感謝いたします。わたくし、キアンが空を飛んでいる時はブレス様の所でお留守番なのです。キアンが飛ぶ前に戻らなくては!」
そう言うと、深窓の令嬢であったはずのエフニェは蕪を手に、出迎え人を置いて一人で走っていってしまった。思わず私がくちばしを開けたまま彼女を目で追っていると、不意に樹の下から話しかけられた。
「カラス殿! もしやエフニェ殿のおしゃべりの相手はあなたですか?」
そこには昨日見た金の髪が輝いていた。
「我が子探しに助力したと耳にしましたが、あなたは人探しを請け負っているのですか?」
青い目に見つめられ、私は硬直した。
「僕にも長年探している女性がいるのですが、あなたに依頼することはできますか?」
この世界の人間は、誰でも鳥や狼と話せると思っているのだろうか。迷いなくこちらを見て話しかけてくる美しい騎士に、私は黙って顔をそむけた。
「ふっ。その仕草、僕の親友が答えたくない時にするのとそっくりだ。」
その言葉を聞いて私は思わずくちばしを元に戻し、まじまじとその騎士の顔を見た。
……似ている。驚くほど背が延びて体も大きくなり、おどおどした様子が一切失くなっているが、優しい青い目はあの小丘で見たものにとても似ていた。
「僕のことを観察するなら、もっと近くでどうぞ。」
そう言って伸ばされた手に、思わず私は飛び移ってしまった。
「花の香りだ。妖精なのかな? ……あなたは人の言葉が分かるのですね。ブランさん、であっていますか?」
私はあまりよく考えることができなくなり、ただくちばしを上下させた。
「僕の想い人を探してもらえますか? 赤い髪の……今では美しい大人の女性になっているだろうあの人を。」
その言葉を聞いて、私の羽がぶわっと膨らんだ。
鳥の姿に変じていると言ってもこれは魔法によるもので、目の見え方などは人の身の時と変わらないし、体が鳥の習性に従ったことなど今までに一度も、前の生を含めて一度もなかった。これが人の身でいうところの、鳥肌が立ったということなのかもしれない。
「……だめですか? 本当は親友にも、スコランにも一人前になるまで探すのは待つように言われているのですがね。昨日人混みの中に彼女を見た気がして、どうにも落ち着かない気分なんです。」
私は狼の身で何度も愛すべき親友の姿を見ていたが、彼が人の身の私を見たのは何年も前に一度きりのはずだ。それに昨日は特徴的な赤い髪をきっちり布で巻いてフードをかぶっていたのだから、騎士が見て気付くはずもなかった。
「成人はしていますし、不本意な状況でしたが騎士団長にもなれましたので、そろそろ本気で探し始めようと思っているのです。あぁ、親友のスコランにも会いに行かなくちゃ! 10年掛かると思ってたけど、なんとかその前に成し遂げたんだし!」
親友の名が出ると騎士の口調は、途端に丁寧なものから昔のような砕けたものに変化した。
だが私は……。探し人の依頼を受けたのも、探されているのも、親友と呼ばれているのも全て私なのだ。嬉しいが後ろめたく、人として会いたいが逃げねばならぬとも思う。
「カァ〜」
「あ、待って! 頼む! 真っ赤な髪のあの子を探したいんだ! ブラン! お願いだ!」
悲痛な叫びを耳にしても、私は羽を止めることができなかった。
2021.10.31