11 吟遊詩人と上王
程なくしてナヴァンフォートへ到着した。
上空を旋回していると、中心部から少しそれたところで人だかりを発見した。何か情報がつかめるのではないかと、近くの屋根に降り立った。
「いいですか、あなたは病気のためにと店は休業して免税の申請をしていましたよね。商品があったからと販売して収入を得たのならば免税申請は却下となります。お分かりですか?」
「違うんです、私は本当に病気で靴が作れなくなったんですよ。それなのに朝起きたら店に靴が並んでいて、街の人が勝手に入ってきてお金を置いて、靴を持っていってしまったんです。寝込んでいて気が付かなかったのですが、それが一週間ほど続いていたようなんです。」
「あなたねえ、もう少しマシな言い訳を考えてはどうですか? 寝ている間に靴ができていた? 夢の中ででも靴作りをしていたんですか? 靴を持っていかれた? では盗難届は出したんですか? お金はネコババですか? そもそも……」
どうやら私は早速目的の靴屋を発見したようだ。それにしてもすごい人だかりだ。話を聞く限り店主と徴税官が揉めているような様子だが、それだけでなぜこんなに人が集まっているのだろうか。少し野次馬の話を聞いてみよう。
人気のない路地に降り立って人の身に戻る。ちなみに私は髪色を隠すために布で髪を巻いた上にフード付きの外套を着ている。草木染の緑色なのでそれほど怪しくはないだろう。見る限り赤い髪の人間は他にいないが、あの辺境の村よりは人々の髪色は様々だった。
「何事ですか?」
普通の若い女に見えるように口調も気をつける。私も前世までの口調が楽なのでつい普段はそちらで喋ってしまうが、年相応の喋り方ができないわけではないのだ。
常人のように生きたいと考えていたのに、我ながら全く矛盾した言動をしていたものだ。彼との再会までに、私も少しは成長せねばなるまい。……しかし狼として再会するのならば口調は変えずともよいのか? むしろ変わっていたら訝しむだろうか。
「あそこの靴屋の親父は良い人なんだよ。病気で手に力が入らなくなっちまって、靴の革の加工ができなくなっちまったんだ。」
「靴が欲しくて金を置いてった街の人を盗人として届け出なんで出来るわけがない。」
「あの上王、自ら足を運んでチマチマと税をせびりとって行くんだ。」
「護衛にでっかい騎士団長をいつも連れてるみたいだぞ。」
「セントラルキッチンでまとめて加工するとか嘘言って、島中の牛乳を徴収して独り占めしてるらしいわ。」
「渡航許可証がないとヒベルニアの外に出られなくなっちまった。この前も駆け落ち夫婦が捕まっていたよ。」
「勝手に木を切ると捕まるんだ。苗植えの罰を受けるらしい。これじゃあ暖炉に火も入れられなくなるぜ。」
「突然島民全員の名簿を作るとか無理言ってやがる。」
「内政チート失敗じゃね? 義父の族長ダグザ様に代わってもらえばいいのに。」
「でかい護衛は新入りに負けて実家に帰ったんでしょ? 今日は若くてすっごい美形の金髪騎士を連れてたわよ。」
「空が飛べる風魔法使いを雇って空から地図を作ってるらしい。」
「楽しい気分になれる薬草が買えなくなっちまった。」
「最近美女を連れて歩いてるらしいぞ。」
私が少し過去の思い出に浸っている間に、野次馬たちが口々に言いたいことを言っていく。どうやらここにいる人々は、上王に不満を持って集まっているらしい。
「お嬢さんは何か言いたいことはないの? 私が歌にして鬱憤を晴らしてあげるわよ?」
隣に立っていた麻色のフードの女が私に声を掛けてきた。どうやら吟遊詩人らしい。
私は昔からバードや宣誓が嫌いだった。なぜ必要なのか全くわからなかった。クウとゲッシュの話をした時には、宝くじは買わずに貯金するタイプなんだね、と言われたことがあった。実利堅実という意味らしい。
「……名誉を質にとって意のままに従わせるようなバードは私は好きじゃない。やるなら悪徳な人間だけを糾弾すれば?」
若者らしい言葉遣いになっているだろうか。
「おや、面白い。お嬢さんにとって今の上王は悪徳な人間ではないのかしら?」
「……それを判断出来るほど上王を知らないけど、地に足をつけている人間と空を飛んでいる鳥の見え方が違うことは分かる。街に住んでいる人間と森に住んでいる人間の感じ方が違うのも分かる。」
「下々の人間とお偉い方とでは罪の重さが違うということかしら?」
「……一度空を飛んでみると良いよ。島の形は分かるが人々の目鼻立ちは見えないでしょう? 飛べないものには分からないことだけど、想像することはできる。」
「まるで飛んだことがあるかのような言い草ね。」
あ、まずい。会話に失敗した。口調に気を取られ、いらぬことを言ってしまった。
「あぁ。……私は風魔法使いと知り合いだから。さて、上王様には同じ景色を見ようとしてくれる知り合いはいないのかな。批判ではなく代案を上げてくれるような有能なバードがいれば、ぜひその歌を聞いてみたいものだね。」
不可思議な恋人たちを思い出しながら私はなんとか誤魔化した。彼らは無事に大陸に着いただろうか。
「お嬢さん、本当に面白いわね。私はコープル。旅のバードよ。」
「バードのコープル? ……まさか祖父は医師ケヒトか?」
かつて耳にした名がまた出てきて、私の頭の中を過去の記憶が流れていった。しかしコープルは男だったような気もするが。
「あら、よくご存知ね。そうよ、私は天才医師ディアン・ケヒトの孫なの。そして祖父の兄弟だったヌアザ様が病死さえしなければ、きっとあそこにいる上王ブレスの治世はもっと短かっただろうって悔しく思っているわ。」
また知った名前が出てきたが、私はこれ以上この女と関わり合いになりたくなかった。
人垣の奥で護衛騎士と一緒に黒髪の頭が店から出てきたのがかすかに見えた。コープルを含めた野次馬たちの意識がそちらにそれたすきに、私は気配を断ってその場から逃げた。
一刻も早く去りたいのに思わず振り返ったのは、黒髪の男のそばにある、輝く金の髪に懐かしさを感じたからだった。無論私の愛しい金色は、あれほど高い位置にはなかったのだが、視界からそれを振り切るには中々の苦労を要した。
歩き去りながら野次馬たちの様子を思い起こすと、茶色一色だった辺境の村とは違い、金の他にも青やら緑がかった髪色のものもいたように思う。風魔法使いの話も出ていたし、やはり都会では魔法も珍しくはないのだろう。
2021.10.31