【あ】飽きると人は言うけれど ②
高校を卒業して十年。初めて開催された同窓会の帰りだった。
「晩婚化なんてどこ吹く風だな」
親友の藤本凪子は、もう会も終わりに近づいているというのに、手元の皿に山のように盛った料理を食べ続けながらぼやいた。
浜松駅にほど近いホテルの宴会場にて立食パーティ形式で執り行われた同窓会は、思い出のスライド上映も恩師の挨拶も記念撮影も済んで、あとは流れ解散という状態だった。ホール内のあちこちに退屈がピークに達して奇声を上げ始めた子どもの姿が見える。
「ほんとだね」
受付の時に配られた名簿を見ると、大半の生徒名前の脇に旧姓が記載されていた。怜の欄にも、『影山怜(旧姓:麻生)』と書かれている。藤本凪子は藤本凪子のままだ。
「ダンナやガキの話ばっかでつまらんつーの」
凪子は骨付きのグリルチキンを素手でつかんで噛みちぎり、野獣のように大胆に咀嚼しながら吐き捨てた。口の端についたソースを手の甲でグイッと拭う。スタイルもいいし、割と綺麗な顔立ちをしているのに、ガサツで口が悪くて行儀も悪くて、全てが台無しだ。
たくさんの旧友と楽しい時間を過ごしたけれど、思いのほか子どもを連れて来ている子が多く、子どもがいない怜は凪子の言う通り何度か所在ない思いをした。結局最後に辿りついた凪子のそばが一番落ち着く。
凪子と怜は唯一無二の大親友だ。高校時代、そのルックスから度々雑誌に載ったり、校門まで頻繁に男が迎えに来ていた怜を妬む友達は少なくなかったけれど、気取らない性格のせいか仲のいい友達もそれなりにいた。でもみんな怜の人並み外れた容姿にどこか気後れしていたらしい。気がつくといつもそばにいたのは凪子だった。
卒業後、頭の良かった凪子は東京の大学に進学し、一方の怜は当時つき合っていた男の就職先を追って名古屋に引っ越してフリーターになった。それはちょうど怜の両親が祖母の介護のために九州に居を移すタイミングで、浜松に残る理由がなかったのだ。恋愛が人生の最重要項目だった怜には九州についていくという選択肢もなかった。
東京と名古屋という新幹線で片道二時間弱の距離を置いてもなお、怜と凪子は一番の親友同士だった。メールに電話、年に何度も会っては、友情を温め続けてきた。
「凪子、そのお皿の料理食べたら出よう」
怜が声をかけると、凪子は頬をリスのように膨らませて不思議そうな顔をした。
「え、怜、急いでる? 何か用事あんの?」
「私はないけど、凪子はあるでしょ」
そう言うと怜は目の前の野獣の全身に視線を走らせ、盛大なため息をついた。
同窓会にどの程度おしゃれをしていくかは悩みどころだ。あまりめかしこみ過ぎるのもおかしいけれど一応ホテルパーティだし、怜は手持ちのノースリーブのワンピースを着てきた。ベージュにネイビーの縁取り、胸から腰にかけて大きなペイズリーが一つプリントされているシックなデザインのものだ。その上に黒の薄いカーディガンを袖を通さずに羽織り、髪はゆるく低い位置でまとめた。アクセサリーはシンプルにピアスだけにして、パンプスだけは新調した。シンプルで無難だけれど、怜のずば抜けた顔立ちとスタイルによってかなりのレベルに仕上がっている。
一方の凪子の服装はといえば、白いブラウス、胸元にはリボン、濃い緑のブレザーにチェックの膝丈スカート、そして紺のハイソックスとローファー。つまり……高校の制服だ。
同窓会で高校の制服を着るのはいい。実際今日も幹事の何人かはネタで制服を着ている。でも凪子はあろうことか、家からこの格好で来たと言うのだ。東京から、新幹線に乗って。
「その格好で帰るつもりなの?」
「そうだけど?」
怜が呆れて再びため息をつくと、凪子はがははと笑って皿の料理をかき込んだ。
会場を出て、駅ビルのショップで怜が見繕った服に凪子を着替えさせた。新幹線までまだ少し時間があったので、お礼におごるという凪子に甘えてカフェに入った。休日ということもあり、店内は混み合っていた。
あれだけ料理を食べたのに、ここでもサンドイッチを頬張る凪子がふと顔を上げた。
「怜、あんたんとこ結婚して何年だっけ」
「えっと、来月で丸六年」
「つき合ってからだと?」
「んー、七年半」
「マジで! もうそんなに経つ!? へえ……あのどんな男とも三カ月以上続いたことのなかった怜がねえ。ダンナさんは過去の男たちと何がそんなに違うわけ?」
「何もかも違うよ。ロクちゃんは最高なの」
「ありゃりゃ、これはごちそうさま」
「私のことはいいからさ。凪子んとこはどうなの。そろそろ結婚しないの?」
凪子にはつき合って六年になる恋人がいる。大学時代に出会い、その後も凪子とともに大学に残って研究を続けている男らしいが、怜は一度も会ったことがない。「人様にお見せするような男じゃないっつーの」と言って紹介してくれないのだ。
「んあー。別に今のところする予定はないな」
「どうして。もしかしてうまくいってないとか?」
「別に。普通だよ。嫌な所もあらかたわかってっから、そこから目ぇ逸らしながらうまくやってるし、大きな喧嘩もない。でもまぁ、関係を良好に保つ努力は積極的に相手を喜ばせることから相手の機嫌を損ねないようにっつー消極的なものにスライドしてはいるわな」
凪子はサンドイッチを詰め込んだ口を器用に動かしながら答えた。
「理屈っぽいな、相変わらず。うまくいってるなら結婚すればいいのに。好きなんでしょ」
「好きぃ!? きもっ! そんな感情、肌のハリと一緒に二十代前半に置いてきたっつーの。あのね、怜。あたしたちもう三十ですよ。三十すぎたら好きだの愛だの恋だのよりも大事なことがたくさんあるとは思わんかね」
「私まだ二十九」
「そういう意味じゃなくて」
それを言ったらあたしだってまだ二十九、と言って凪子はピクルスを口に放り込むと、「うわっ、なにこれっ、まずっ!」と勢いよく皿に吐き出した。隣のテーブルのカップルがドン引きした視線をよこす。
「ていうかあたし、結婚するとしても消去法であいつを選ぶってだけで、本当にあいつのことを好きかって聞かれたら正直もうよくわからんわ。今さら同じだけの人間関係を他の人と築く気力がないからさぁ。手を打つならあいつかな、ってかんじ」
「ひどいね、それ」
「あんたんとこはどうなの。今でもラブラブなの?」
「普通かな」
「週一でエッチとかしてんの」
「するでしょ。夫婦だし」
「月に四回もすんの!」
「少な目にサバ読んだくらいだよ」
「ちょっと、あんたたちおかしいんじゃないの!? 結婚して丸六年も経とうっていうのに、月に十回も二十回もセックスすんの! それ全然普通じゃないよ! ラブラブだよ!!」
「そんなにはしてないし、声が大きいよっ!」
離れたテーブルの客からも店員からも刺すような視線が向けられる。怜は慌てて凪子を諌めた。けれど当の本人は自分に集まる視線などおかまいなしに、ラブラブゥーと繰り返すと、がははと体を揺らして笑った。