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『レオ』

すいません。予定していた時刻よりも遅くなってしまいました……。

「なんだ……こりゃあ?」


 開口一番、コウキはそう呟いた…………いや、そう呟くほかなかった。


 確か、俺はドアノブに手を掛け、ほんの少し隙間ができるほど扉を開けただけだったはずだ。

 それ以外には、特に何もしてい———はずだ。


 しかし、コウキは何故か……、


広大な草原の中心に、ただ一人呆然と立ち尽くしていたのだ。


「何が……どうなったんだ? フィオナさん?」


 少し焦燥感に刈られ、首を左右に振りながら周囲を見渡してみるが、フィオナの姿どころか扉まで影も形もなくなっていた。しばし冷静さを失いつつあったコウキは、軽く深呼吸をして背伸びをしてみる。

 すると、動揺しかけていた気分が収まり、多少乱れていた脈拍も元に戻った。


 この程度の窮地……死んだと理解した時に比べたら、全くもって問題にすらならない。


「さて、と……」


 その後、コウキはフィオナに言われた言葉を思い出す。


『この扉から出ると、その先は異世界。後戻りする事はできない』


 ——悟る。


 ここはもう既に異世界で、フィオナさんとは条件を満たすまで合う事はできないのだと。

 想定はしていたが、復活するための条件は計り知れないほど難題であるという事だと。


 コウキが抱いた感情。


 寂しい……そして、先行きが不安。

 その二つだった。


 いきなりだだっ広い草原に放り出されて、その後は放置。

 辺りには目に付くような建物は無し。元の世界ですら地理には疎いというのに、異世界ともなれば最早どうしようもない。周辺には人が通りそうな気配すらないときた。

 スマホはずっと圏外のままアンテナが立つことは無く、持ち物は『ゼロ』にいた時と変化なし。てっきり追加アイテムくらい給付してくれると、多少期待していたんだが……。


ついで言っておくと、食料も水も無い。


「これは……もう既に詰んだか?」


 条件を満たす以前に、このままでは明日を生きれるかすら危うい。

 ゲームなら既に電源を切り、製作元にクレームの一つでも入れようか入れまいか悩んでいるところである。


 と、冗談を言っていられるほどの余裕は、マジでない。

 ゲームと違ってこれは現実。やり直しがきかない一回きりの大勝負なのだ。


などと、自問自答してみたものの、未だこれといった緊張感が沸いていない。


「あー……、ヤッベ。どーすっかなこれから」


 コウキは余裕そうに大欠伸しながらボヤいた瞬間。


「さっきから一人でベラベラとよく喋るなァ、キサマ……」


 どこからか、えらくドスの効いた声が聞こえてきた。

 切れ味のありそうなその声音は、まるであらゆる修羅場を掻い潜ってきた、凄みのある男性を彷彿とさせる。


「はん?」


 コウキは反射的にピクリと体を波打たせ、思わず声の下方向に体ごと視線を移す。


「こんなヒョロいのが俺の新たな主だと……? ハンッ。何の冗談か知らんが、今すぐその間抜けなツラをひっこめろ」


「……なん、だ?」


 コウキは、視界に声の主を捉えた。


「まったく、拍子抜けもいいところだ」


「……なんなんだ、お前……」


 心の底から驚愕し、コウキの揺れる声がそいつに投げかけられる。するとそいつは、えらく顔を顰めて舌打ちをし、長ったらしいため息を吐き出した。


「寝ぼけるなよ。キサマが俺を呼び出したんだろうが」

「……呼び出した? って事は、お前が……俺が選んだパートナーってこと、なのか?」

「文句でもあるのか? 生憎、此方は腐るほど沸いてくるんだが……」


 ギロリと睨みを利かせ、「グルルル」と喉を鳴らしながらコウキの方へ詰め寄ってくる。僅かに鋭利な牙が覗き、全身の毛が逆立っていて、明らかに苛立っている事が見受けられる。


「誰であろうと……容赦なく喰い殺すぞ」


 主従関係を根底から覆すような発言が飛び出し、会って早々に脅迫されていたコウキだったが、全くもって恐怖に怯えることは無く、寧ろ困惑という感情で埋め尽くされていた。


「……それ、本気で言ってんのか?」

「今のは、俺に対する挑発か? 人間如きが、大きくでたものだな」

「いや、だって……」

「なんだ?」

「だって、お前……」


 コウキは瞬きをし、ゴクリと唾を飲んでこう告げた。


「子犬じゃん」


 下に視線を下ろすと、喉を鳴らしながらこちらを見上げる小さな小動物が映る。


 俺は以前、実家で柴犬を飼っていたのだが……生後五ヶ月は、こんくらいだったな。

 こう……アレだ。掌からギリギリはみ出そうなそうなくらいのサイズと言ったら、理解してもらえるだろうか。なんか、こんまりした感じの……そういう……。


 つまり、ハッキリ言って、


 チッせ!


 そいつの姿を見た瞬間、その一言で頭が埋め尽くされていたのだ。


「………………んだと? もう一度言ってみろ、キサマッ‼」


 子犬は叫び、耳まで伸びていそうな口を開いて、白い牙を全て露にする。

「ガウガウ‼」と吠えて剣幕を立てるが、全くもって迫力が皆無であり、ショーケースに入っている売り物の子犬を連想させた。


「な、なぁ……取り敢えず落ち着いてくれよ。さっきのことは謝るからさ、な?」


 子犬を宥めるつもりで、コウキは膝を折ってしゃがみ、後頭部を掻きながら苦笑する。

 おそらくは……俺のこの言動こそが、この子犬の逆鱗に触れてしまったのだろう。


 瞬間、電気が走ったかのようにピりついた。


 ———あ、やべッ。


 ようやく、コウキは自分の失言に気付いたのだが、もう既に遅かった。


「こ……この俺に同情し、あまつさえ憐憫の目を向けただとッ……⁉」

「わ、悪かったから……落ち着けって」


「ウゥゥゥゥ———ッ!」


「えっと……ええ……。ああ、そうだ! ほら、飴やるからさ……」

「いるかッ‼ キサマのその愚かさ、痛みを持って知るがいいッッ‼」

「ちょっ! 待っ———ッッ⁉」


 何を思ったか、コウキは子犬の機嫌を飴玉で取ろうという謎の行動を取り、再び悪意なしで子犬の神経を逆撫でしてしまった。

 必死で宥めようとするが、ブちぎれた子犬はもう止まらない。


 短足の足を曲げて重心を低く保ち、突撃する準備を完了させていた。焦ったコウキは思わず立ち上がって距離を取ろうとするが、その子犬はその倍速で動く。


「——ガウッ‼」


 吠え、子犬はロケットの如く、その場から跳ねる。

 そして、目にも止まらぬ速さでコウキの懐に飛び込み、強烈な頭突きを叩き込んだ。


「……ぐっ、お⁉」


 鳩尾目掛けて的確に直撃した小さなロケットは、ドスッ‼ という鈍い音をコウキの体に響かせた。それは、およそ子犬の頭突きとは思えない代物である。


 例えるならば、ボクシングのボディーブローだ。


 一瞬にして腹部に鈍痛が走り、衝撃で呼吸が止まる。


「ぐ……ゲホッ⁉ う……エ……」


 立ち上がろうとした体が自然と前に折れ、コウキは堪らずその場に背中から倒れ込んだ。悶絶し腹部を両手で押さえながら、粘性のある涎を口から垂れ流す。


 いつ以来だろうか……こんなに痛てぇ腹パンを食らったのは。

 大学に入学してから、まともに喧嘩をする機会が無くなったから、他人から殴られるのは久々だった。いや人じゃねーし、そもそも殴りじゃなくて頭突きだけれど。


 ……懐かしいような、そうでもないような感覚。


 そういえば、これが暴力だったんだな———と、心底下らない感慨に浸りつつ、自分よりも何十倍も小さい子犬にノックアウトされたコウキは、押し寄せる吐き気にのたうち回っていた。


「なっ……、ぐ……オェ」


 子犬に返答しようとするが、呼吸すらできないこの状況では、真面に喋ることなど不可能だった。


「この程度でそれか……。だがな、俺が受けた屈辱にはまだ足りんぞ」

「……ッッ⁉」


 コウキの視界の端に映る、最早可愛げなど微塵も感じられない子犬の姿。先程まで感じられなかった言い知れぬ圧力が、肌を通してビリビリと伝わってくる。

 一気に体中から脂汗が噴き出で、呼吸が荒くなり、無意識に歯を食い縛っていた。


 本当に、コイツが……この子犬が、『雷神獣レオヴァント』なのか……。


「ま……まっ。待って……く……」


「しるものかァッッ‼」


 子犬はコウキの事情高く飛び上がり、そのままの勢いでコウキの顔面に落下してきた。


「ッッアアアアアアアアアアアアア——————ッッ⁉」


 コウキの喉を引き裂くような絶叫が、だだっ広い草原に木霊した。





「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ッ」


「これに懲りたら、先程のふざけた態度は改める事だな。例え見てくれが愛らしい子犬だったとしても、その本性がどんなものなのか見極める目を最低限持っておけ」


「愛らしいとか……自分で言ってんじゃねーよ……ゲホッ」


「口の利き方がなっていないな? もう一度俺と戯れるか? 次は本気で」


「………………俺が悪かった」


 素直に、謝罪するほかなかった。


 もう既に、異世界に来てから約二十分程度の時間が経過しているのだが……。

 ものの五分で背中を預けるべきパートナーと揉め、残り十五分は決死の取っ組み合いをしていたのだ。まさにマウントの取り合い。子犬は持ち前の牙と爪を立て、コウキははひたすらにそれを避け続けた。


 一見すれば愛犬とその飼い主が戯れているようにも見えるが、そんな良いもんじゃない。


 おかげでせっかくのスーツがクタクタ。ネクタイは緩んでボロボロ。全身掠り傷と痣だらけ。おまけに地面の土と雑草に塗れていた。

 冷汗と脂汗で体はベトベト、水分を失った口はカラカラ。


 もう、開始早々さんっざんだ……。


「あぁ……痛てぇ」


 コウキは戯れとやらで疲労した体を起こし、顔に付いた土や雑草を払いのけ、ジャケットを雑に脱ぎ捨てた。その後、軽く肩を回し、思いっきり背伸びをして深呼吸する。 


「……ったく、飼い犬に手を噛まれるとは、この事だな」


「誰が飼い犬だ。俺はまだ、キサマを主と認めた覚えはない。キサマのような軟弱物が主であってたまるか」


「…………。あのよ、何でそこまで言われなきゃならないんだ? お前は俺のパートナーのはずじゃないのか?」


「ふざけるな。そもそも、お前が身勝手に俺と契約したんだろうが。俺の同意も無しに」


「は……?」


 子犬の発言内容に、コウキは思わず首を傾げる。


「契約って……何の話だ?」

「惚けるな。どういった経緯かは知らんが、キサマが俺と強制的に契約を結んだんだろう」

「強制的に、契約した? …………俺がか?」


 コウキが逆に問い返すと、子犬は顔の皺をさらに濃くする。


「…………あくまで、しらを切るつもりか」


 ジロリと、子犬からナイフのように鋭利な視線を感じ、


「いやいやいや‼ だから知らねぇんだって‼ 俺は今さっきこの世界に来たばかりなんだ。契約だとか急に言われても……何が何だか」


 などと、焦ったコウキは顔を引き攣らせながらも弁明する。


 しばらくコウキをジッと睨んでいた子犬は、やがて何かを悟ったかのようにため息を付く。そして、少しばかり声のトーンを変え、コウキを再度問いただす。


「嘘を言っているわけでは、なさそうだが……。全く心当たりがないわけではないだろう?何らかの方法で俺と契約し、こんな殺風景な場所に呼び出した。違うか?」


「…………。」


 確かに、コイツの言う事は的を射ている。


 あの時俺は、フィオナさんが持ち出してきたカードの中から、コイツを選んだ。

おそらく、あの行為には本来続きが存在し、契約を結ぶ手続きのようなものがいくつかあったのだろう。むこうの厚意か分からないが、俺が理解不能な難しい手続きを、纏めてすっ飛ばしてくれた。


 有難い反面、今現在そのツケが回ってきている。


 つまり、この子犬……もとい『雷神獣レオヴァント』とは、契約上のパートナーでしかなく、上辺だけを取り繕っただけなので、俺の命令に対し従順に従ってくれる忠犬にはなり得ない。

つまりはそう言う事だ。

 なんせ……俺の名前も知らないくらいだからな。


 パートナー契約のついでに、信頼度マックスってオプションも付けていて欲しかったぜ。


「確かに、お前を選んだのは俺だ。多分それで契約が締結されちまったんだろうな。……けど、それ以上の事は知らないしやってない。本当だぜ……?」


 一通りコウキの説明を聞いていた子犬は、納得のいかないと言った表情で、先程よりも長く重苦しくため息を吐く。


「……まさか、こんな無智網名に、俺が連れ添ってやらなければならないというのか……?」


 どうやら、あくまでも俺の立場は、コイツよりも下になっているらしい。

 だからといって、それが腹立たしいとは思わなかった。


 こんなちんまい身形(みなり)であろうとも、名前には『神獣』という単語が入っている。並大抵の事をしたくらいでは、神獣などと謳われることはない。初めは俺の事を多少下に見ていても、ある意味仕方が無いことかもしれん。

 なんせ、『嵐を纏うイナズマ』だからな。


 コウキは、得意のプライスレススマイルと発動させ、ニッと笑顔を作る。


「まぁ、そう邪険にしてくれるなよ。これから一緒に過ごすパートナーになるんだからさ。そういや、自己紹介がまだだったな。俺は神谷コウ……」

「知るか」


 ピキッ——と、コウキの額に青筋が浮かぶ。


 このクソ犬、首輪付きのくせに偉そうにしやがって……。


 しかし、コウキはプライスレススマイルを保ちつつ、会話を続けようとする。


「オ、オイオイ……そんな喧嘩腰になるなよ。仲良くやっていこうぜ、レオヴァント」

「名を呼んでいいと許可した覚えはないんだが?」

「あん?」

「まずは、その気色悪い薄ら笑いをなんとかしたらどうだ? 見ていて不快だ」


 ブチッ。


 多少の事は我慢するつもりだったのだが、今のレオヴァントの一言で堪忍袋の緒が切れたらしく、取り繕っていた笑顔が崩壊していき、コウキはギラッと目を見開いた。


「テメェ……いい加減にしろよ。こっちが下手に出てりゃあ付け上がりやがって。友好的にやっていこうっていう俺の気遣いが分かんねぇのか。ああッ?」


すると、レオヴァントは「フン」と鼻を鳴らす。


「その見え透いた考えが気に喰わんのだ。胡麻を擦り媚びを売るなど、生物として最下級の振る舞いをする下種に、何故友好的にしてやらねばならない?」

「気に入らねぇ相手だろうと、我慢しなけりゃならねぇ時もあんだよ。んな事も分かんねぇのか……このバカ犬」


 歯を剥き出し、目を血走らせるコウキを、レオヴァントは「ハッ!」と軽く嘲笑った。


「そら見ろ。この程度の挑発で本音が漏れ出るのなら、初めから余計な振舞などするな。そんなことも分からんのか、この馬鹿猿」


 言い返してくる。しかもワザと似たような表現を使うという皮肉まで添えて。


 ギリギリと奥歯を軋ませるほど、腸が煮えくり返っていたコウキは、敢えて先程のようにレオヴァントの前でしゃがみ、分かりやすく憤怒した顔を、息が掛かりそうなほど近付けた。


「他に……俺に言いてぇ事あるなら言ってみろよ。遠慮はいらねぇから、さ」


 最早沸点に到達しうる熱を必死で押さえ込み、コウキはそう尋ねる。


 するとレオヴァントは、不敵な笑みを浮かべ、


「我慢はよくないな?」


 などと、抜かしやがったのである。



「上等だテメェッッ‼ 神獣だろうがなんだろうが知ったことかッ! このクソチビの犬っころがァ———ッッ‼」



 限界を突破し、コウキは眉間にありったけの皺を寄せ、草原に木霊すほど叫んだ.


「文句があるなら、直接かかってこい」


「うるっせんだよッ! どっちが上なのか教えてやらァ———ッッ‼」


 コウキの叫び声をゴングとし、小さい子犬に正面から真っ向勝負を挑んだのであった。





 結果だけ言えば……そうだな。


 コテンパンに負けた。


 百人中百人が、どちらが勝利したのかハッキリと理解できるほどに、成すすべなく俺はボッコボコにされてしまった。こんな小さい体に何故あれだけの力が振るえるのか、全くもって検討がつかない。

 この理不尽、この常識外れこそが———、


 異世界なのだろう。


 それだけで説明がついてしまう、この勝敗に心底嫌気がさす。


 地面に大の字で寝転ぶコウキは、口が切れ、鉄の味がする唾液を飲み込み、ついでに自分よりも小さい子犬に負かされた事実を飲み下していた。


「……なんで、そんなちっせぇくせに、そんなに……つえーんだよ」


 咳き込みながら、掠れた声でコウキは問う。


「まさか……気付いていないのか?」


 心底呆れたと言った様子で、レオヴァントは「まったく……」と軽くため息を付く。


「これはただの擬態だ、本来の姿ではない。キサマも……仮にも主だというのなら、この程度の事、言わずとも悟れるだろう」


 レオヴァントの語りを聞き、コウキも似たようにため息を付いた。


「だぁーからぁ……、契約の事については何も分かんねぇって言っただろ? この世界がどんなもんなのか分からねぇし。……今の俺は、知っている事より知らない事の方が圧倒的に多いんだよ」


 寝そべっていたコウキは、痛む体をゆっくりと起こし、切れた唇を舌で舐めた。


「単にキサマが鈍感なだけではないのか?」

「お前なぁ……」


 一々癇に障る台詞を吐き出す犬畜生に、もう怒りすら沸いてこない。


「……そういや、一つ聞きたいんだが……そもそも何でお前は、主が俺だと分かったんだ?」


 あの時、俺は自分からコイツの主だと名乗ってはいない。

 俺が話しかけるより前から、既に気が付いている様子だった。


「フン。何故俺が、キサマの疑問にわざわざ答えてやらねばならん?」

「……ハァ。いつまでさっきの引きずってんだよ。俺が悪かったって……」

「俺に対する侮辱を、その程度の詫びで許せというのか? 本来ならば、地に額を擦りつけるほど首を垂れ、陳謝を繰り返し、供物を捧げてようやく謝意に値するのだ」

「だから、さっき飴玉やるって言ったろ?」

「それはいらんと言っているだろうがッ。たわけッ‼」


 レオヴァントは激怒し、コウキに対して唾が飛ぶほどに吠えた。


 ヤバイな……話が全く前に進まない。


 異世界に来て、おそらく三十分程度が経過したが、もう既に心身ともに疲弊しきっている上に、この頑固犬によって僅かな疑問すらも晴れない。このまま何もない草原でコイツと口喧嘩を続けてもいいが…………それは余りに徒労というものだ。


「よっこいせっとくらぁ……」


 コウキは体に付いた土と草をパンパンと払い、脱ぎ捨てたジャケットを拾い上げる。そしてバサバサと軽く払い、着ることなく脇に抱え込んだ。


「どうした、急に?」

「ここにいても仕方がねぇから、取り敢えず先に進もうと思ってさ。俺にはやらなきゃならない事があるから、いつまでも、もたくさしてらんねぇよ」

「キサマ如きに、何か果たさねばならん目的でもあるのか?」


「———ある。その目的を探すために、先に進むっていうのが……今の俺の目的だ」


 堂々とした態度で応えるコウキに対し、レオヴァントはジトーッと目を細め、


「…………以前に同じことを言った奴がいたが、そいつは永遠に放浪していたな」


 などと、ため息混じりに述べる。


「うっせ……逐一悪態付かねーと気が済まねーのか」


 吐き捨て、コウキは若干表情を険しくさせつつ、地を踏んで歩き出した。


「…………。」


 遠方から吹き込んでくるそよ風が、コウキの前髪を軽く掻き上げる。汗で濡れたシャツが風に吹かれ、体の熱が徐々に奪われていく。しかし、乱闘騒ぎで火照った体には、丁度いい冷たさだった。


 土の地面を踏む感覚……久しぶりだ。


 上京してからはコンクリートジャングルに囲まれて、土を踏む機会は極端に減った。

 実家に暮らしていた頃は、寧ろコンクリートを踏む機会の方が少なかったというのに。だからといって、実家に帰りたいという願望があるわけでもない。


 交通の便は悪く、若者もほとんどおらず、下手をすれば電波が入らない場所さえある。

 そんなド田舎に嫌気がさし、わざわざ都心の大学を苦労して受験したのだ。

 だから決して……ホームシックなどではない。

 本当だぜ?


 などと、自分に言い訳をしていた最中、とある事に気が行った。


「———なんでお前、付いてくんの?」


 歩き続けるコウキを、短足の足でトテトテと後を追ってくるレオヴァント。

 少し前から気付いてはいたが、何となく言い出せないまま放っておいたのだが、限界を感じて尋ねてみる。


「向かう方向がキサマと同じというだけだ。自惚れるな、阿呆め」


 その言葉は、あからさま過ぎた。


「嘘付いてんじゃねーよ。俺が主だから、嫌でも付いてこなきゃならないんだろ?」


 コウキの一言で、レオヴァントの頭がほんの少しピクリと動く。


「……キサマ、分かっていながら聞いたな?」


 どうやら、図星だったようだ。


「クッ……ハハっ。今ので何となくだけど、分かった気がする。俺がお前の主で、お前の主はこの俺だってことがさ」

「……認めん。キサマが主などと、俺は是が非でも認めんぞ」

「意固地だなぁ……。その発言がもう既に俺が主だって事の証明になっているだろ」


 頑ななレオヴァントに、コウキは乾いた笑い声が漏れ出ていた。ようやく言い負かされてくれたらしいレオヴァントは、「ぐぬ……」と分かりやすく苛立つ。けれど、コウキが歩を進めれば、同じように歩を進める。

 反抗的な態度を見せるが、飼い主に付き従う姿は、まごうことなき飼い犬そのものだ。


「なぁ、レオヴァント」

「——ッ。…………なんだ?」

「もう一つ聞きたかったんだが、何でレオヴァントは…………って、レオヴァントって言い辛いな。ナゲーし、慣れねーし」

「キサマ、遂には俺の名を否定するつもりか?」

「チゲーよ、何でそうなるんだ? ……これから付き合いが長くなりそうだから、愛称とかあだ名を決めておいた方が良いかって思っただけだよ」


 すると、レオヴァントは鼻を「フン」と鳴らす。


「生憎、俺はキサマと長くいるつもりなどない。ましてや相性などと、侮蔑に等しい行為で……」

「そうだな。……何がいいとか希望あるか?」

「聞けッッ‼」


 コウキはレオヴァントの悪態など耳にも止めず、手を顎先に当てて「うーん」と考え込む。

 呼びやすくて、短くて、そして……何よりも気に入られるようなあだ名、か……。あだ名なんて、わざわざ考えて作るものではないから、いざ決めるとなると難儀なものだ。


 チラリと、レオヴァントの姿を見る。

 身体的特徴から決めるのは余り面白味を感じないし、何より今の姿は仮初の擬態だ。


 だから、ここは一つ……単純に安直に。


「分かりやすく、頭文字を取って———『レオ』、なんてどうだ?」


「………………………………………………っ」


 先程まで、何かにつけては喧しく反論してきたはずのレオヴァントが、まるで時間を切り取ったかのように黙り込んだ。その反応を見ていたコウキは思わず足を止め、レオヴァントの方に体の向きを変える。


「……どうした? そんなに、気に入らなかったか?」


 レオヴァントは何も言わず、まるで先導するようにコウキに前へと出る。その後、一旦足を止め、こちらを振り向く事無くボソッと一言……、


「……キサマの好きにしろ」


 たったそれだけを言い残し、またトテトテと歩き出した。


 これは……了承してくれたと受け取っていいのだろうか? いや、いいんだろう。


「ならっ、改めてよろしくな! レオ」

「フン。」


 まるで拗ねた子供のような態度で、適当な返事を返してくるレオ。いつまで経っても不機嫌で、打ち解けるのは相当な時間が掛かりそうだ。だが、今のやり取りで、不可能ではないのだろうと確信した。


「さて……」


 コウキは、レオの後を追いかけるように足を進め始める。

 今はまだ距離があるが、いつかは足並みを揃えて歩けるような中になれればいいと、心の中で呟きつつ、少し歩く速度を上げて、話しかけやすいようレオの隣に移った。


「……ってなわけで、レオ。さっきの続きなんだが、お前なんで擬態なんかしているんだ?」


「ハッ! この俺の本来の姿は、高貴で神々しく、そう易々と見せられたものではない。天上の輝きを持つ我が肢体を、価値も無い場所で不用意に晒すものか」


 想像の斜め上を行くレオの言葉に、コウキは眉をへの字に曲げて、


「売れっ()妓女(ぎじょ)かお前は……」


 と、思わずツッコんでしまっていた。





読んでいただいてありがとうございます。

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