第二話 ③
ある程度道に沿いながら歩いていると、時折旅をしている冒険者や、たくさんの商品を馬車で運んでいる商人たちと何度かすれ違う。
「意外と人の通りは多いのね」
「そうみたいだね。村から村への道はここしかないみたいだし、時間的にも今が移動しやすい時間だろう」
現在の日の高さからして、そろそろ昼時になる頃。思っていたよりも早く森に着いたというのもあるが、太陽が一番高くなる前ぐらいに村から村へと移動するにはちょうど良い時間帯と言われている。
その基準を作ったのは商人か冒険者かは分からないが、村に住んでいる人たちからすると、仕事等の休憩時間と被りやすく、商人であれば物を売るタイミングに適しており、冒険者に至っては村人と同じく休憩する時間になるからだ。
けれども、思っていたよりも人の通りが多い。これなら他にも幻獣のような存在を見てもおかしくはなさそうだが……。
「どこで森に入ろうかしら」
「うん? ああ、そうだね……。そろそろ森の方に入ってもいいかな」
森の中の道は通りやすいように伐採されており、道自体も人の行き来があるため踏みしめられている。そのため森と道の区別はつきやすい。
けれども森の中に入っていくとあっという間に、たくさんある木に惑わされ方向が分からなくなり、迷ってしまいそうだ。一度中に入ったら、道に戻るのには時間がかかりそうという事も考えないといけない。
「森の中に入ったら、とりあえず真っすぐ進んでみよう。今日はまだ様子見だから、ある程度森の中が分かればいいから」
「分かったわ」
適当な所で区切りをつけて、森の中へと入っていく。道を歩いていた時と違って、木が伐採されていないので光も少し遮られており、明るさが一段階薄暗くなる。だからと言って、遠くまで見えなくなるという事はなく、普通に歩ける程度だ。
足場は少し木の根が出ている所もあり、少しだけ歩きづらい。草はそんなに伸びてはいないので、そこにだけ気を付ければ足を引っかけることはなさそうだ。
それにしても、人のいる喧騒から離れてこうやって静かな森の中を歩いていると、心地が良い。時折聞こえてくる鳥の鳴き声や、木々の間から吹いてくる風が、気持ちを穏やかにしてくれる。
「たまには、こういう環境の中での旅もいいもんだね」
「……そう。私はあまり好きじゃないわ」
そんな僕とは裏腹に、彼女の表情は周りを見ながらも少し険しい顔をしていた。
「やっぱりミネルは、外にいるのは好きじゃない?」
「まあ、それもあるわね。曇りの時とか、雨だったら別にいいのだけれど、基本は外に出たくないわね」
「太陽がまず苦手だからね、それは仕方ないとは思うけれど……。室内の方が良いんだ」
「良いというか、落ち着くのよね。暗くて狭い場所の方が安心するのよ」
「ふーん……」
『ヴァンパイア』という幻獣ゆえの体質だからなのか、あるいはミネル自身の好みだからなのか。
どちらかの判断をするのは難しいが、人によって好みが別れるのはむしろ当たり前の話だ。
「別に、嫌いという事ではないわ。落ち着くというのは私もそうだし」
「人がいないからそう感じるのは同じかもね。帝都にいる時は人の多さに酔いそうになるんだよなぁ」
この国の中心ともなる帝都では、村なんかとは比べ物にならないほどに人が多くいる。僕も基本的には室内でこもって仕事をしていたりするが、気分転換に外に出たいと思っても、人がたくさんいる所にはあまり行きたくない。
だからこそ、こうやってのんびりと過ごせる環境で仕事をしていたい。別に山籠もりしたいとか、そういう訳ではないけれども。
「……まあ、こうやって二人で出かけるのもあるのだけれども」
「あれ、今何か言った?」
「何も。それより本当にこのまま真っすぐでいいの?」
「ちょっと待って、地図確認するよ」
小さな声で何かを言っていたような気がするけれども、気のせいだったかもしれない。
彼女に言われて地図を確認してみると、まだまだ森の半分にも行っていないと思う。目印になるような物があれば分かりやすいのだけれども、地図にはただただ森が広がっている事しか描かれてないので、自分の歩いてきた感覚と、勘で判断する。
「森の真ん中辺りまでは真っすぐ行こうか。まだまだ時間はかかりそう――」
「……ねえ、何か変な匂いがしない?」
突然、彼女が立ち止まって辺りの様子を窺う。
「匂い?」
「さっきまでは何も感じなかったのだけれど、急に匂いがしたのよ。うっすらとだけれども、妙に甘ったるいというか、まるで花のような匂い」
「僕はそんなに感じないけれども……。いや、花のような匂いだって?」
彼女の話を聞いて、僕も足元に何かないか探してみる。匂いはまったく感じないけれども、甘ったるいという言葉で思い当たる物がある。
「匂いはどっちの方から?」
「強く感じるのは、こっちの方からね」
彼女が指差した方へと進んでいく。すると木の根に隠れているように一輪の白い花が咲いていた。
「これは……『幻影花』だ」
白い色にたった三枚だけの花びら。根元に生えている葉っぱはとても長く、花びらまで真っすぐに伸びており、まるで花を隠すようになっている。匂いを近くで嗅いでみると、ミネルが言っていた通り、ほんの少しだけ甘さを感じた。
「この花が、匂いの元かしら」
「そうだね。この花の厄介なところは、匂いをまったく感じないくせに、花の存在をまるで隠すように惑わせて、気付かせないように花がある場所とは別の道を進ませようとするんだ」
「それで幻影、なんて大層な名前がついているのね」
よく注意しないと気付く事すら難しいため、なかなか目的地につかずに迷ってしまう、という話もよく聞く。こんな森の中で、しかもそんなに奥地でもないのに咲いているというのも珍しいのだが……。
「よく気付いたね、ミネル」
「匂いには敏感なのよ。だからあなたが体を洗ってない時とか、凄く匂ってキツイのよね」
「それは早く言ってほしいなぁ!」
軽口は程ほどにしておいて、この花が咲いているという事は、もしかするとこの先は細かく調べられていない可能性がある。地図を作った人もこの花に惑わされて、しっかりと調べたつもりになり、ただ木があるだけと思ってしまったのだろう。
「匂いは他の所からもある?」
「そうね……。この花に似たような匂いなら、左右からしてるわね」
「まるでこの先の場所を隠すように咲いているのかな……。この奥からは匂いはする?」
「……そんな離れてはいないけれど、これは別の花の匂いかしら……。けれど何か違和感があるのよ」
「よし、一度調べてみよう。危険そうだったらすぐに戻る、大丈夫そうだったら調べる。これでいこう」
「結局やる事は変わらないじゃない。興味が勝って進みすぎないでよね」
「もちろん分かってるさ」
高ぶる気持ちを抑えていきながら、慎重に進んでいく。まだ誰も入った事のない場所、と考えただけでも興奮してしまうのだが、それで何かを見落としてしまうのが一番最悪だからだ。
しばらく歩いていると、森の中だと言うのに明るい場所へと出た。木がこの場所だけ全くなく、代わりにたくさんの花が咲いていた。まるで秘境とでも言わんばかりのようで、花畑はそこまで大きくないのに、妙に神秘的に感じた。
「これは……凄いわね。とても綺麗」
あのミネルでさえも、素直に綺麗と感想が出てくる。ただたくさんの花が咲いているだけなのに、森の中というだけで、ここまで印象が変わるとは。
あの幻影花は、まるでこの場所を隠しているかのように咲いていたという訳か。
そんな花畑の中に、僕はある物を見つけた。
「……ねえ、ミネル。君にもあれが見えるかい?」
「ええ、もちろん見えているわ。少し紛らわしいけれど、あれがそうなんじゃないかしら」
花畑のちょうど中心、花畑にいるため分かりにくいが、よくよく見てみると花の大きさではない。
まるで人のような姿をしているが、明らかに異なる部分がある。
首から下は人間の形に近いが、色が肌色ではなく木のように茶色。けれど首から上は人間と同じ肌色をしており、頭には髪ではなく、代わりに草がまるで毛の代わりになっている。そして花の蕾のような物が咲いていて、植物が人へとなったみたいな姿だった。
人の姿に似ているのに、人ならざる存在。
「間違いない……あれは、幻獣だ」