第一話 ③
気が付いた時には、彼女は村の入り口の方へと飛び出していた。その速さはとても見た目からは想像できない脚力をしており、あっという間に僕は置いていかれそうになる。
僕も負けじと走りだすが、久しぶりに体を動かした事もあるため、速くはない。けれど入り口までの距離はそう遠くないため、着くまでに息切れをすることはなさそうだ。
「――――ッ!」
日が暮れているという事もあり、暗闇であまり相手の姿は見えにくかったが、何かを叫んでいる声だけはよく聞こえてくる。それもさっきの人たちみたいに怯えた声ではない。
獲物を狩ろうとする、殺意の籠った鳴き声だ。
明らかに敵という事が分かる。どのくらいいるのかはまだ分からないが、村を襲うという事であれば、そこそこいると思われる。あまり気を抜くことは出来そうになさそうだ。
「あははっ、久しぶりの蹂躙だわ。どうか楽しませてちょうだい!」
先に飛び出していた彼女はもう村の入口を過ぎており、草原から飛び出してきた狼を相手に立ち向かっていた。
僕らの戦い方としては、基本的には僕が後方に待機しており、彼女へと立ち振る舞い方などを指示する。男として情けないことに、単純な戦闘能力でいえば見た目とは裏腹に、僕よりも圧倒的に強い。それもナイフや剣などを使うという事もなく、素手でだ。
人よりも早く動くことの出来る狼を相手に、彼女はしっかりと距離を見定めていた。
「ギャウ!」
一匹の狼が跳躍し、彼女を噛み殺そうとする。けれどその牙が届くよりも前に、彼女の拳が狼の顔を横殴りで吹き飛ばしていく。そして次に自ら吹き飛ばした狼とは反対側にいた狼の方へと走り、顎を蹴り上げていき、直後にがら空きとなった胴体へとそのまま蹴りを入れて吹き飛ばし、別の狼へと衝突させていく。
「次、斜め右から来る!」
「ええ、知ってるわ!」
僕の指示を聞くよりも先に体勢を整え、襲い掛かってきた狼に対して、彼女は自らの爪を使って狼の胴体を貫いた。その一撃で絶命した狼をすぐに振り払うと、その手には狼の心臓と思われるものが握られていた。
「着替えを持ってきてて正解だったわ。血で汚れたとしても、洗えばまた着れるから」
握っていた物を捨て、爪についた血を彼女は舐める。
「……狼の血って初めて舐めたのだけれど、あまり美味しい物じゃないのね。肥えてないからかしら」
「肥えてるか肥えてないかの問題じゃないと思うけど……。あとどのくらいいそう? 僕よりも君の方が夜は目が良いだろう?」
「そうね、パッと見た所だとあと十数匹ぐらいかしら。それから、後ろの方にさっき言っていた『変な生き物』がいるわよ」
次々と襲い掛かってくる狼の攻撃を彼女は避けながら、的確に頭や顎、目、首などを殴り、爪で切り裂き、貫き、えぐり、殺していく。
「まだ足りないわ! もっとかかってきなさい!」
今までも彼女の戦う姿は見たことがあるけれども、ここまで喜々として戦っているのは久しぶりに見たような気がする。それほどさっきまでしていた話の中で、ご機嫌になる内容があったのだろうか。
(これは、少しだけ相手に可哀想と同情しちゃうかな……)
だけどやりすぎとは思わない。何かを襲うというのであれば、返り討ちにあう覚悟を持って行うべきだと思うからだ。
すると彼女には敵わないと思った一匹の狼が、僕の方に向かって走り出してきた。こっちならもしかすると勝てるかもしれないと、そんな感じだろう。
「あなたも一匹ぐらい簡単にやっつけてみなさい!」
「無茶言うなぁ……。僕は君みたいに強くはないんだよ?」
持っていたナイフを左手で構えながら、右手で地面に落ちていた手頃な石を投げる。石は狼の眉間へと当たり、一瞬ひるんだ所を逃さず、ナイフで狼の首へと思い切り刺していく。丁度動脈と気管が同時に切れる位置を深く刺したので、そこまで苦しませる暇もなく殺すことが出来た。
「グルルルルッ……」
主に彼女のお陰でもあるが、一方的に蹂躙されている狼たちは少しずつうろたえ始めていた。このまま戦意を失って逃亡してくれるのであれば楽ではあるが、一つだけ懸念事項がある。
それは彼女からもあった『変な生き物』の正体についてだ。
これだけは、予想通りなのであれば、確実に排除しなければいけない。でないと、近いうちにもっと酷い状況が生まれてしまう可能性がある。
周りの狼がひるんでいる隙に、僕は彼女の方へと近づく。
「どうやら、向こうの方からこっちに近づいてきてくれたわ」
そう彼女が教えてくれ、その視線の先へと見てみる。
そこには、三匹それぞれの狼の上に跨っており、誰から見ても明らかに人とは異なる生物がいた。全身が緑色、毛のような物もなく、耳や口から見える歯は尖っており、手には四本しか指がなかった。
「なんと言ったかしら。あなたから話は聞いたことがあるような気がするのだけれども」
「……あれは、ゴブリンだよ」
「そう、確かそんな名前だったわね。あれもあなたの言う、『幻獣』の一種だったかしら」
「一応、ね。出来れば、駆逐しておきたい種類ではあるのだけれど」
――ゴブリン。
体形や大きさだけで言うのであれば、人間の子供に近いが、問題なのはその中身だ。己の欲を満たすために手頃な村を襲い、食料などを略奪し、逃げ惑う人を殺す。個々としての能力はそこまで高くはないが、厄介な所は小集団で動いていることだ。決して一匹では動かず、まるで人間のように作戦を立てながら奇襲を行ってくるため、なかなか対応をすることが難しい。
そして今回のように、狼を飼いならして馬のように扱うこともある。
「三匹だけかな。他にはいそう?」
「……周りを見渡したけれど、それ以外はいなさそうね」
「だとしたら好都合。多分、こいつらを倒してしまえば、取り巻きの狼たちも逃げていくだろう」
「それじゃあ……もっと遊んでもらおうかしらっ!」
そう彼女が呟いた瞬間、三匹いた内の一匹の頭と胴体が離れていた。とんでもない速さで彼女は距離を詰めていき、相手が気付くよりも前にその鋭い爪を使って、切り裂いたのだろう。
けれども、ゴブリン達もそれだけでは怯えなかった。むしろ、切り裂いた後に立ち止まった彼女の隙をついて、狼の背中から飛び上がり、彼女を攻撃しようとしていた。
だが、そうはさせない。
「はあっ!」
手に持っていたナイフを投げ、攻撃をしようとした一匹の頭に命中する。タイミングとしてはギリギリ間に合った、という所か。
そしてもう一匹の方は――。
「少し甘かったわね。あなたがもう少し早く攻撃してたら、ケガくらいはしてたかもだけど、私の方がそれでも強いのよ」
ゴブリンが攻撃をするよりも前に、彼女の腕がゴブリンの腹を貫いていた。ピクピクと動いてはいるが、あれはもう止めを刺す必要もなさそうだ。
「ゴブリンの血って、体と同じで少し緑色なのね。初めて知ったわ。あと美味しくないのね」
「血の味は流石に確かめたくはないかなー……」
ゴブリンが倒された事によって、まだ残っていた狼たちは完全に怯え、一目散に逃げていった。これで、もう大丈夫だろう。
殺したゴブリンの腹から腕を抜いて、付いた血を振り払いながら彼女はため息をついた。
「はぁ……久しぶりの蹂躙だったのに、少し物足りなかったわ」
「普通の人なら、狼やゴブリン相手にあそこまで戦えないからね?」
「そんな事より、あなたよりも働いているのだと思うのだけれども、何か言うことはないかしら?」
「……そうだね、相変わらず君のお陰で助かったよ。ありがとう」
「足りないわ。今日の夕食はあなたの分もいただくわ」
「地味にキツいことはやめてくれないかなぁ!?」
臨戦態勢を解き、一息つきながら村の方へと戻っていくと、武装をした人たちが集まっていた。おそらく、門番の人に伝えた通りに集めてくれたんだろう。
「あ、あんたら! 無事だったのか!」
するとその中に門番の人もおり、僕らに気付いて話しかけてきた。
「ええ、もう大丈夫だとは思いますが、念のためしばらくは警戒をするようにしてください」
「はー……あんたの言った通りだったな……。そこの、お嬢ちゃんも戦ったのかい? あんたらは一体何者だ?」
再びお嬢ちゃんと呼ばれたことで怒ろうとした彼女の頭を撫でつつ、首からかけていた紋章を取り出して見せる。
「それは……! あんたらまさか!」
「はい、僕たちは冒険者よりもさらに上である、国家認定調査員です。主に生物系統の一つである『幻獣』を調べている、マルク・ヴァンプールと言います。そしてこちらが仲間でもあり、『幻獣』でもある――」
「――ヴァンパイアの、ミネルよ」