すみません、今さら無理です
連載を書いている最中に書きためていた短編です。お楽しみ頂ければ幸いです。
「アレクサンドラ!お前との婚約を破棄する!!」
煌びやかな卒業パーティの最中に、私の婚約者、いや、もう元婚約者が叫んだ。周囲は静まりかえり、この突然の状況に理解が追いついていないようだった。普通に考えてこの場所はあり得ない。
彼はこの国の第一王子で、元々は友人だった。仲は良かった。それもあって、十歳で婚約した。彼は王太子になるべく、私は王太子妃になるべくお互いに励まし合いながら勉学に励んだ。
彼は優しくて、誠実な人柄だった。常に私を婚約者としてだけでなく、一人の女性としても尊重してくれた。
元々は友人だったこともあり、情熱的な恋愛感情が芽生えることはなかったが、ゆるやかに二人で恋心を育んでいっていると私は思っていた。
彼はとても人気のある人だったので、令嬢からは嫉妬され、我が家と権力争いをしている人たちからの嫌味攻撃も凄かった。
王太子妃教育では、それを上手に躱す術も習ったが、いくら上手に躱せても、心が傷つかないわけじゃない。それに気づき、支えてくれたのも彼だった。
将来は二人で支え合い国を良くしていこうと誓い、勉学や公務が忙しくても、わずかでも時間が空けばお互いを訪ねる。その関係が四年間続いた。
そんなの、好きになるに決まっている。彼も、当時は私の事を好きでいてくれていた確信があった。
十四歳になって、王立の学園に入学してしばらくすると、彼は伯爵家に養子に迎えられた女性に興味を持った。
彼女は伯爵と侍女の間に生まれた子どもで、つい最近まで平民として暮らしていた。今まで知ることができなかった平民の生活を、実体験と共に教えてくれるので、非常に興味深いと言っていた。
彼も私も常々、国を良くするために平民の生活を知る必要があると考えていたが、なかなか視察に行くこともできず、やきもきしているところだったのだ。
彼は彼女の話を聞く度、私にも色々なことを教えてくれた。
私も彼女に興味を持ち、機会があれば話しかけてはみたのだが、警戒されているようでほとんど話はできなかった。彼によると、平民育ちの庶子として少なからずいじめにあっているらしい。
確かに彼女のマナーは貴族令嬢として必要なレベルに達していない。彼女が在学中にきちんとした貴族令嬢になれるよう、陰からフォローするようにした。
彼を信頼しすぎていたのか、半年ほどして彼がおかしくなっていることに気が付いた。気が付けば彼は、私との時間を持たなくなっていたのだ。毎日彼女と過ごすようになっていた。
父に彼がおかしいと告げた。
王太子妃教育で訪ねた妃殿下に、彼がおかしいと告げた。
父は、結婚前の火遊びくらい許してやれと言った。
妃殿下は、陛下に同じことを言われてしまい、表立ってはできないが、母親として注意すると言ってくれた。
私が直接彼に話をしても、話は聞いてくれるが行動に変化はなく、そのうち面会さえ拒否されるようになった。
愛されていない婚約者として、私は辛い状況に置かれるようになった。周囲からの誹謗中傷、嫌がらせ。傷ついても彼は寄り添ってはくれなくなった。
そんな状況の中でも、損得なしに側に残ってくれた親しい友人たちだけが頼りだった。
妃殿下は私にお詫びをしてくれ、一旦王太子妃教育は休むように言ってくれた。久し振りにできた自由時間を好きなように過ごすようになった。友人と遊んだり、様々な本を読んだりして過ごすようになった。
学園にいる三年間、日に日に状況は悪化していくだけだった。
父に婚約を解消するように申し出たが、返事は以前と同じだった。
妃殿下は陛下に働きかけてくれたが、聞き入れてはもらえなかった。そして、今日である。
「かしこまりました」
私は優雅に一礼をして、その場を立ち去った。彼女の周囲にいる、彼を含む複数の上流貴族の男たちが何か騒いでいたが、無視した。彼らも彼女に夢中になっているのだ。
王子の不興を買うかもしれないのに、友人たちが心配して見送りに来てくれた。同乗しようとしてくれたが、それは断った。ただ、優しさに涙がこぼれた。いい友人を持ったと思う。
突然屋敷に戻ってきた私を母は心配した。卒業パーティでのことを告げると、優しく労るように抱きしめてくれた。
父は私の話を聞き、怒りも露わに王宮へ向かった。今更だ。私は何度も彼のことを報告していた。今まで動かなかったのは父の判断だ。
母や侍女に促され、私は部屋でゆっくりと休んだ。過保護すぎるほどに面倒を見てくれて、思わず笑いそうになってしまった。
私はそのまま外出せずに、一週間ほど屋敷で過ごした。友人たちが手紙をくれて、心配をしてくれていた。それでもう、充分だった。
私の中で、彼のことは既に過去のことになっていたのだ。
父がやっと私に会いに来た。明日、陛下と謁見することになっているから、くわしい事情はその時に話すと言われた。くわしい事情など、今さら必要ない。婚約が白紙に戻ったのなら教えてくれればいいと言ったが、教えてくれなかった。どうしたというのだろう。
謁見の間で陛下に会って、詳細を説明された。
彼女は魅了魔法によって、彼や、彼らを魅了していたのだという。この一週間で魅了魔法は無効化され、皆正気に戻ったそうだ。彼女は今、拘束されているそうだ。
・・・だから?私が感じた正直な感想は、それだった。私たちのような上流階級では、魅了魔法や洗脳魔法にかからないよう、アミュレットが渡されている。彼らはそれを見せて欲しいと頼まれて、彼女の前で外してしまったらしい。
もう一度言う。だから?
二人で話をしなさいと、彼と二人で部屋に押し込められた。
彼は心底反省しているようで、僅か一週間の間にやつれているように見えた。整った顔に浮かぶ何とも言えない雰囲気が、妙に色気を醸し出していた。容姿だけは、本当に整っている。
だけど、元々見た目で好きになったわけではない。
「今まで、すまなかった」
彼はしっかりと腰をおって謝罪をしてくれた。王族としては異例の対応だとは思う。だけど、今更な気がして、私はそれに返事ができなかった。
「許してもらえるとは思っていない。彼女の前でアミュレットを外してしまった、私の不徳だ。だが、私にやり直す機会を与えてくれないだろうか」
表情は真剣だった。学園に入学する前の彼と同じ、優しく、誠実な彼の顔があった。本当に魅了魔法にかかっていたのだろう。
言葉が思い付かず黙っていると、彼が言葉を重ねた。
「愛しているんだ。婚約する前から、ずっと好きだったんだ」
その言葉で、私は自分の気持ちを再確認し、言うべきことがわかった。
「殿下が魅了にかかってから、およそ三年間。私がどのような思いをしてきたかおわかりですか」
「そのことについては、本当に申し訳ないと思っている」
彼は心の底からそう思っているようだった。悲痛ともいえる表情をしている。
「今も私を愛していると?」
「今だけじゃない、昔からずっとだ。これから一生をかけて償わせて欲しい」
「でしたら・・・。婚約を解消して下さい。そして、私に慰謝料として一生不自由しないだけのお金を下さい」
彼は絶句してしまったようだ。口を開いては閉じた。辛抱強く待っていると、彼は席を立ち、私の肩に手を置いて懇願してきた。
「魅了魔法にかかり、彼女をアレクサンドラだと思い込んでいただけなんだ!私が愛しているのはアレクサンドラだけなんだ!!考え直してくれ」
「・・・殿下。正直に申します。私も殿下を愛していました」
「ならば、何故・・・」
「勿論、最初は苦しみました。自分の何が悪かったのか、色々と考えすぎて食欲がなくなり、睡眠も思うようにとれなくなりました。何度となく泣きもしました。ですが、いつまでもその様な状況は続きませんでした」
彼は私が言おうとしていることがわからないようで、目で先を促してきた。
「最初は殿下に対する異性としての愛情、その次に友情、それらを失うには充分な三年間でした。私が薄情なのかもしれませんが、あの様な仕打ちを受けて、人としても好きでいることは私には無理です」
「それは、魅了魔法にかかってしまったせいで・・・」
「殿下としてはそうかもしれませんが、私にとってはずっと真実でした。心が冷めるには、充分な時間です」
彼は視線を彷徨わせた。言葉を探しているのだろう。
「・・・十年・・・」
「えっ?」
「私が最も信頼している侍女が、仕えてくれてからの年数です。私は彼女の前でもアミュレットを外したことはありません。殿下は、出会って数ヶ月の女性の前でアミュレットを外したのです」
ようやく私の言いたいことを理解したのか、彼の綺麗な瞳から涙がこぼれ落ちた。それでも私の心には何も響かなかった。自分の気持ちに勘違いなど何もなかった。私は、彼に対する全ての興味を失っていた。
魅了魔法のせいだったと聞かされても、心は動かなかった。完全に失ってしまった気持ちを取り戻すのは、難しい。
努力すればいいのかもしれないが、そんな意欲も湧いてこなかった。アミュレットを自ら外した時点で、もはや信用もできなかった。
「もし、私をまだ本当に愛してくれているというなら、婚約を解消して下さい。殿下との将来は、私にとってはもう考えられません」
「お願いだ、考え直して欲しい。私に、機会を・・・」
「すみません、今更無理です」
彼は恥じ入ることもなく泣いていたが、やはり私には響かなかった。話は終わりとばかりに手を振り払い、部屋から出た。最後のつもりで振り返ると、彼はその場で膝をついて泣いていた。
私は父と合流して屋敷に戻った。彼が納得していないという一方的な理由で、残念ながら婚約は解消されなかった。私に時間が必要だったように、彼にも時間が必要なのかもしれない。少しは待とうと思えるくらいの、幼馴染みとしての情はまだ残っていたようだ。
それから毎日、彼は私に贈り物を届けた。興味がないからか、気に入った物は頂いて、そうでないものは放置した。慰謝料代わりだ。侍女にあげたかったのだが、さすがにそれは不味いと思ったので、思いとどまった。
一緒に添えられていた手紙は読むこともしなかった。彼は会いにも来たが、会わなかった。父は彼と私を会わせようとしたが、母と侍女が阻止してくれた。
父はせめて手紙に返事をするように言うが、興味も無い人に手紙を書く気になんてならない。
母はにこにこしながら、他の縁談を持ってきた。母は、彼の仕打ちにずっと腹を立てていたのだ。ずっと前から、私の相手を探していたと聞いて、笑ってしまった。
母はずっと私の味方だったが、既にそこまでしてくれているとは思っていなかった。私は友人のお茶会という名の顔合わせで、彼らと交流していった。友人も母と同じ考えで、協力してくれたのだ。
正式に婚約が解消されていないために、踏み込んだ行動はできなかったが、素敵な男性に再会した。以前から、素敵な人だと思っていた。十歳も年上ではあるが、穏やかで、誠実で優しい人。今まで独り身だったのが不思議なくらいだった。
フリート様はいつも誹謗中傷に晒されている私を、さりげなく助けてくれていた。彼との関係が悪化する前からだ。彼との関係が悪化してからは、フリート様の友人と私の友人も巻き込んで助けてくれた。
フリート様は以前いた婚約者に裏切られて婚約を破棄したと噂があるので、同情かとも思ったが、彼との関係が悪化する前から助けてくれていた。噂はあてにならないので、本人に直接確認することにした。次はもう、失敗したくない。
「フリート様、不躾な質問を許して頂けますか?」
フリート様は穏やかな笑顔でもちろん、と言って下さった。
「以前婚約者がいらっしゃったと伺ったのですが・・・」
フリート様はいずれ聞かれることになるとわかっていたのか、少し悲しい顔をして話してくれた。
「お恥ずかしい話ですが、婚約者に他に想う人ができてしまったのです。ショックを受けてしまいまして、しばらくそういうことからは気持ちが離れてしまったのですよ」
詳しく話してくれた内容は、ほとんどが噂と同じだった。噂では、婚約者が浮気しただけではなく、妊娠していたと言われていたが、彼はそのことについては言わなかった。それとなく話をむけてみたが、否定もしないし、肯定もしない。きっとそういうことだったのだろう。
散々な目に遭っていたのに、相手のことを悪く言わないところにも好感が持てた。そして、隠さずに話をしてくれたことが、信頼に値すると感じた。
母に気に入った人がいると伝えたら、父を介さず妃殿下に直談判に行ってくれた。妃殿下の力添えもあり、多額の慰謝料と共に婚約は解消された。
私は貴族としては短い、半年間の婚約期間にフリート様との絆を深め、結婚した。今はとても幸せです。
彼はショックで体調を崩しているとか、私が薄情すぎるとか言われているけれど、彼は自業自得だし、薄情も何も三年間もあんな扱いをされれば百年の恋だって冷めると思う。
そして、女性という生き物は、一度見切りをつけた相手に再度恋をすることなどないのである。
もちろん、全ての女性がそうではない。同じように彼女の魅了魔法にかかっていた人の中でも、婚約者とちゃんとよりを戻した人もいる。
だけど、私は酷い仕打ちをされても好きでいられるような人間ではなかったのだ。たとえそれが、本人の意志とは無関係と後から知っても、冷めた気持ちは戻らない。事実を聞いた後でさえ、彼女を信頼してアミュレットを外した彼が悪いとしか思えなかった。
「殿下には、感謝しかないね。こんな素敵な女性を手放してくれるなんて」
「ふふっ。間違ってもらっては困りますわ。私が、彼を、捨てたのですよ」
「そうだったね。私も捨てられないように気をつけなくては」
「貴方の元婚約者様はどうしているの?」
「さぁ・・・。彼女はもう社交界には出てきていないからね」
婚約者がいる身で、浮気相手の子どもを妊娠したら当然のことだろう。
「私も彼女に感謝しなくては。こんな素敵な旦那様を捨ててくれたんですもの」
旦那様は困ったように眉を寄せた。重要なところを間違えるから、いじわるをしたのだ。それでも旦那様の瞳は穏やかなままだ。
「手加減してよ・・・」
「私が捨てられたように言うからですわ。でも、元婚約者様は貴方の何を気に入らなかったというの?」
本当に不思議だ。何より性格が素晴らしい。仕事もできる。顔は殿下には負けるかもしれないけど、悪いわけではない。好みの問題だと思う。
「僕が・・・、節度を保った距離でしか、接しないのがご不満だったそうだよ」
「そんなの!紳士なら当然のことではありませんか!」
あり得ない。大切にされている証拠だというのに。思わず旦那様に同情の目を向けてしまう。
「もう、そんな過去のことはいいじゃないか」
「それもそうですわね」
毎日穏やかな時間が流れていく。もし、自分の気持ちに蓋をして彼を受け入れていたら、こうはならなかっただろう。信頼できない人を支えるのは困難だ。
貴族令嬢としては失格かもしれないが、私にだって幸せになる権利はある。
私の味方をしてくれた母、友人、妃殿下には感謝の気持ちで一杯だ。そして、こんな私を愛してくれた旦那様にも感謝しかない。この素敵な関係が続くように、努力を怠るつもりはない。
もう一度言う。私はとても幸せです。
こういう話の場合は元さやが多いかと思うのですが、三年間も辛い思いをさせられたらいくら素敵な人だと思っていても、私なら冷え冷えに冷めるな、と思って書いたものです。
皆さんはいかがでしょうか。