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グメージシュンの神判  作者: damin_butterfly
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1.英霊・柳生

「...っ...」


海の底から浮上したように、動悸から解放された。

ぼんやりとした視界も、しだいにピントが合ってくる。


立ち上がると、見渡す限り針葉樹が広がっている。

少し肌寒さもあった。

見覚えのない空間を目の前に、記憶を辿った。


そこで、鮮明に蘇ってきたのは親父の最期だった。


「親父...」


どうしようもない喪失感は、俺から慟哭をも奪っていた。


しかし、俺自身が生きているということは不愉快にも疑いようがなかった。

まずは現状を把握するべきだ。

もう一度、周囲の景色を観察する。


俺は、大阪、もしくは奈良のあたりにいたはずだ。

助手席で逆さになっていたはずだ。

しかし、今俺は針葉樹林の只中にいる。

車の破片すら見当たらない。

そして、橙色のあの炎。

それらは、俺が日本にいることを疑うのに十分な要因となった。

もはや、地球かどうかも怪しい。

不思議といつもより冴え渉る第六感が、ここがもとの世界でないことを結論づけていた。


困惑と怒りと寂寥を、理性で黙らせる。

すると、いつもの腕時計、いつものスニーカーを身につけていることにようやく気がついた。

服装も車の中で身につけていたものと変わらないようだ。


とにかく何かを探そうと足を踏み出した時、足下に見覚えがあるものを見つけた。

親父から受け取ったあの小刀だった。

もはや唯一の手がかりだ。

俺は縋るように、その小刀を拾った。

そして、不確かな衝動に突き動かされて、鞘から刀身を抜いた。


そのとき、とてつもない光の束を感じ取った。

それは瞬く間に収縮し、一人の男の姿を形づくる。

かつてないほどの威厳を備えてこちらを見ている。

その男が尋常ならぬ者であることは容易に分かった。

黒い袴に茶筅髷の髪。

何よりも目につくのは左眼に当てられた眼帯だった。

俺はすぐに一人の人物を思い浮かべる。


「柳生十兵衛...」


俺のつぶやきに答えるようにその男が一歩こちらへ近づく。

しかし、その男は実体ではないようだった。

男の後ろに、うっすらと樹木が透けて見えたからだ。


『俺の名を知るか、少年よ。』


柳生十兵衛三厳。

大和柳生藩初代藩主・柳生宗矩の実子にして強勇絶倫とも称えられる、江戸時代屈指の剣豪だ。

この誉れ高き英傑が俄に斬り掛かってこないことに、ひとまず安堵する。

いや、この人物なら俺が敵意を察知する前に易々と斬り捨てることも可能だろう。

並々ならない緊迫の中、俺は尋ねた。


「貴方は、なぜここにいるのですか。」


彼はすぐに答えた。


『お前が俺を喚んだからだ。いや、正しくはお前の父が、だが。お前が持つその脇差は、俺が生前使用したものだ。それが依代となり、俺を喚び出した。』


どうやら、この薄汚れた得物は単なる小刀ではないらしい。

だが、問題は尽きない。


「それでは、ここはどこなのですか...俺はなぜここにいるのですか!親父を殺したあの男は何者なんですか!?」


一度口に出すと、止まらなかった。

俺は、立て続けに疑問をぶつけた。


あふれ返った混乱と憤怒は、保持すべき敬意を忘れさせた。

しかし、稀代の勇士は、俺の愚行を露も気にする様子を見せず、ほとんどの追求に答えてくれた。


やはりここは地球ではなく、呪術的につながった異世界のようだ。

親父は最期に唱えた呪文で、俺をこちらの世界へと送りだしたのだ。

あの恐ろしい力を持った男から逃がすために。

そして、探し当てて隠し持っていた柳生十兵衛の脇差を俺に与えた。


ここまでで、俺は親父が殺される前の晩に話してくれたことを思い出した。

英雄の魂に認められ、契りを交わせば、超人的な力を得て、一度であれば世界を越えることさえも可能になるという。

あのときは親父の言うことを疑い、妄言だと罵ったが、もはや全て信じるしかない。

親父の言うことが正しければ、親父を殺した男は、再び現れて俺を葬ろうとするだろう。

どちらの世界にいても、俺は逃れられない。

ならば、立ち向かうしかない。

親父の最後の命令を守るために。

意を決して、俺は請願した。


「十兵衛様、俺を導いてくれませんか...どうか、俺に力を貸してください!」


英霊はこちらを一瞥すると、端整に微笑を浮かべ、言った。


『俺たちが仕えた徳川の葵は散った。

徳川に代わる帝国も戦に負けて滅びた。

その因果には流れがあった。力があった。

ところが今は何も見えない。

この世は何か得体の知れぬものに支配されている。

民は偽りの自由に魅せられ、仮初めの平和に身を委ねている。

俺はこの瞞しを斬りたい。

そのためなら、柳生の秘剣、お前に貸そう。』


再び光の束が迸った。

強い光は、小刀を通じて俺の中に流れ込んできた。

見たことのない風景が次々に頭を過っていく。

これはかつての剣豪の経験なのだろうか。

あるいは前世の戦いの記憶なのだろうか。


過ぎ行く光が収まると、目の前に偉丈夫の姿はなく、木々の閑寂が全てを支配していた。





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