黒猫街の暗殺者
闇夜に生きる者は、大きく二種類に分けられる……などと私は勝手に思っている。
一方は、元居た日の当たる生活を捨て、夜の街に流れ着いた者。ギャンブルで失敗したり、罪を犯してしまったり、はたまた日常に疲れ切ってしまった者は、当然の如くここに含まれる。
もう一方は、日常を捨てさせられた者。能動的に陰に身を潜める前者とは違い、此処に来るしか生きる道が無かった者。借金を返し続けたり、罪を償ったり、なんとか耐えて日常を歩み続ければ真っ当な生活が出来た彼らと違い、此処に来るしか生き抜く術は無かった者が、後者に含まれる。
殺人鬼に謂れなく命を狙われ続ける不幸な少年。
他人と話せば死んでしまう奇病を患った女。
視線を合わせただけで他人を石にしてしまう老人。
非合法手術により、身体の殆どが機械に置き換わった半自律駆動人形______つまり私。
前者と後者に明確な線引きは無い。隣人には変わりない以上、お互いが助け合うのは必定。でも前者と後者の決定的な差を一つ挙げるとすれば、それは『信念』だ。
後には引けない。それぞれがそれぞれの事情を抱えながら、身をひそめる此処は単なる隠れ家では無いのだ。
追い詰められた兎は、猟犬をも蹴り殺すのだから。
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「どうした。花粉症?」
私が右目を擦っていると、円卓の向かい側に座る女性が心配そうに話しかけてきた。
「免疫器官まで機械なんだから花粉症が発生する筈が無いだろう。1週間程前から義眼の調子が悪くてな、時折視界にノイズが走る」
私がぼやくと、彼女はふむ、と呟くとずれた眼鏡を上げ、ずいっと顔を近づけた。
「どれどれ……見せてみんしゃい」
好奇心旺盛に視線を合わせて来る彼女に私は深いため息をつき、さっきからむず痒い右目をなんとか見開いた。
視界いっぱいに彼女の顔が広がる。私は少し恥ずかしくなって目を逸らしたが、彼女は両手で私の顔を抑える。
「駄目よアシェ。些細な視界の乱れだって死に繋がるんだから」
そう言いながら彼女は胸ポケットからペンライトを取り出し、私の目に当てる。そう言われて仕舞えば仕方ない。大人しく診療を受けることにする。
暫くふむふむ、と唸っていた彼女は、数分後にやっと私の束縛を解いた。
「……で、診療結果はどうだったんだ、ツチミカド。言っておくが代金は払わないぞ。私は頼んでなんか居ないんだから」
ツチミカド______私がそう呼んだ彼女は、判ってるってと呟くと、救急箱から眼帯を取り出した。彼女もこの街の住人の一人。「本人曰く」純粋無垢な医者の卵であり、尚且つ、止むに止まれぬ事情を秘めて、最終的に此処に流れ着いた者だ。
「……はい、これ付けて1週間は安静にね。電気系統の接触に異常があったから、風水魔術でパッと治しちゃおう!」
机の上に置かれた眼帯には歯車やら羽根やらが付いており、純粋な医療用では無さそうだ。
「塞がる視界の代わりは?」
「もちろん有るわ。動体感知の魔術よ」
得意げに説明する彼女の顔を見て、私は呆れた顔で力無くツッコミを入れる。
「『純粋無垢な医者の卵』は魔術なんて使わねェよ……」
彼女が此処に流れた理由もきっとこれだ。間違い無い。私が溜息を吐きながら眼帯を嵌め込むと、視界の半分が暗闇に覆われた。
「これで良し、と。なあツチミカド、レグルスは今どこに?」
「もう仕事に行ったんじゃない? 私が起きた時はもう居なかったよ」
そうか、と私は頷き、外出すべく支度を始めた。
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私ことアシュリー・レッドナイトが、この街、《黒猫街》で暮らすようになってから3年が経つ。治安も良く、法もよく行き届いた《朱雀街》や《白虎街》などとは違い、四神の名を冠しきれなかった数多の街は中央から見放され、半ばスラム化している地区さえある。管理社会は見た目には綺麗で整っているが、いざ格差が生まれると、その差は急速に開いていくのだ。
此処、《黒猫街》もその一つ。見上げんばかりの建物が雑木林のように乱立するこの地区は、500m四方の土地に実に5万人近くの人間が居住している。居住区域の需要と供給の関係から、ビルは縦へ縦へと伸びていったが、それでも当然個人領域など十分に確保出来る筈もなく、大抵の人間は複数人でのルームシェアを余儀なくされている。先ほどの医者、ツチミカドも私のルームメイトという訳だ。
「……やァ。今日も元気そうだね、ロク」
私は雑多な路地の途中で立ち止まり、しゃがみこんで口を開いた。私が伸ばした手に擦り寄るのは、一匹の黒い猫。
「ジュウクとヨンジュウサンがあっちで餌を貰っていたよ。キミも行くのかい?」
黒猫はにゃあ、とだけ鳴き、てくてくと歩き去った。小さい背中が見えなくなるまで見送ってから、私は目的地へ足を進める。
ロクやジュウク、それにヨンジュウサンは猫の名前だ。この街には名前の由来になったように、数え切れない程の黒猫が住み着いている。非常に人に懐いている上に人語を解す為、私たちは時折この小さな隣人と立ち話をするわけだ。まあ私は彼らの言葉は解らないが、向こうが解るなら大抵話は通じる。
幸い、私は機械に強化された視覚で些細な個体差を見分ける事ができる。片端から名前をつけていっているのだが、800番代に到達しても新たな猫との出会いは後を立たない。疲れるのでそろそろやめようかな、なんて思ったりしている。
「……お、アシェ姉さんだ。おはよおはよ」
名前を呼ばれたため振り返ると、そこにはパジャマ姿の少年が居た。その衣服に不釣り合いな大きなリュックサックを背負い、枕を脇に抱えている。目をこすり、んん……と小さく伸びをすると、金髪の少年はおもむろに口を開く。
「今日の新規調査依頼は13件。新規暗殺依頼は72件。期限が近い受注済み依頼は3件だよ」
「あー……。ちょうど尋ねようとしてた所だレグルス。如何だ、昨日はよく眠れたかい?」
「アシェ姉さんがもうちょっと右に寄ってくれたら、僕がベッドで狭い思いをしなくて済んだ」
「う、以後気をつける」
レグルスはよろしく、と呟き、リュックサックの中から紙の束を取り出した。
「これ、依頼一覧。受注するのがあったら事務所まで来てね」
私が紙束を受け取ったのを確認すると、彼はそう言い残して歩き去って行った。
レグルスも私のルームメイトの一人だ。ツチミカド、レグルス、そして私の3人で寝食を共にしている訳だが、仕事は各々違う。ツチミカドは医者。レグルスはこの街の仕事の斡旋をし、そして私は彼の元で依頼を熟す。いわば専属のエージェントという訳だ。彼の斡旋する依頼は暗殺や破壊工作が大半だが、機械化され、身体能力の向上している私には天職だ。仕事は大抵、この街の治安を乱すお尋ね者の『始末』。
「どれどれ……。今日の標的は……っと」
路地を外れ、裏道に入って壁に背を当てる。ぱらぱらと束をめくれば、先日離散したマフィアの残党、商業組合を襲った盗賊、隣人殺しの男などの名前が目に飛び込んでくる中、見覚えのある名前が目に飛び込んで来た。
「……此奴はッ……!?」
私が手を止めたのは、一件の暗殺依頼だった。内容は、とある医者の殺害と研究データの破壊。資料には、生真面目そうな中年男性の写真と共に、ヨサノ オウガイと走り書きが。その文字列に、間違いなく見覚えがある。
この男は、
この男は、私の機械化手術をした男だ。
**
「おいレグルス! この依頼は一体全体なんだってんだ!!」
私は彼の事務所に足を運び、来客用の机に紙束を叩きつけた。
「ん……、ヨサノ オウガイ暗殺任務。期日は明日、報酬は別途相談……。あ、報酬の話?」
「違う違う。なあレグルス、この医者が何者か解るか?」
レグルスはちょっとまってね、と言い残し、その後1分も経たずに分厚いファイルを持ってきた。
「今までの《調査依頼》の対象になっているなら、記録が残っている筈………………あ、有った」
これだよ、と彼は一枚の紙を抜き取り、私に手渡した。
「3年前の調査報告書だ。非合法の手術を行う闇医者。胡散臭さじゃツチミカド姉さんといい勝負だけど、問題はこれだね」
ずいっと身を乗り出し、指差したのは下に続く記載。
「『なお、ヨサノは手術だけでなく研究も行っており、彼が医学界から追放されたのはその研究が原因の模様。研究内容の詳細は判らなかったが、機械化などの非合法手術で得たデータを基に、生物兵器の研究をしている事が判明した。』……って姉さん?」
気がつけば、私は怒りで拳を握り締めていた。まだ生身だった私を車で轢いた男と手術した医者がグルだという情報は既に得ている。これはつまり、私は『この男によって人生を狂わされた』という事だ。
「姉さん…………。私怨で動くと失敗するよ」
レグルスが何かを察したかのように私に忠告したが、私は首を横に振る。
「漸く掴んだ機会だ。何の為に私を改造したのか、キッチリ問い詰めてやる」
「……姉さん」
「判ってる。ヘマはしないさ」
レグルスはしばらく心配そうに私の顔を見つめていたが、やがて諦めたようにため息をつき、一枚の紙を私に手渡す。
「依頼者は匿名で、詳細は全てFAXで届いている。それによると、ヨサノの最後の足取りはこの《黒猫街》の中にある廃ビルとのことだ。詳しくはこのFAXに記載されているから」
私は無言で頷き、受け取った紙に目を落とした。
《黒猫街》404丁目 44−99−404
**
「此処か……」
私は依頼書に記載されていた、無人の集合住宅の一室の前に立っている。
この一画は所有者がころころと変わることで有名な土地だが、今は珍しく買い手がついており、ホームレスたちの姿も見えない。ただ建物自体は残っており、不気味な静けさを醸し出している。
監視カメラの死角を縫うのはそう難しい問題では無かった。最終目的が『暗殺』である以上、下手に証拠を残すわけにはいかない。私は太腿に忍ばせたナイフへ無意識に手をやる。
扉に耳を当てるが、生活の音は聞こえない。慎重に、慎重にドアノブに手をかける。案の定鍵がかかっているが、ピッキングはお手の物だ。
かち、
かち、
かち、
かちゃり。
開いた。音を立てないように扉の隙間に潜り込み、そぉっと閉める。
中は暗い。私は目を閉じ、視覚を暗視カメラに切り替えた。動体センサに反応は無い。
ゆっくりと、ゆっくりと音を立てぬように足を進める。
「…………居ないのか」
居ない。居ない、どこにも居ない。リビングルームは勿論、寝室、風呂場、押入れに至るまで全て捜したがヨサノは見つからない。
「移動したのか…………または、あの情報が偽物だったか」
リビングルームまで戻ってきた私はため息をつき、諦めて帰ろうとする。すると突如、ブゥン、と音が響いた。
音源は隣の部屋だ。
隣の部屋、書斎には一台のコンピュータは置かれていた。2000年モデルの旧型のデスクトップだ。
PCの画面は真っ白に光り、駆動音が部屋の中の唯一の音となり耳に飛び込んでくる。私が訝しげに眺めていると、画面に文字が刻まれていった。
『いらっしゃい、よく来たね』
「遠隔操作か……」
『御名答、アシュリー・レッドナイト。身体の調子はどうだい?」
最初は文字だけだったのが、次第に音声も入り混じった。調子はどうだい? と男の声がPCより発せられる。
「私の暗殺依頼が出ていると聞いてね、急いで撤収させて貰った。依頼を出した女は殺させて頂いたから、残念ながら報酬は無しだ」
残念だねえ、とねっとりと耳につく声が笑いを含める。私は怒りを抑えながら、駆動するPCに話しかけた。
「何故私を改造した、ヨサノ」
「おや、君はエージェントとしてでは無く私怨で此処に来たようだ」
「煩い」
「はは、酷い殺気だね。……PCの横に置いてある資料を読んでご覧、それで大まかに解るはずだ」
私は黙って指示に従い、PCの横に置かれた青いフォルダに手を伸ばした。中を開くと、そこには大量のデータが仕舞われていた。ドイツ語で記されているところを見ると、医学系のデータであることは間違いなさそうだ。
「生物兵器作成に関する研究データさ。軍事兵器は金になるからね。大丈夫、心配しなくても君の改造は無駄にはしないさァ」
たたたたたた、というタイプ音と共に、言葉に合わせて画面に表示される文字列。私が憎々しげに睨むと、ヨサノは怖い怖い、と笑いながら呟いた。
「そんなに睨まなくても良いじゃ無い。そういう悪い眼は……こうだッ!!!」
スピーカーの奥でかち、と小さい音がする。反応する隙を与えられないまま、気づけば顔が燃えるように熱い。熱い、熱い、これは……右目?
「おや、右目の爆弾は威力低かったっけ? いや、そんなことは無いだろう。他の被験者はみんな頭が吹っ飛んだんだ、設計ミスなんてありえない。何故だ何故だ何故だ」
私がおそるおそる右目に手を当てると、眼帯が炎のような熱を持っていた。中で義眼が爆発したのだろうか、右目の感覚が怖いほど無い。
「……アシュリーちゃん、結界魔術なんてどこで覚えた」
ヨサノの声が微かに強張っている。
「…………ツチミカドの風水魔術か」
今朝の診療のおかげで命拾いしたようだ。どうやらただのヤブ医者というわけでは無いらしい。
「ツチミカド? おや、土御門家の跡取り娘の仕業か。ははは、そりゃあ面白くなりそうだ」
少しの間沈黙していたヨサノが、ツチミカドの名に反応する。
「気に入った。……何故君が被験体として選ばれたのか、もし真実を知りたいなら、ここまで来なよアシュリーちゃん。四神の街、その中央部。《黄竜街》で待ってるぜ」
ヨサノがそう言い残し、その文字列が刻まれると、一方的に回線は切断された。再び部屋の中を、静寂と暗闇が包みこむ。
「全く、面倒なことになりそうだな」
蕩けるような闇の中で、深い深い溜息を吐く。吐息がゆらりと揺れた後、周りの闇へ融けていく様子を、私はぼぅっと見つめていた。
To be continued......?