第5話 勘違う
「え、す、好き!?」
「そうだ。俺、伊勢さんとのこの時間が好きなんだ!!
さっきのは完全なる言葉のあやで・・・。」
俺はこの時間を守るためにただひたすらに弁明の言葉を続けた。
この俺の死にそうだった心を癒やしてくれる
このかけがえのない時間を絶対に失いたくはなかった。
この時間さえも失われたならば、またあの暗い絶望の中へと
身を投じることに繋がる。
それだけはなんとしても避けたかった。
だからこその言葉であり、それ以上に深い意味などなかった。
にも関わらず、俺の口から言葉が紡がれるたびに彼女の顔は紅潮していく。
どうしてそんな表情を浮かべているのか、分からない。
だけど、これは嘘偽りのない正直な思いだった。
後悔などは微塵もなかった。
俺は自分の言葉にこれほどまでに充足感を感じたことはなかった。
しかし、それを告げた彼女の顔はまるでゆでだこのように真っ赤になっていた。
本当に伊勢さんはどうしたんだろうか・・・。
そんなにも変な発言をしたわけでもないのに、この表情。
もしかしてあまりにも必死すぎたことで気持ち悪がられた!?
そう考えてしまえば、つじつまが合う。
俺の心の中にさっきの充足感と全く逆の感情、不安が生まれた。
その感情は次第に膨れあがっていく。
「あ・・・。伊勢さん」
俺はまさかの展開を予想して、言葉を発そうとした。
しかし
「わ、もうこんな時間なんですね~。先に戻ってますね!!」
そう言いながらあからさまに時計を見たかと思えば、
伊勢さんは勢いよく席から去って行った。
彼女の表情はまだ真っ赤に染まっていた。
「ふわぁ。もうこんな時間かぁ。そろそろ帰るか」
あの後、俺は伊勢さんの様子を気がかりに思いながらも、
自分のデスクへ戻っていた。
伊勢さんにさっきのことについての釈明をしようとしていたのだが、
なんと彼女はお昼休み後すぐに打ち合わせに向かったようで、
この時間まで彼女を見ていない。
そして俺は、仕事中もついつい彼女のことを考えていたためか、
通常よりも仕事に身が入らず、
こんな時間になるまで残業をする羽目になってしまった。
気持ちを切り替えないといけないな。
そんなことはわかっていながらも、
ついつい伊勢さんの席に視線を向けてしまう俺。
本当にダメだな。
俺はもうのこの職場の中にいても一向に仕事が進むことはない。
そう判断して、帰宅準備を始める。
いや、本当は伊勢さんと話をするためだけにこの時間までいたのかもしれない。
とっくの昔に今日はうまく仕事が回らないことには気づいていた。
それでもなお、仕事を続ける振りをしていたのだ。
「お先に失礼します。」
いつの間にか職場に残っていたのは上司だけになっていたこともあり、
上司に一声かけてから帰ることにした。
「おぉ、雨宮君、お疲れ様」
上司の清水さんはいつも温厚で仕事もできる俺が尊敬する上司だ。
俺がこの会社を選考する原因ともなった人物でもあり、
彼の下で働けることになったと分かった時には手放しで喜んだ記憶がある。
だけど、そんな清水さんにも家族が全員死んでしまったことは伝えていない。
おそらく伝えれば、自分の事のように悲しんでくれるだろうし、
すごく心配もしてくれるだろう。
だけど、そんなことで気を使わすというのもいかがなものか。
そこまで考えた末の俺の決断だった。
誰にも”家族の死”だけは伝えない。
「それにしても、伊勢さん今日の打ち合わせ結構長いんだなぁ。」
エレベーターが上がってくるのを待っている間、誰もいないホールで呟いた。
12時45分にお昼休憩の時間が終わるうちの会社。
俺が席に戻ったのは12時40分で、その時には既に彼女は出かけていた。
そして今の時間は8時半であり、約8時間もの間、彼女は外出中。
少しだけ違和感を感じたものの、
多分数社と同日に打ち合わせが入ったのではないだろうかと思うことにした。
そう考えていると、エレベーターの階数表示が
自分のいる階の2つ下で止まっているのが見えた。
俺は一応誰かが自分の階で降りてきても大丈夫なように身だしなみを再確認する。
チーン。
再確認している間にドアが開いた。
「あ、雨宮さん!!」
開ききったドアから出てきたのは、今ちょうど考えていた伊勢さんそのものだった。