第3話 ランチタイム
その恥ずかしさから俺は、どうしても彼女の顔を見ることが出来なかった。
(あんな恥ずかしいセリフを言ってしまったんだ。あきられているかなぁ。)
そして、なぜか伊勢さんも俺のセリフから声を出してくれない。
しばし流れる沈黙状態。先ほどまで割と盛り上がっていたはずの
空気が嘘のような静けさで、周りは騒がしいのに、
空間がここだけ切り離されたようなそんな感覚がした。
しかし、このまま沈黙を貫いていられるほど、俺の心は頑丈ではなかったし、
これだけ静かだと伊勢さんが今、
どんな顔をしているのか気になるというものだ。
呆れている顔をされているのか、
はたまた「あなたに私の何が分かるんですか」というような怒りを滲ませているのか。
純粋に彼女の今の顔を見ることが怖くなっていった。
だけど、こんな気まずい状態のまま過ごすのもどうしても嫌だと思った。
俺は彼女に悟られないように深呼吸を一度すると、ばっと顔をあげ、彼女を見た。
そこにあったのは俺が思い描いていたマイナスの感情を滲ませた顔ではなかった。
頬がにわかに紅潮し、満面の笑みで照れていたのだ。
俺は多分、この時から彼女に恋をしてしまったのかもしれない。
彼女のその表情は本当に可愛らしく、俺の心を癒してくれた。
元々、可愛い人だなとは思っていたが、そんな人とこうしてご飯を食べ、
俺の一言でその顔をさらに可愛くすることが出来た。
そのことに少しの幸福感を覚えた。
彼女の顔ならずっと眺めていられると思ってしまうほどだった。
しかし、こうもずっと見つめていてはさすがに不躾であり、嫌われることもある。
俺はもっと見ていたいと思う感情を抑え込み、しぶしぶ話題を変えることにした。
「それにしても、どうして伊勢さんは俺と今日お昼をしたいと思ったんだ?」
この問いかけは誘われた瞬間からずっと、
俺の頭の中にあったもので、一番聞きたいことだった。
俺と伊勢さんの接点は同じ部署内にいるというだけで
それ以外には本当に何もない。
それにも関わらず、こうして食事に誘ってくれた。
普通に考えてみれば、おかしな話というか信じられない話だった。
会社の中でも美人な部類に入る彼女なら当然、
彼女のことを好きな男性社員もいる。
だから彼女に話しかけるのはほとんどが男性社員ばかりで、
こないだも又聞きではあるが、社内で5本の指に入ると言われるイケメン社員の
才原恭弥に食事に誘われたようだ。
しかし、その誘いは断ったようで、その情報が入ったころから男性社員の間では
「あの才原でさえ食事の誘いを断られた」と言って、
彼女を食事に誘うものはいなくなってしまったほどだ。
そんな彼女を誘ってOKを貰って、食事をしているのではなく、
逆に誘われて食事に行っている俺はその理由がどうしても知りたかった。
別に、好意を寄せているのかもしれないと期待を抱いて、知りたいわけではない。
単純にどうしてなのかを知りたかった。
だから、こうして聞いたわけなのだが、なぜか伊勢さんはもじもじしている。
反応に困る反応とはこういうことを言うのかもしれない。
またもや沈黙が俺たちの間を流れた。
その間、もじもじしっ放しの彼女に
俺は少なからず罪悪感に近いものを感じ始めていた。
(もしかして聞いちゃいけないことだったのか。あ~。またしてもやっちまったか)
そしてタイミングがいいのか悪いのか、
頼んでいた食事を店員さんが持ってきてくれた。
俺はカレーを、伊勢さんはオムライスを注文していた。
どちらも美味しそうで、ついついお腹が鳴ってしまった。
俺と伊勢さんは同じ想いだったのか、
さっきの質問に対して催促も答えもないまま食べることにした。
食事の最中、思ったことがある。
伊勢さんはご飯の食べ方がすごく綺麗だということに。
ここはさすが女性と言ってもいいのかもしれないが、
本当にきれいな食べ方だった。
逆に俺の方はというと、腹の空き方も手助けするように
がつがつと口の中へカレーのルーとご飯を詰め込み、
どこからどう見ても綺麗さとはかけはなれた食べ方をしていた。
そのせいなのだろう。
俺がカレーを食べ終わった瞬間、伊勢さんはふふと笑みを浮かべた。
そして・・・。
「雨宮さん、ここ付いてますよ?」
そう言いながら、彼女は自分の唇の端を指したのだ。
俺が慌てて、その場所に指をあてると、米粒が付いていたのだ。
俺は思い切り恥ずかしくなってしまった。
(う~わ、やっちまった。ものすごく恥ずかしいぞ。これは)
今度は俺の番であるかのように、恥ずかしさで俺の顔は赤くなった。
そして楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、
あと10分でお昼休憩が終わるという時間になっていた。
数々の失態を犯してしまった俺は、もう二度と誘われないだろうなと思いながら、
食事を終え、俺と伊勢さんは会社へ戻ることにした。
そして、部署のドアを開けようとしたその時だった。
伊勢さんはこちらを見つめながら、満面の笑みを浮かべた。そして。
「またお昼行きましょうね。」
そう言うと、伊勢さんは自分のデスクへ戻っていった。