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30・見えるモノと、見えないモノ

「ねえ、あなたには被害はないの? 大丈夫なの?」

「大丈夫です」

「どうして協力してくれるの?」

「昔の償いです」

 夙の顔は白熱球の淡いオレンジ色の光を浴びてもなお、白い頬を光らせていた。

「償い?」

「私も昔、魔法事典を使ってしまいました」

「昔って……?」

 まだ高校生なのに、昔って何時よ。

「いえ、私の知り合いにしておきましょう」

「はあ?」

 どうにも、いまひとつ不透明で要領を得ない話だ。しかし、夙は続ける。

「その娘は、神社で寝ている魔女に魔法事典を貰ってしまいました。そして、十九歳の時に、その事典を使ったのです」

「何それ? ていうかそれって……?」

 史美菜は不可解な話しに眉を潜める。

「詳しい事はいいです。面倒だし」

「じゃあ、それで何をお願いしたの?」

「お婿さんです」

「はあ? でも俗欲はダメだって」

「農家に娘一人では、跡継ぎがいません。それは切実な問題なのです」

「ああ、なるほど」

 夙の堅苦しい敬語に、史美菜はつい頷いた。農家とはそういうものなのだろう。

「だから、願ったのです。その時まだ神社に魔女がいて、何か代償を貰うといいました」

「反作用って事ね。それで?」

「今すぐではなく、何時か。魔女はそう言っていなくなりました」

「はあ? そんなの在りなの?」

「魔女は忙しく、気まぐれなのだそうです。ただ、代償は絶対」

 魔法を執行した代償には期限が無く、それは何時訪れるか解らないらしい。それにしては、美加も百夏も即座に反作用が起こり始めたものだ。

「でも……で、代償は?」

「反作用は起こりませんでした。何時まで経っても……私は不安のあまり魔法事典を隠しました。誰にも見つからない場所へ。でも彼女は見つけてしまいました。何度か蔵の片付けや整理するうちに、何時の間にか本棚に並んでしまったようです」

「ねえ、その彼女って美加の事? 事典を見つけたのは美加でしょ? じゃあ、あんたは美加のなんなの?」

 話しの細部が歪んでいて、どうも理解できない。

 史美菜の問いに夙は応えなかった。その代わりに

「急ぎましょ。美加が危険かも知れません」

 その言葉で史美菜もとにかく儀式を済ませようと思った。詳しい話は夙から後でいくらでも聞きだせるだろう。

 魔法陣の上に立ち、二つの鏡を見つめる。魔法陣の中央には夙がいる。

「ねえ、本当に夙は大丈夫なの? そんな真ん中に立ってさ」

 夙は小さく頷くと「さあ、急いで、あまり時間はありませんよ」

 史美菜は開いた事典の呪文を読み上げた。


 ティファレント・ラシュタル・ファオフ・アガベレテマ・ヌイトハディート・グアス・デリトムス・アウムグン


 ひゅうっと風が鳴った。

 さっきまではただ静かに留まっていた空気が一方方向に流れて、史美菜も夙も髪がはためく。

 天井の裸電球の明かりがチカチカと細かく点滅して、一瞬の闇と現実が交互に不規則に出たり消えたりする。

 史美菜は息を呑んだ。これぞ魔法だ。

 暗闇に包まれた瞬間、魔法陣の内側に描かれた六芒星ろくぼうせいが強い光を放った。

 暗黒とその輝きに目がくらんで、史美菜は一瞬目を瞑る。それはほんの一瞬の出来事だった。

 横から吹いていた風は消え、まるで魔法陣から沸き起こるように下から風が吹き上がる。

 一瞬息が出来ないほど巻き起こる突風に、自分の髪の毛が逆立つのが判った。

 見開こうとした瞼を、史美菜は再び閉じるしかない。

 しかし、それは直ぐにやんで、静寂が蘇える。

 史美菜はようやく目を開けることができた。

 天井の電球が瞬きを止めると、辺りを通り過ぎていた風もやんでいた。そして風で吹き飛んだのか、小麦粉で描いた魔法陣も消えている。

 が……目の前にいたはずの桜木夙の姿も何処にも無かった。

 史美菜はモシャクシャになった髪の毛に手グシを入れながら、辺りを見回す。

 自分以外に人の影はなかった。

 風の名残が裸電球を揺らし、床に落ちた自分の黒い影がチラチラと揺れている。

 二つの大きな鏡に映る自分が、小麦粉で白くなった顔の自分を他人のように見つめていた。

 ボコッと音がして振り返ると、古くなって朽ちた土壁の一部が剥げ落ちて埃っぽい床を汚している。

 どこか遠くでカラスが一声、カァと鳴いた気がした。





 史美菜はほとんど寝つけないまま月曜日の朝、少し早い時間に学校へ向った。

 夙の事が気になったからだ。彼女は何処に行ったのか?

 しかし、今までもちょっと目を離した隙に姿を消した事はあるから、学校へいけば何時も通り彼女がいるのだろうとも思った。

 そうやって、史美菜は自分の不安を打ち消した。あの時うやむやになった話しの続きも聞きたい。

 教室へ入ると直ぐに夙の机を見る。

 何時ごろ来るのか解らないが、そこに夙の姿はいなかった。

 まばらに来ているのは、電車時間の関係で早めに登校する連中だった。他にも半分以上はまだ席は空いているのに、何故か彼女の席だけがぽっかりと空洞のように存在する。

「どうしたのフミ。あの席よっぽど気になる?」

 史美菜が足を踏み入れた前側の入り口に近い席で、友達と談笑していた瑠衣が声をかけてきた。

「別に、そんな事ないけど」

「だいたい使わない席いつまでも置いてられると確かに気になるよね。ボケた先生は間違って欠席者を探して名簿をくまなく調べるし」

 瑠衣がそう言って笑う。

「ちょ、ちょっとまって。なんで、あの席が使わない席なの?」

「何言ってんのフミ」

 瑠衣の横で談笑していた他の連中も、同時に史美菜に視線を向ける。

「あ……え?」

「だって、転校してくる予定が無くなったんだから、必要ないじゃん」

「転校が無くなったの?」

「フミ……目覚ませ」

 瑠衣がそう言って再び笑うと、仲間も笑った。

 思わず教室を見渡すと、まばらに来ているクラスメイトがみんな雑談を中断させて史美菜を見ていた。

 春に転校予定だった生徒は、何かの都合で取りやめになったそうだ。だから、机は準備したものの、その席はずっと空きのままらしい。

 ……だって……いたじゃん。桜木夙があの席にいたじゃん。

 史美菜はクラスメイトに桜木夙の事を聞いて見たが、誰も知る者はいなかった。

 みんな彼女のネタだと思って失笑に留まったのは、幸いかもしれない。

 そしてホームルームが始まると担任は

「水曜日から斉野美加が復帰します」

「具合、よくなったんですか?」

 史美菜が訊いた。

「うん。昨日の夜遅く急に元気になって、念のため少し様子を見てからって事です」

 史美菜はホッと息をついて、もうひとつ先生に質問する。

「あの……モモちゃんは、どうなのでしょう」

 他の生徒は、まだ百夏の事故のことを知らない。

「さすが親友?」

 担任は史美菜を茶化すように笑うと

「昨日車と接触して怪我をしたみたいだけど、一週間くらいで元気になるそうよ」

 史美菜は今度こそ安堵の息をつくと、桜木夙の席をみつめた。

 百夏の事故を聞いたクラスの娘たちは、各々に憶測を巡らせて教室に私語が湧く。

「ああ、それから今日の週番」パンッと担任は出席簿で机を叩くと

「あの机を階段下の倉庫に運んでおいて」

 夙の席を指差してそう言うと、朝のホームルームは終わった。



 夙の白い残像は消えて無くなった。残像……彼女は残像、それとも幻だったのだろうか?

 彼女は何処から来て、どこへ行ったのだろう。

 もしかしたら、あと少し、もう少し一緒にいたなら、友達になれたかもしれない。

 カラスが友達のようで、ちょっと気味が悪くて無表情で、でも史美菜は彼女の陶器のような白い頬に孤独と裏腹な微かな温もりを感じ始めていたのは確かだった。

 桜木夙こそが、今回の魔法の副産物だったのだろうか。






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