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28・遠のく背中

 百夏の初体験は近親相姦だった。

 その後も、二人の関係はしばしばあったのだという。

 兄が家を出てゆくまで。

 史美菜は百夏が経験済みなのは何となくわかっていたが、まさか相手が実の兄だとは思ってもみない。

 そんなのは安っぽい漫画やドラマだけの話しだと思っていた。

「だからあたしは、これから自由に生きるんだ」

 百夏は薄っすらと笑いを浮かべて背中に注ぐ西日に向って振り返る。

 ゆっくりと歩き出す百夏を史美菜は追って、再び腕を掴んだ。

「それでも、学校に来なよ。家に帰りなよ」

「もう、お父さんもお母さんもどうでもいいのよ」

 百夏は史美菜の手を振り払って駆け出した。

 公園の柵の間を抜けて通りに出ると、大通りの歩道に向って走り出す。

 公園と大通りの間には小さな酒屋兼タバコ屋が在る。史美菜は百夏を追ってタバコ屋の横を駆けた。

 厚底サンダルを履く百夏の駆け足は思いの外は速くて、史美菜は焦って追いつくのに必死だった。

 一度腕を掴むが振り切られる。

 大通りの歩道に出た時、史美菜は再び百夏の腕を掴む。今度は強く掴んだ。

 しかし、百夏はそれを駆けながら強く引き離そうとした。

「離してよ」

「ダメだよ、モモちゃんダメだよ」

 走っていた勢いを残しながら二人は絡み合うように歩道を斜めに移動して、小さな銀杏の植え木の所で百夏が力強く史美菜の手を引き払う。

 夢中で史美菜を振り切ろうとしていた百夏は、史美菜の手が離れた反動もあって、身体を銀杏の細い幹にぶつけて倒れこんだ。

 車道側に……

「あっ!」

 史美菜は振り払われた手を再び差し出すが、とうてい間に合わなかった。

 微かな夕闇に、行き交う車のほとんどはヘッドライトを点灯していた。

 急ブレーキの音がした。

 どれだけアンチロックの進んだブレーキでも避けられる距離ではなかっただろう。

 眩しいヘッドライトが、けたたましいブレーキの叫びの中で、百夏の身体を軽く跳ね上げた。

 本当に軽く。

 百夏の身体は、いとも簡単に宙に浮いたのだ。

 ドサッと生々しい音がアスファルトを震わせるると、彼女はその場にグニャリと横たわった。

「嫌嗚呼!」

 史美菜は届かない手を差し出したまま、ただ叫んでいた。





「モモちゃん、モモちゃん!」

 史美菜は歩道から、車道に横たわる百夏に声を掛ける。

 グッタリと横たわる友人に、怖くて触れられない。

 車の運転手が慌ててドアを開けると、百夏の姿を見て震えながら携帯電話を手にした。

 車道のアスファルトに、夕陽に照らせた血溜まりがぎらぎらと広がってゆく。

 史美菜は足がすくんで動けなかった。

「何してんだよ、お前ら」

 背中から声をかけてきたのは、汐泊孝樹だった。

「モモちゃんが……モモちゃんが……」

 涙で頬をどろどろにして、史美菜はそれしか言えなかった。

 孝樹は運転手が警察と救急車を呼んでいるのを確認すると、百夏に近づいた。

 頭から血が流れている。

 彼は頭を揺らさないように気をつけながら、自分のポケットから出した紺色のバンダナを彼女の頭にあてがった。

 素人が触れられるのは、それが精一杯だと思った。

 間も無くして救急車と警察の事故処理車が到着する。

 史美菜と一緒に孝樹も救急車に乗り込んで病院へ向った。

 それほど応急処置をするわけでもなく、ただストレッチャーに横たわる百夏と乗る救急車は、やけにゆっくり走っているような気がした。

 悲鳴のようなサイレンだけが、鼓膜を突き破って頭の中を埋め尽くす。

 孝樹が史美菜の顔に視線を送っている。

 史美菜は彼の視線が自分の額に向けられている事を悟って、涙を拭う手を額に移し乱れた前髪を指で直した。

「お前も何処かにぶつけたのか?」

 額の痣跡が紅く浮き出ていたのだろう。

「ううん。違う」

 史美菜は鼻をすすりながら応える。

「でも、オデコが少し……」

「コレは前からよ。すっと前からなの」

 史美菜がそう言って再び自分の額に手をそえると、孝樹はそれ以上何も言わなかった。



 救急病院へ搬送されてストレッチャーを慌しく運んで行くと、史美菜と孝樹はロビーに取り残された。

 外来診療の終えた病院ロビーは物静かで、二人の息使いだけが時間の針に絡みつく。

「なんで? どうしてこんな事に……」

 史美菜は鼻の詰った声で呟く。

「大丈夫さ。血圧もそんなに低下してなかったし、大丈夫だよ」

 孝樹は史美菜にそっと触れる。

「ていうか、なんでアンタがいるの?」

 史美菜は涙目で彼を見上げた。

「いや、つい一緒に乗っちゃって」

 孝樹が髪の毛をかき上げる。

「違う」

「は?」

「どうしてあの場にいたの?」

「えっ? いや、それは……」

 孝樹は昨日に引き続き再び史美菜の家に行こうとして途中で彼女の姿を見かけたらしい。こっそり後をつけると、あの公園で百夏と会っていたと言うわけだ。

「じゃあ、ずっと見てたの?」

「いや、ずっとってわけじゃ。あの通りから出てくると思って、酒屋の自販機でジュース飲んでたよ」

 孝樹が気を抜いてジュースを飲んで、待ちくたびれて空き缶をゴミ箱に入れていたら史美菜と百夏が路地から駆けて来て揉み合っていたのだそうだ。

「どうしてモモちゃんを止めてくれなかったの?」

 史美菜は恨めしそうに孝樹を睨む。

「とっさの事で、そんな事できなかったよ」

 史美菜も自分勝手な言い方に気付いて思わず「そうだよね……ごめん」

 彼女は誰もいないロビーに並ぶ椅子の群れの一画に、ポツリと腰掛けた。

「何があったんだ? あんなにもめてさ」

 孝樹も彼女の隣に腰掛けた「やっぱ、俺が悪かったのかな……」

「ちがう。そうじゃないよ」

 史美菜は簡単に、最近の百夏の事を話した。もちろん、近親相姦の事や魔法事典の話しはしない。

 しかし史美菜はこうしている場合で無い事に気付いた。

 魔法の効果を中和しなければならない。

 もしかしたら、このままでは二人共死んでしまうかもしれない。

 暫くすると百夏の両親が来たので、史美菜は簡単な状況説明だけすると病院から駆け出した。

「ちょ、おい」

 孝樹は急に走り出した史美菜の背中を、呆然と眺めていた。

 追いかける資格が自分には無い事を悟っていた。







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