23・光明への溜息
――もう嫌だ。どうして。あんな遊びひとつでどうしてこうなるの?
だいたい、あたしは何もやってないのに、ただ二人に協力してあそこに立っていただけなのにどうして? どうしてあたしの親が離婚するの?
あの魔法事典はホンモノなの? だから反作用が働いて呪いがかかってしまうの? だいたい桜木夙って何者なの?
とにかく納得できない事ばかりで、史美菜は混乱した。頭の中に美加と百夏の変わり果てた姿と、自分の家の風景がぐるぐる廻る。
しかしヒステリックに混乱しても、周囲の状況は変わらないし紛れも無い事実なのだ。
放課後、自転車を押して校門を出た。ペダルを踏み込む気力が出ない。
とぼとぼ歩いて何時もの通りを歩く。
気に留めた事のもないブロック塀のささくれた灰色が、妙に気持ちを沈ませる。
コンビ二に集まっている南原と興南の生徒が見える。
何事も無く、みんな幸せそうだ。
なんの悩みも無く、ただ何となく日々を生きる若者……自分もその一人だったはずなのに、いつの間にかそうではなくなった。
美加も百夏も、もう三人で一緒に遊ぶ事は無いような気がした。
何か打開策はないのだろうか?
もし自分が魔法陣を使って、美加の健康を願ったらどうなるのだろう。
そんな願いでも、やっぱり反作用の呪いがかかるのだろうか?
史美菜は誰もいない家の玄関を開けた。
母親はいないと決まっているから、もう何も考えなくていい。
今度はどこどこの会の旅行かとか、あのオバサン連中と出かかけたのかとか、今夜は自分が夕飯の仕度をした方がいいのか、三人分作っておいた方がいいのか……そんな全てを何も考える必要が無くなった。
しかし、決まりきった不在は史美菜の心に微かな風穴を開けた。
何時もいないのだから平気だと思っていたのに……
親がいなくても、何も感じない年齢に達したと思っていたのに……
しかし、そうではない。
家族が減ったという事実に、空虚な想いが沸き起こるのだ。
史美菜は階段を上って自室へ入ると、制服をベッドの上に脱ぎ捨てて着替えた。
机の前に腰掛けると、ぶ厚い事典が目に入る。
深い溜息と共にそれを手にとって、パラパラと捲った。
古木のような、干草のような奇妙な臭いに混じって、甘い香りが漂う。
彼女が探しているのは、魔法の効力を無くす方法だった。
しかし、自殺した彼女は戻っては来ないだろう。となると、もしそんな呪文があったとしても、美加に課せられた反作用の呪いは解けない。
でも、何でもいいから試してみたい。
美加や百夏に降りかかっている出来事が、ただの偶然だとしても……何もせずにはいられないのだ。
項目に対して説明や解説、心構えなどの文章が多すぎる。
それは「魔法の垂直構成」とか「水平構成」などと謳われていた。
呪文の数はそう多くは無いのに、どうしてこう長々と綴る必要があるのか?
簡単に(注)って書いてくれればいいのに……
しかし、史美菜は一ページを丸々読んでみて解った。
『反作用は必ず起きる。叶った事柄が完成した直後から一生にかけて……その覚悟をもって魔術を執行しなくてはならない……何人もそれを逃れる事はできない……』
――やっぱり……ちゃんと注意事項が書いてある。
それは、解説の最後の方に書いてあった。
取り返しはつかないのだろうか?
過ちを取り戻すには?
史美菜は目を皿のようにしてページの上に視線を滑らせる。
――ないの? 一度使ったら、もうダメなの?
最後の項。
あとがきにあたる文字は、小さくて読みずらかった。
『黄泉の力に願いし魂を清める事が在るとすれば、白の魂を呼び起こせ。すべはティファレントの導きの元に……』
意味が解らない……
コレはつまり、白とは白魔術なのだろうか? じゃあ、これはやはり黒魔術を使った魔法事典? でも、天使の入る場所がティファレントなら、どうして呪文に出てくるのだろう?
史美菜にはまったく理解できない。ただ、魔術を使ってしまった『魂』を清められる事は出来るようだ。
その方法が解らない。
ふと部屋の暗さに気付いた。机の電気スタンドで照らした外は、ほの暗さに包まれている。
史美菜は立ち上がって部屋の電気を点ける。明かりが灯った瞬間に、窓ガラスには部屋の全てが映っていた。
まるで、ガラスの向こうにもうひとつ世界があるようで、彼女は思わず自分に向って手を動かしてみる。
ガラスの向こうの自分は動かないのでは……自分と違う動きをするのではと思ったのだ。
しかしそんな事は無く、ガラスに映った史美菜は、紛れも無く中津川史美菜自身だった。
史美菜は入れてからずいぶん時間が経ち冷たくなった紅茶を口にする。そして、ページを捲り文字を丁寧に辿る。
あった。コレかも。
『処女の誠実な血をもって、魂を清めよ』
だ、だめジャン……
落胆した。
自分もそうだが、誰かに協力を願うとしても、実際思い当たらないのだ。
ウチのクラスにいないじゃん……
史美菜はページの端を指で摘んでヒラヒラさせると、深く溜息をついた。
それは希望の入り口に立ったのに出口が見えないような、安堵ともどかしさが交錯する溜息だった。




