21・静かなる我が家
国道を渡る何時もの横断歩道まで来ると、自転車を漕ぐ黒い影が見えた。ほぼ同時に横断歩道の袂に着く。
「あっ」
「あれ? 何処か行って来たんですか?」
山下だった。
「うん、ちょっと」
史美菜は話しながら髪の毛に手グシを入れる。前髪は横分けでピン止めしているので大丈夫だが、他は風を受けてもしゃくしゃになっていた。
「この前より遅くない?」
「ええ。友達とムラケイに寄ってました」
ムラケイとは、学校近くにある文房具屋兼駄菓子屋で、運動部などの連中にはたまり場に持ってこいの場所だ。
もちろん、こういったレトロな店は、この辺りでも珍しくなった。すぐ近くに高校が二つも並ぶ立地は好条件なのだろう。
信号が青に変わると、二人はどちらとも無く自転車を走らせる。
横断歩道を渡る間、史美菜は考えていた。
訊こうか、訊くまいか……口を開いた。
「ねえ、白魔術って、効目あった?」
史美菜は出来るだけさり気なく切り出すが、山下の視線は意外なものを見るようだった。
「どうですかね」
彼は曖昧に笑ってみせる。
「興味あります?」
史美菜は予想外の返しに、ちょっと戸惑う。
「べ、別にないけど……」
「黒魔術やってみます?」
「どうせやるなら、白魔術がいいなぁ」
しまった。何だか余計な事言ったかも。
「でもさ、ま、魔術事典て、本当にあるのかね」
取り繕うと思って、再び余計なことが口から出る。
山下がチラリと見た。
「俺、兄ちゃんから聞いたんですけど……昔、幼稚園の裏の雑木林で子供が行方不明になったらしいんですけど、その雑木林が魔女の森って言われたらしいんです」
史美菜が通っていた幼稚園の事だ。
そう言えば、山下の兄は自分のひとつ上と聞いていたから、あの神隠し事件の年にあの幼稚園に通っていたのだ。
山下は濃い眉を寄せて笑うと
「まあ、事典には関係ないでしょうけど」
少しだけ会話が途切れている間に、史美菜が曲がる通りへ来ていた。
史美菜はそのまま手を振る準備をしたが
「ねえ、白魔術って、呪いから救える?」
別の言葉が口から飛び出した。
「呪いって、なんすか?」
山下が自転車を止めた。
「いや、何でもない」
史美菜は笑って「じゃあね」と言って手を振った。
山下はキツネにでも摘まれたような顔のまま「はあ」と言ってとりあえず小さな会釈をよこした。
史美菜が家に着くと、明かりは点いていなかった。
「またお母さん出かけてるんだ」
思わず呟いてカバンから玄関の鍵を取り出した。
鍵を差し込んでシリンダーを廻すと、微かな回転負荷と同時にカチャリと軽やかな音がする。
訊き慣れた音だ。
そう言えば、最近母親の顔を見かけない。何日前からだろうか。何とか会の旅行はもう終わったと思うし、何か新しい習い事?
史美菜は慣れた光景に、たいした思案を巡らせないまま部屋へ戻る。
カバンを置いて、史美菜はふと思った。
美加が原因不明の重病なら、モモちゃんはどうなのだろう……何千万というお金が手に入った事に対する反作用がちょっとチャラくなっただけ?
髪を染めネイルを着け、最近スカートも以前より若干短い。
なにやら今まで付き合いのなかった連中とショッピングモールを徘徊しているらしい。
それだけ? それが反作用によるモモちゃんに課せられた呪いなのだろうか?
それとも、もともとモモちゃんのお父さんが貸したお金が戻って来ただけだから、たいした願い事ではないのだろうか……
史美菜は昨日と同じように、台所へ下りると、父と二人で食べるであろう夕飯の仕度を始めた。
その夜遅く帰ってきた父は、晩御飯の後のお茶を啜りながら静かに言う。
いかにも切り出すタイミングを計っていたようだが、父と二人で和気藹々とした雰囲気もないので、意を決した感はあった。
「お父さんたち、別れる事になるよ」
お父さんたち? 達ってなに?
史美菜は一瞬混乱して、父の湯飲みに継ぎ足そうと思って湯を満たした急須の動きを止める。
この場でお父さんたちと言うのは、父と母のこと以外は無いだろう。
「お母さんと?」
史美菜の問い掛けに、父親は「ああ」と小さく頷いて、やはり小さい声で「すまんな」と言った。




