19・高台
その後、山下と別れるまで何を話したのか覚えていなかった。別れ道で手を振った事は覚えている。
彼の心配そうな笑みも。
汐泊が自分に近づいたのは全て百夏に近づく為? より確実に親しくなる為に周囲から攻め込む……
山下が囁いた声が、古いラジオの雑音のようにザラザラと頭の中を駆け巡る。
机の上に置いた魔法事典を手に取った。
パラパラと開く。
恋を実らせる呪文と、恋敵を消滅させる呪文が載っていた。
……消滅?
史美菜は頭を振って、事典を閉じる。
どっちにしても、最低三人で魔法陣を囲まなければだめだ。美加や百夏意外にこんなバカらしい遊びに付き合ってくれそうな連中はいないだろう。
その時携帯電話が鳴った。
『あ、先輩ですか?』
「ああ、山下くん……」
そういえば……別れ際携帯番号を訊かれて教えたのだ。どうして久しぶりに話した後輩なんかに簡単に教えたのだろう。
たぶん……電話が欲しかったのだ。
汐泊の意図的な行動が発覚し、そして美加も百夏も今は話し相手にならない。だから、他の誰かの声を求めていたのだろう。
弱音か愚痴か気晴らしか。とにかく誰かと話しがしたかったのかもしれない。
『大丈夫ですか?』
「え? 何が?」
『……だいぶ落ち込んでそうだったから……』
「そんな事ないよ。別にまだ付き合ってたわけじゃないんだし」
『そうですか。少し安心しました。余計な事言ってしまった気がして』
山下は短い沈黙の後に、囁くように言う『魔術でも使いますか?』
史美菜は自分の耳を疑った。
どうして彼から『魔術』などと言う言葉が出るのか?
「な、なにそれ?」
『魔術で呪ってみましょうか?』
「なにバカな事言ってるの?」
自分を慰める為におどけて冗談を言っているに違いない。
『俺……白魔術にハマってた事あるんです』
「白魔術?」
『はい。人を呪うのが黒魔術で、人を幸せに導くのが白魔術です。だから、裏を返せば黒魔術の事も直ぐに解ると思います』
山下の声は真剣だった。
「もしかして、事典とか持ってる?」
バカバカしい……つい言ってしまった。
『知ってるんですか? 事典の事』
「はぁ?」
『魔術事典が存在するっていう噂を前に聞いたことがあって、ネットでも一時期かなり情報が流れてましたよ』
「そ、そう……」
そんなバカな……
持ってるなんて言えるわけが無い。それに、彼の言ってるのは『魔術事典』、美加に貸してもらったのは『魔法事典』だ。
似てるけど違う。
史美菜は自分の中で、そう決め付ける。頭に浮かんだ六芒星を慌ててかき消す。
桜木夙の陶器のような顔が蘇えった。作用と反作用……
「冗談でしょ?」
『ええ、まあ……』
山下は電話の向こうでクスリと笑う。
その後、二人は取り留めの無い話をして電話を切った。
何度か頬を揺らして笑った。
張り詰めた鬱な思いは何処かへいっていた。
別になんとも思っていないタダの後輩のはずなのに、異性との会話は何故か心癒される思いだった。
今日も母は何処かへ行っていない。
史美菜は今晩の夕飯はどうするのか? などと考えながら、ベッドにゴロリと横たわった。
翌日史美菜は学校が終わると美加が入院している病院へ向った。
もう汐泊孝樹と会う気は起こらない。
念のため百夏を誘ってみたが、やっぱりつれない返事が返ってきた。
「ええっ、美加もそのうち退院するでしょ。今日はユカリたちと買物行くから……」
彼女はとりあえずといった笑顔を史美菜に見せて、放課後の教室を出て行った。
通学の時に何時も渡る国道を道に沿って南に向かう。
凪いだ風が、汐の匂いを運んでくる。
線路を越える為の高架を上る為、史美菜は立ち漕ぎをした。久しぶりだった。
しかし、半分上った所で諦めて自転車を降りる。
そろそろと自転車を押して歩く彼女の脇を、体力のある興南高校の男子生徒が二人通り過ぎて行った。
なんか、面倒くさい……
史美菜はどんどん先に行く男子生徒の背中を見ながらそう思ったが、とりあえず足は止めなかった。
高架橋のテッペンに来た時、港側の街が一望できた。霞んだ海に小さな船が見える。この距離で見えるという事は、実際は大型タンカーか貨物船だろう。
線路の向こうには行った事の無いコンビ二が見える。その向こうに小さな公園。
振り返ると連なる民家の先に興南高校の校舎と、その向こうに南原女子高も見える。
興南の野球グラウンドだろうか、高いバックネットには『KYONAN HIGH SCHOOL』と大文字が掲げられていた。
あんなの着いてたんだ……
ふと風が気持ちよく感じた。
揺れる髪の毛が頬にかかって、その隙間から史美菜は少しの間見慣れない景色を眺めた。




