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17・魔女の森

 見上げる空には薄っすらと雲が浮かんで、照りつける陽差を妨げるような少し強い風が電線を揺らしている。

 時折吹く狂ったような突風は、電線をビュービューと唸らせた。

 史美菜は学校から帰ると、ジーンズに着替えて再び外へ出る。

 彼女が住む住宅街を出て、三年ほど前に整備されて広くなった大通りを高校とは反対に向って走る。

 向かい風が空気の壁となって行く手を阻んでいるような気がした。

 路地を曲がると、小さな住宅街の向こうに小高い丘が見える。

 山というほどの大きさではなく、高台と言うには黒々と木が生い茂っている。

 古い家屋の並んだ住宅街を抜けてしばらく行くと古くからある幼稚園が在って、史美菜は幼少の頃そこへ通っていた。

 どうして急に彼女がこの場所へ来たのかというと、その幼稚園の裏側からは杉とクヌギが鬱蒼と茂る雑木林が小高い丘に向って続いているのだ。

 彼女が幼稚園の頃、その雑木林は魔女の森と言われていた。

 草木が生い茂るそこは、どんなに天気がよくても日光を遮断して暗く蔭っていた。

 園長先生や担任からも、林の中には入らないようにと厳しく言われていた。

 史美菜が入園する前年に、一人の園児がその林の中で行方不明になっているらしい。

 そんな事を言われても、園児の好奇心は抑えられなかった。

 ある日、史美菜は当時の友人二人と共に、三人で雑木林の中に足を踏み入れる。

 夏の終わりだったが、太陽が激しく照りつけるようなよく晴れた暑い日だった。それなのに魔女の森は暗く、足元はジメジメと湿ってひんやりとしていた。

 木々の隙間は低い雑草で覆いつくされていたが、細い一本道が暗闇に続いていて、何日か前に雨が降ったせいか所々に小さな水溜りが残って枯葉が沈んでいる。

「ねえフミ、やっぱりやめよう」

「キョウちゃん怖いの?」

「うん。怖いよ」

「平気だよ。魔女なんているわけないじゃん」

 黒く湿った土を踏みしめて林の中を歩く。プリキュアのキャラが描かれたスニーカーの靴底から、土の冷たさが全身に染み渡る。

 まだ十メートルほどしか進んでいないのに、既に見知らぬ世界に包まれた。振り返ると、木々の向こうはやたら遠く見えて白い光で輝いている。

 右も左も黒々と茂った雑木で覆われていた。木々の間と低い雑草で向こうが見えそうなのに何も見えない。フミたちの背丈が低いせいもある。

 見上げると、高々と茂った杉の重なる枝の隙間から、僅かに空が見える。

 それは、遥か彼方に見えた。

 三人の足取りはあっと言う間に重くなって、前に進む事を拒んだ。

 光を遮るその先は、暗黒の見知らぬ世界に続いている。三人は足を踏み出せなかった。

 バサバサッと、鳥が羽ばたいて木々を揺らした。

 三人は思わず手を握り合って身を寄せ合う。

「カァ」という鳴き声。

「か、カラスだよ」

 史美菜は頬を引き攣らせて無理に笑う。

「カラスって、悪魔の使いなんだよ」

 今日子が不安げに眉を潜めた。

「何それ、知らないよ」

「フミ、オーメン知らないの?」

「おー麺? 何それ? 中華?」

 史美菜は冗談を言ったつもりだったが、誰も笑わなかった。

 三人は知らないうちに後ずさりしている。

 背中から太陽の光を感じた。

ぽかぽかした暖かな陽差が、無性に懐かしい。もう林の出口はすぐ後に在る。

 前方に見えるのは、ただ黒々と生い茂る木々とジメジメした冷たい世界。

 三人は振り返って太陽の光を見ると、一斉にそれに向って走り出した。

 あっと言う間に林を出ると、幼稚園の敷地に逃げ込む。園内の裏側には仕切りや柵は無いのだ。

「絶対なにかいるよ」

「いないよ。何かってなによ」

「魔女だよ」

「いないよ」

「フミだって走って逃げてきたじゃん」

「みんなが走るからだよ」

 しかし、史美菜の背中にも何だか知らないゾクゾクとした悪寒が走ったのは確かだった。

 そして、何か変な臭いがした。

 木々の臭いとは違う、湿った何かの臭いだった。それが何かは解らない。



 史美菜は幼稚園の園門の前で遠くを見つめる。

 白とオレンジで塗られた園舎の外壁は、最近塗り替えたらしい。その向こうには、今も残る雑木林が変わらず小高い丘に続いていた。

 園門の前の通りは昔と違ってきれいに舗装され、道幅も広くなっている。

 史美菜はその通りに沿って自転車を走らせた。

 魔女の森の終わりはどうなっているのだろうか。

 当時、森の中を想像したりはしたけれど、終わりがどうなっているか考えなかった。

 丘の向こうには何が在るのだろう。

 魔女の森を左手に見ながら暫く走ると、右手に小学校が見える。

 ここは史美菜の通った学校ではない。隣の学区の小学校だ。

 そこで彼女はふと気付く。

 この小学校は美加が通っていた学校だ。小さな住宅街は途切れて、田畑に囲まれている。

 ……と言う事は、もしかして。

 思ったとおり、もう暫く行くと何処かで見た瓦屋根の姿が見える。そして隣接した蔵の屋根。魔法陣を囲んだ蔵の屋根。

 そこは美加の家の裏側だった。

 左手に見える丘は、一番高い位置に来ている。

 そしてちょうど美加の家の裏側からほんの数メートル先の位置に、神社の鳥居が見えた。

 史美菜は自転車を止めて鳥居の向こう側を覗く。

 両側が雑木で覆われた灰色の細い石段が、上に向って続いていた。

 古びた階段の石の継ぎ目は凸凹して空間をひずませて、その頂上にはもうひとつ鳥居が在るのが解る。

 ……神社が在ったんだ。

 史美菜は丘の裏側を見る。

 神社が在るらしいその向こう側は、切り崩されて住宅街になっていた。といっても、まだ分譲中らしく、ぽつりぽつりと綺麗な家が並んでいる。

 遠くでカラスの鳴き声が聞こえた。

 丘の上の雑木林の中だろうか。神社の敷地からだろうか。

 そう高くはない細い石段を見上げると、ほの暗いその向こうには仙人でも住んでいそうだ。

 魔女の森に仙人……史美菜は思わず自分の妄想におかしくなって独りで吹き出した。

 しかし、いかにも人以外の何者かが潜んでいても不思議はないほど、そこはアヤシイ闇に包まれてひっそりと佇んでいる。

 ゴッと風が巻き起こった。

 史美菜は煽られる自転車を慌てて掴む。髪の毛が一方方向に強く引っ張られた。

 突風が収まると、彼女は一度降りた自転車に再び乗り、そのまま来た道を戻って行った。





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