表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蔵島翠のX-ファイル  作者: 初壱 始
7/8

吸血鬼


4章 吸血鬼


なぜ自分が異能者と戦うのか?

千鳥の探偵事務所は時葉町の中でもかなり外れの方にあったらしく慣れない道を進みながら清司は千鳥に言われたことを考えていた。

なぜ自分から異能者に関わろうとするのか?

初めて吸血鬼の力を使ったのは暴力チームの六花と戦った時だった。

以前から地元のニュースなどで取り上げられて来たチームの団員と肩がぶつかっただけでいざこざになり清司はあっというまに六花のアジトであろう他に人気の無い廃工場へと引っ張られていった。

六花メンバー数十人に囲まれた清司は適当にたこ殴りにされてさっさと帰ろうかと思っていたのだが、今にもリンチが始まろうかというその時、一人の六花メンバーの茶髪男が待ったをかけた。

殺気立っていた男達を一声でピタリと止めた辺りこの茶髪男はどうやらリーダーのようだ。

その男はリンチではなく清司との一対一のタイマンをやるといい始める。清司の承諾など一切聞くことなく男は上着のポケットからあるものを取り出す。

ナイフやメリケンサックなどの凶器類ではなく、赤い液体が入った透明の小瓶だった。瓶の中央には蝙蝠の彫刻が彫られてあった。

その男がトランスした時は清司も驚いたが、蝙蝠のような姿に変身した茶髪男は清司ではなく周りの六花メンバーを襲いだす。

魔力を上手く扱えずに暴走していたのだ。

皆殺しにされるのを防ぐべく仕方なく清司もトランスして戦闘に入る。

コウモリ男を殴る度に拳から伝わる感触、相手の爪が頬を掠める緊張感。それは人生で

清司が今まで味わった事の無い緊張感だった。

 夜の吸血鬼の圧倒的な力でコウモリ男を倒し、牙で魔力を吸収してトランスが解けた茶髪男の体はほぼ無傷の状態だったのを確認すると清司は安堵すると同時に自分の体の内に新たな力が宿ったのを感じた。

それが使い魔の蝙蝠を使っての広域の捜索、追跡能力だということを吸血鬼の本能で即座に理解する。

床に転がる瓶を見て清司は言う。

「これを使って異能で悪さする奴が他にもいるかもしれない」

 新しい力で広域を調査できるようになった自分がそいつらを止めなければ。

清司は六花のメンバーが気絶し倒れている中、一人戦う決意をする。

その時、大義名分を手に入れた自分の顔が喜びで打ち震え笑っていることにも気付かずに。

「そうか、あの時の俺は……笑ってたのか」

千鳥の探偵事務所から帰宅した清司は昇った朝日を窓越しに浴びながら呟いて、一睡もしないまま学校へいくために制服に着替えたのだった。

 その日の学校生活は江田と柴田が学校を休み、メンバーを半分欠いたT4が大人しかったこと以外いつもとなんら変わらない平和な授業が続き、あっという間に昼休みの時刻になった。

昼休み開始にと共に清司は隣のC組の様子を確認した後、急いで学校の下駄箱へと走って向かう。

そのまま待つこと2分、清司の予想通りその人物は早退するために下駄箱に現れる。

「よう。サボりか小森?」

「上月君……」

 さっさと自分の下駄箱を開けて帰ろうとする小森の背後から声をかけると靴を履き替えていた手がぴたりと止まった。

「気分が悪いんだ。保健の先生の許可も取ったからサボりじゃないよ」

 清司の方を振り向きもせずに小森は苦笑し、止めていた手を再び動かし始める。

「その気分の悪さってのはひょっとして今日、江田と柴田が休んでる事に何か関係あるのか?」

 そう問いかけてようやく靴を履き替え終わった小森が下駄箱を閉めて振り向く。顔は笑っているものの目は虚ろだった。

「言っている意味がよく解らないな」

 小森は昨夜、江田と柴田が蔵島の治癒を受けた事をまだ知らない。当然2人は未だに重傷を負っているものだと考えていた。

だが今日学校で全校集会もHRでの注意呼びかけも何もなかった事で小森は襲われた2人が何らかの形で助かっている事を確信するのだった。

「江田と柴田を探しに行くなら苦労すると思うぞ。郷田が電話も繋がらないってイラついてるのをさっき階段で見かけたからな」

「だから言っている意味が解らないよ上月君。なんで僕がいじめられてる江田と柴田に自分から会いに行くのさ?」

「……なぁ小森。もしも、もしもさ、江田達にいじめられてたお前がある日突然強力な力を手に入れたとしてお前ならその力をどう使う?」

 自分が考えている答えとは違う返答を心の中で求めながら清司は問いかけた。小森はそれにうっすらと笑って答える。

「復讐するに決まっているだろう。もしも、そんな力が僕に与えられればだけどね」

「そんなの間違ってると思わないか!?」

 少しも考えることなく、偽りのない本心を吐く小森に清司は眉間に皺を寄せて食い下がった。

そんな清司の様子に心底うんざりするようにため息を吐く小森。

「他人に興味が無い者ほど他人に対して厳しく、正論を吐いて正義に浸ろうとする」

「俺は別に……そんなつもりじゃ……」

 自分の正義に浸りたいだけ。

早朝千鳥に叱責された事と重なり清司が少し言いよどむ。

「ねぇ上月君。いじめが発覚したクラスの担任が自分の生徒達に向けて高確率で言う台詞って何だか知ってるかい?」

「……いや」

 そう答えるのが解っていたかのように小森は小さく頷いて問いかけの答えを口にした。「正解はね、いじめを知りながら黙っていた者もいじめた人間と同罪だと言うんだよ。笑えるだろう?」

「笑えねーよ別に。お前もそう思ってるのか」

「いじめを告発すれば次は自分が標的にされるから黙っていようと思うのは当然の事だと思うし、むしろ僕は担任でありながらいじめを把握できていない教師側にも責任があると思っているくらいだ」

「小森……何が言いたいんだ?」   

「つまりいじめっていうのは加害者と被害者以外の第三者にとっても迷惑をかける最悪な物で、それを生み出すゴミのような人間は排除された方がいいって事さ」

昨日とはまるで別人のように冷酷な台詞を吐く小森に、清司は少したじろぐ。そんな様子を見て小森は茶化すように鼻で笑う。

「もしもの話で怖い顔しすぎだよ上月君。もしも僕にそんな力が宿ったら復讐するというだけで実際僕には何の力も無い、惨めな人間のままなのだから」

 顔を下に向け、小森は外へと歩き出す。その背中に清司が再び問いかける。

「お前は惨めなんかじゃねーよ! 復讐以外にだってお前の気持ちを晴らすものがきっと何かあるさ!」

「きっと? 何か? 僕に曖昧な同情をかけるんじゃないっ!!」

 腹の底から怒りの声を叫んだ小森は歩みを止めることはなかった。清司もその背中にもはや何と声をかけていいのか解らずにただ呆然とその場に立ち尽くして離れていく小森を見ながら自分の拳を強く握り、自分の無力を呪った。 


教室に戻り昼食を取ろうと自分の席についた清司を隣の席で待ってましたといわんばかりに蔵島が唐突に話を始める。

「無茶ぶりだと思うよね!?」

「蔵島……近い」

異性に鼻息が当たるくらい顔を近づけられても清司は全く動じなかった。

「……お前も黙ってりゃそこそこ……そこそこ……うーん」

「そこは嘘でも可愛いって言ってよ!」

 顔を近づけても赤面一つせず眉根を潜めて必死に相手の顔から可愛い箇所を探そうとする清司の態度に涙目になって蔵島は叫び、拗ねるように隣にある自分の席に着く。

「っていうか私が可愛いなんて本当の事は今どうでもいいんだよ! バイトの話だよバイトの!」

あくまで自分の顔が美しいという事は譲りたくないのか駄々っ子のように机を拳で打ち付ける蔵島の様子を見て清司は哀れみの視線を送りつつ嘆息する。

「酷いと思わない? 何が『次に狙われそうな奴に張り付いて警護しろ』よっ!?」

 一人で勝手にヒートアップしていく蔵島の話をちゃんと聞いているのかいないのか、清司はただ両目を瞑って首を上下に振るだけだった。

「大体私、位置的には聖職者のはしくれで預言者じゃないんだし犯人だって無差別に襲ってるかも知れないんだから次に狙われる人なんて解る訳無いじゃんか。所長のくせにいっつも千歳さんはそこらへん――」

「蔵島……蔵島!」

「ん、どしたの清司君。今からいいとこなんだけど」

 しばらくしてこれは長くなるなと察した清司が勢い付いてきた蔵島を両手で制する。

「要点だけ頼む」

「あ、ごめんね私ったら。かいつまんで言うと清司君に私の護衛任務を手伝ってもらえないかなーってお願いしようと思ってたんだけど」

「そうか、断る」

「ちょちょちょっと待ってよ!」

 さっと答えて鞄から昼食の弁当を取り出す清司を今度は蔵島が焦りながら両手を前に出して止めた。

「なんだよ?」

 早く食わせろと言わんばかりにうざったそうな顔で言う清司。

「もうちょっと考えてくれてもいいんじゃない? ギャラも出るよ? 人命も助けられるよ?」

「人命の方が後にくるのかよ……」

「も、もちろん人命第一だよ」

 つっこみに蔵島は慌ててフォローを入れる。

「お願い清司君。千歳さんに失敗したら今月の給料無しって言われちゃったんだよ。どうか私を助けると思って!」

「その千歳さんに昨日『お前はもう戦うな』って言われちゃったんだけどな俺」

 不機嫌そうに吐き捨てながら弁当の蓋を開け、割り箸を口にくわえて割る。力が入りすぎたのか上手く割れずに左右不対称の不細工な箸が出来てしまった。

「そうじゃないよ。千鳥さんは中途半端な意志で戦うなって言ったんだよ」

「同じこったろ……美味い」

空腹に耐えかねて口にした今朝自分が作った卵焼きを自画自賛する清司。もう一つの卵焼きを一口で平らげると清司は持っていた不細工な箸を置いて言った。

「昨日あの女が俺に言ってた事だけどな、正直図星だったんだ。俺は人の為に戦っていた〝つもり〟だったんだよ。実際には吸血鬼の力を思い切り使える異能者との戦いを心のどこかで楽しんでた……ヒーロー気取って気持ちよかったんだ」

「……清司君」

「軽蔑してもいいぜ。俺も昨日帰ってから自分を軽蔑しまくって反省したからな」

 視線を弁当箱に入ったおかずに向けたまま清司はどこか悲しげに呟く。 「中二すぎ」

「げっふ!?」

 予想外の反応に思わずむせる。ここまでシリアスな台詞への返事がまさかたった一言馬鹿にするようなものだとは思っていなかったからだ。

 ペットボトルのお茶を飲んで息を整える清司をじとりと睨んだまま蔵島は続けた。

「そうやって落ち込んでる俺かっこいいとかって思ってない?」

「んなぁにぃ!?」

「反省するっていうことは自分を卑下することじゃない。間違いを正面から見つめてどうすれば良くなるかを自分や周りの人を頼って考えながら答えを出す事なんだよ」

「むっ……」

 めずらしく正論を言う蔵島に清司は気後れしてしまう。

「蜘蛛怪人の件だって清司君は自分から首突っ込んだんでしょう? めんどくさくなったから後始末は私達に押し付けるの?」

 そう言いながら再度蔵島は距離を詰めてくる。真剣な表情に今度は容姿を馬鹿にする気は起きなかった。

「清司君がやってきたことはごっこ遊びなんかじゃない。いっぱい体に傷をつけて痛い思いしたってそれでも異能者に向かっていけたのはきっと心の底に強い思いがあったからだよ」

 笑顔で開いた右手を差し出して蔵島が言う。

「確かに清司君は戦闘を楽しんでたかもしれない。でも、誰かを助けたかったっていう気持ちもきっと嘘じゃないよ……だからそれを証明しに行こう」 「どうやって……?」と、伸ばされた手から逃げるように体を反らす清司。

「助けるの。これから襲われる人の命を……絶対守るって強い意志をもって」

「強い……意志」

 しばらく考え込み、それでも清司は首を縦には振らなかった。

「やっぱり無理だ。だって今まで俺は一人もしっかり助けきれた事がないんだ」

「とうっ!」

「ごへあっ!?」

 突き出されたままの右手を更に体ごと伸ばし、勢いをつけて清司の腹に手刀がきまる。

「だから私も協力するって言ってるの! 清司君一人じゃ出来なくても私と2人ならきっとやれるよ!!」

 蔵島の叱咤に手刀を喰らって腹を抱えていた清司も負けじと反論する。

 騒ぎまくっているおかげでクラス中の視線が2人に集中していたが、当の本人達は気付いていないようだった。

「へっ、お前が使えるのって回復と結界くらいだろ? お前なんか一緒にいたって足手まといなんだよ!」

「あたしだってちゃんと戦えるんだからね!? 結界だって使い方しだいで攻撃方法になりえるんだから」

「そのわりに俺と会った時、お前の上司は早々にお前を後ろに下げてたな」

「むっきぃーっ! だったら今度怪人が出た時に見せてあげるよ。私のキュートで可愛い活躍を存分にその眼に焼き付ける事だね!」

「戦闘で可愛いトコ見せてどうする……」

 半ばヤケクソ気味のテンションに半目でつっこみを入れるが蔵島には聞こえていないようだった。

「うるさーい! とにかく放課後は私と一緒に行動してもらうからね!」

「ああもう解ったよ。解ったから早く弁当食わせてくれ」

「本当? 約束だからね!」

結局自身の空腹に耐えかねたのと、隣でこうも騒音を垂れ流されては有意義に昼休みを堪能できないと判断した清司は蔵島の強引な誘いを投げやりに承服してしまったのであった。後ろの席に座っていた女生徒2人が少し前からこちらを見ながら何か勘繰る様にひそひそ話をはじめていた事には気が付いていたがいちいち相手をするのも馬鹿らしいと思い、無視して弁当にがっついて胃に収め、買っておいたペットボトルのお茶を一口飲んで腹を摩っていると隣の蔵島から親父臭いと馬鹿にされる清司であった。

デザートの菓子パンに手を伸そうとしたところで昼休みの終了を告げるチャイムがなりすぐさま5限目の世界史の教師が教室の戸を開けて入ってきたのでデザートは泣く泣く断念することとなった。

普段は時間が過ぎるのが遅く感じる学校の授業も不思議な事にその日はあっという間に帰りのHRまで終わったように感じるのは、きっと授業より嫌な用事が後に控えていたからだろうと考えながら清司は苛立たしげに放課後の校門前に立つ。

まだ遅い時間ではないが外はもう暗くなり始めていた。

 蔵島を待つ間に清司は鞄から風邪防止用の白いマスクを口に着用を完了させる。 「や、待った?」

「待ってない。てか何で同じクラスなのに一緒に来ないんだよ」

 帰りのHRが終わった後、清司は蔵島に先に校門で待っているように言われていた。そのまま逃げようとも考えていたが逃げたら時葉町の吸血鬼の正体を学校中にばらすと蔵島に脅されたので渋々従い今に至る。

「解ってないなぁ清司君。そこは『俺も今来たとこ』って答えるところだよ」

「出来立てカップルか!」

「うーん、残念だけど清司君は私の好みじゃないかなぁ」

(こ、殺してぇ……!)

 無邪気な笑顔で失礼な事を言う蔵島に決して弱くはない殺意を覚えながらも話を進ませるため奥歯をかみ締めながら堪える清司。

「遅れたのはね……私のロッカーからこれを取り出してたの」

 そう言って蔵島は鞄からある物を取り出して見せた。

それを見た瞬間、清司の顔は緊張で引きつり額からは大量の冷や汗があふれ出す。わなわなと出されたものを指差しながら裏返った声でその物体の名前は口に出された。 「銀……銃……?」

グリップ、引き金、ハンマーにいたるまで全てが銀色に塗装された6発装填式リボルバーをさも当たり前のような顔で蔵島は手にしていたのだ。

「弾ももちろん銀で出来てるよ」

「銀の弾丸……」

 嬉しそうに言う蔵島とは対照的に顔からみるみる血の気が失せていく清司。

ちなみに銀の弾丸は昔から吸血鬼や悪魔に有効とされてきた武器である。

「えへへ! かっこいいでしょ」

「えへへじゃあるか馬鹿たれっ! 吸血鬼の前になんて物出しやがる」

「ぐえっ」

 半分とはいえ父親から吸血鬼の血を半分受け継いでいる清司は当たり前のように銀銃を出した蔵島を怒鳴りつけて頭をはたく。

「だいたいそれ……お前、銃刀法違反だろ」

「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれました」

 叩かれた頭のダメージも気にした様子は無く蔵島は偉そうにふんぞり返る。

「私達国に認められ、更に国に協力する資格を取った異能者は特別に武器の所持、携帯が認められているのさ」

「そ、そうなのか? なんてご都合主義な……」

「やっぱり危険な職業だからねー。いつどこで戦闘が始まるか解らないとっても危険なお仕事だから武器くらいは持ってないとねー」

 にやにやとドヤ顔で自分の銀銃を自慢してくる蔵島を心底うざったいと思いながら、そういえば千鳥も堂々と公園で帯刀していた事を今更思い出す清司。

 いくら危険な職業とはいえ無実の男に全力で剣を振る女に見るからに頭の悪そうな女子にまで武器の携帯を許してしまうこの国が少し心配になった。

「けどいくら国に許可されてるからって学校の敷地内でそんな物騒な物を普通に鞄から出すなよ」

「大丈夫だよ。みんなこんな可愛い子が本物の拳銃なんか持ってるわけ無いって思うからね。せいぜいセーラー服とモデルガンくらいにしか思われないよ」

「どうかな。頭の弱い女がとうとうトチ狂ったと思われる可能性の方が高い気が――」

「……どういう意味かな?」

 顔は笑ったまま蔵島が銃口をこちらに向けてきたので清司は両手を顔の高さまで上げて茶化すのを止めた。

「そっ、そろそろ本題に入るか! えーと、次に襲われそうな奴の護衛だっけ?」

 蔵島がなかなか銃を下ろさないのでわざとらしく話題を変える。

「誰か心当たりはあるのか?」

「うん。たぶんそろそろ来るから私達は隠れるよ」

 そう言って蔵島は校門脇に身を潜める。その横に清司も一緒に並んで身を隠す。

「お、予想時間ぴったりね。護衛対象が来たよ」

 横からひそひそ声で言われたので首だけ動かして蔵島の視線の先を追う。

「まぁそりゃやっぱ……あいつらだよな」

歩いてきたのは2人。昨夜襲われた江田と柴田を除くT4の2人。

小柄で染めた金の長髪三田と大柄でスキンヘッドの郷田だった。

「やっぱりって清司君も予想してたの?」

「ってゆうかあいつらしかいねぇだろ」

三田と郷田の2人が校門を出て少し間をおいてから倉島達は尾行を開始する。 今までいつも一緒に行動していた江田や柴田が得体の知れない何者かに病院送りにされたというのに数メートル先を歩く2人の表情は曇るどころか活き活きとした顔で雑談に花を咲かせながら時葉町の歩道を歩いていく。

そんな三田と郷田を見ながら清司は病院で寝ている江田と柴田を少し不憫に感じた。

「なぁ蔵島。あいつらははたして守るべき人間なのか?」

「……どうしたの突然?」

 流石に仕事で探偵しているだけあって目線は前を歩く2名から外すことなく蔵島が聞き返す。

「友達がやられてへらへらしてるような奴らだぜ。あんな奴ら、危険な目に遭ってまで守る価値あるのか」

「関係ないよ。私は襲われるのがどんな人だって、自分のこの力で守れる人がいるなら絶対に助ける」

「……そっか、強いんだなお前は」

 一部の迷いもなく、一瞬も考えることなく即答した蔵島の姿を見て清司は改めて自分が今までやってきたことが特に信念のない偽善的な行動だったのだと痛感した。

「私からも一ついいかな」

「何だ?」

「清司君。もし前の2人が蜘蛛男に襲われたら、この事件の犯人と戦える?」

 重要な質問だったのだろうか、一度だけ護衛対象から目を逸らして清司の顔を真剣な表情で見つめながら蔵島が尋ねる。

「清司君は次にあの2人が襲われるかもしれないって予測できたんだよね? だったら犯人の正体も予想出来てるんじゃない?」

「ああ……」

 小さく頷く清司。

「サイコメトラーの読み取った記憶の情報では江田君達を襲った時の蜘蛛男はかなりの怒りを2人に爆発させていたそうだよ。もしもその怒りが『不良生徒』に対しての無差別的なものではなく時葉高校の『T4』限定だとしたら」

「さっき早退していったよ。その限定的な奴は」

 あまり言いたくなさそうな顔で清司は自分と蔵島の考えている人物の名前を口にする。「蔵島。お前の言う犯人ってのは小森のことだな」

白いマフラーに自分の口を埋めながら蔵島は小さく頷いた。

「……どう考えてもあいつしかいないよな」

「戦える? 小森君と」

同じ学校のクラスメートと戦えるかという問いに目を閉じて考え込む清司。

正直、小森栄太郎という人物は清司にとって重要な人物ではない。それが証拠に最近まで一緒のクラスだという事にもT4から陰湿ないじめを受けていることにも気付いてはいなかったのだから。

しかし、放課後の廊下で話をした時から小森の人柄を知り、大した理由も無く江田、柴田、三田、郷田の4人から理不尽ないじめを受けている境遇を知ってしまった。

頭の中で小森が犯人かもしれないという考えが浮かんだ時、清司の心は揺れた。

ほんの一瞬だけだが思ってしまったのだ。理不尽に受けた暴力や屈辱を理不尽に返すことの何がいけないのだろうと。

「……解らない」

 自分でも情けないと思うほど弱弱しい声で清司は言った。

今までは何も考えず、自分の正義に酔うために強大な力を手に入れた異能者から人々を守れればよかった。

しかし今回は小森を救えばいいのか、いじめを繰り返し反省もしない三田達を助ければいいのか清司自身解らなくなっていたのだ。

頑として戦う理由のない清司はブレまくる自分の心の弱さに歯噛みした。

「蔵島は即答できたってのに……情けねぇなぁ俺は」

 戦って人を守る明確な理由はないが、蔵島の言う通り一度事件に首を突っ込んだからには責任は取らなければというどこか矛盾した考えが余計に清司の思考を混乱させる。

「蔵島はどうして戦い続けることが出来るんだ?」

「それは――」

 蔵島が回答を口にしようとした時だった。

前を歩く2人が十字路で左右に分かれて別々の道を歩き出したのだ。

「あいつら分かれたな。どうする?」

「私は郷田君を追うから清司君は三田君よろしく! 何かあったら携帯に連絡を――」

 言いかけて蔵島の動きが止まる。

「そういえば清司君は私の番号知らないね」

「その言い方はまるでお前は俺の番号を知ってるみたいだな」

「イグザクトリー。その通りでございます」

「お前の情報網本当に怖い!」

 本来なら赤外線通信などでお互いの情報を交換すればいいだけの話なのだが、今はそんな事をしている余裕は無かった。現に蔵島が追うという合田は横断歩道を渡りきりそのまま建物の影へと姿を消しており、すぐに追いかけなければ見失う危険があったのだ。

「しゃーねぇ……任せろ。使い魔を使う」

そう言って天に手をかざす清司。

「〝バット〟」

清司が短く唱えた後しばらくするとすっかり薄暗くなった時葉町の空から2匹の蝙蝠が飛来し清司の体の回りをぐるぐると飛行した。

「一匹お前に預ける。電話をかけられない様な事態になっても超音波で俺に知らせてくれる」

「キーッ!」

 命令を受けた一匹が清司から離れ、蔵島を見張るようにゆっくりと上昇していく。

「へぇ、便利だね。ところで清司君の方に何かあったら? 私超音波なんて解らないよ」

「その時は俺に付いてる蝙蝠をそっちに飛ばすから。ほら、急がないと郷田を見失うぞ」 そう言って蔵島の背中を押してさっさと後を追うように指示する清司。

「解った。ねぇ清司君」

「何だ?」

「私の能力は確かに戦闘向きじゃない。千歳さんもそれはよく解ってて私に尾行兼護衛任務を任せてる」

「何が言いたいんだ?」

「私の力は弱い。だからいざという時は清司君のその強い力を貸して」

 そう言って蔵島は一歩清司の前に出る。

「君とならやれそうな気がするから……お願いね」

 念押しするように言うと蔵島は信号の色が変わる前に横断歩道を渡り、郷田を追うために走り去っていった。

「さて……と」

 一人になった清司も自分の上空に蝙蝠を飛ばし、三田の追跡を開始する。出来れば自分の方にアタリが出るように祈りながら。

郷田と別れた三田は帰り道の途中にあるコンビニに立ち寄り、菓子パンと漫画雑誌を購入、そのまま近くにある狭い公園のベンチに腰掛けてアンパンを頬張りながら巻頭のグラビアに目を通し始めた。

 薄暗くなったとはいえまだ公園の砂場では複数の子供達が遊んでおり、その母親達と思しき人物も立ち話を楽しんでいる。

いくら三田が今一人とはいえこれだけ人目があるのでは蜘蛛男は襲ってこれないだろうと少しがっかりする清司だった。

やがてセンターページのグラビアも堪能した三田は立ち上がって雑誌を鞄にしまい菓子パンの空き袋をベンチに置いたまま再び歩きだした。

「あの野郎……すぐそこにゴミ箱あるってのに」

 ベンチに置き去りにされたコンビニのビニール袋にまとめて入れられたゴミを清司は三田に気付かれぬようそっと持ち上げ近くに置かれたダストボックスに投げ入れた。

「これは……」

再び三田の後を尾行を開始しようとした清司だが、公園内のある違和感に気付き足を止める。

つい先程まで砂場で遊んでいた子供達やブランコの近くで立ち話をしていた母親達の気配がない。

公園内だけではない。辺り一面まるで人っ子一人存在していないかのように静まり返っていた。

清司はこの異様な雰囲気を以前も体験した事があったので口に着用したマスクに手をかけて身構えた。この静寂はいつもあの男が現れる前の前兆だった。

「出て来いよ仙道……!」

「最近ぶりですね。吸血鬼」

(また背後か……)

 小さく嘆息して声がした方を振り返るとダストボックスの上で足を組んだ黒いローブを着た長髪の男、仙道がにやつきながらこちらを見ていた。



「オゥこら? 何俺の事尾行してやがんだあんこらおぅこら?」

「えーっと……私はたまたま行く道が一緒だっただけで別に郷田くんを尾行してたなんてことはないですよぉ~」

 清司が仙道と出くわしている丁度その頃、翠は後をつけていた郷田に尾行がばれて時葉町内にある立体駐輪場のアスファルトの上に正座させられていた。。

「ほぅ? 偶然だと。たまたま行く道が一緒だっただけだと」

「そうそうっ! その通り」

「じゃあ男子トイレの中まで入ってきたのも偶然だったわけだな?」

「わっ、私実は男の娘だったんだよねぇ……あはは」

「いくらなんでも言い訳が苦しすぎるんじゃねーか?」

途中までは上手く尾行出来ていたものの、郷田の周りに注意を向けすぎてトイレにまで一緒に入ってしまったところで尾行がばれてしまったのだった。

「大丈夫! 私何も見てないから」

「だだだ誰のが小さいって!? ええこらぁ!」

「誰もそんなこと言ってないよ……」

 顔を赤らめながら停めていた自分の原付バイクを引き出し、ヘルメットを装着しながら正座する翠を見下ろす郷田。

「んで、俺に何の用だよ白マフラー」

「えっと……実は――」

 翠は出来るだけ魔法や小森の事を伏せた上で郷田の身に危険がせまっているかも知れないという話を端的に済ませる。

最後まで話を聞いていた郷田は蔵島が喋り終えると同時に吹き出した。

「ぷははっ! は、腹いてぇ……」

「郷田くん?」

「俺が誰かに狙われてるからお前が守ってくれるだと? 俺より体も小さくて腕も足も細いお前が?」

「いやぁ、私もスレンダーだってよく言われるんだよね」

「褒めてねぇしそんなこと言ってねぇ!」

 両手を頬に当て、嬉しそうに体をくねくねと曲げる蔵島に郷田は全力でつっこむ。

「で、その誰かって誰なんだよ?」

 郷田からすれば当然の疑問を投げかけられ、翠は視線を郷田から逸らす。

まさかここで今郷田を狙っているのが小森だと言うわけにはいかない。もしそんなことを言ってしまえば郷田は恐らく自分の方から小森に向かっていってしまうだろう。

「それは……ええと」

「なんだよ、はっきり言えこら」

「……僕だよ」

 翠が答えあぐねていると立体駐車場内にあるD―4と書かれたオレンジ色の柱の影からTシャツにジーパンを着用し、肩にバッグの紐をかけた小森栄太郎が姿を現した。

「小森君っ!」

「小森が俺を……おいおいマジかよ」

 薄暗い立体駐車場内に突如登場した小森を前に薄笑いを浮かべる郷田。

「こいつは一体なんの冗談だ小森? がり勉のお前が俺を狙ってるなんてよ」

「冗談なんかじゃない。僕は今日お前を殺す」

「アッハハハハハハハハ!」

 無表情で残酷な事を口走った小森に郷田はとうとう耐え切れずに駐車場に響く大声で笑い始めた。

「のぼせ上がるんじゃねーぞこの七三野郎っ!」

今までいじめてきた相手にここまで言われるのは郷田にとって屈辱だったのだろう。今にも小森を殴り殺しそうな形相で大柄な郷田は一直線に小森に突っ込んだ。

「だめっ、郷田君!」

 蔵島の制止も頭の線が一本切れた今の郷田には届かず、大きなモーションで放たれた拳はその場に棒立ちしている小森の顔面を潰すかに思われた。

 しかし――。

「……無駄だ」

 郷田の腕は伸びきらない半端な状態で制止する。

もちろん郷田自身が止めたのではない。拳が衝突する寸前、手首辺りに何かが付着したような違和感を感じ、腕を伸ばす逆方向に無理やり引っ張られてパンチを止められたのだった。

「なっ……んだこれ!? うっ、うわぁああああ!!」

 なおも腕を後ろに引っ張ろうとする謎の力に耐え切れず、郷田は数メートル後方に吹き飛ばされ背中からアスファルトに激突して気絶した。

「郷田君!」

 翠は慌ててアスファルトに横たわる郷田に駆け寄り、すぐさま背中に手を当てて蔵島の持つ異能〝治癒〟を施す。

(どういうことなの……まだ小森君はトランスしていなかったのに!?)

その様子を見ていた小森は驚いたように言った。

「蔵島さん、君も特殊な力を持っているんだね。そうか、僕の額を治してくれたのも君だな?」

「もう止めて小森君! こんなことしたって何にもならないよ」  

「どいてくれ蔵島さん。そいつは君が助けるような価値なんてない男だぞ」

「どかないよ」

「どうしてそんな奴を庇うっ! 何か理由があるのか!?」

 頑として譲らない翠にいらついた様に叫ぶ小森。

「目の前に助けられる人がいたらそれがどんな時でも関係なく私はこの力を使うって決めてるの。偽善でも純善でもなく……私自身が後悔しないために」

 真っ直ぐに小森の目を見て言いながら翠はバッグから銀銃を取り出して構える。

「私が助けたいのは郷田君だけじゃない。強い力を手に入れて暴走しそうになってるあなたの事も助けたいの! 自分を取り戻して、小森君!!」

 揺るがない意志と強い気迫の篭もった瞳に、小森はつい一歩後ずさりしてしまう。しかしすぐに頭を振って下げたその足をどうにか前に戻した。

小森にも引けないわけがあるのだ。

意味の無い暴力への報復の為、もう母にこれ以上心配をかけさせないために小森は身に付けていたバッグから小瓶を取り出す。蜘蛛の彫刻が刻まれた魔の小瓶を。

「あれが……覚醒の水」

「もう一度言う蔵島さん。そこをどいてくれ」

 虚ろな瞳で小瓶の蓋を開け、忠告するも翠は真っ直ぐ見つめたままその場を譲ろうとしない。

「だったら……だったら君ごと郷田を殺すまでだっ!!」

「駄目っ、小森君!」

忠告を無視して小森は瓶の中身を一気に飲み干す。

「トランス……〝スパイダー〟」

しばらくして小森の背中から一本、また一本と蜘蛛の足が皮膚を突き破って生え立体駐車場内に苦痛の叫び声が響いた。

「ウォオオオアアアアアアアアアアアアッ!!」

 獣のような威圧が大気を揺らし、翠の白いマフラーが小刻みに靡く。

先程の変化とは違い、目の前の小森に人間らしい部分はもはや一つも存在していなかった。

薄茶色の肌、額に増えた赤い八つの瞳、両頬から口元にかけて突き出た蜘蛛の鋏角、そしていじめられっ子とは思えない程のたくましい肉体の背中からは縞模様の巨大な蜘蛛の足が不気味に揺らめいていた。

「殺してやる……コロシテヤルッ!」

 完全に怪人と化し自我も失った小森は眼前の翠に容赦なく蜘蛛の足を突き立てる。

「〝結界〟」

 翠がそう唱えると殺す勢いで迫っていた蜘蛛足が体に触れる直前で見えない何かに弾かれた。

「何ッ!?」

「私の結界の防壁はあらゆる攻撃を弾く。小森君の攻撃は効かないよ」

 自分の能力を説明している間も小森は何度も見えない壁に向かって攻撃を仕掛けるがそれらは全て弾き返されていった。

 翠は眼前に幾度も迫る攻撃に動じることなく両手を組み祈りを捧げるような体制で再び唱える。

「〝封鎖結界〟」

 唱えた瞬間、蜘蛛男と化した小森の動きがぴたりと止まる。

上下左右、前方後方から見えない壁が小森に迫り体を圧迫したのだ。

「うっ……ぐぅう……」

 見えない壁の圧力に小森は苦しそうにうめき声をあげる。

「何者なんだお前!?」

 投げかけられた問いに翠は額に冷や汗を浮かべながら、それでも物怖じすることなくはっきり答えた。

「蔵島翠。この時葉町を守る女子高生兼探偵兼聖職者だよ!」

 長い肩書きを述べた後、翠は小森に向かってにやりと笑った。  


          ●


「お久しぶりですね吸血鬼」

「何の用だ仙道」

 公園に突如現れた仙道はダストボックスの上に足を組みながら座り、余裕の表情で身構える清司を見下ろす。

その愉快そうな顔に清司は少しイラついた様子で仙道を睨む。

「怖い顔だ」

「何の用だって聞いてんだ」

 イラつきを増す清司とは対照的に仙道は上機嫌そうに前髪をかき上げた。

「まぁそう焦らずに。今日はあなたと少しだけ話をしにきたんですよ」

「俺と話だと?」

「実はさっき堂本浩次という方のお葬式を覗いてきましてね……ご存知ですか?」

 聞いた事のない名前に清司は首を横に振る。

その反応が返って来る事を知っていたかのように仙道は嬉しそうに口の端をつり上げて笑った。

「バッタ女の神田玲子は覚えていますよね? その被害にあった男性の名前です」

「なっ!?」

「何の能力も持たない人間というのは実に滑稽だ。大切な家族や恋人が死んでもただ涙を流すしか悲しみを癒す術を知らない」

「異能者だって同じだろ。悲しみを癒す魔法や能力なんてないじゃないか」

「それは違う。我々異能者には報復という手段があります。悲しみを引き起こした相手に相応の報いを与えてやる事がね」

「お前がそれを言うのかよ! 悲しみの元凶作り出してるような奴が!」

 身勝手な仙道の言い分に清司は完全に頭に血が上り装着していたマスクに指をかける。

「くくく……怒りますか。被害者の名前すら忘れていたあなたが」

「何を!?」

マスク越しでも動揺を隠せない清司の様子に仙道は益々上機嫌になる。

「あなたは薄っぺらな正義の為に自分の力を思う存分振るうくせに私が作った異能者達は全て悪だと決め付けてかかる」

「実際にお前が力を渡した人間は皆暴走してたじゃないか」

「ええ。しかし誰が彼らを裁けますか? 理不尽な仕打ちに耐えてきたブレイズの魔法サラリーマン、愛する男に裏切られたホッパートランスの女、陰湿ないじめを理由もなく受けるスパイダートランスの少年。誰が彼らから仕返しの権利を奪えると言うのです」  ダストボックスから降り立ち、相も変わらず笑顔のまま仙道は話をつづける。

「私から見れば大した理由もなく彼らから復讐の権利を奪おうとするあなたの方が悪に見えて仕方が無い」

「黙れ仙道! お前の長い話はもうたくさんだ!!」

「またそうやって目を背けるんですか? いい加減認めたらどうです。あなたが力を奮うのは正義のためじゃない、ただの享楽のためだと」

「だまれぇ!!」

「キーッ! キーッ!」

吸血鬼の姿に変身しようとした清司だが、頭上の気配に気付いて動きを止める。

気配のした方を見上げると蔵島の方に付かせていた蝙蝠が旋回しながらこちらに鳴き声でサインを伝えていた。

どうやら当たりを引いたのは蔵島の方だったらしい。蜘蛛の怪人は郷田を狙っていたのだ。

すぐに蔵島の救援に向かわなければならないと解ってはいるものの、清司の足は中々最初の一歩を踏み出せないでいた。

(仙道を……ここで逃がしていいのか?)

 当たりを引いたのは清司も同じだったからだ。

もしここで仙道を仕留めることが出来れば、これ以上覚醒の水による異能者は現れる事はない。

「ふふっ、仲間のことなど放っておけばよいではないですか」

 いまいち煮え切らない態度の清司を嘲笑するように仙道が呟いた。

「あなたはただ力を奮いたいだけ。ならばわざわざ遠出することはない……私が存分にお相手しますよ。以前のように式紙で逃げるようなことはしません」

 迷い続ける清司に自分は逃げないという仙道の言葉が余計に両の足をその場に結びつける。

「大丈夫です。ここで仲間を見捨てようとあなたには大義名分がある。悪の大元をここで叩く必要があったというね……ふふふっ」

「馬鹿にしやがって……!」

「危惧するとおりここであなたが私を見逃せば、私はこれからももっと異能者を増やしていきますよ。あなたが一方的に悪と断じる行為をね」

 かかってこいと言わんばかりに両腕を広げ挑発する仙道に清司は我慢の限界がくるのを感じていた。

「蔵島だって全く戦えないわけじゃない……」

「ほう? それで?」

「ここでお前をさっさと倒してすぐに救援にいけば……きっと間に合う。きっと助けられるさ」

「それでいい。そうですきっと上手くいきますよ!」

 瞳をわずかに揺らしながら発された言葉に仙道は満足げに頷いて、少しだけ横に歩き距離をとる。

「さぁ……トランスなさい!」

「ああ、やってやる……いくぜっ!!」

 まるで仙道の言葉に操られるかのようにトランスしようとした時だった――。

「がっかりだな。それが君が一晩考えて出した答えなのか?」

 突然、結界の外からヒートアップする場の空気に水をかけるかの如く冷静で重くのしかかるような女の声が降りかかった。

流石の仙道も結界外から話しかけられるとは思っても見なかったらしく現れた女性を驚いた表情で見つめる。

「あんた……何でここに?」

 対して清司の方は違う意味で驚いていた。

腰まで伸びた長く美しい長髪、すらりと伸びる長い足に上下赤のジャージの上から白衣を羽織る意味不明なファッションの眼鏡美人。

蔵島の上司で国に雇われている異能使いの探偵、千鳥千歳が鞘に収められた日本刀を片手にこちらを見ていたからだった。

「質問に質問で返すな。私の問いに先に答えろ」

 結界越しにこちらに話しかける千鳥の後ろを一般人が不審な目線を向けては通り過ぎてゆく。その独特なファッションのせいか、片手に握る日本刀のせいか、一般人から見れば誰もいない公園に話しかけるイタイ人だと思われたのか、どの理由かは清司には解らなかった。

 千鳥も自分が奇異の視線を向けられている事に気付き、深くため息を付く。

「やれやれ、やはりこの格好は視線を集めるな。私のファッションセンスが良すぎるのも考え物だ」

 そう言って千鳥は当たり前のように仙道が狭い公園の周囲に張った結界の壁をすり抜けて入ってきた。それと同時に公園の外にいた人達は千鳥の事など忘れてしまったかのようにその場から歩き去って行った。

何事もなく結界内に侵入してきた千鳥の行動に目を見開いて絶句する仙道を脇目に、千鳥は清司に詰め寄る。

「昨夜、私が君に言ったことを覚えているか?」

「ああ。もう二度と戦うなだろ? でも今回は――」

「違う。中途半端な意志で戦うなと言ったんだ」

 言い訳をしようとする清司の台詞をピシャリと遮る千鳥は白衣を翻しながら背を向けて仙道と相対する。

「君の人生をどう生きようと君の勝手だ。私には止める権利ははない。だが中途半端な気持ちで行う行動はいずれ取り返しの付かない結果を必ず出す」

 背中を向けたまま千鳥は話を進めた。

「君は自分の大切な物を傷つけられたらどうする?」

「いきなりなんだよ……」

「家族、恋人、友人、自身のプライド、思い出、思想、夢、人は生きている限り何か一つは譲れない大切な物を持っているものだ。それらが傷つけられた時、君はどうする?」

 千鳥に言われるがまま清司は自分の大切な物が傷つけられた時の事を想像してみる。自分の家族、両親や妹がもしも何者かに傷つけられたらと。

「許せない。俺の家族に手を出す奴なんて俺がこの手で――」

「君が今まで戦ってきた相手も同じだ」

 清司が最後まで言い終える前に千鳥は言った。

「君が倒してきたのは特撮に出てくるような理由の無い暴力を奮う怪人じゃない。皆自分の大切な物を傷つけられた怒りを持つ人間達だ」

「そんなの言われなくたって――」

「いいや、解っちゃいないな」

 またしても清司の言葉を遮って千鳥は続ける。

「今回君が犯人だと睨んでいる小森という少年も復讐するには十分な理由がある。しかしそれでも私や翠は異能での報復を止めるために戦う決意がある」

「……だから何だってんだ」

「上月清司君。君がその力を使って為したい事は何だ?」  

「俺の……やりたいこと?」

 突然千鳥から投げつけられた言葉に清司は呆然とする。

「巨悪を倒して正義に浸りたいか? 絶対的な力を振るって最強を誇示したいか?」

「違う! 俺はそんな……そんな……」

 客観的な正義を盾に戦う事に酔っていた自分。

吸血鬼の力を使った時、爽快だと感じた自分。

そんな自分が心の中にいる事を自覚していた清司は千鳥の言葉をはっきりとは否定できなかった。

「ならば……誰かを守るために力を使いたいか?」

「え?」

「今走り出せば、助けられる人がいるんじゃないのか? 嘘でも誰かを守るために戦う決意をしたのならそれを貫いてみせろ」

「でもここで仙道を逃がしたら……」

「君がもし本当に後悔をしない戦いがしたいのなら、今救いを求めている人に手を差し伸べられる人間になれ。例え偽善と言われても、例え助けてと言葉にされなくても自分の意志を貫き通す強い意志を持て」

「強い……意志」

「まだ答えが出ていないなら今考えろ」

 千鳥に言われるがまま清司は両目を瞑り、自分の心に問いかける。自分がこれからどうするべきか、自分が今何をするべきなのかを。何の為に戦うべきなのかを。

「……駄目だ」

 暗闇の中、必死で答えを探そうとするが何が一番正しいのか、どうすれば最善なのか様々な考えが脳から吹き出す。

無関係な自分が首を突っ込んだ責任をどうすればいい?

ここで仙道を見逃して本当に良いのか?

蔵島を見殺しにするのか?

「ダメだ……。さっぱりわかんねーよ。俺は蔵島みたいにすぐに答えを出して行動が出来ない」

「それでいい!」

「はっ!?」

 正直顔面を殴られるのを覚悟したくらいの弱音を清司は吐いたつもりだったが、千鳥から返ってきたのは予想に反する言葉だったため思わず声をあげる。

「そんな短時間で答えなど出るわけが無い。逆に君が今適当な答えを出していたらその面吹っ飛ばしていたところだ」

「なんつー理不尽だ!」

 千鳥の理不尽とも取れる台詞に憤慨する清司。

「考えることが重要なんだ。人は重大な壁に突き当たるとその問題が大きければ大きいほど安易で短絡的な解決法に逃げようとする。さっきの君のようにな」

 言われた清司はぐうの音も出なかった。蔵島は自分が仙道を倒すまできっと持ちこたえてくれるといった希望的観測のみで動いていたからだ。

「とりあえず今考えるべきなのはシンプルな2択だ」

「2択」

「君は今、暴れたいのかそれとも助けたいのか?」

「俺は……」

「頭で考えて……君の心に従って動け!」

 力強く激を飛ばす千鳥の言葉に、胸にこみ上げる熱い何かを確かに感じた清司は小さく頷く。

一度、頭に血が上りすぎていた自分を落ち着かせるため深く深呼吸して清司は千鳥に向かって言った。

「これから何の為に戦うか……答えは出なかったけど、今俺がいるべきなのはここじゃないって事、助けなきゃいけないのは誰かって事は解った気がするよ」

「なら行け! ここは引き受けてやる」

「ああ、頼む!」

 はっきりとした声で返事をすると、清司は空中の蝙蝠を先導させて走り出した。

仙道の結界の壁は内側からなら簡単に出ることが出来るらしく、清司は難なく突っ切る事ができた。 

公園に残された2人が互いをにらみ合う。

「ここで吸血鬼を足止めする予定だったのですが、あなたのおかげで台無しだ」

「上月君についていればいずれお前に会えるだろうと二重尾行していたが、まさか初日からヒットするとは私も思わなかったよ」

「あなたは何者なんです?」

「私を知らずにこの街の人間に手を出すとはいい度胸だな」

 千鳥はにやりと笑うと持っていた日本刀を引き抜き、鞘を投げ捨てる。

切っ先を仙道に向け、高らかに名乗る。

「対異能者のため国から雇われた異能使い千鳥千歳だ。よく覚えておけ三下!」

 千鳥が戦闘態勢に入ったので仙道もそれに合わせるように呪文を唱え、地面に複数の魔方陣が浮かび上がる。

「〝サンドマン〟」

 魔方陣の中心から這い出るように砂で出来た人型人形が一体、また一体と出現し総勢8体が千鳥の周りを取り囲む。

「千鳥さん。私を追い詰めたつもりかもしれませんが……甘く見すぎですねぇ」

「召還魔法か……」

「私の魔法は他者を異能に目覚めさせるだけではなく、一時的にあらゆる異能力を使う事が出来るのです。この力を使って私はもう一度この世界を異能で埋め尽くす」

「それだけの力があって何故ちまちまと一人ずつ異能に目覚めさせていく? 街中でお前が魔法を使うだけで多くの人間が魔法という未知を確信し異能に目覚めるサイコハザードだって起こせるだろうに」

 余裕の表情を崩すことなく、千鳥は刀身を肩に置き中腰に構えて相手の攻撃に備える。「千鳥千歳さんと言いましたか。あなたは何も解っていない」

「何だと?」

「せっかく異能に目覚めた世界が出来てもまた戦争が起きてしまえばまた人々は異能を封印してしまう。そうならない為には、先に人類全体を支配できる絶対的な王を決めておかねばならない」

 仙道はしたり顔で話を続け、千鳥も黙ったままその話を聞き続ける。

「後天的目覚めた能力は脆弱です。それこそまた何十年と修行しなければ使い物にならないくらいにね」

「それではお前の言う王の選定に時間がかかり過ぎる」

 補足するように千鳥が付け足すと仙道は大きく頷いた。

「だが私の開花の魔法〝ギフト〟で作った覚醒の水ならば子孫の一人を見つけて飲ませるだけで短期間で異能の達人を生み出せる」

「成る程。つまりお前は目覚めさせた候補者で勝ち抜き戦をさせ、一番強い能力を決めようというんだな?」

「その通り。幸い暫定一位である吸血鬼は私が能力者を生み出せば本能に逆らえず自ら戦いに来てくれたので苦労はしませんでした」

「そうか。しかし私が貴様の計画を知ったからには手を引いてもらうぞ。この街とあいつからな!」

「出来ない相談ですね。さて、お喋りは終わりです。やれサンドマン」   

 攻撃の号令が下ると背後にいたサンドマン二体が千鳥に襲い掛かる。

しかし、サンドマンの手が体に届く前に千鳥は振り向きながら相手の腹目掛けて刀を刺突し、貫通した刃が更に後ろに位置していた別のサンドマンのわき腹も突き刺さった。

今の一瞬で戦闘の達人といったことが理解できるほどの動きを見せ付けた千鳥に仙道は手を叩いて賞賛する。

「なかなかの反応の良さと攻撃の鋭さですね。しかし相手は砂ですよ?」

腹を刺されたサンドマンはそれでも動きを止めることなく、逆に千鳥の両腕を力強く掴んで攻撃と回避の手段を封じた。

「残念でしたね千鳥さん。サンドマンに物理攻撃は効きません」

 勝利を確信した仙道がいやらしく笑う。

「物理攻撃だと?」

 千鳥の両の瞳が眼鏡越しに紫色に輝く。

「〝シール〟」

 異能を開放した瞬間、今まで腹を突き刺されてもびくともしなかった砂人形2体がどこか苦しそうに暴れ、足元から崩れだし地面に散らばるただの砂へと戻っていった。

「今の能力は……」

「仙道。お前があらゆる異能を使えるように私はあらゆる異能を封じる事が出来る。こんな砂人形如きに私を止められると思うな」 

 仙道が人差し指で千鳥を指すと残ったサンドマン6体が一斉に千鳥へ向かっていく。

対する千鳥はまるでその展開を待っていたかのように鼻で笑った。

「最初から全員でかかってくるべきだったな……倍返しだ!」

 刀を地面に突き刺し、瞳の光りが輝きを増すと地面に巨大な魔方陣が浮かぶ。

「〝パージ〟!」

 千鳥の叫びと共に魔方陣から全長5メートルはあろうかという強大な砂の腕が現れ、迫っていたサンドマン達6体を叩き潰した。

「鎧袖一触といった感じだな」

 満足げに笑う千鳥を見て仙道が少し悔しそうに歯噛みする。

「相手の異能を封印し、倍にして返すこの力……まさかあなたが封印魔法の使い手だったとは驚きましたね」

 サンドマンが消え、無防備となった仙道に千鳥は斬りかかるが仙道は何かの魔法を使ったのか空高く飛翔して回避する。

「逃げるのか!」

宙に浮かぶ仙道を見上げながら千鳥が叫ぶ。

「遥か昔、吸血鬼と結託して世界のありとあらゆる異能を封印した一族の末裔……まさか時代を超えてまた私達開花の一族と敵になるとは」

「何……?」

「悔しいが私はまだあなたを倒せるほど強くはない。ここは退かせて頂きます」

「待てっ!」

 慌てて追撃をかけようとする千鳥だったが、突然公園内に突風が吹き荒れサンドマンの残骸である砂を巻き込んで一時的な砂嵐が起こり、しばらくして嵐が止むと宙にいた仙道の姿はどこかへと消えていた。

公園周辺に張られていた結界も解けていたので完全に逃げられた事を確信し、忌々しげに舌打ちする千鳥。

「……まぁ相手の姿と能力を見れただけ良し、だな」

 頭を切り替えるように深く息を吐いて落ち着いた千鳥は先程投げ捨てた日本刀の鞘を拾い上げて納刀する。

「さて、あっちは大丈夫かな」

清司が走っていった方向を見つめながら、特に心配していなさそうな声色で呟き、自分が銃刀法違反で通報される前に千鳥は事務所に帰るのだった。      

          ●


立体駐車場内での戦闘は小森と蔵島の我慢比べとなっていた。

「ぐ……ぬうお!」

封鎖結界によって動きを封じられていた小森が徐々に結界の壁を押し戻し始める。

(そんな、パワーが上がり始めてる!?)

 蔵島も必死に集中して押さえつけようとするが、とうとう力負けし結界の壁を破られてしまう。

「〝結界〟! 〝結界〟!」

すかさず小森は距離を詰めようと突撃するが蔵島もすぐさま新しい結界の壁を展開し蜘蛛の化け物と化した小森の体を跳ね返す。

「チッ、また新しい壁か……」

 目の前に現れた壁を破る為、小森は背中に生えた8本の蜘蛛の足を総動員して見えない結界に乱打を浴びせる。

(それにしても遅いよ清司君! 何やってんのさ)

 小森のパワーの前に蔵島が防御に集中し続けなければならない現状を攻勢に転じさせるには清司の加勢が必要不可欠なのだが、どういうわけかいつまで経っても現れる気配すらない。

今はまだ何とか持ちこたえているが、このままではいずれ突破されるのは時間の問題だった。

「もう諦めるんだ倉島さん。君に勝ち目はない」  

 足を束ねての刺突で結界を一枚崩れさせた後、小森が静かに言った。

人間に体力の限界があるように異能者も己の能力には限りがあり決して無限に使えるわけではない。能力者の体に宿る魔力や霊力の限界を超えて異能を使えば寿命は削られ最悪死に至るケースがあることも無論蔵島は知っていた。

「なんのまだまだ。〝結界〟!」

 それでも蔵島は諦めようとはせず、新たに結界を張りなおす。

額から汗が噴出し、疲労で呼吸が乱れようとも一歩も引く気はなかった。

「何故だ……どうして君がそこまでする」

 攻撃の手を休めずに憤る小森。

「小森君は本当にこんな事がやりたいの? 私は小森君に人殺しなんかさせたくないよ」「そう望んだからこの身体が手に入った! 僕を傷つける者を抹殺することの出来る……正義の鉄槌を下せるこの身体が!」

「ここで郷田君を殺して、あなたはそれで満足できるの? 心の底から納得できるの!?」 防御しか出来ない現状で、蔵島が唯一可能な攻撃手段は相手を説得し続けて戦意を無くすことだけだった。一件無謀だが少しでも可能性がある限り蔵島はそれにすがる。

「君は他人から理由の無い暴力を受けた事があるか? 一方的な屈辱に耐えたことはあるか!? 倉島さんが考えるほど……これは安い復讐じゃない!」      真 正面から向き合おうとする蔵島に呼応するように、小森も腹の底から抱えていたどす黒い怨念の言葉を吐き出していく。

 一つ叫ぶたびに蜘蛛の足の力が強まっていったが蔵島は必死に耐えた。

「人の痛みが解らないような奴は生きていてはいけないんだよ!」

 方法は間違っているかもしれない、ただの理由をつけた感情の暴走かも知れない。しかし誰も小森を責める事は出来ないだろう。復讐に値するだけの仕打ちを小森は一人で耐え続けてきたのだ。

しかしそれでも、蔵島は決して首を縦には振らなかった。

「このまま郷田君を殺せば……小森君もただ自分の為だけに力を奮う人になっちゃうよ」

「何だと……!?」

 思いも寄らぬ反論の言葉に小森は攻撃の手を止める。

「思い通りにいかないから力ずくで何でも変えようとする。そのために奮う暴力は本当に正義なの?」

「だっ、黙れ……」

 蔵島の言葉で自分の醜い心を見透かされたような感覚に陥った小森は身体を震わせながら二、三歩距離を取る。

「さっきも言ったけどね、私探偵事務所でアルバイトしてるの。職業柄この街の人の事は大体調べることが出来るんだ……」

 どこか苦しそうに頭を抱える小森に優しい表情を向けながら蔵島が続ける。

「小森君。共働きの両親を気遣っていじめの相談が出来ずにいたんでしょう?」

「違う! 親は……関係ない……。これは僕の戦いなんだ! 誰の手も借りずに自分自身の力で解決すべき事なんだぁ」

 嗚咽を漏らすように小森が叫ぶ。

「自分の家族を大切に出来るんだね。あなたの心にはまだその優しさが残ってる……思い出してよ、その温かさを!!」

「うっ、うるさい! 黙れ黙れぇ……!」

降りかかる声を払うように小森が手を前に突き出すと、天井から二匹のタランチュラが糸を伸ばしながらゆっくりと蔵島の左右に降り立った。

「慣れなかったがようやくこいつら使い魔の扱い方が解ってきたよ。今度は僕が君を動けなくする番だ」

 ゆっくりと手を握ると左右のタランチュラが蔵島の身体目掛けて一斉に白い蜘蛛の糸を吹きかける。

「うわっ!? な、なにこれ……」

 身体ごと両腕の自由を奪われた蔵島の集中力が途切れたのを小森は見逃さず、すかさず結界の防壁二枚を叩き割った。

(しまった……さっき郷田君を襲ったのはこの使い魔だったんだ)

 眼前の障害がなくなった小森は悠然と倒れている郷田へと歩み寄るが、両腕を拘束された蔵島は地を必死に張って郷田の上に覆いかぶさる。

「……邪魔だ」

「ひっ!?」

 小森の冷たい声とともに天井からもう一匹のタランチュラが蔵島の背中に糸を付着させるとバンジージャンプの糸のように蔵島の体は宙に浮かび上がり数回伸縮したあと完全に宙吊り状態となって拘束された。

「駄目だよ小森君! 殺しちゃ駄目!!」

必死に搾り出す言葉ももはや聞こえていないのか小森は虚ろな目でただ倒れている郷田だけを見下ろしていた。

「ずっとずっと殺してやりたかった……この手でお前を……」 「小森君!!」

「これで僕の望みは叶う!!」

 蔵島は自身の無力を呪うように、小森は悲願の成就を味わうように両目を固く閉じた。

 一斉に突き出した縞模様の鋭利な蜘蛛の足は確かに人体を貫き、内臓まで達した独特の感触が確かに小森の脳に伝わる。

背中から生えた足8本はいずれも身体を突き刺した。普通の人間なら致命傷は確実である。

しかし、小森が刺したのは普通の人間ではなかった。

「……蔵島……無事か……!?」

 郷田の悲鳴ではない違う声が突然目の前に現れ、小森は驚いて目を見開く。

見ると郷田にはぎりぎりのところで足が届いておらず、変わりに小森の知っているクラスメイトの身体を8本全てで串刺しにしていた。

「清司君!」

「上月君!?」

 蔵島と小森が同時に叫ぶ。現れた清司は郷田の盾になるように両手両足を広げた状態で串刺しにされていた。

心臓こそ外しているものの、腕、脚、腹に突き刺さった蜘蛛の足からは清司の血液が大量に滴り落ちており致命傷は確実である。しかし清司はそんなことはお構いなしに右腕を蜘蛛足から引き抜き、自由になった手を口元のマスクにかける。

「俺の名前を知ってるって事はやっぱ小森か……」

「どうして君が?」

「さぁ……どうしてだろうな」

 口から溢れる血で清司のマスクが徐々に赤く染まっていく。

「さっき自分が戦う理由を考えてみたんだけどさ、結局ちゃんとした答えは見つからなかった。俺とお前は前に廊下で少し話した程度の仲だし、友達でも無いお前の事情に俺が首を突っ込む理由なんて頭捻っても出てこなかったよ……けどな」

 異形の怪人に身体を変化させ、額に八つの赤い眼を持つ小森の人間の形のまま残っている二つの眼球を睨みつけながら、清司は続ける。

「お節介だって偽善だっていい……異能を使って復讐しようとしてるお前はどこか苦しそうに見えるから。だから俺はお前を助けにここに来たんだ!」

今まで口にあてていたマスクを勢いよく剥ぎ取り叫んだ。

「理由なんてそれで十分だ。いくぜトランス! 〝ヴァンパイア〟」

 時間を巻き戻すように流れ落ちた血液が一斉に清司の身体を駆け上がり、体内に戻っていく。異様な雰囲気を察した小森は刺さった7本の足全てを引き抜いて距離を取る。

貫通し、後ろの景色をのぞき見ることが出来るほどの大きさで空いた腕や腹の傷穴もみるみると塞がっていく。

「清司君……すごい」

 吸血鬼のあまりの不死身ぶりに蔵島が驚嘆の声を漏らす。

両の八重歯が鋭く変形したところで清司の変身は完了した。

「おっと、先にお前を助けてやらなきゃだな」

吸血鬼へと姿を変えた清司は思い出したように吊るされた蔵島に視線を向けて言った。

「あっ! 清司君こっち見ないで!」

「……何で?」

「私のパンツ見えちゃうじゃん!!」

 せっかくここまでシリアスな雰囲気で流れていた場の空気をぶち壊す蔵島の発言に清司は思わずずっこけそうになる。

「お前……いくらお色気シーン少ないからってこんな大事な場面で……」

「へっ!?」

「おまえの汚い下着なんか興味ないわこのブス!」

「なっ、なんか!? こんな可愛い現役JKの下着を汚い呼ばわりするなんて清司君は真の男じゃないよ! まるで修行僧だよ!」

「〝ブレイズ〟」

 話が進みそうに無いので蔵島の反論を無視する事に決めた清司は以前身に宿した火炎魔法の血を呼び起こし、蔵島を拘束していた糸を焼き払う。

「ふぎゃ!」

 突然糸が焼ききれて落とされた蔵島は尻から地面に着地する。

「お尻をもろに……!」

「なぁ蔵島」

「何!? 今頃謝っても許してあげないよ」

「俺の責任をどう取るかって話、覚えてるか」

「え……?」

 急に真面目なトーンで話し出す清司の空気を感じ取り、蔵島も自由になった手で臀部を摩りながら立ち上がり真剣な表情で清司の背中を見返す。

「昔から使う事を禁じられてきた力を、俺はずっと使ってみたかった。認めるよ、俺はただ力いっぱいに暴れてみたかったんだ。そんなレベルの低い理由で仙道の事件に首を突っ込んじまったたんだ」

「清司君……」

「昨日千鳥さんも言ってたけど、俺が首を突っ込んだ事で余計な犠牲者が出てしまった事件だってあるかもしれない。その責任の取り方をずっと考えてたんだけど結局答えは見つからなかった」

 自分の軽率な行動を改めて恥じる清司はぐっと拳を固める。

「だから、答えが出るまで考え続ける事に決めた」

 後ろを振り向き、未だに尻をさすっている蔵島の目を見て清司は言った。

「他人の為に本当に身体を張れるお前に、蔵島に付いていけば俺にも答えが出せるかもしれない」      

自分を見上げる蔵島にそっと右手を差し出す。惹かれ合うように蔵島も差し出された清司の手を掴んでいた。

「俺に手伝わせてくれ。お前の仕事を」

「うん。でも今はまず――」

 清司に引き起こされた蔵島は先程から黙って2人のやりとりを観察していた蜘蛛怪人の小森の方へと視線をやる。

「ああ。小森を助けねぇとな!」

 蔵島と肩を並べ、戦闘態勢に入る清司。

「話は終わったかい?」

 長い間蔵島と戦闘を続けていた疲労も全く感じさせない軽い口調で小森は眼前の2人を睨む。

「まさか上月君が僕の邪魔をする時葉町の吸血鬼だったとはびっくりだよ」

「その割にあんまり焦ってなさそうだな?」

「それはそうだよ。君達2人より僕の方が強いのだから焦ったりはしないさ」

 余裕綽々といった態度で小森は指を鳴らす。

パチンという小気味いい音と共に天井に張り付いていたタランチュラ2匹、更に今まで立体駐車場の柱に隠れていたのであろう3匹が新たに現れて蔵島と清司の背後から飛び掛る。

「〝結界〟」

 しかし流石に2度の奇襲は通じないらしく、警戒していた蔵島が素早く振り返って発現した結界でタランチュラ5匹は見えない壁に激突し弾き返された。

「清司君、この使い魔達は私が引き受けるから!」

「大丈夫かよ、さっきまで息あがってたじゃねーか」

 心配する清司に蔵島は小さな声でこう返した。

「大丈夫。こいつらの攻略法はさっき思いついたから清司君は小森君に集中して」

 気迫の篭もった台詞に清司もそれ以上は何も言うことが出来ず、蔵島を信じることにする。

「わかった。小森は俺に任せろ」

「こっちが終わったら私も加勢するから……無理だけはしないでね」

「おう」

 小さく返事をして眼前の敵に構えを取る。

小森も清司につられる様に背中の蜘蛛足を蠢かせる。

「へぇ、てっきり2人で使い魔を相手にすると思ってたのに」

「昨日俺にボコボコにされたわりには強気じゃねーか小森。〝ヴァンパイア〟」

 再び吸血鬼の力を目覚めさせた清司の筋肉がみるみる力強く引き締まっていく。

「君への対策は万全だよ。いつでも来るといい」

「じゃあ……遠慮なくっ!」

 誘いに乗るように拳を大きく振りかぶって小森の腹目掛けて拳を打ち込む。モーションが大きく相手に避けやすいテレフォンパンチを放った清司だったが、小森は予想に反して回避も防御の体制もとらずに攻撃をもろに自身の腹で受け止めた。

「どうだ!」

「……その程度かい吸血鬼?」

「何!?」

 ヴァンパイアの血を覚醒させ、トランス状態で放った拳をもろに喰らっても小森は平気そうな顔をしており、清司は焦って相手から距離を取る。

「やはりまだ昨夜のような力は出せないようだね」

「チッ……仙道から聞いたのか?」

 力を出し切れないでいる清司をあざ笑うかのように小森が殴られた腹を軽く摩った。 「この世に弱点の無い生物などいないよ。例えそれが伝説の吸血鬼だとてね」

「この野郎……」

 忌々しげに立体駐車場内を照らす夕陽を睨む。辺りは暗くなりはじめているものの完全に夕陽が沈みきるまであと5分は必要そうだった。

「陽が出ている間は君の吸血鬼の能力は半分ほどの力しか出せないそうだね。さっきのパンチ、全く効かなかったよ!」

 勝利を確信している小森は愉快そうにその場から動くことなく背中の蜘蛛足を不規則なタイミングで一本一本清司の身体に刺し込んでは引き抜き血が溢れ出る光景を楽しんだ。

「ぐっ、くぅ!」

先程と同じく吸血鬼の力で傷ついた身体の部位と流れ出た血液が徐々に回復していくが小森は構わず攻撃を続ける。そのうちに清司が猛攻に耐え切れず後ずさるが小森も獲物を嬲るように敢えて清司に合わせてゆっくりと前進していく。

「その回復能力も傷が完治するまでに少し時間がかかるようだね」

もらった攻撃の傷が癒えきる前に次々と身体に新たな穴が空いていき、ぼたぼたと血が流れては体に戻っていく。

「清司君! あっ!」

 背後の蔵島が防戦一方の清司に気をやった隙をタランチュラが見逃さず5匹一斉に糸を吐いて蔵島の両腕に巻きつかせた。

「蔵島!」

「私は大丈夫だから目の前に集中して!」

「けど――」

「いいから!」

「ぐ……くっそおぉおお!」

 状況を打開する為清司は半ばやけくそに蜘蛛足の攻撃を無理やり突破し、もう一度小森の腹にパンチを放つ。

「ふん、何度やっても――」

 小森も先程と同じように避けもしなかった。覚醒の水が身体に馴染みパワーアップを遂げた今の自分に清司の攻撃は通用しないという自身があったからだ。

しかし拳が触れた瞬間拳が一瞬だけ光り、大きな炸裂音と共に小森の腹に激痛が走る。

「ぐぶ!?」

 内臓が破壊されるような衝撃に思わず後ずさり殴られた自分の腹を凝視する小森。

見ると打撃を受けた箇所が黒く焦げ、わずかに煙をあげていた。

「火の魔法か!?」

「そういうこと!」

 火の魔法を扱う証である紅い光を瞳に宿した清司は間髪いれずに火球を連続で放つが小森はそれをことごとく蜘蛛足で弾く。

「だぁあああああっ!」

 それでも構わずに魔法を飛ばし続け、とうとう小森の右肩に一発の火球が被弾し炸裂する。

「どうだ!」

「たかだか一発で何を喜んでいるんだ? だいたいその一発も全然効いて――」

 全然効いていない。

そう言葉に出そうとした小森はある違和感を覚え、口を閉じて思考に集中する。

(今の攻撃は全く効いていない……ではさっき腹に喰らった一撃は何だ!?)

 被弾した腹と右肩二箇所をそれぞれ交互に見比べてみても肩には火傷の痕すら残っていないにも関わらず、腹の方は殴られた皮膚が黒く変色しており軽く撫でても激痛で顔をゆがめるほどのダメージが残っていた。

「何考え込んでんだ!」

 目の前で棒立ちする敵に何もしないほど清司もお人好しではない。拳に炎を纏わせて殴りかかる。

小森は避ける事も出来たが、何かを試すように蜘蛛足を束ねて折り曲げ、自分の体を囲うようにして清司の攻撃をあえて受ける。拳が触れた瞬間小さな爆発が起こり、受け止めた脚から小さく煙が上がるものの小森は平気そうな顔をしていた。

(やはりこの攻撃も大したことはない……まさか手加減を? いやそんな余裕がある風には感じられない。では一体……)

「まだまだ!」

「黙っていれば付け上がるな!」

 ひとまず先程の攻撃は火事場の馬鹿力的なものだろうという事で無理やり結論に至った小森は再びそのような攻撃を繰り出される前に手早く清司を倒すことに決める。

「シャァアア!」

 火球を全て体で受けながら突撃するもやはり身体には火傷一つ付かなかった。自信の蜘蛛足が届く射程内に清司を捕らえると小森はほくそ笑んだ。

「捕らえたぞ。これで終わりだ吸血鬼」

「〝ホッパー〟」

 能力を換えた清司の足が緑色の炎に包まれる。

「馬鹿め! 今更何をしようと――」

 突き出された蜘蛛脚と清司の繰り出した回し蹴りが激突した瞬間、再び大きな炸裂音が立体駐車場内に響く。

「……あが!?」

 受けたダメージで悲鳴をあげたのは小森だった。

 攻撃に出した左側4本の蜘蛛足の先端は清司に蹴り千切られ、断面からは黒い煙がたちこめていた。

「馬鹿な……なぜ……!?」

 苦悶の表情を浮かべながら左右のバランスが悪くなった小森がアスファルトに片膝をつく。

小森にとって解せない事は2つあった。

一つはなぜまだ陽が出ているにも関わらず先程のように自分がパワー負けしたのか。

もう一つはなぜ蹴りを出す直前に能力を換えたにも関わらずその足にはまだブレイズの炎が宿っていたのかだった。

以前小森が清司から受けたホッパーのキックには緑色の光こそ纏っていたものの、爆発などはしなかった。

「〝ヴァンパイア〟」

 しかし清司が小森に考える時間を与えずに次の攻撃に入ったので疑問が解消されないまま小森は立ち上がり、構えをとる。

「はっ!」

 先程と同じように能力を換えてもホッパーの脚力を身体に残している清司は高く飛び上がり立体駐車場の天井を蹴って急降下しながら拳を振り下ろすが、小森はすんでのところで後ろに飛び退き回避する。

地面に叩きつけられた拳は衝撃音と共に自分の骨とアスファルトを砕き、清司を中心に小さなクレーターが出来る程の威力を見て対峙する小森は生唾を飲む。

「バッカ、避けるなよ……くっそ痛ぇじゃねーか!」

 顔を歪める清司の拳がヴァンパイアの能力で再生されてゆき、骨まできっちりくっついて完治する。

「これ明日の朝になったらダメージ返ってくるんだろうな……はぁ……」

 完全に元通りになった自分の右手をまじまじと見ながらため息をつく清司。

「吸血鬼。お前は……」

「ん?」

「お前は2つの能力が同時に使えるのか!?」

「へぇ、もうバレたか。流石七三ヘアにしてるだけあって頭が良いな」

 自分の能力を言い当てる小森をよくわからない言い回しで褒める清司。

「だけど一つ間違いだ。確かに俺は血を吸い取った相手の能力を使えるけど、基本的には一つずつしか異能を使えない」

「だが、僕の蜘蛛足を蹴り千切った攻撃には明らかに火の能力が残っていた!」

「そうだ、基本的にはな。ただし、俺が能力を入れ替えるその一瞬だけそれまで使っていた異能の血と新しく呼び起こす異能の血が交わるその一瞬、俺は二つの異能を引き出せるんだよ。威力が上がるおまけつきでな」

 説明を受けた小森は先程までの戦闘の様子を思い返す。

清司の言う通り小森がダメージを受けたのは2度とも清司が異能を変えた直後だった。

「名づけて〝混血技〟だ。どうだこのセンス溢れる中二名は」

「なるほど、確かに強力な力だ。だが――」

特に不要なつっこみはせず、自分のダメージの謎が解けたところで小森は勝利を確信したように清司を指差した。

「一瞬しか使えない技ならば、その一撃だけ回避に専念すればいいだけだ。ふふふ……この勝負俺の勝ちだ!」

「いいや小森。お前の負けだよ」

「ほざくな!」

 清司のパワーが上がるのは能力を交換する数秒間のみ、その間だけは回避、最悪でも防御に費やせばいい。それ以外はもう吸血鬼に脅威はない。

頭の中で瞬時に戦略を建てた小森は迷わずに突っ込み背中に残った蜘蛛足を総動員して清司に乱打を仕掛けた。

「能力を変える暇は与えんぞ!」

「もう必要ない」

 迫り来る蜘蛛足の乱打に拳を固め、乱打で返す清司。

 普通に行けば手数の多い小森の方が優勢になるところだが、清司は防御を一切捨てて攻撃に集中し、わき腹と右太腿に足を貫かれるも拳を当てた残りの蜘蛛足をつま先から叩き潰した。

「そんな……どうして僕の方が押し負ける!?」

「お前、何か忘れてるんじゃないか?」

 得意げに笑う清司から異様な不気味さを感じ、わき腹と太腿から足を引き抜いた小森は信じられない光景を目にする。

「ば、馬鹿な!」

 完全に肉体を貫通し、今引き抜いたばかりのわき腹と太腿がすでに完治していた。先程までとは違い、清司の治癒力が爆発的に上がっていたのだ。

「吸血鬼の独壇場、夜が来たんだ。時間切れだよ小森」

 清司がそう言った瞬間だった。

今まで立体駐車場内を微かに照らし続けていた夕陽が完全に没し、夜という暗闇の空間が広がっていくのに同調するように清司の金髪が毛先から根元に向けて徐々に黒く染まっていき、中途半端に生えていた牙も伸び切って凶暴性を増した風貌へと変化する。

「これが完全な吸血鬼のトランス……」

 対峙しているだけで空気が重く小森にのしかかる。一瞬でも気を抜けばすぐさま命を絶たれてしまわれそうな威圧感が今の清司にはあった。

「……俺の勝ちだ。トランスを解け」

「変身しただけでもう勝った気か、笑わせるな!」

 前回この姿の吸血鬼のパワーに為すすべもなく逃走した小森だったが、今回は小森自身もパワーアップし、更に奥の手も持っていた。

「来い、使い魔の蜘蛛共! この吸血鬼の動きを封じてしまえ!」

 声高らかに攻撃目標を蔵島から清司へと変える指示を飛ばした小森。

だがいつまで経っても清司の方へは糸は飛んでこなかった。

「どうした!? 聞こえているのか蜘蛛共!」

 期待していた働きをしない使い魔にイラついた様子で五匹のタランチュラが戦闘していた方を小森が睨みつけると、そこには夜風にマフラーをはためかせ腕を組んだ仁王立ちで渾身のドヤ顔をしている蔵島だけがいた。

「蔵島!」

「へへーん。清司君ばかりにかっこつけさせないからね」 

「そんな馬鹿な……最後に見たとき蜘蛛達は確かに糸で動きを封じていたはずだ」

「残念だったね! 小森君の使い魔は全部私が倒したよ」

蔵島は若干疲れが残っている声で言いながら足元を指差す。その先には元のサイズまで縮んだタランチュラ五匹が小さな結界内に閉じ込められていた。

「あの状況からどうやって?」

「小森君の使い魔達の糸ね、あれ私わざと受けてがんじがらめにされたの」

「うぇ、マゾかよお前……」

「なっ、違っ!? 違うから清司君は黙ってて!」

 冷やかしを挟む清司に顔を真っ赤にしながら反論した蔵島は真面目な空気に戻すためわざとらしく一度咳払いを入れてから話を続ける。

「私の治癒には魔力を祓う能力もあるの。だから私は蜘蛛が吐いた糸に治癒の力を流し込んでタランチュラの体内に入っていた魔力をまとめて浄化できたってわけ」

「魔力の浄化……まさかそんな能力があったなんて」

「どうやらお前の奥の手も封じられたみたいだな。大人しくトランスを解け、小森」  「……嫌だ。まだ負けてない……まだ僕は負けていない!」  

ろくなダメージを与えられないと知りつつそれでも小森は背中に残った二本の蜘蛛足を清司に向けて放つ。

しかし無情にも二本の蜘蛛足は清司の両手にそれぞれ掴まれて身体に届く寸前で止められてしまう。

 夜になり覚醒した吸血鬼の力は凄まじく、受け止められた蜘蛛足は両方ともびくとも動きはしなかった。

「どうして皆僕の邪魔をするんだ。どうして皆僕を目の敵にするんだ。被害者は僕の方なんだ。復讐して何が悪い!!」

 トランスして人間から程遠い形へと姿を変えた小森がまるで思い通りに事が運べない人間の子供のように情けない声を荒げる。

「……そうだな。お前は間違っちゃいないよ」

 ぼそりと零すように清司は言うと、右手に持っていた小森の蜘蛛足を自分の左胸に突き刺した。

「なっ!?」

「清司君!?」

「……あと数センチ伸ばせば心臓に届く。そうすりゃいくら俺が不死身でもポックリ逝っちまう」

 小森を見つめながらゆっくりと右手の力を緩めていく清司。

その奇怪な行動に小森と蔵島は呆然とする。

「どうした? 俺を殺さないのか」

「……どういうつもりだ」

 日没して魔力が上がり、敵を圧倒できるほどの力を手にした途端の清司の自殺行為とも取れる行動に小森は不審がりながら問いかける。

その質問に蜘蛛足を胸に刺したまま清司は答える。

「ずっと不思議に思ってたんだ。仙道に俺の弱点を聞いたくせにどうして日没ぎりぎりの時間にお前は郷田を襲ったのか」

「それは……」

「パワーで勝っていたお前が何故こうして夜になるまでだらだらと戦闘してたのか」

「清司君それって……」 

「さっきある人に考え続けろって説教くらったばっかりだからさ、面倒くさがらずに考えてたんだ」

 苦笑いをしながら清司は未だに微動だにしない蜘蛛足を胸から引き抜き言った。

「答えは出なかったけど仮説は浮かんだよ。本当は小森は自分がやることを誰かに止めてもらいたがってるんじゃないかってね」

「馬鹿を言うな!!」

 駐車場内に再び怒声が響く。

小森は引き抜かれた蜘蛛足を自分の傍まで引かせると、額に浮かび上がった眼も総動員して清司を睨んだ。

「僕は僕をいじめた奴を殺したい。操られたわけでも洗脳された訳でもない。これは僕の心からの願いなんだ!」

「確かにそうかもな」

「え、清司君認めちゃうの!?」

 小森の意見をあっさりと認めてしまう清司に驚きの声をあげる蔵島。   「いじめの苦しさは受けた本人しか解らないだろうけど、あれだけ陰湿ないじめを長い事耐えてきたんだ。復讐したいっていうお前の心は本物だろうさ」

「解っているのならそこをどけ!」

「将来……弁護士になるんじゃなかったのか?」

「何だと」

「同じ苦しみに耐える子供達をお前が助けてやるって言ってたのは嘘だったのか!?」

以前、小森が笑顔で語っていた事を清司は覚えていた。

その夢を思い出させるため清司は戦闘の構えもとらずに説得を始める。

「あれだけ嬉しそうに語ってた夢が嘘なわけがないよな」

「黙れ……」

「だから今お前は迷ってるんじゃないのか!? 本当は誰かに助けて欲しいって思ってんじゃないのか!?」

「うるさい……黙れ……!」

「もしもお前が復讐を止めて欲しいのなら、助けて欲しいなら俺を頼れよ。友達でも何でもない奴にだって手を差し伸べたっていいじゃねぇか」

「黙れぇええええ!!」

 次々並べられた綺麗ごとの数々に耐え切れなくなった小森が発狂しながら突撃し清司を押し倒す。マウントをとった小森は背中の蜘蛛足は一切使わずに己の拳で清司の顔面を何度も殴りつける。

「清司君!」

「ぐっ、手を出すんじゃねぇ蔵島!!」

 助けようとする蔵島を強く静止する清司。  

「遅いんだよ今更! 僕は力を手に入れてしまったんだ。復讐したいと願ってこんな醜い姿にも変身したんだ!」

 無抵抗の清司に構わず拳を振り続ける小森。

「悪い人間を痛めつけて何が悪い!? 下らない人間がこの世から消えていくだけじゃないか!?」

「うっ! そんな下らない奴らのためにお前が手を汚す事は……ねぇよ」

「もう止まれないんだ。この姿になると僕をいじめた奴らへの怒りが溢れてくる。復讐以外何も考えられなくなるんだ!!」

 殴られて血反吐を吐いては回復能力で清司のダメージはなくなっていく。

そのどこか痛々しい様子を蔵島はただ立ち尽くして見ているだけだった。

「仙道の薬なんかに支配されてんじゃねーよ。考えるのをやめるな小森。本当のお前は人殺しなんか望んでないんだろ!?」

 もう何発打ち込まれ続けたのかも解らなくなった小森の拳を清司はようやく自分の右手で掴みとる。

「く、こいつ!?」

「お前はさっき無抵抗の俺を殺さなかった。その優しさをまだ心に残してるのなら、もう遅いなんてことはない。止まれないなんてこたないはずだ小森!」

「うる……さい……! 怒りの感情しか生まれないんだ……あいつらを皆殺しにしないと僕は止まれないんだ」

「お前が一人で自分を止められないなら俺が力を貸してやる。お前の為に全力を尽くしてやる!!」

 真っ直ぐ小森の目を見て言う清司の言葉が届いたのか小森の動きが止まる。

「……僕は邪魔な吸血鬼を倒して……僕をいじめた奴らを全員殺して……あれ? それで僕はその後どうしたいんだ?」

 清司の上から立ち退きゆっくり後ずさりしながらぶつくさと何かを呟く小森の様子は明らかに異常だった。

「小森君?」

 恐る恐る蔵島が声をかけるも小森には聞こえていないようだった。

「僕の本当の望み……? 復讐だ……それしかない。いや違う。僕の本当の願いは……」 酷い頭痛を堪えるように両手で頭を抱える小森は数秒間自問自答のような独り言を呟くとやがて動きをピタリと止め、二度ほど体を震わせて嘔吐を始めた。

「げぇっ……おぇえ」

 口から出てきたのは単なる吐捨物ではなく血のように真っ赤な液体だった。

「小森!」

 心配して駆け寄ろうとする清司をまだトランス状態を保った小森が手で制する。

「……上月君……来るな……」

「大丈夫か!? こも――」

「清司君、駄目っ!」

 構わず近寄ろうとする清司を蔵島は袖を掴んで強引に止めた。

「何で止める蔵島!? せっかく小森が正気に戻りかけてんだぞ」

「……逆だよ清司君」

「え?」

 困惑する清司に現実を突きつけるように蔵島は指差す。その先には頭を抱え苦悶の表情を浮かべながら自分を押さえつけようとする小森の姿があった。

「殺す……やめろ……コロス……駄目だ!」

 まるで二重人格者のようにもう一人の自分と交互に話し続ける小森。

「正気に戻るどころか、小森君の魔力がさっきより禍々しくて不安定なものになってきてるの」

使い魔に頼って異能者を見つけていた清司と違い、蔵島はもともと異能者の放つ魔力や霊力に敏感な為、いち早く小森の不自然さに気付いたのだった。

「その魔力を小森君自身が押さえ込もうとしてる……けど――」

「殺してやる……殺してやる……ぐぅう……僕をいじめた奴を……」

 端から見るに小森は再び正気を失いかけていた。恐らくもうしばらくすれば再び暴走し自分達に襲い掛かって来る事は魔力感知に疎い清司でも予測できてしまった。

「そうだ、俺が小森に噛み付いて魔力を奪えば――」

「あの膨れ上がった魔力を全て吸い取れるの?」

「そ、それは……」

 見透かしたように言う蔵島の台詞に清司は返す言葉がなかった。

清司の吸血鬼の牙で吸い取れる魔力の量にも限界がある。

小森のそれは明らかに清司の許容量を超えていた。

「けど、他に方法なんて無いじゃねぇか……!」

「……上月君……蔵島さん……」

 歯がゆい状況に清司が弱音を吐いた時だった。

未だ蜘蛛怪人の顔に冷や汗を滲ませながらも小森が必死の形相で二人に声をかける。

「小森! 待ってろ今俺が――」

「待って清司君!」

「止めんな蔵島! 駄目もとでやってみるしかないだろ!?」

「暴走はもう止められないよ。それより私達が今すべき事があるでしょ!?」

「するべきこと? 何だよそれ」

「きっと小森君はまた正気を失う前に私達に何か伝えたいんだよ。それをちゃんと聞くことだよ」

「伝えたい事……?」

 蔵島の説得が通じたのか清司は蔵島の手を振りほどこうとした腕の力を少し緩めて這い蹲った小森に視線を向ける。

「小森……何か言いたい事があるのか?」

 問いかけられた言葉に小森は苦しそうに頭を震わせながら首を縦に振った。

「……上月君、君に言われた通り僕も考えてみたよ。何が正しいのかどう行動すればベストなのか」

 話し始めた小森の声は戦っていた時とは違い禍々しさが抜け、苦しそうではありながらも確かに時葉高校に通う同学年の学友のものだった。

「やはり復讐は……間違っていない。僕はきっとこのどす黒い感情を一生忘れられないだろう」

 魔力に支配されているのではなく、正気の小森がそう発言した事が素直に悲しくなり清司は目を閉じて眉間に皺を寄せる。                 「けれど……けれどだからこそ、この気持ちを理解できたからこそ将来弁護士になれば同じいじめられた子達の強い力になってやれそうな気もしてきたんだ……」

「小森……」

「復讐も将来への希望も紛れも無い僕自身の願望だ。どちらも正しい気がしてどちらか一つを選ぶ事は僕には出来なかった……ぐっ……だから……」

 辛そうに胸を押さえ、小森は伝えたかった最後の一言を必死に搾り出した。

「だから……後は君達に託そうと思う。他人任せだと思われるかもしれないが……頼んでもいいかい?」

「任せて小森君! ちゃんと止めてあげるから」

 力強く返事をする蔵島と無言で頷く清司。

「……ごめんよ……」

 それがほんの少しの間自我を取り戻せた小森の最後の台詞だった。

「魔力が完全に暴走する。来るよ清司君!」

「おう!」

「ォオオァアアアアアアアアアアアアッ!!」

 自らの魔力に正気を失った小森が人間のそれとは思えないような咆哮をあげ大気が震える。

負傷した背中の蜘蛛脚が次々に生え変わり、足の先端は更に鋭さを増しているように見えた。

「あの力……完全に限界を超えてる」

「ああ。小森の命を削ってやがるな」

そう言って一度呼吸を整えるように深く息をついた清司は半笑いで言った。

「ちなみに言うとな蔵島、俺もそろそろ限界きてる」

「うん……ってええぇ!?」

 突然の報告に蔵島は少し遅れて驚く。

見ると戦闘中の傷は跡すら残っていないのにも関わらず清司の額、黒髪の毛先からは汗が滴っていた。

「悪い。自己再生と魔法使いすぎた……。もう魔力がちょっとしか残ってねぇ」

「それって……まずくない?」

 蔵島も冷や汗を垂らしつつ視線は魔力が尽きそうな清司に固定したまま眼前の魔力溢れる蜘蛛怪人を指差す。

「るあああああああッ!!」

「あわわ、来たよ!?」

「とりあえず避けろ!」

 暴走を抑えていた小森の意識を完全に支配した蜘蛛怪人は解き放たれた猪のように二人目掛けて突進する。

清司と蔵島はそれぞれ左右に横っ飛びして紙一重で体当たりを避けた。

「どうしよう清司君」

「一か八か俺の残りの魔力全部使ってデカイのかます! それに賭けるしかねぇ!」

「……絶対に外せないね」

 頷いた蔵島はいつの間にか取り出していた銀銃の銃口を小森の背中に向ける。

体当たりを外し、急ブレーキをかけた小森はゆっくりと振り返ると武器を構える蔵島に標的を定めた。

「なら私が隙を作るから、ちゃんと当ててね」

「おい無茶すんな蔵島! お前だってとっくに限界のはずだろうが!」    

「いいから! 私にも最後までやらせてよ」

 リボルバーのハンマーを親指で起こし狙いをつけて蔵島が言った。

「私も、清司君と一緒ならやれそうな気がするの」

「蔵島……わかった。お前を信じる」

 言葉から伝わる覚悟を感じ取った清司はそれ以上蔵島を止めることはしなかった。敵の注意が蔵島に向いている間に右足に魔力を溜める。

「燃え上がれ〝ブレイズ〟」

身に宿る火炎の魔力を呼び起こし、清司の両目が紅く光り魔力を集中させた右足が強く燃え上がる。

「はぁあああああ……!」

 残った魔力をありったけ右足に注ぎながら清司はチャンスを待った。

「グゥアアアアアアッ!」

 雄たけびを上げながら再び蔵島目掛けて突撃する小森。

もはや蜘蛛足のリーチを使った攻撃など頭に無いのかただ単純な肉体攻撃しか仕掛けてこない相手に対し蔵島は冷静に発射のタイミングを伺う。

「私の結界もあと壁一枚張るのが限界か……」

 自身のスタミナの無さを痛感しながらも、現状で自分が出来ることを頭でまとめた蔵島は迫る小森の額に狙いを合わせてトリガーを引く。

撃鉄の音が駐車場内に響くと銃口から銀で出来た弾が一直線に小森の頭部目掛けて発射された。

「フンッ!」

 狙いは正確だったが小森は背中の左半分から生えた蜘蛛脚を折り曲げて顔の周りを覆って銃弾を防いだ。

尚も小森は足を止めることなく蔵島に接近してくる。

「駄目だ蔵島、そんな直線的な攻撃じゃ!」

「解ってる!」

 再び銃を構え、今度は小森の左ひざ関節目掛けて4発、最後に少し射角を下に下げて慎重に狙いをつけてリボルバーに残る最後の弾丸を放つ。

 現在小森は顔の周りを蜘蛛脚で覆っている為視界が遮られ足元が非常に見づらくなっている。蔵島の狙いは端から小森の足を止めることにあったのだ。

「チィッ!」

 本能的にまずいと感じたのか流石の小森もこの攻撃には足を止め防御に徹する。

背中の右半分の蜘蛛脚を使って今度は自分の下半身の前面を囲う。

蜘蛛脚に4発、銃弾を受けきりどうやら防御に成功したようだと小森が油断し薄ら笑いを浮かべた時だった。

「グゥヌゥウウッ!?」

 チュイン、という何かが弾かれるような鋭い音が聞こえた後、小森の左膝に急な激痛が走る。

左足の前面は確かに脚で防御していたにも関わらずなぜ自分の膝から血が流れているのか解せなかった小森は視界を遮っていた自分の蜘蛛脚を恐る恐る開く。

見ると自分のすぐ前のアスファルトの部分が少しだけ抉れていた。

「正気じゃない小森君に言っても解らないかもしれないけど、最後の一発は地面に向けて弾を跳ねさせたの。小森君の防御を掻い潜るようにね」

「跳弾を狙ってやったのか……すげぇ」

「グォッ!」

 清司が感嘆の声を漏らすと同時に弾に籠められた蔵島の治癒の力に左膝の魔力を浄化された小森がガクガクと足を震わせながら体制を崩す。

「今だよ清司君!」

「おおっ! 行くぜ小森……」

 合図をもらった清司はすぐさま〝ホッパー〟の血を体内に呼び起こし自身の跳躍力を強化し、高く飛び上がるため膝を曲げ腰を深く落とす。

「グガアアアアアアッ!」

 させるかとばかりに小森は口から糸を吐き出し清司の動きを止めようとするもすでに脚部を強化していた清司はそれを飛び上がって難なく躱した。

そのまま空中で一回転を決めると体重を全て燃え上がる右足に乗せて渾身の跳び蹴りをを繰り出す。

「〝ブレイズホッパー〟!」

 右足に籠められた膨大な魔力を本能的に恐れた小森は攻撃を受け止めようとはせず、先程清司のパンチを避けたように後ろへ飛び退こうとした。

しかし小森は後ろへ下がる事が出来なかった。自分の背中にある筈の無い『壁』に退路を断たれたからである。

その壁が蔵島の出した結界であることに気付いたときにはもう遅かった。

 小森の胸に燃え上がる清司の右足が突き刺さる。

「うおぉおおおおおおおおおおおっ!!」

 タイミングを計ったように蔵島が結界の壁を消失させ、蹴りの直撃をくらった小森が数メートル後方へ蹴り飛ばされた。

 魔力を使い果たした清司は飛び蹴りの着地と同時に体中を凄まじい疲労感が襲い、片膝をつく。

「……やったか!?」

 肩で息をしながら数メートル先で倒れている小森の様子をじっと見つめる清司。

「……グッ……オッ……!」

「そんな……!」

 渾身の一撃をまともに受けてなお立ち上がろうとする小森の姿を見て清司は絶望の声を漏らす。

苦しそうに全身を震わせながら両手を地面について必死に起き上がろうとする小森。

「……アア……ア……」

「くそ! 駄目だったってのかよ!!」

 もはや打つ手の無い清司は悔しさのあまり拳を地面に叩きつける。

「……ア…………」

「大丈夫だよ清司君」

 一方で蔵島の様子は落ち着いたものだった。清司よりも感知能力が高いため今の小森に戦う力が残っていない事を見切っていたためだ。

「……ア……ガト……」

 か細い声で何かを呟いた小森は糸が切れたようにその場に前のめりに倒れ、動かなくなった。

すぐさま蔵島が駆け寄り小森の体に手を当てて〝治癒〟を施す。すると10秒も経たない内に蜘蛛男の外殻は霧散するように消滅し、小森は元の体に戻っていった。蜘蛛脚を出す為にぱっくりと開かれた背中も治癒によって徐々に塞がれていく。

「俺がやっといて何だが大丈夫なのか?」   恐る恐る小森の無事を確かめる清司に蔵島はぐっと親指を立てて突き出した。

「大丈夫! やっぱりダメージを受けたのは魔力で繕った外殻だけで本体の小森君はほぼ無傷だよ」

 飾り気の無い満面の笑みに清司はホッと胸を撫で下ろす。

「そうか、よか……った……」

「え!? ちょ、清司君!?」

 戦闘の疲労、使い果たした魔力と気力で自身を支えられなくなった清司にはもはや回る視界と倒れていく体を立て直すことが出来ず猛烈な睡魔のなか背中から倒れて気を失っていった。

「ぇえええ!? あの」

 突然地面に倒れ寝息をたてる清司を見下ろしながら蔵島が辺りを見渡す。

自分を除いて駐車場内にいるのは未だ気を失っている小森、郷田、清司の他には誰もいなかった。

「今気絶されたら凄い困るんだけど。誰か起きてよぉーーーっ!」

 蔵島の悲鳴は駐車場内によく響き渡ったが、それでもアスファルトに横たわる3人の男子は誰一人目を覚まさなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ