小森栄太郎の幕間2
小森栄太郎の幕間2
眠っているときの夢の中で学校に行ったり、仕事に励んだりすると目覚めたときに何故か損な気分になる。
栄太郎も今まさにそんな気分だった。
「……なんで夢の中でまでいじめられてるんだ僕は」
せめて夢の中でくらい強い自分であれたらいいのにと心の中で続ける。情けなさに溢れそうになる涙を必死で堪え迎えたくもない新たな1日の始まりに栄太郎は小さなため息までは堪え切れなかった。
「おはようございます」
「うわっ!?」
栄太郎が上半身を起こすと自分の机の椅子に座った黒ローブを着た長髪の男が挨拶をしてきたので栄太郎は思わず飛び上がる。。
「あなたどこから入って――痛っ!?」
ベッドから降りようとした時、胸に突き刺すような痛みが走り栄太郎は思わず胸を手で押さえた。
シャツを捲りあげると昨日吸血鬼から蹴られた胸部に大きな痣が出来ていた。
「大丈夫ですか? 随分手酷くやられたようですが」
全く心配していないかのような薄気味悪い笑顔を浮かべる男を栄太郎は睨みつける。
「そういえばあなたにはまだ名乗っていませんでしたね。私仙道と申します。以後お見知りおきを」
仙道と名乗った男は胸に手を当てて丁寧にお辞儀した。
「名前なんかどうだっていいよ……何が『飲めば何でも叶う』だ。吸血鬼に邪魔されて江田も柴田も殺せなかったぞ!」
胸の痛みに顔を歪めながらも声を大きくして栄太郎は仙道に尋ねる。そんな様子を見かねたように仙道は椅子から下りて胸部の痣に人差し指を当てる。
数秒後、仙道の指に吸い込まれるように栄太郎の胸部の痛みと痣は消え去った。
「何をした!?」
「そんな状態じゃ話しづらいでしょう? 痛みは取り払いましたのでゆっくりと話し合いましょう」
驚く栄太郎を尻目に仙道は落ち着いた様子で再び椅子に座り笑顔を向ける。
「まずは今回吸血鬼の妨害を許してしまったこと、心からお詫びします」
「やっぱり吸血鬼は僕を狙ってるのか!?」
「というよりも私が小瓶をお渡しした方を狙ってるみたいですね」
「みたいですねって……あなた最初はそんなこと言ってなかったじゃないか!」
あっけらかんとした言い草に思わず拳を握る栄太郎。
「言う必要はないと思っていました。私がお渡しした小瓶の力は絶大です。本来なら吸血鬼など物の数ではありません」
「よく言うよ。戦ったけど全然歯が立たなかったじゃないか」
自信満々な言葉に対し鼻で笑う栄太郎の眼前に仙道はピースサインを作った左手を突き出して言った。
「理由は二つあります。一つはあなたの体に小瓶の水がまだ馴染みきっていないこと。もう一つは吸血鬼と戦った時間が月が出ている夜だったことです」
「夜? 時間帯が関係あるのか」
「吸血鬼の怪力、超回復は強力なアビリティですが弱点が無いわけではありません。夜以外ではその力は半減されるのです」
そう言って仙道は栄太郎の部屋の窓から見える太陽に指差す。
「普通吸血鬼って夜にしか外に出れないんじゃ……」
「時葉の吸血鬼には人間の血も流れていますから日中の行動も可能です。まぁ力が落ちる事には変わりないですがね」
「なるほどな、陽の出ているうちなら僕にも勝ち目があるわけか」
部屋に差し込むまぶしい光に目を細めながら栄太郎は納得したように首を小さく縦に振った。
「小瓶の力が馴染んでないって言ってたけど、具体的にどうすればいいんだ?」
「一度口にしてからただ時間が経過するだけでもいいのですが、もっと速く馴染ませたいのであれば――」
もったいぶるように仙道は一度言葉を途切れさせ、再び手を自分の胸の前に置いて言った。その妙な間の取り方に栄太郎は思わず息を呑む。
「強い願いを持ち続けることです。一番最初、あなたが小瓶の蓋を開けた時に抱いていた強い気持ちをね」
「強い……気持ち……」
自身も気付かないうちに、栄太郎はいつの間にか自分の手を鼓動が高鳴る胸に当てていた。
飲めばどんな願いも叶う。
最初にそう仙道に言われた時、栄太郎は自分の家族の事を考えた。
決して裕福な家庭ではないが父も母も朝から晩まで必死に共働きし、それでいて疲れを見せることなく愛情を持って自分を育ててくれた両親にこれ以上心配はかけたくない。
もしも願いが叶うならば自分に危害を加える相手をねじ伏せることの出来る力が欲しい。その気になれば相手を殺す事さえできる圧倒的な力が欲しいと栄太郎は小瓶に祈ったのだった。
普段の栄太郎ならば復讐など考えない。弁護士を目指す小森にとって暴力による解決などナンセンスだからだ。
殴られる事にも馬鹿にされて笑われる事にも我慢は出来た。しかし、金銭を要求され親の金にも手をつけろと言われた時、栄太郎の中で何かが切れてしまっていた。
自分の内にしまっていたはずの黒い感情を栄太郎は拳を握りながら呟いてしまう。
「僕は……思い知らせてやりたい! 力を無意味に奮う愚かな奴らにそれがどんなに浅はかなことかを!!」
「その気持ちを忘れずにいればきっとあなたの願いは叶いますよ。これは私からの選別です。受け取ってください」
栄太郎の内に溢れる強い怒りを感じた仙道は満足そうに頷き、ローブの裾から小さな虫かごを取り出して手渡す。
虫かごの中には手の平サイズほどのタランチュラが5匹、狭いかごの中でうごめいていた。
「これは?」
「あなたの新しい武器ですよ。次にトランスした時はこの子達があなたの思いのまま動いてくれます」
そう微笑みながら仙道は腰を上げる。
「では私はそろそろ――」
「待ってくれ!」
登場した時は急に現れたくせに帰る時は律儀に玄関に向かおうとする仙道を栄太郎は咄嗟に呼び止める。
「まだ私に何か聞きたいことでも?」
「そうだ! まだあなたの目的をきいていない。何で俺に力を与えてくれたんだ? あなたの目的はなんだ?」
「私の目的はただ一つですよ」
仙道はすっかり明るくなった窓の外の町並みを遠い目で見つめながら言った。
「進化を止めた人間達に、偉大な遺産である異能の記憶を思い出させてもう一度この世を異能で溢れる世界にする……いえ、そんな世界が見たいのですよ」
それだけ言うと仙道は廊下を歩いて玄関から去って行った。
残された栄太郎はリビングのテーブルの上に作り置きされた朝食を食べ、シャワーを浴びて制服に着替え、髪をいつも通りの七三にセットして登校の準備を済ませる。
その後学校用のバッグに小瓶と仙道から貰った蜘蛛の入った虫かごを入れて、栄太郎も玄関に向かい靴を履く。
今までに受けた屈辱を晴らすため、自分の身を案じてくれる両親に真の安心を与える為に栄太郎は悠然と家を出て行った。




