小森栄太郎の幕間
小森栄太郎の幕間
学校からの帰り道、栄太郎は歩きながら鞄からある物を取り出して眺めていた。
得体の知れない青い液体が入っている硝子の小瓶だった。
小瓶の中央には足を八本生やした蜘蛛の彫刻が施されており、見るからに不気味だと栄太郎は思う。
この小瓶を入手したのは数日前、陽の暮れた町をいつもの様にT4に殴られた所をさすりながら歩いている時だった。
突然黒いローブを着た銀髪の男に声をかけられ「叶えたい願いがあるのならこの液体を飲みなさい」と半ば一方的に渡されたのだ。
普通なら怪しすぎてすぐに捨ててしまうところだが、男の言葉には妙に信じてみたくなるような引力がありつい栄太郎は小瓶を受け取ってしまう。
それ以来この小瓶の中身を飲むか否かをずっと迷っていた。
確かに今の栄太郎には叶えたい願いが一つだけあったのだが、見たことの無い青い液体を体内にいれて無事に済むだろうかという危惧もあったのだ。
右手に持った蜘蛛の小瓶を眺めながら考える。飲むべきか否かを。
その時、栄太郎は妙な違和感を覚えた。
自分の周りに車や人が全くおらず、気配すらかんじられないのだ。
辺りに妙な静寂が漂う。
「これは驚いた。まだ飲んでいなかったのですか?」
背後からの声に栄太郎は体を飛び上がらせて驚く。
振り向くといつぞやの自分に小瓶を渡した黒いローブの男が立っていた。
「いつからそこに?」
「いやだなぁ。ずっとここにいましたよ」
男は飄々と笑った。
「それよりもあなた。受け取った小瓶の中を何故飲まないんです?」
栄太郎は無言で目を伏せる。
「叶えたい願いがあるのでしょう。私は願いのある人間の前にしか現れませんよ」
ローブの男は栄太郎の耳元で囁くように言った。
「自分をいじめた人間を殺したいのでしょう?」
男の言葉に栄太郎は驚いたように後ずさりする。
「図星ですね」
「……そうだよ。俺の望みはたった一つだ」
今まで蜘蛛の巣にかかった蝶のような気分で毎日を過ごしていた。
一度網にかかってしまえば二度と自由に飛ぶことは出来ない。
もがけばもがくほど糸は全身に絡みつき、最後には動けなくなり諦めるしかなくなるのだ。
毎日がいじめの日々だった。
中学まで普通の生活を送っていた栄太郎にとって初めてのいじめの体験は地獄としか例えようのないものだった。
靴を隠される、もしくは捨てられる。
人気のない場所へ呼び出されては殴られ、蹴られ、サンドバッグにされる。
自分だけが傷つく分はまだ良かった。
許せなかったのは金を要求された時だった。
栄太郎の家は決して裕福ではない。5年前に両親が離婚してからは母親が女手ひとつで栄太郎をここまで育てたのだ。
実家の料理屋を継ぎ、朝早くから深夜まで懸命に働く母にこれ以上の心配はかけたくなかった栄太郎は屈辱を堪えてT4に頭を下げた。
払える金がないから勘弁して欲しい、と。
しかしT4からは同情どころか更に残酷な要求が飛んできた。
金がないなら親の財布から取って来いと殴られたのだ。
結局殴られて続けても要求を拒否し続ける小森にT4は苛々を募らせ、いじめはますますエスカレートするはめとなった。ジュースを買いに行けと命じられたかと思えば背中を押されて階段を転がり落ちるといったようにだ。
頭から流血してもただ笑われただけだった。
奴らはもはや人間的な心すら失くしているように感じた。
ならば、あんな奴らがこの世から消えたところで一体誰が困るのか?
「奴らを……僕をいじめた奴らをこの手で殺してやりたい!」
「ならば尚更、あなたはその小瓶を飲まなければならない」
栄太郎の持つ小瓶を指差して男は言った。
「こんな物飲んで何が出来るって言うんだ? 何が変わるっていう――」
栄太郎の台詞に前に出した右の手の平で割り込んで男は言う。
「飲めば全てが解ります。飲めば全てが叶います」
静かでありながら力強い語気に押された栄太郎は恐る恐る小瓶の口を塞いでいる木製のトルクを摘み取る。
小瓶に口をあて、栄太郎は一口だけ青い液体を飲み込む。
色は目が覚めるほど真っ青な液体は何故だか血のような味がした。




