第17話 暗殺の依頼者 4
道を歩きながら顎を指でなぞるように触れながら思案した。
酒が少しでも入っている以上、ベイリーズと接触するのは危険だ。ここは一晩泊まって明日の朝に行動しようと決めた。
宿泊場所として真っ先に思いついたのはシュマール回復診療所。診療所の隣に小屋が空いていると言っていた。
リオナの家の客室に泊まるのは避けておこう。接触する前に疲れてしまう気がした。
シュマール回復診療所のドアを開けて中へ入った。待機室には客は居なかった。受付の女も居なかった。
「シュマール? いるか?」
返事がなかった。診療所は静寂に包まれていた。
「誰もいないのか?」
俺はポケットから懐中時計を取り出した。今日の診療時間はあと十五分ほどで終了する。患者がいないことには別に違和感を覚えなかったが、居るべき人間がおらず、問いかけに対して聞こえるべき返答がない。
嫌な予感がした。
でもここは安全な場所のはず。シュマールは誰にも狙われないはずだ。自分自身にそう言い聞かせたが、心の中から外側へ飛び出そうとしている不安は秒単位で膨れあがった。
「失礼するぜ!」
俺は診療室のドアを勢いよく開けた。
「シュマール!?」
診療室に患者は誰もいなかったが、さっきまで誰かが居たような気配が残っていた。
俺は部屋の奥に視線を移した。その場所は大衆食堂のギネスを診たシュマールが座っていた椅子と、カルテを置いていた机がある。
同じ場所にシュマールが椅子に座りながら机に突っ伏していた。
「シュマール!」
俺はシュマールの身体を思いきり揺すった。何となく骨を鷲掴みにした感触が手に伝わった。シュマールの身体は老人そのものだった。
「んんっ? 何だ。誰じゃ」
「俺だ、ラーセンだ!」
「おお、ラーセン。どうした?」
「それは俺の台詞だ! 誰にやられた?」
「やられた? いや、誰にもやられておらんぞ」
「嘘をつけ! まさか、ベイリーズか!?」
「ベイリーズ? ワシはここで寝ていただけじゃぞ」
「ね、寝てた!?」
「今日は珍しく患者さんが少なかったから、ティナさんには早く上がっても良いと言ったんだ」
「クソじじい! こっちは心配したんだぞ!」
俺はシュマールの胸倉を掴んでシュマールの身体を前後に揺さぶった。
「は、離せ、ラーセン!」
俺が手を離すと、シュマールは咳を数回した後で大きな咳払いをした。
「で、誰に早く上がって良いって言ったんだ?」
「ティナさんじゃよ」
「ティナ? ああ、受付の女か」
気持ちが高ぶったせいで受付の女の名前を失念していた。
「そうしたら、お前さんが診た現場職人が訪れてきて、近くに資材置き場があるかと聞かれたので、隣の小屋を使って良いと言ったんだ」
「おい、ちょっと待て。その小屋は俺が寝床に使って良いって言っただろ」
「お前さんから使うとは聞いてない。だから貸したんだ」
「ふざけるな。じゃあ、俺はどこに泊まれば良いんだ!?」
「アテにしていたのか?」
「当然だろ!」
「じゃあ待機室のソファで良かったら使え」
「良いのか?」
「構わん」
「じゃあ遠慮無く使わせてもらう。毛布を貸してくれ」
シュマールは徐ろに椅子から立ち上がり、返事をする代わりに手を挙げた。
「なあ、シュマール。さっきまでここに誰かいたか?」
「ティナさんじゃよ。現場職人達と意気投合したから、今頃飲みに行ったと思うがな」
「そうか」
シュマールが毛布を取ってくるまで待機室のソファに横になりながら天井を見つめていた。遠くの方で馬車の車輪と複数の男達の高い声が聞こえた。酔っ払いかもしれない。
野宿より屋根のある室内の方が断然良い。雨風がしのげる上に、何と言ってもあの夢を見なくても済む。
シュマールが夕食を買って来くれた。俺はシュマールが外出するまでの間、自分で食べに行くから良いと断り続けた。でも強引なシュマールには勝てなかった。
炒った卵を挟んだパン、大豆と野菜と細かく刻んだ塩漬けして燻製した豚肉が入った大盛りのスープが夕食となった。
昔から早飯が身についていたので、食べるが早いとシュマールに言われた。早飯のくせは反乱軍に入隊した時からついたと思われる。戦いに休憩は無い。あの時は食事中も気が抜けなかった。
俺はソファの背もたれに寄り掛かった。窓越しにガス燈の灯りがぼんやりと見えた。
「ラーセン」
「何だ」
「年寄りと話をする気はあるか?」
俺は思案した。一宿一飯の礼とは言わないが、シュマールの話を拒む理由はなかった。
「眠くなったら打ち切りだぜ」
「もちろんだ」
「で、話って何だ?」
「単刀直入に聞くがベイリーズという奴は何者だ?」
忘れているわけがないとは思っていた。
「殺し屋だ」
俺は隠さずに言った。
「殺し屋とはまた物騒な奴だ」
「リオナの命を狙っている」
「リオナの命を? それは誠か?」
「ああ。ここに来たサラの母親を眠らせた上にサラの母親の顔を模写した蛇女も殺し屋だった」
「ラーセン。悪いが詳しく教えてくれんか?」
俺はベイリーズと戦ったこと、ネヴィスと戦ったことを話し、最後に髑髏の指輪を見せた。リオナの父親が殺し屋の存在に国王軍が関わっている疑いをかけた話はしなかった。
「シュマールは何か知っているか?」
「いや、知らぬ。役に立てなくてすまんな」
嘘をついていない言い方と感じた。シュマールも元国王軍。しかも第二部隊だ。リオナの父と接触していてもおかしくはない。
だが剣士と魔術師だから接触してないと言われても不思議ではない。でも接触していないと言われたら、逆に疑問が残るものだと感じた。
「シュマールはデュワーズ・グレングラッサと面識はあったか?」
「当たり前だ。リオナの父は憧れの存在だった。剣の技術は国王軍の中でも一位二位を争うほどの腕前だ。そして彼は最後の最後まで剣を抜かないことで有名だった」
「剣を抜かない?」
「彼は最後まで話術で相手を説得しようと試みる。相手が一切の交渉に応じない場合、その時彼は初めて剣を抜く。まさに血を流さない正義そのものだ。だから彼は女神の仲裁に相応しいと誰もが思っていた」
「血を流さない正義ねぇ」
だが、多くの人間の血が流れたのは、もう変わることはない事実。
「エリート集団の第一剣正団の下っ端でもリオナの父、即ちデュワーズ・グレングラッサに憧れ、異動願を出す者もいた」
「すげぇんだな。リオナの親父さんは」
「惜しい男を亡くしたと思っている」
シュマールは感慨を抱いた表情を浮かべた。これ以上、話を聞いても殺し屋に関する情報を得られないと思った。
「なあ、シュマール」
俺は聞いてみることにした。
「なぜ戦争は起きた? なぜ『運命の一週間』が起きた?」
「その質問をワシに答えろと言うのか?」
「人生の先輩だからな。先輩は敬わないと」
シュマールは眼鏡の淵を指で押し上げ、調子が良い奴だと笑いながら答えた。
「ガルディバ王に二人の息子がいることは知っているな?」
「知っている」
兄はオスロスク・ジ・ガルディバ。曲がったことが嫌いな血気盛んな男。力任せで事を解決しようとしている。指示するのは一部の男性のみで、女性はもちろん、それ以外の者からは嫌われている。それ故に未婚。
弟はダルモア・ジ・ガルディバ。兄のオスロスクとは正確が真逆。優しさと慈愛の心を持つ男。幼少期から研究することが好きで、学生時代には研究発表による賞を多く獲得している。殆どの年齢層の男女から好かれている。それ故に既婚。だが子供はいない。
「国王陛下の跡継ぎは長兄と決まっている。だがオスロスクは自由奔放な上に未婚だ。正直国民は不安しか感じていない」
「そりゃそうだろうな。その話が俺の質問と、どう関係あるんだ?」
「戦争というのは剣の一振り、魔法の一撃から始まる可能性もある」
シュマールの口調に重さを感じた。
「例え跡継ぎは長兄と決まっていても、その規定に例外規定を設ければ事足りる可能性もある」
「事足りる可能性って、誰がそんなことを考えているんだ?」
「ダルモアを支援する者じゃよ」
「それって、まさか」
「そう。跡継ぎは長兄と定める、但し、その長兄が国王陛下の位を継承するに相応しないまたは国に不利益を及ぼす見込みが含まれ、それが後世に続く王位継承に支障が出ると判断された場合はこの限りではない。もし例外規定を定めるならもっと厳密になるだろうが、このような一文を定めた場合、弟のダルモアも跡継ぎ候補になれる」
ダルモアも
俺は考えを整理して尋ねた。
「つまり二人に一人が王位継承する。優秀なダルモア、野蛮なオスロスクにも派閥は存在する。そうなると派閥の人間同士で争いが生まれる。その中で剣の一振りか、魔法の一撃か、どちらかが原因で戦いが起きた。その小さな火種が大きな火種に化けたのか」
「そういうことだ。今ではその小さな火種を調べるのは不可能じゃ」
「待ってくれ。今のガルディバ王は国民の声を聞いていないぞ。雇用問題は解決されないし、税も重くなる。他にも問題が山積しているのに、こんな状態じゃ跡継ぎどころじゃないだろ」
シュマールは眼鏡をかけ直した。
「これはワシの個人的な考えじゃ」
「教えてくれ」
「優秀な跡継ぎが、山積している問題をほぼ解決すればどうなると思う?」
「誰もが『ダルモアが王位継承して良かった』と思うだろうな」
「ワシもそう思う。だからわざと問題を山積している可能性もある」
「国王陛下がそんなことを考えているというのか?」
「周囲の参謀じゃな。優秀な参謀は影に隠れているものじゃ」
「ダルモアを支援する連中って誰だ?」
「おそらく第一剣正団や第一魔術団の連中だと思う」
この戦いの火種は、王位継承予定の兄オスロスクに加えて、王位継承候補としてダルモアを支援する連中の間で起きたことは間違いない。
その火種に国民が巻き込まれ、やがて反乱軍という大きな対抗勢力が生まれた。反乱軍の中にオスロスク派やダルモア派がいるという話は聞いたことがない。
反乱軍は現ガルディバ王の国政に不平不満を抱き、それを改善するよう直訴するために集まった。
平和的解決の交渉の受容体勢は取っていたらしいが、一方的な国王軍の武力行使を前に、反乱軍も剣を掲げ、魔法を放った。
犠牲者は平和を望んだ国民だった。
「少し喋りすぎたようだ。ワシの方が眠くなってきた」
「そうか」
「なあ、ラーセンよ」
「何だ?」
「二、三日ばかり診療所で手伝いをしてくれないか?」
「それは無理だ。俺はいそが――」
「一宿一飯の礼はそれで十分だ。ほっほっ」
シュマールの策略に嵌められたと感じた俺は「クソじじい」と呟き、ソファに寝転がった。
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