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騒動の始まり(2)

 

 時が止まったかのようだった。


 店の明かりに照らし出されたその姿──一言で表すに、美男子である。

 年の頃は17、8といったところだろうか、眩いばかりの白金の髪に、憂いをたたえた紺碧の深い眼差し。

 筆でなぞったような細い鼻筋、薄く苦みばしった唇、やや尖りがちな顎。ともすれば神経質にそうな造作だが、下がり気味の眉が子犬のように垂れていて、それがどこか親しみを感じさせる。

 175サント前後のほっそりとした体つき。上等な白の絹シャツを引っ掛けていて、開いた胸元には鎖骨のくぼみが見え隠れ。細首に下げられた首飾りも品が良く、サテン地の腰帯には細剣をぶら下げている。銀の鍔には精緻な細工が施され、きららかに光を跳ね返していた。


 恐らく市井(しせい)に紛れようと彼なりにラフさを演出したのだろうが、残念ながらあまり上手くはいってない。所作がいちいち雅で初心なのだ。

 立ち方一つで育ちの良さが滲み出ていて、下町の南通ではまず見受けられない、育ちの良さがうかがい知れた。


 おそらくは貴族か豪商、どちらかの子息。それもコロシアム以北に居を構えるやんごとない方々……領主にちかしい、ごく一部の上流貴族と呼ばれる人種であろう。

 娘達の熱い眼差しと、男達の冷えた視線──その両方を一身に浴びた彼もまた、この奇妙な時の凝固に囚われていた。


 中でもレーナの反応は劇的だった。三ヶ月目にしての大当たりの予感。。

 とくとくと脈打つ乙女な鼓動がドクンと高鳴り、やがてドクドク不規則なうねりとなって思考を奪う。ヤバイ。これはキてる。もうキたのか早いこれで勝つる──レーナの言語中枢は破壊された。


 そんな中にトドメとばかりに響いた言葉が、


「ああ。すまない……満席だろうか?」


 と来たものだ。低く歌うような声音は弦楽の調べ──落胆をほんの一瞬浮かばせた後、それでも余裕を醸そうとする強がった風情。可愛くってたまらない。ちょっと皆さん聞きまして? 『だろうか?』ですって! ステキ! 抱くぞ! よろしいか! ……心のなかで咆号し、けれどもレーナは言葉が出ない。胸苦しくて、呼吸さえもがおぼつかない。

 唯一彼に答えられたのは、沈黙がきつけになったジョシュだけだった。


「いらっしゃい。少し待っていただけりゃあ、すぐ席をご用意いたしますよ。3分ばかりよろしいですかね?」

「ああ。こちらこそ無理言ってすまない」


 イケメンは鷹揚に頷き返し、壁に背をもたせかけると改めて店内を眺めだした。

 高めの天井、煤けた幻灯の明かり、飲み食いを再会する客達、そして食事を終えて席を整えるメイドたち──…そのいちいちをレーナも追ていると、一瞬目が交錯した。慌てて目を逸らしたものの、効果は抜群。再びレーナの身体は痺れた。


 ──やっば。したくなってきちゃった。

 ──凄くしたい。すっごいドラミングしたいんだけど。

 ──ううん、駄目よレーナ。それはダメ。そういうのはベッドの上でって決めてるんだから。人前でなんて、そんな……はしたないわ。

 ──でもでも、モタモタしてたら取られちゃうかも? ……ちょっとだけ。2~3回だけなら、冒険しても、いいかナ……?


 一瞬にして爛れた牝の顔へと豹変したレーナであったが、はたと我に返って首を巡らせる。するとやはり、娘達五人が五人共に心を何処かに飛翔させていた。……具体的には、前方の黄金の玉の輿の塊に。普段は仲睦まじい娘達だが、ことイケメンに関しては話は別。偽りの友情は砕け散り、真実の姿が暴かれる。唯一のルールは早い者勝ち──火花を散らして各々居住まいを正し、胸を突き出し、裾を捲り上げ、戦闘服を整え終えるといざ出陣──しかしレーナは、痴れた分だけ出遅れていた。変わって隼のように彼の前に降り立ったのは、やはり虎の巣穴のスウィートキャット、ルシアであった。


「お待たせいたしました。お腰のものをお預かりしますわ」


「では頼むよ」


 細剣と共に微笑み一つを対価に渡すと、ルシアはそのふくよかな胸に抱きしめた。彼女の得意中の得意の手管。そのまま濡れた瞳で見あげれば、大抵の男はやに下がってホイホイと尻尾を振る。

 イケメンは町娘の大胆さに頬を染めたものの、しかめつらしく取り繕って受け流す。だがほんの一瞬、その胸元に視線が走ったのは気のせいではないだろう。

 これは一本取られたか……不覚と取るとは乙女の名折れ。ギギギと歯を軋らせていると、よせばいいのにモヒオが背中に語りかけた。


「残念でしたね」

「うっせ」


 毒づきながら脛を小突くにかかったが、小賢しくも躱された。もう一蹴り。ヒョイ。ふた蹴りヒョイ。不毛なタップを踏みながら、二人で洗い場に立って小声をかわす。


「ま、アニキってば未だに五回に一回は給仕で皿割るんスから。ルシアさんに任せるのが一番ですよ。あのボンボンに粗相があったらコト(・ ・)ですぜ」

「……わかってるよ」


 改めてモヒオに言われるまでもなく、落ち着きの無さは自分でも気にしている。ほとほと嫌になるぐらい。とはいえ今すぐ直る訳でもなし、モヒオの言うようにルシアに任せるのが無難だろう……頭ではわかっていても、逃した魚は大きく映る。レーナは水面下の攻防をやめ、なんとも羨ましげにルシアとイケメンのやり取りを眺めた。

 慣れぬ場のメニューに戸惑っているのか、いちいちルシアに確認しては頭を悩ませている。顎に手を当て吟味する様子がなんとも知的──ギギギやっぱり羨ましい。洗いざらしの鉄鍋はレーナの怒りを受け止めそして耐え切れず、哀れ鉄球へと姿を変えた。


「そんなに物欲しそうにしなさんな。なんだったら俺の胸で泣かせてやってんもォォォんッ」

「調子のんな死ね」


 モヒオの土手っ腹に鉄球を叩きこんで牛の悲鳴を挙げさせつつ、再びの溜息。

 全くもう、何であたしの周りはこうなのか……ほとほと自分の男運の無さを嘆きながらも、今はもう彼女の仕事ぶりを見守る他ない。


 迷いを楽しむようにたっぷり時間を使った挙句にようやくルシアが戻り、ちょっと困ったようにジョシュに告げる。


「メスカルですって。まだ飲んだことがないそうよ」

「あー……んー……」


 よりにもよってそれか──レーナの顔が微妙に翳る。ジョシュもやはり同様だった。


「そんな強い()で大丈夫か?」


「『大丈夫だ、問題ない』ですって。お酒は割合お強いとか……」


 ジョシュはそれでも渋面を崩さない。……とはいえ、客の注文にケチはつけられない。せいぜい驚いてもらおうと、店でも一等強くて値の張る一本を取り出し杯に注ぐ。

 早速ルシアが届けると、しばらく杯を回して香りを楽しみ、チロリと一舐め。


「……うまいな」


 驚き目を丸くすると、今度は一息に飲み干した。ほうっと熱い吐息を一つ。早くも頬に朱が差して、どことなくあどけない表情になっていた。


「いかがです? もう一献」

「ああ、いただこう」


 微笑むルシアに杯を預け、イケメン貴族もまた微笑む。妙に似合いの二人に見えて、負け犬レーナは本日二枚目の鉄鍋をお釈迦にした。

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