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騒動の始まり(1)

 ──再び、虎の巣穴亭。


「いただきます!」


 レーナは元気よく唱和しながら、前世からの習慣である合掌をしながらにペコリと一礼卓上に広がる無数の料理を前に瞳を輝かせた。

 パエジャに揚鶏、第七都市風(アリナス)の牛の煮込み。せいろで蒸し上げた野菜と豚肉の包み焼き。エビやサーモンをオリーブ出会えたマリネ風サラダ。香辛料のたっぷりはいったヌードルスープ……美味そうに湯気を立てるそれらの品々は、どれもこれもブドゥージョでは中々に珍しいものばかり。カウンター席では収まらず、一卓まるまる使ってなお溢れそうなその様子は、さながら異世界式満漢全席といった風情である。


 その中に、一点──なじみ深い故郷ウェッスルの郷土料理を見つけた。

 甘辛く似た牛肉を、炊き立ての米に巻いたライスボール──いわゆるおにぎり。レーナの大好物でもある。早速嬉々としてかぶりつく。半分ほどを一息に口に入れ、もむもむと咀嚼した途端、ジューシーな肉汁と米の甘みが目を細めさせた。中に埋め込んだ刻みショウガも香り高く、スッキリとした後味を舌に印象付ける。塩加減も握り具合も丁度いい塩梅で、これだけでも叔父の腕前を窺い知れる。心底幸せそうに頬張る様子に、客もメイドも微笑ましく見守っていた。


 レーナが転生した直後に最も懸念したのは、何よりも食生活の事だ。人間、環境が変わればも文化だって趣味嗜好も変わるハズ──異世界ともなれば尚更である。

 好き嫌いは少ないタチだが、はて、前世の記憶を持ったままで異界の味に馴染めるだろうか? とにもかくにもまず栄養と、新たな母の乳を貪り吸いつつ、その事ばかりを心配した。


 それがまさか、異世界くんだり米が食べれると思ってなかった訳で、元・日本人としては大変に嬉しい誤算であった。

 どうやら食糧事情は地球と相当に似ているらしい。この調子ならバナナもありそう──まだ見ぬ至福に胸ときめかせ、瞬く間におにぎりを片付ける。握った箸に残像まとわせ、いよいよ山と盛られた料理の山を征服にかかる事にした。



 その一方、厨房では死んだ眼で黙々と鍋を振る店主ジョシュの姿があった。

 引退したとは言え、かつては豪腕でならした元闘志が17歳の小娘に負けたのだ。その心中は察してあまりある。

 見れば目尻に涙を浮かべ、肩をかすかにふるわせている。今はそっとしておくのが優しさであろう。

 だが空気を読まず、訳知り顔で頷くバカが一人居た。


「どんまい、旦那……アンタよく戦ったよ……」

「うん……」


 メソメソする店主を前に、上機嫌で杯を重ねるのは立派なモヒカンがトレードマークの常連客──モヒオことモーリス・ヒンクリーであった。

 この男はブドゥージョ市場の顔役の一人息子であり、南通りで幅を利かせる不良少年たちの頭目でもある。

 その立場を利用して南通を世紀末色に彩る彼だったが、街に越したばかりのレーナと遭遇。それが宿命のように対立し、指先一つでダウンを喫して敗れ去った。

 この一件に思うところがあったのか、今は彼女の腰巾着としてつきまとっている。レーナとしてもそこそこ機転が利き、頻繁に客を連れてくるこの小男が嫌いではない。

 嫌いではないが、むかつく欠点がいくつか。調子に乗りやすく、とにかくよく喋る──今なお果てしなく舌を動かすその傍らに、空き瓶が2本。

 そろそろボロが出る頃合いと、レーナはモヒオにそっと忍び寄る。


「……だからさぁ、もう元気だしなって。アニキが相手じゃしょうがばばッ!」


 早速に飛び出した禁句ワードに遅れることコンマ2秒──無言の掌打が撃ちぬいた。ノーガードの所に小気味良くもらい、モヒオの盃から酒が溢れる。


「何するっスか! 酒こぼれちゃったでしょ!?」

「アニキって呼ぶなっつーたろ? お? そんなにあたしが男に見えるのか?」

「言葉の綾っつうか、尊敬の証でしょう!? あーホラ、瘤になった! 見てくだせえよ旦那! お宅の店では客に暴力ふるうんスか!?」

「……ああ。客による」


 ジョシュの返事は至って冷淡、機械的。未だ立ち直れずにいるらしい。

 モヒオは尚もキィキィと歯を軋らせたが、レーナの瞳に燃え盛る黒焔を見てとるやたちまちモヒカンをしなびさせた。残った酒をぐいと飲み干し、小さくポソリ。


「そんな乱暴なこっちゃ、嫁の貰い手なんざつきやせんぜ……」

「……モヒオはひょっとしてアレか? あたし狙いのツンデレさんか? わざとあたしを怒らせて気を引こうって魂胆なわけ?」

「いえ、俺っちはルシアさん一筋なんで。アニキと寝るなんざタマが幾つあっても二重の意味で足りねえって言うカハァッ……」

「そもそも使い道がねえだろ。消毒すんぞ、このバカ」

 麗しくも凶悪な脚線美が再びモーリスの尻をしたたかに打つ──尾てい骨の芯まで響く凶悪な威力。予後不良は御免被る。モヒオはお口にチャックした。

 たっぷりと仕置きをくれてやり、満足したレーナは再び席に戻った。さて、今度は何を食べようか。行儀悪くも欲望のままにカチカチと箸を鳴らす。と、4度目でころりと箸が転げ落ちた。


「っと、やっちゃった」


 レーナは箸を拾い、「やっぱりなぁ」と小さく呟く。未だ痺れの抜けない自身の右掌をじっと見つめた。


(…──あたし、弱くなってる)


 半ば予想していたことだが、少なからずショックがあった。

 叔父は強かった。ただでさえ丸太のような太い腕は、ひとたび力を込めればみっしりと動脈が浮かび、どっしりとそびえる岩山の如き大迫力。

 前世を含めて、これほど組みがいのある腕というのはお目にかかったことが無い。当然、かかる力も桁が違う。鬼達磨退治にたっぷり5分もかけ羽目になってしまった。しかも内容は紙一重。

 必死に押しこみ押しこまれ、またひっくり返しの大接戦。大いに観客をわかせた後、最後の最後にレーナの若さと負けん気が勝った。

 信じがたい光景に店中が大歓声に湧いたその時は、達成感で満たされたのだが、しばらくして心のどこか、寂しく思う自分が居た。


 レーナが『冴夏』だった頃なら、おそらく秒もかからず圧殺していた。その確信がある。なにせコンボイと戦えるぐらいの特別製の肉体だ。

 恐らく人類ではハナから勝負にならないだろう。無くしてみて初めて分かったその値打ちに、誇らしいやら少し寂しいやら、少々複雑な気分にさせられた。


 対して今のこの身体は──『レーナ』の身体は、まだ十分に『人間』の範疇に収まっている。

 リンゴぐらいは今でも片手で潰せるが、それとてちょっと気合がいる。せいぜいが『冴夏』の4割といったところだろう。勝つには勝ったが、なんとなく心もとなかった。

『あたしまじマッスル』──そう言って胸を張りたいのに。もっともっと力を付けねば、大事な(ひと)は守れない。恋する乙女は無敵でなければならないのに。理想にはまだまだ、遠い──…。


「レーナ?」


 その声にハッと意識を引き戻すと、すぐ側に新たな皿をトレイに載せたルシアが居た。


「せっかくのお料理が冷めてしまいますわ」

「あ、うん。そだね」

「それと、ここ。せっかくの美人が台無し」


 ルシアが困ったように微笑みながら、レーナ頬にくっついていたご飯粒を取り除く。摘んだご飯粒を半瞬見つめ、誰も見ていないことをしっかり確認してからヒョイッと口の中に放り込んだ。

 らしくない所作にレーナが驚き目を丸くしていると、ペロッと舌を出して悪戯っぽい表情を作った。


「お腹空いちゃって」


 罰が悪そうなルシアのお腹は、よく耳を澄ませば「きゅるる」と可愛らしい虫を鳴かせていた。


「ごめん、あたしだけ食べちゃって! ルシアも座って座って!」

「え、でも仕事中……」

「いーの! どうせ常連ばっかだし、もうセルフサービスさせよう!」


 レーナは近くの椅子を引っ張ると、有無をいわさず黙ってルシアを座らせた。

 他のメイドたちにも声をかけ、その一卓だけは華やか極まりない空間へと変貌した。客は不平不服はこの際黙殺、皆で卓を囲って料理をつつく。やはり一人で食べるより、こっちのほうがずっと美味しい。どんどん食べるよう声をかけながら、レーナも食事を再開する。しばし唖然としていた客達だったが、華やいだ空気を眺めるうちに自然と怒りを忘れ、その様子を微笑ましく眺める事にしたようだった。


 それにしても、外から見るとやはりレーナは目立つ。一人群を抜いて背が高く、美貌に似合わぬ健啖ぶりには娘も客も見入ってしまう。

 それらの視線を平然と受け止め、綺麗どころをはべらせる姿はさながらハーレムのようであった。


 中でもルシアの甲斐甲斐しさときたら世話焼き女房そのもので、自分の食事はそっちのけ。アレも食えとコレも食えと仕切りに勧め、挙句の果てには必殺の「あ~ん」攻撃まで繰り出す始末。その熱烈過ぎる歓迎は、普通なら鬱陶しくなるところだろうが、そうはならないのがこの娘の凄いところだ。


 ゆるくウェーブのかかった青い髪、垂れ目がちの大きな瞳はいつも濡れたように光っていて、左の目尻に泣きぼくろ。

 女性らしく柔らかい肉付きの身体から、ほのかに汗と甘い花の香りが漂ってくる。娘達の中でも人一倍背が低く、見ようによってはまだ童女に見えるあどけなさ。仕事も完璧、愚痴も一つもこぼさない。何をするにも一生懸命なその様からは健気さが溢れていて、ついつい頬を緩ませてしまうのである。


 その可愛い可愛いルシアに『美人』と評され、さっきから胸がくすぐったくてしょうがない。

 何度聞いても嬉しい響き。前世ではついぞ聞けなかった形容詞。……だけど、思ってたのとはちょっと違う。


 霊界で見た『レーナ』はもっと小柄で可愛らしい、ルシアとならぶ愛玩系だった。

 それがどういう訳かすくすくと育ちすぎ、またしても男顔負けの長身になっているのか……心当たりが無いわけではない。死にゆく魂を『冴夏』が補ったから、『在り方が変質した』ということなのだろう。コレはコレで大変よろしい。よろしいのだが、やはり隣の芝生は青く見えたりするのが人情というもの。レーナはルシアのうっとりとした視線を受け止めながら、自らもまたルシアを見つめて、思う。



 …──いーなぁ。何でこうなれなかったかなぁ……なれるわきゃないか。だってあたしの性格、何も変わってないもんなぁ。



 冴夏は『あの子』で、『あの子』は冴夏。二人の魂が混ざり合ったのなら、性格だって少しは変わるはず──多少は覚悟していたのに、結局中身は『冴夏』のまま。

 少なくともレーナに変わったという自覚がない。人に尋ねる事も出来ず、今でも時々こうして頭を悩ませている。


 ひょっとして……駄目(・ ・)だったのか。それはないと思いたい。あれほど生きる事を願っていたのだ。消えただなんて考えたくない。

 きっと今も、心の何処かで彼女は彼女なりに世界を見ているはず。あるいは。


(あの子、あたしと性格似てたのかな)


 理不尽な境遇、死を前にしても心底諦めない我の強さ。共通点は多いように思う。

 似たもの同士がくっついたなら、些細な変化に気付けないのではないか……? そう考え方には妙にしっくり来たので、レーナはそれ以上くよくよするのをやめた。もう二度と考えないようにとも。過去を見てても仕方がない。全くもってらしくない。もっと前を向かないと。何より新たな人生と美貌の値打ちを考えれば、転生のトータル収支はやはりプラスなのだから。


 まだまだ16歳の成長期、女磨きはこれからだ。再び強くなりたいなら、もっともっと工夫をすればいい。それだけの話だ。

 技も力も磨きをかけて、叔父さんを指先一つでダウンを取れればまあ合格──…来るべき王子様(イケメン・高収入)との出会いに備えて決心し、さらなる追加注文(オーダー)を畳み掛けた。


 ジョシュは半ばやけくその様子で包丁を振るい、いつの間にやら鍋の番をさせられているモヒオに檄を飛ばす。エプロン姿が奇妙に様になっており、しごかれながらも案外楽しそうにしている。

 心と体に傷を負った者同士、どうか末永く仲良くしていただきたい。これにて厨房の人手不足は解決、今後は毒見役でも仰せつかるか……と、のんびり箸を構えたその時だった。


 少々立て付けの悪くなったスイングドアが軋み、古びたベルが新たな来客を告げる。

 一斉に視線が入り口に集中する──店の空気が静まりかえった。


「ン……? 何?」


 一人遅れて振り返り、そこに佇む男の姿を見たその途端。


 レーナの背筋に、痺れるものが走った。


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