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かくて彼女は世界を渡る

 冴夏が理性を取り戻したのは、拳に感じる感触が『ゴツゴツ』から『くっちゃくっちゃ』に変わる頃だった。

 神の顔は見事たがやされ、立派な農地になっていた。白目を向いてぴくぴくと痙攣している。

 慌てて抱え起こす──「大丈夫(らいりょふ)大丈夫(らひひょうふ)です。マジふいませんした」。

 ひとまず無事なようだ。冴夏は胸を撫で下ろした。


「どこまで話しましたっけ……そうそう、ヴァルハラなんスけど、神殺し余裕な女はいらんと言われてしまってワンワンワワンというのが現状なんスよ。さっきの調子でブッコロコロされると流石に英霊でも自信喪失っていうか再起不能っていうか」


 なんという事だ。戦士の花園でさえ受け入れられないとは。しかしそれほど強いと言われても、冴夏にはこれっぽっちも実感が無い。

 だとしたら、これからは自分はどうなるのか? どこへ行くのか? 今は何も考えられない。改めて悔しさがこみ上げてくる。死んだ後ですら何もつかめず、どこにも行く宛がないなんて……。


(……いや、)


 そうじゃない、とかぶりを振った。たくさんの命を助けられた。死を嘆いてくれるものが居た。形あるものは何一つ無いけれど、掴んだものはあったじゃないか。

 それはきっと、ベルトなんかよりはるかに尊いもので。


 ──あたしは、あたしにしか出来ないことをした。それだけは嘘じゃない。


 深い納得がおりてきて、心がふっ……と軽くなる。涙が溢れて仕方がなくて、思わずうつむいてしまった。


「……Ms.サップ?」

「……大丈夫ですよ、あたし。納得しました。パウンドしちゃってごめんなさい」


 礼儀正しく一礼し、もう一度頭を上げると、そこにはいつもの冴夏がいた。

 雄々しく凛々しく──一片の曇りなくカラリと笑う。己の結末をしっかりと受け入れた晴れやかな笑みだった。


(──この娘は……本当に、)


 強い。本当に強い娘だ。物理的にも精神的にも、これほどタフでいられるものは神の中にもそうは居ない。

 やはり己の人選は間違っていなかった。なればこそ、この娘にふさわしい処遇を──マッシュポテトのように崩れた顔を抱え直し、闘争神は考える。

 しばしの瞑目──1分ほどで、確信とともに口を開いた。


「……転生という言葉を知っているかね」

「なんとなく。……女神とか北斗ですよね」

「だいたい合ってる」


 頷き一つ、闘争神は説明を続ける。


「ごく希にだが、君のように神の都合で死ぬものがいる。その後の処遇はまあ、色々あるのだが……そのうちの一つが転生だ。君はどこかの世界、新たな生命として生まれ変わる。再び強さを求めるもよし、違う生き方を選ぶもよし。……例えるなら、人生のリセットのようなものだ。強くてニューゲーム。ステキであろう?」


 リセット──やり直し。人生を頭から。なんだかピンと来ない話だ。いくら考えても実感がわかず、曖昧に首を傾げるばかり。冴夏はなにより、むつかしい話が苦手なのだ。


 闘争神は論より証拠と、もうおなじみになった三度目のビジョンを映してみせる。今までと違い、今度は己の知らない光景だった。


 どこか古めかしい酒場で佇む一人の女の子。

 目も口も大きめの、くっきりとした麗々しい顔立ち。腰まで届く艶やかな黒髪。小柄な身体をメイド服に包んで、気恥ずかしそうにしている。

 自分の少女時代とは何から何まで正反対の、いかにも女の子らしい女の子。きっとモテるんだろうな──チクショウ。誰だコイツ。冴夏は無意識に羨望のため息をついた。


「『彼女』が君の肉体候補、その未来の姿だ。……とある世界の娘でな。今はまだ母君の中に居るわけだが──」


 闘争神は言葉を区切り、そこでまたビジョンが変わった。

 今度はどこかの民家で、今はお産の真っ最中。そして、ぼんやりと浮かび上がるもう一つの映像──MRIに似たモノクロのそれには、母体の中の新たな生命がくっきりと映し出されていた。


「……彼女は、もうじき死ぬ」


 その言葉に驚きつつも、すぐにその理由がわかった。

 へその緒が名も無き胎児の首に何重も絡みつき、今しも命を吹き消そうとしていた。赤ん坊は懸命にもがいて解こうとするが、へその緒はますます複雑に絡まり、無情にも体力を奪っていく。じわじわと死にゆく幼子を前に何も出来ない……やるせなさに拳を握る。神が味わう苦しみを、少しだけ理解した気がした。


「君が救ってやってくれ」


 冴夏は驚き目を見張った。救えるものなら救いたい。だが医者でも神でもないのに、一体何をどうしろというのか。だが闘争神の目は真剣そのもの、冗談を言っているようには見えなかった。


「この子は残念ながらもう持たない。そこで私が君を……君という魂を彼女の中へ送り込んで蘇らせる。君と彼女は一つとなり、晴れて現世へ復活だ。……私としてはWin-Winの関係だと思うのだが、君はどう思うかね?」


 雲をつかむような話の輪郭をようやく掴んだ気がした。ない知恵絞って噛み砕く。


 ────あたしは、これからあの赤ん坊になって生き返る。あたし=ベイビー。……つまり、十数年後には。


「あたし=美少女って事?」

「うむ」

「ウホッ」


 理解が追いつくなり、冴夏の脳裏に電流が走った。

 まず思い浮かんだのが無数のスイーツ──ビタースウィートなチョコケーキ、フルーツ盛りだくさんのプリンア・ラ・モード、たっぷりシロップのかかったパンケーキ……etcetc。

 冴夏が戦う女となって以来、これらを口にする事は出来なくなった。人一倍の減量苦が、それを許してくれなかった。代わりに常食したのはプロテインに生卵、それから鳥のささみ肉。お米やバナナは大好きだけど、それはもはやソウルフードだ。『別腹』の類から縁遠くなって久しい。


 縁遠いといえばスカートだってそうだ。制服を除けばただの一度も履いたことがない。そもそも冴夏の体格では、見合うサイズもおしゃれなデザインも無かった。

 ネイルだって可愛く塗って、キラキラキュートなアクセもつけて、メイクはうんと時間とお金をかけて──一度でいい、可愛い自分を見たかったのに。


 そして勿論──…恋愛だって。


 冴夏は言うまでもなく処女である。キスはおろか、同年代の異性と手をつないだことすらない。ハグだけは経験済みだが、ただし頭に『ベア』がつく。

 そういった必殺的なものではない、もっと甘酸っぱいものが、ずっとずっと欲しかった。いじめられたあの時だって、本当は期待していたのだ。優しくて賢くて、そして何よりグッドなルッキングのガイの登場を。冴夏はあの人に出会うまで、常にそんな理想の男の子を頭のなかに住まわせていた。


 線が細くて、白ランと眼鏡が似合うような知的な彼。出会いは廊下の曲がり角。悪漢たちにタカられた所を、冴夏が颯爽と現れ助けだす。全てが終わると目があって、一瞬で二人は恋に落ちるのだ。

 そのまま二人は抱き合い、互いの温もりを確かめ合う。熱い視線を絡めた後、冴夏は静かに目を閉じ、勇気を出してゆっくりと唇を寄せてみる。王子様が応える。貪りあう二人。止まらない止まれない。欲望という名の電車に揺られ、ついに二人は生まれたままの姿になり──…いよいよ本番、レッツセッ


「ウホゥ……!」


 冴夏はおぼこい妄想に身悶えながらゴクリと固唾を呑んだ。

 何度も憧れ、何度も諦めた様々なもの。全部全部、叶うかもしれない──…否、叶うに決まってる。

 なにせあんなに可愛いのだ。何を食べても笑われないし、どんな服だって着こなせる。ちょっとはにかみ微笑めばイケメンだって一殺(イチコロ)よ!


 冴夏はウッホリと表情が蕩かせて、ウィンウィンと踊る神と合わせて手を叩く。続いて逞しい胸を太鼓に見立ててドンドコ鳴らした。ヤバイ。これはテンションが上がる。もう嬉しくてたまらず、神を持ち上げ、何度も何度も高い高いをした。そのまま肩車し、思う様大地を駆けながら吠える──ビバ、転生! 世界一かわいいよ! やったねサエちゃん!


「ウホ雄ォォォォォォォッ!!」


 冴夏は息も切れ切れになるほど闘争神を振り回し、ようやく落ち着きを取り戻した。

 早速その転生とやらをしてもらおうと土下座ポジションへとシフトチェンジ──そこで、引っかかりを覚えた。


 あたしがあの子になる。それはいい。当方はいつでもウェルカム。いつだってあたしはあたしの夢を応援するものだから。でも、あの子の方はどうなんだ?


 ──『彼女』にも魂はある。無事生まれる事が出来れば、彼女が選びたい人生があるはずなのだ。それを上書きするような方法は、果たして正しいといえるのだろうか?

 冴夏には判断ができない。少なくとも抵抗があった。

 だが時間がない。まるでなかった。すぐにでも決めなければ、彼女は死んでしまう。それだけは絶対に嫌だ。何もつかめない虚しさは、人一倍わかっているつもりだから。

 本当に、ほかの方法はないのだろうか? …──思考迷路がぬけだせず、それきり冴香は押し黙る。


「何を迷っているかはだいたいわかるが……まあ、立ち給えよ。時間がないのだ」


 促され、言われるがままに立つ。神は大きくため息をつくと、冴夏の両肩に手をおいた。


「彼女は君で、君は彼女。さっきも言ったが、一つになるのだ。本来の在り方とほんの少し変わるが、それとて死ぬよりははるかにマシだろう?」


 神の自信あり気なその様子を見て、冴夏はひとまず信じることにした。信じる他に道はなかった。

 今なお納得しきれないままでいると、そこに『赤ちゃん』のビジョンが重なった。冴夏は思わず受け止める。不思議な事に少し温かい──…すると、唐突に何かが流れ込んで来た。


 ──苦しい。暗い。辛い。痛い。

 ──助けて。誰か助けて。死にたくない。まだ生きていたい。


 耳を塞ぎたくなるような切ない嘆き。無いはずの鼓動がドクン、と一つ高鳴った。

 出所は明らか──この子以外にあり得ない。尚も苦痛に喘ぎながら、それでも必死に助けを求め続けている。

 死に敗れ行く者の叫びに、冴夏は自身の最後を思い出す──ふざけるな。やり場なき怒りに駆られたその瞬間、ありえないことが起こった。

 赤ん坊の幻影がくるりとこちらを振り向く。ひらくはずのない目が開く。真っ直ぐこちらを──冴夏を見つめた。あどけない唇が言葉を紡ぐ。はっきりと(こいねが)う。


 ──助けて。

 ──お姉さん。


「……任せろ!」


 冴夏は力強く請け負うと、小さな身体をぎゅっと抱きしめた。暖かくて柔らかくて、本当に幻影なのかと疑いたくなる。

 何が何でも助けねばと、強い思いがあふれてやまない。まるで運命の二人のように、強く求めあう何かがあった。


 迷いが吹っ切れ、振り向きざまに決然と言い放つ──「始めて下さい!」

「よかろう!」──待ちかねたように拳が唸る。冴夏のガードは間に合わない。ガシッ。ボカッ。完璧な不意打ちがテンプルにクリーンヒット。


 ガシッ。ボカッ。スイーツにな~れ~。ガシッ。ボカッ。ラブリーにな~れ~。


 投げやりな呪文とも言えぬものを唱えながら、神はひたすらに拳を振るう──ちょっと待って、これってさっきの報復じゃないの……!?


「違うヨー。これは必要な儀式だヨー。殴ってるこっちも心苦しいのだヨー」


 うさんくせえ!──そう怒鳴り返してやりたかったが、力が抜けて言葉が出ない。

 殴られる度に冴夏の体が縮んでいき、少しずつ赤子の体に埋め込まれていく。どうやら本当に儀式だったようだ。

 冴夏は歯を食いしばる。ひっそりと誓う。殺す。絶対殺す。来世で殺す。その内またパウンドしてやる──。


 20発目。かなり意識が曖昧になった。代わりに得たのは暗闇と、何かに包まれたような感覚。首にかかったへその緒の感触も。その息苦しさが、強烈な生の実感となった。

 また生きられる。とてつもなくワクワクした。『彼女』もそうだと思いたい。冴香は心で語りかける。


 ──ねぇ、あたし。ちょっとズルして、未来のあたしを見たよ。

 ──すっごい可愛いんだよ。きっと、幸せになれるから。

 ──だから、生きようね。やれるところまで、思いっきり。


 生きて、生き抜いて──それでも肉の身はいつか滅びる。懸命に来世を生き抜いたなら、きっとまたここに来られるはず。来てみせる。今度はもっと、多くの宝物を手にして。

 儀式が終わるその直前。冴夏は最後にもう一度『彼女』に向かって言葉を投げた。



 ──よろしくね、新しいあたし。




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