七月七日、午後七時
雨が、降っていた。
涙にも似た水滴が世界を濡らしていた。暗雲に隠された星が、月が、その向こうで嘲笑っているようだった。
ある筈の星が見えない。
「天の川って、旧暦だからこそ見えたのよね……」
ぽつりと呟く、彼女。水滴が傘の表面で弾けては流れ、地面に消えていく。
「何で変えちゃったのかな」
「今の七月七日なんて、ただ梅雨の真っ最中なのに」
「昔と今の世界は違うのに、どうしてみんなその事に気付かないんだろ」
「変わったものが全てよくなるとは限らないのに」
「変わっていくのはそんなにいい事?」
視界の端、雨の中で街灯が淡く揺れる。傘の下、彼女の表情は見えない。
「でも……織姫と彦星は雲の上だから逢えるだろ」
「そうね、流石に天の川まで雨は降らないよね。雲の上にあるんだから」
傘の下で、微かに口元を歪めて微笑む彼女。
雨は降り続く。世界はそれを止める術もなくただ受け入れる。
「織姫と彦星には、天気なんか関係ない。ただお互いを思って年に一度の逢瀬を待つだけ」
「何百年も昔からそうだったのよ」
「恋人のただ一度の逢瀬に、世界は何を望んでるのかしら」
「その立場を除けば、ただ引き離された恋人同士の二人に」
「道端の幸せそうな恋人達に願いを叶えてもらえる事があるなんて、本当に思ってるのかしら」
少しだけ、冷たい口調。逢瀬を邪魔された女の、暗い感情が滲み出ている。
道端に飾られた笹の葉の短冊の文字は、雨で読めなくなっていた。
「少なくとも……僕はそんな事しないな」
「でしょう?」
「年に一度の逢瀬に他人に構っていられるほど、暇じゃない。相手の事で精一杯だし、それ以外の事は考えたくない」
彼女は微笑んだ。心から嬉しそうな表情で。
僕も微笑を返す。時間だけがゆっくり流れていく。雨は止みそうも無い。
そうして、日付が変わる、五分前。
「それじゃあ、また来年」
「ああ」
彼女は少し寂しげに微笑んで、ゆっくりと空へ昇っていった。
薄い薄い、およそ彼女にしか似合わない羽衣を身に纏い、引き裂かれた天上の恋人の、片割れである織姫の姿へと変わりながら。
僕もまた牽牛へと姿を変えて、彼女とは反対の空へ昇っていく。
雨は止まない。
傍らで濡れて落ちた短冊が、もう読めない願いを雨に溶かして、流していた。
Fin.