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 彼の目は酷く落ち着いていた。今、自分はとても満たされているようなとても奇妙な微笑み。風が彼の髪をなびかせた。それがより一層、彼の背後から湧き出る哀愁を漂わせていたのは一瞬で理解できる。

「やあ、来てくれたね。こうして二人だけで話すのは久しぶりかな。」

「何してる、やめろ、こっちに来い。」

 フェンスの向こう側に立つ彼は、いかにも不思議そうにこちらを見た。しかし、何を理解したのかもう一度微笑んだ。

「君に来てもらった理由だよ、この為に君を呼んだんだ。僕と君はいつも一緒だったからね。」

 彼は空を見た。雲が空を覆い、ひんやりと空気が冷たい。暗く、薄黒い雲。校庭のイチョウが葉を黄金色に染めたのはもう一週間ほど前のことで、今はその無様な裸体を晒していた。

「いつからか、僕と君の間には目に見ることができない隔たりが生まれたね。このフェンスみたいに。」

 彼はフェンスにそっと手を掛けた。

「拓真…。止めろ、そんな話はいい!とにかくこっちに来い。」

「そのフェンスが僕らを分かれさせたのは、僕が変わったからなのか。君が変わったからなのか。もしくは、どっちも変わったからなのかもしれないね。」

「俺達は変わってないさ、小学生から一緒だ。だから、な!」

「どちらにしろ、君と僕はもう同じじゃないよ。君は君、僕は僕の道を歩んできた。それがれっきとした証拠だ。異なる僕らを繋いだのは図書室の僅かな接触だ。あそこは隔たりも何も、壁となるものを無くしてくれた。」

 彼はフェンスの向こうで歩き始めた。わずかな足場をぐんぐん進む。それに合わせて、こちらも動く。

「ベートベンの交響曲第九番は僕の心を解放してくれる感じがするんだ。特にあの歓喜の歌は自由を得ようともがく僕の心に、とても良く響いてね。」

 彼は掛けていた銀縁の眼鏡を外した。大きさや個体は変わろうとも同じ銀縁の眼鏡を掛け続けた。それを右手で持つと、指を離した。重力に引っ張られる彼の眼鏡。音はしなかった。

「お前…。」

「僕はガラスでこの世界と隔たりを持っていたのかもしれないね。久しぶりに見る世界は、何だか酷くぼやけているね。」

 彼はくすっと笑った。

「当然か、僕は目がずっと悪かったからね。」

「拓真、俺がお前に聞きたいことがある。」

「いいよ、聞くよ。」

「何故、自殺しようとするんだ?」

 手に汗握るとはこのことなのか、話すたびに白く出る煙があらわす気温とは裏腹に、身体はただ熱くなった。

「自殺か、少し違うね。僕は死なないよ、現実から逃げるわけじゃないんだ。それに、僕は君とずっと一緒さ。」

 楽しそうに、嬉しそうにこちらをみた。

「体は魂を束縛する蛹でしかない、僕はそこから解放されるんだ。どう、前向きな考えだろ?」

「前向きって、現実から逃げているだけじゃないか。そんな言い訳、お前は頭が良かっただろ!勉強面じゃなくて、人間的に。だから俺はお前と親友だったんだろ!」

「僕は大ばか者だよ。」

 彼の顔は柔らかな笑みを浮かべていたが、この時寂しさが何となく垣間見えた気がした。彼の髪は風に漂う。何か光る反射する物も同時に漂った、いや流れ去った。

「そうやって戯言を並べて、自分を正当化していたんだ。」

「…。」

「もう、いいだろ?限界なんだ、僕を解放してくれ。苦しみながら生きるなんか、もうたくさんなんだ。」

 泣いていた。それは彼ではなく、自分であった。

「君と僕は親友だ。だから大悟…。」

 手を差し出した。


「僕を忘れないために、僕が君と親友であった事を証明するために。君の手で、僕を殺して欲しい。わかるね、その意味が。」


 瞳から流れ落ちる大粒の涙。大空から舞い落ちる白い雪。

「嫌だよ、親友だろう?何でだよ?俺がお前に気が付かなかったからか!俺がお前を助けなかったからか!」

「もうやめてくれよ、君は悪くないよ。僕が弱いんだ、僕が。」

 彼はにっこりと微笑んだ。

「冗談って言ってあげたかったよ。でも、僕には死ぬ勇気すらないんだ。」

 彼は大きく笑い声をあげた。何だ、嘘かと言いたかった。その時は酷く怯えた、彼自身を恐怖の対象として認識してしまったのだ。彼は垂れ流す涙をその優しい指先で拭うとこう言った。

「ありがとう。僕はそれしか言わないよ。」

 彼のその笑顔を今も忘れない。彼の目の前にいる者の手を取ると、彼は自分の胸にそっと当てた。彼は微笑むだけ。ここからは自分の彼に対する想いの結果だった。このまま苦しみを味わいさせるのか、彼を解き放つのか。長い選択の後、思わず自らの手に力がこもった。それでいい。彼の身体が目の前から消えていく。一瞬の出来事が永遠に思えたのは言うまでもない。ゆっくり、ただゆっくり。ありがとう、やっぱり君は親友だ。そんな言葉が聞こえた気がする。彼は蛹から飛び出したのだ。


「いいか、FN‐01には傷一つ付けるんじゃねえ。勿論、二号機もだ。」

 第一格納庫には二機の新世代戦闘機が佇んでいた。その周りを取り囲むようにコンテナでバリゲートを作り、ブラッドら整備班は黒ずくめの特殊部隊と銃撃戦をしていた。乾いた音が格納庫内に鳴り響く。薬莢が次々に床にばら撒かれ、高い金属音を鳴らした。銃弾は一直線にコンテナを突き刺し、コンテナは黒く染まった。必死に抵抗する整備班の手には慣れもしないアサルトライフルやらサブマシンガンが握られていた。

「ブラットさん、弾がもうすぐ尽きますよ。そうなったら自分達は…。」

「嘆くな、くよくよするな。今できることをするんだよ。」

 コンテナの向こうの敵は次々に数を増した。倒れようと、また新しい黒い者が現れる。状況はかなり不利だった。負傷者は大勢いた。制圧されるのも時間の問題だった。ただ、確信はあった。二名のパイロットは未だ見つかっていない。ここで事を大きくすれば自然にやってくるに違いない。それに、ダイゴとレオンは招集されたときにいなかったのだ。奴らはあいつらの行動力に気が付いていない。ブラッドは確信した。

「いいかお前たち。空っぽになるまで撃ち尽くせ、何が何でも守りきれ。それが俺たちの今できる事だ!」

 固定式のガトリングが火を噴いた。けたたましい爆音が耳を襲った。コンテナが次々と壊れていく。弾け飛ぶ弾丸。ブラッドは死を覚悟した。倒れ行く船員。まるで夢を見ているかのようだった。赤い液体が顔面に。ここは地獄なのか?突然、換気口を塞ぐ鉄格子が床に落ちた。ぬっと出る腕。そこに握られた一つの手榴弾。

「伏せろぉぉぉぉぉっ!」

 力いっぱい仲間に叫んだ。閃光が格納庫を包み込んだ。音も何も聞こえない。瞼を力いっぱい閉めて何も見えない。音も光もない世界で孤独に包まれたブラット。死んだのか?ふと、疑問に思う。何かが肩を掴んだ。犬、いや人だ。

「目を覚ませ、ブラッド!」

「おぉ、ダイゴか。」

 閃光手榴弾によってふら付く身体に鞭を打ち、立ち上がる。コンテナの向こうでは同じように閃光手榴弾にやられ、とても戦える状況ではなくなっていた。今がチャンスと開けられたままのコックピットにダイゴは飛び乗った。次々に換気口から人が出てきた。レベッカ・ジャックの二人は直ぐにP90を構えた。

「ブラッドさん、両中尉を頼みます。我々は時間を出来るだけ掛けますので。」

レオンはNF‐01の横にある真っ黒な機体、NF‐02へ飛び乗った。

「お前たち…。」

「時間がない、頼む。」

「…わかった。」

 ヘルメットを被るダイゴとレオン。二機の戦闘機のエンジンが起動した。けたたましく鳴り響く爆音。ターボファンエンジンが轟音を出しながら青い火を噴く。

「デッキを上げろ!」

 二機の乗った格納庫の天井が開いた。格納庫甲板がゆっくりと競り上がっていく。ようやく覚醒した黒ずくめの隊員達は激しく応戦する。滑走路のある飛行甲板に向かい直進する格納庫甲板。鈍い金属音と共に上部に到着した。

「何を仕出かすのかわからんが、しっかりやりきれよ。」

「あぁ、わかってるって。」

 スライド式のポリカーボネート製のキャノピーが閉じた。三輪がゆっくりと動き出し、滑走路へと向かった。サーチライトで照らされる二機の戦闘機。サイレンが鳴り響き、次々に甲板に飛び出てくる戦闘員。ブラッドは前輪のランチバーをシャトルに結合した。大きく手を振る。整備班のブラットに合図などわかるはずもない。しかし、何を言っているのかはよくわかった。エンジンを振るスロットにすると、青い光がさらに輝きをました。ブラットは頷き、カタパルトの射出ボタンを押した。一瞬にして全身に加わるG。目の前で発砲していた戦闘員は慌てふためきFN‐01の道を開けた。一気に加速する白銀の戦闘機。操縦桿を引っ張り上げた。ランチバーが外れ、車輪が宙に浮いた。白鳥が唸り声を上げた。爆煙を蒸かしながら羽ばたく白鳥。後追うように飛ぶ鴉の様に黒い機体。尾翼を持ちグリップトデルタ翼なのだが可変翼としての機能も持つ不可思議な主翼を持った最強のステルス戦闘機。

「俺はもう逃げない。拓真と一緒に入れた時間は俺の宝だ。レオン、前を向いて行こう。」

『上を向いてだろ?』

「俺は上じゃない、前を向いて飛ぶ。」

 爆音を鳴らしながら、二機の新世代戦闘機は太平洋の闇の中に消えて行った。


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