三
日曜の午後だけあってか、空母にはほとんど人が残っていなかった。それに加え、明日がクリスマスイブだからなのか。ハワイ湾に停泊した原子力空母はまるで休日の学校のように静けさが際立った。謹慎処分さえなかったなら、と自分に悔み同時にあの男を悔む。甲板には清掃員がちらほらと見えるばかりで、その問題の根源は未だ見つからない。起きてから三時間。何故だかあいつだけ見つからない。
「お、こいつは噂の問題児じゃないか?」
一人の男がへらへらと笑いながら近づいてくる。無精髭を蓄え黒く日焼けした中年は癖のある髪の毛を弄りながら、さぞ可笑しそうに笑っている。整備班班長のブラット・スタージョンだ。
「確かに私は問題を起こしましたが、問題児はあいつの方です。」
「はっはっは、そりゃ結構。」
見かけと同じく豪快な大笑い。不愉快、レオンの眉はぐにゃりと曲った。同時に顔全体が歪んだ。
「日曜日なのにあなたはどこか出かけないのですか?明日はイブだというのに。」
「べっぴんさんがしつこくてね。俺ら整備班はエンジンを変えるべきだって言ってるんだよ、万が一エンジン不良なんかで墜落したらたまったもんじゃない。だけどあの姉ちゃんは変える気はないんだとさ。それで日曜日まで時間を使ってやってるんだけど…。」
甲板に寝ころぶ男を指差した。
「問題児のおかげで飛行テストすらできないのさ。」
「あいつ。」
がんがんと足音を立てながらレオンが近づく男は、大きなあくびをして上半身を起こした。
「こんなところで居眠りか、ダイゴ。」
ニヤリと笑う。
「そ、太陽光を浴びて光合成中。」
「バカが考えそうなことだな。」
「ほっとけ。」
レオンはその横に座った。確かに、太陽光は身体に染み渡るように照らす。
「実際、お前もこんなことするしかないんだろ?」
「まったく、暇だよ。」
謹慎処分を受けた二人。どこへも行けずにただ空母の中を彷徨うしかないのだ。
「今頃、ビーチで女の子と戯れていたはずなのに。あーあ、しょうがねえや。」
「本来なら、お前と話すこと自体嫌だけどな。今はお前か整備班の連中くらいしかいない。」
「そうかいそうかい。」
「そういえばアイナはどこに行った?」
ダイゴは太平洋の遥か遠くを指差した。
「あっち、本土だよ。何せ、展覧会の用があるって言っていたな。ついでにあの二号機の様子も見てくるとか何とか。例の無人戦闘機が気になってるんだろ。」
親しげに話していたレオンが急に真面目になる。おいおい、と宥めるダイゴ。
「UF‐40Jはすでに空軍に配備されることは誰しもが知っていることだ。だが、俺はそれが気に食わないな。お前を褒めるわけじゃないが、優秀なパイロットを差し置いて先陣を切るのがどうしても許せない。」
「ありがとよ、だけど死者が減ることは良いことじゃないか?」
「こっちはな。ただ相手の死者数は今より遥かに上回るはずだ。お前みたいなパイロットが何人もいるみたいなものだからな。」
「確かに、それは俺も気に食わない。」
レオンは腕を頭の後ろで組み、甲板に寝そべった。
「そうなればそれこそ俺たちは退職だな。必要ない者は切り捨てる、そんなもんか。」
「気にするなって、そしたら曲芸飛行でもやろうぜ。サーカスみたいにアメリカ回ってさ、勿論FN‐01は俺が頂く。」
ははは、と大笑いする二人。レオンは何故だか素直になれた気がした。普段、軍人という規律の中で命令に従い、上司に背かず生きてきた。それがどこか苦痛だったのだろう。
「俺の父親は軍人だった。」
思わず口からこぼれた。
「父親だけじゃない、祖父もだ。軍人の家系に生まれて将来を約束されて、いや期待だな。そんな生活が疎ましくて、嫌でしょうがなかった。」
レオンは不意にダイゴに振り返った。
「そんな現実から逃げるのにお前がちょうど良かったのかもな。前にいた外人部隊、覚えているか?」
ダイゴとレオンが初めて出会った時だ。当時、将来を有望されたレオンは実践経験も兼ねて中東の紛争制圧作戦に一小隊の隊長として加わっていた。将来有望な青年をそう簡単に戦場に投入するのは誰もが反対した。それで護衛部隊として戦場に出たのだが、戦況はあまり良いとは言えなかった。
「俺はそこで味方の輸送船の護衛に付いた。勿論、偵察任務を兼ねてだ。輸送船には二〇〇人くらい民間人が乗っていたな。戦場の戦いの激しい場所から一番遠くて安全だった。お前は、そこではぐれ戦闘機だったな。」
「あぁ、仲間が全滅しちまってな。」
ダイゴはレオンと同じく甲板に寝そべった。
「そこで俺の編隊に加わることになったが、お前はまったく言う事を聞かなかったな。」
「そりゃあな、戦場を体験したことないキャリアの下に付くのは誰だって嫌だろ?」
「今ならわかる、だがあの時はお前が酷く憎らしかった。たかが一兵隊に何ができるんだってな。そこからは覚えているだろ。」
「あれは酷かった。部隊を分断された敵が一斉に襲撃してきたやつだろ?戦争じゃない、民間人も軍人も関係なくて動くもの全てが対象だった。」
「俺とお前はF‐15に乗っていた。死にもの狂い、いや今考えてみたら心はとっくに死んでたのかもな。生きることが精いっぱいで相手が人なんか思ってなかった。頭が真白くなって操縦桿を握って、力いっぱいトリガーを引いて。その時はまるで悪魔みたいに、死神みたいに撃墜していった。」
はぁーあと大きなため息をつく。カモメが二、三羽ちらほらと海面を飛行していた。
「結局、二〇〇人いた民間人はみんな死んだ。生き残った俺たちは、勿論、何にも残っていなかった。俺はそこで変わったのかもしれない。戦うことが嫌になった。」
「お前は何にも変わってないさ。負けず嫌いな所とかさ。くそ真面目なとこも昔から変わらないよ。」
ダイゴは手を顔の前に翳した。そして親指と小指を開いてぶぉーんと言って、動かす。前進翼の飛行機、そんな印象だ。
「昔話に花が咲いたか?」
汚らしい笑いでブラットが近づいてきた。
「そんなんじゃねぇよ。」
ダイゴとレオンは鼻で笑った。
「レオンさん!」
着艦したばかりのF‐22から降りてきた二人のパイロット。黒いショートヘアの人懐っこそうな顔の女レベッカ・レイボーンと、まだ幼さの残る顔付の茶髪の男ジャック・ニコルソンの二名だ。二人とも少尉なのだが、腕は良いとレオンが直属に引っ張り出した人材だ。
「ダイゴ中尉も一緒に、まさか昨日の反省でもしているんですか?」
「でも、いいっすね。規則に逆らって大空を飛び回るパイロット。いかすじゃないっすか!」
苦笑いする二人を尻目にブラッドはげらげらと笑いだす。
「全く悪趣味なやつらだ。ほらほら、お前たちは仕事をしろ。」
レオンは呆れ顔で二人を払いのけた。
「ひっどーい!レオンさん、せっかく会議で庇ってあげたのに。」
「それじゃあ、俺たちはこの辺で。」
両少尉は大笑いしながら歩き去った。それを見送ったレオンも思わず笑みがこぼれてしまった。
「…そりゃあ何たってあくまで自衛隊ですからね。自衛です、こちらから攻撃できないのはあなた達もご存じでしょ。それに憲法に定めたのはGHQです、あなた達の意見を取り入れた結果と捉えてほしいですね。」
真っ暗な会議室で、モニターを囲むようにコの字に座る男達。スーツやら軍服やら、日本人やら白人やら。異種の者たちが集まるその光景に違和感を覚えるのは無理もない。
「ただし、外部からの国家侵略となれば話は別ですよ。国家の危機に関して自衛隊は真っ先に行動を起こします。」
「では日本領域に何か不利益となる物が侵入した時点で自衛隊は出動できるわけですね。」
「そういう事になりますね。しかし、アメリカと違って発見してすぐに発砲なんてありえません。」
はははと笑い声が部屋に籠る。
「日本ですから、あくまで冷静に慎重に行動するのが風潮というか、文化なのです。」
「ロシア皇太子を切り捨てたのが、慎重な考えとは思えませんが。」
「それは昔の話でしょ。兎にも角にも、日本国内で亡霊を運用するのは難しいと防衛省は考えています。」
束になった資料を机に投げ出すと、眼鏡を掛けた軍服の男は椅子に座った。
「我が社としては今回の計画は何としても行いたいと思っています。それはこの場にいる全員が興味をお持ちのことでしょう。でなければあの男からこれを奪い取った意味がないでしょ?」
スーツ姿の男が投げ出した資料を拾い上げ、不気味にほほ笑んだ。民間武器製造会社ジェネラル・ウィンドウ社のアントニー・オルコットという男だ。金髪のヘアワックスで固められたオールバックに白く輝く肌。蛇のように鋭い目つき。
「何としてもこの計画は実行に移すべきです。亡霊はその名に相応しく影となって憑きまとうものです。表ではなく裏で活動しましょう、私たち見たくね。」
再び資料を机に返す。その資料には真っ白な紙に黒く「GHOST」と書かれていた。