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 彼の名前は佐々木拓真といった。初めて出会ったのは六歳の頃だった。公園で、砂遊びをしているとふいに話しかけてきた。山を作ろう。顔に泥を付けながら、近所のあの何一つ珍しくもない公園の汚い砂場で、彼は話しかけてきた。それからは何をするのでも一緒だった。小学校の運動会では六年間いつも隣に立っていたし、休み時間はいつも前を歩いていた。中学校に上がって彼は部活には属さなかった。一緒にいる時間は減ったが信頼は揺るがなかったことは確かで、初めて恋をした時も誰よりも先に彼に相談した。初めてのデートの時の服装、計画だって彼は自分のことのように考えてくれたし、自分が気が付かない些細なことも気が付いて忠告してくれた。彼は部活に属さない分、人一倍努力して、人一倍頭が良かった。彼は教師やら親やクラスメイトから絶対に頭のよい高校に進むのだと期待されていた。

 しかし、彼は違った。一緒の高校に行こう。そう言って二人で彼の行くべき道を捨てて、ランクのいくつか下の公立高校に進学した。これが大きな間違いだったのか。彼は入学するなりその頭脳で学年のトップクラスにすぐに入った。勿論、部活には入らなかったし、だからと言って怠けていたわけではない。着実に夢に向かって走っていたのだ。僕は、ブルーインパルスに入るのが夢なんだ。彼は図書室でそう言っていた。分厚い読む気にはなれないような埃の匂いのする小説を開きながら、今まで掛けていなかったのに突然掛け始めた銀縁の丸眼鏡が下がるのを気にしながら熱く語った。こうしていつも図書室で彼と談笑するのがいつの間にか日課となっていたことはごく自然な事であって、当時付き合っていた恋人すらも呆れていたのだ。

 こんな生活がまるで塩の山のようにあっけなく崩れ始めたのは、学年が上がって三年生になったときだった。いつも彼から相談してくることはなかったのに、何故だか相談事が多くなり始めた。最初は、居心地が悪いとか、視線が辛いとか。クラスに馴染めていなかったのだろうと当時の考えでも、まず最初に浮かんだ。それから授業中に彼の姿を見ることはなくなり、彼と会うのも放課後の図書室でしかなくなった。部活も引退した三年生は皆、カラオケやらボーリングに通い詰める。そんな仲間入りをしていると次第に図書室にさえ向かうことはなくなり、彼と会う機会も減っていった。

青々としていた木々が茶色く姿を変え始めたころ、彼の異変にようやく気が付いた。昼休み、体育のあとで校舎の一階にある自動販売機に飲み物を買いに行ったとき、彼は自動販売機に向かって黙って立ち尽くしていた。どうした、何かあったのか?彼は、いや、何でもない、と言いまたいつものように眼鏡をあげていた。その時に気が付いていれば間に合ったのかもしれない。彼はいくつもの缶を両腕に抱えていたのだ。それから数日が経って、彼は図書室にさえ姿を現さなくなった。クラスの連中も口にはしないものの、その異変には気が付いていたらしく、授業中やら休み時間に、ねぇ、彼なんでいつも居ないのか知ってる?とか口々に言っていた。

 数日後の昼休みに入って彼に久しぶりに会った。彼はいつも通り穏やかに相談に乗ってくれた。それから別れ際に、放課後、屋上で待っているからと言い残した。

放課後、屋上で彼はフェンスの向こう側に立っていた。その微笑みは今も忘れない。


 心臓は、その鼓動の限界まで強く跳ね打っていた。どくん、いやばくんの方が正しいのかもしれない。身体はその鼓動に応えるかの如く、荒く呼吸を繰り返していた。丸い窓から見える太平洋は暗く、未だに太陽は見えない。星が天を覆い、銀河旅行にでも誘っているかのようだ。星座も何もわからないが、ただ単純にきれいだと思える。呼吸を整えると、もう一度横になるが目が異様に冴えて眠ることはできない。どうせ明日は何もしないんだ。首筋に滴る汗を拭いながら部屋を後にした。

 

休憩室に並べられた二つの向かい合った椅子に座ると、温かいコーヒーを啜った。じんわりと体に染みる。休憩室に掛けられた針時計が刻々と時間を刻んでいる。その針は二時を過ぎていた。

「あら、こんな遅くに何をしている?怖い夢でも見て眠れないのかしら?」

 ドアが開き、アンナが入ってきた。

「まぁ、そんなことかな。アンナこそ、こんな遅くまで何してるんだよ。」

 コーヒーカップに黒い液体を注ぐ。まだ入れたばかりの熱いコーヒーが湯気を立ち上らせていた。ダイゴの目の前に腰かけると、それを一口だけ口にする。

「エンジンの調子があまり良くなくてね。あんな機動性を保持するにはVF社の推力可変の711ターボファンエンジンじゃなきゃできないんだけど、どうしても無理をしてるからすぐに焼付いちゃうのよ。出力を抑えることもできるのよ、でもそうしたらNF‐01じゃないでしょ?」

 背伸びをした。大きなあくびと一緒に。

「だから速度は落とすけど機動力はそのままの他の可変ノズルにするか迷ってた。整備班はそれに賛成だけど、私は本来のFN‐01で戦いたいの。」

「どんな機体だろうと俺は乗るぜ。」

 しばらくの沈黙が流れた。先に先陣を切ったのはアンナであった。コーヒーカップの縁を指で撫でながら、唇を動かしたのだ。

「何故、あなたは日本に帰らないの?」

 再び沈黙が訪れた。アンナにはそれが永遠に続くような気がして、しまったと心で呟いた。針時計の音だけが沈黙を掻き消している。ほぅ、ダイゴのその抜けるような溜息がカップから漏れ出す煙をゆらりと揺らした。じんわりと滲み出した脂汗。

「俺は、親友を殺した。」

 突然の告白。瞳はアンナを見ているのだが、どこか遠くを見ているようにしか思えない。深く深く、黒く染まった黄色人種の黒い瞳。それがぐるぐるとまわり続けて次第に大きくなり、アンナは飲み込まれるような気がした。恐怖、だだその一言。

「帰りたくないんだ、だから。」

 水平線上に未だ太陽は現れない。暗く闇に染まった水面で波はちゃぷっと艦艇を舐め回している。闇の中で一人孤独に置かれた赤ん坊のクジラのよう。寂しい、いや怖い。誰しもが恐らく考えるはずの言葉。

「その親友は〝親友〟だったんでしょ?」

「あぁ、何でも相談できた。親友ってより分身、俺自身だったな。」

 恐怖から興味に変化し始める。引きつっていた顔は次第に緩み始めた。そんな表情を読み取ったのか、ダイゴは少し笑みを浮かべた。

「あいつはいい奴だったよ。何たって頭がいい。そりゃ教育的な観点での頭の良さもあるけれど、人間的な頭の良さもあった。わかるだろ人間的な頭のよさって?あいつはそれがずば抜けていた。」

「何故、殺したの?」

 謎、興味の最終地点でもある。ダイゴの眉毛が僅かながらに動いた気がした。再びしまったと呟いた。だが以外にもダイゴの反応は素直で、とても率直だった。

「あいつと親友だったからさ。親友の望みを叶えない奴は親友じゃないだろ?」

「その彼が大好きだったのね。」

「当たり前だ。いつも俺を助けてくれたからな。」

 コーヒーを一気に飲み干すと、だんとカップを机に叩き置く。

「カフェイン飲んだら目が覚めちまったよ。一緒に散歩でもどうだ、気分転換にいいだろ?」

 

 飛行滑走路のある上部甲板には微かに風が走っていた。サーチライトが海上を照らしていた。こんなご時世、わざわざ左遷されたような実験テストの任に就いた原子力空母を襲う者などいない。金の無駄だとダイゴは嘲笑った。そうかもねとアイナはそれに乗る。

「FN‐01は私の希望なの。」

 アイナが遥かに続く太平洋を見渡した。

「あなたあの時〝戦争の片棒を担ぐのは好きじゃない〟って言ったわよね?それは私も一緒。私が造った戦闘機で人が殺されていくのなんか、想像するだけで吐き気がするわ。私の父親は曲技飛行のパイロットだったの。」

 言葉が流れ出るような、そんな感じだった。詰まらせることがなく、ただひたすらにとめどなく流れる。言葉はやがて川となり海に流れる。

「何万人の前で飛行する父親は誇らしかった。家でテレビを見てる姿と違って、何だか空を独り占めにしているみたいで格好良かったのよ。だから私は、飛行機に憧れているの。戦闘機じゃないわ。」

「そうか、何ならあいつで曲芸飛行でもしてやるよ。大空に文字だって書いてあげるさ。」

「あなたは謹慎中でしょ?」

「ごもっとも。」

 甲板はひんやりと冷たかった。触れた瞬間に身体に染み渡る冷たさ。大の字で寝転がるといっそう身体に染み渡った。

「ただ、そうしてくれると私はきっと嬉しいでしょうね。人を殺す目的じゃなくて、人を喜ばせるように飛んで欲しい。きっとそう思ってるわよ、あの子も。」

 あの子。親しみがこもっているのか、まるで子供のような面持ちなのか、兎にも角にもFN‐01はアイナにとても気に入られているようだ。白鳥のような姿に、戦争の文字は一切浮かんでは来ない。それよりか大空を我が物のように飛ぶ姿の方がお似合いなのだ。

「だけど、どうしてもエンジンだけは気に入らないな。」

「さっきは711じゃないと、とか言ってなかったっけ?」

「そぉ、だから711じゃないと気に入らないの。これでも設計者よ、技術者よ。職人気質っていうじゃない?私はそこがどうしても譲れないわけ。ほら、スシ職人だってナイフは気にった物しか使わないでしょ?」

「ナイフは英語、日本語では包丁だよ。」

「ホウチョー?」

 アイナが首を傾げた。そっ、と軽く頷きダイゴは手を伸ばした。煌々と輝く星にあと少しで手が届きそう。何百光年、何万光年昔に発した光が今ようやく地球に到着した。その光が発せられた場所にはもうその星は存在しないのかもしれない、ただそれがそこにあった証拠にはなる。

「俺もあの星の光みたいに存在したって証拠を残したいな。」

「あなたのことは嫌でも忘れないわ。命令違反の常習犯。心にずっと残っているは、死ぬまでね。」

 突然、その言葉が頭の中で何重にも重なり合って心に打ちつけられた。「心に残っているは、死ぬまでね。」そうだ、あの事は死ぬまで心に残り続けるのだ。亡霊のように影となり纏わりつく。何だか酷く、恐ろしくなった。

「なぁ、俺はあいつのことを死ぬまで心に残して生きていくのか?」

 アイナはハッとダイゴを見た。その瞳は暗く淀んで、星すら映ってはいなかった。

「当たり前でしょ、何言ってるの?だって親友でしょ、忘れるなんて!」

「親友だから、忘れたいんだよ。」

 その言葉は重かった。真っ黒な鉛が乗ったようなそんな感覚。どんな理論だろうが極論だろうが通用しない親友同士の関係性は、誰にも証明できない方程式であって、どのパターンにも一致はしない。そんな複雑な関係性の中で一貫するのが〝親友だから〟である。それはどんなパターンにも共通して使うことができるし、それでないと説明ができない。

「あいつは俺が殺した、だから忘れたいんだよ。」

 沈黙がその背徳感を醸し出していた。


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