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セールスレディ 宮沢朋子

作者: 玲於奈

なし

「今月の営業成績トップは、宮沢朋子さんだ。

彼女は、トップセールス目指し日々頑張っている。みんなも後に続いてくれ」

年増のベテラン社員の視線が痛い。その視線を避け、話す主に目を向ける。

小岩川支店長 悠木 紀夫。財閥系安同生命の同期トップを走るエリート。

2年で本店に戻され、階段を昇り始めると着任早々話題の人物。

そして、そんな支店長に今回踊らされたのが私。宮沢朋子。

「底上げは支店全体を引き上げる」

口癖のように、支店長が全体に周知する言葉。それが口だけでないのは着任早々にわかった。

「できないやつはできるようにする」それを言い続け、

悠木支店長は、次々とだめセールスレディに営業の極意を教示。

変われるレディたちは変わっていった。先ほど私をにらんだ年増社員は、自分を変えようとしなかった人々。長年のやり方にこ

だわる人にはおもしろくないらしい。その点、やはり若い方が変わり身は早い。

こうして5月、6月と職場の雰囲氣は飛躍的に向上。

エリアでの支店No1を達成できるところまできた、そんな折りのことだった。

「宮沢さん、ちょっといいかな」

悠木支店長から重要顧客が使う奥の応接部屋に珍しく呼びだしをうけた。

変わりたいと言う人にはとことんつきっきりで、人目にはばからず熱血指導してきた悠木支店長。

いつになくよそよそしく、入室するなり

「宮沢君、君を見込んで頼みがある、私の力になってほしい」

いきなり拝んで頼み込まれた。聞けば、古株年増社員をなんとかしないと

半期のエリアでの支店No1は達成できないとのこと。

「あと少しの努力なんだ」いつもの熱血悠木支店長らしからぬ弱音であった。

「わかりました。おばちゃんらに悟られないように、極力サポートして結果を出します」思わず、言ってしまった。

そしてその時の悠木支店長のほっとした顔は私は忘れられない。

しかし、その後は地獄への階段だった。おばちゃんたちのためになるように、なるようにするたびに何故かそれは裏目にでた。

秘密裏に悠木支店長と相談し、段取りを聞きながらであったがなぜか成功しなかった。

そしていよいよ売り上げ競争まであと2週間という時、ついに事件はおこった。

朝、支店に着いて更衣室で着替えをしていた時だ

そっと親友の室井洋子が私に一枚のA4を手渡す。その白紙には中央に、

「支店長は女たらし、Mさんに取り入り出世」

とゴシック体で大きくプリントアウト。文字での脅迫。職場で名字でMがつくのは私くらい。

しかしながら、悠木支店長に呼ばれる姿は秘密裏に行動していたとはいえ氣づかれていたのだろう。

更衣室の壁にテープで貼られていたそうだ。紙を見れば洋子があわててはがしたのかテープのところの紙が破れている

「たまたまいつもより早く出社したから、そんなには見られていないと思うけど」

その声はいつになく固い。言うか言うまいか悩んだ末の事なのだろう。

洋子がいつもより早く出社と言っても始業20分前。いつも通りの出入りはあったと思われる。

皆があらぬことを想像するのは容易に考えられた。

手段は安易ながらも、おとしめるには最高の方法。しかしながら今の私にはなすすべはなかった。

職場にいても皆の視線が針のむしろだったが、毎日のルーティンをこなすしかなかった。

その1週間後、小岩川支店は僅差でエリアNO1を逃した。


「山に行って氣分をリフレッシュしよう」

エリアNO1からはずれた3日後、大学時代は山ガールだったという室井洋子が私を誘ってくれた。

洋子は更衣室のロッカーが隣だったのが縁で、休憩時間に話をする仲だ。

洋子とは大学は違ったが朋子自身もワンダーフォーゲル部に所属していたのでよく趣味の山について会話していた。こんな時だからの誘いにありがたさも感じながら快く賛成し、終業後のケーキバイキング通い末、8月下旬の山行が決定した。

やはり何か楽しみがあるといいのか、私は4月にトップをとったように毎日をがんばれた、セールスレディは、基本給プラス歩合。張り合いのおかげかまた営業成績トップを目指せそうな勢いが出てきた。

同じエリアで戦う洋子も、私のライバルであるのに貴重な顧客の周辺情報を提供してくれ、さらに、彼女の持ち前の明るさで私を盛りたててくれた。

今月の目標にも目処がついたお盆休み後のこと。

休み明けの出勤で久しぶりに会った洋子がケーキバイキングで見当をつけておいたT岳のコースを教えてくれた。東京近郊にありながら絶景が素晴らしいT岳。

「ちょうど紅葉がはじまった頃できっといいわよ」

いよいよ出発を4日後に控えた昼休み、洋子とそんな話をして盛り上がった。

久しぶりの山行。二人でのT岳縦走、忙しさに行けなかった大学以来の山はとても楽しみだった。


暗いトンネル。非常灯がついたり消えたりしている。お盆を過ぎた山には誰も見向きもしないのか、時期が悪いのか列車から降りた客は、私も含めて3組。

中高年というよりシルバー組5、6人。別々のパーティのようだがもそもそと重そうなザックを背負い、皆、無言で一様にこの暗いトンネルから地上に向かう。

階段を上りきったところで早朝の空氣が体をつつむ。

洋子は待ち合わせのターミナル駅のホームには現れなかった。

しかたなく乗り込んだ車中で、洋子からのメールを受け取る。

「ごめん寝坊した。次の電車で向かう」洋子からの絵文字謝罪。

メールの文章によると、なじみの顧客から新しい保険の説明を急に求められ、昨夜は遅かったとのこと。

やや肌寒い早朝の駅にかかっている時刻表をみれば次に到着する下りは午前9時。

久しぶりの山で心配なこともあるが、まったく何も建物のないここで洋子の乗った次の電車が来るまでの2時間をつぶすのもどうかと思い、しかたなく先に山小屋に向かうことにする。

T岳の山行計画を立てていた際に、洋子は月に1、2度週末に一人で山に行っていると話していた。

その洋子なら十分に追いつくであろうし、なんのトレーニングもしていない私以上に大丈夫であろう。そう考えた。

洋子は、職場の休憩時間やケーキバイキングの際には、いつも笑いながら楽しそうに登った山の話をしてくれていたが、洋子の話しぶりから思うにそれは洋子一人での山登りでない氣がしていた。

そんなことを思い返しながら見上げれば名峰三山、その姿は立ちこめた雲に隠れその姿は見えない。

「先に行きます」と洋子に短くメールを打つ。その間にも降り出しそうな雨、低く雲も立ちこめている。

蛙が思い出したように急になきだす、そんな駅前から重い足取りで登山口に向けて歩き始めた。

駅から登山口までしばらくアスファルトの道路を歩く、少し前に出ただけだと思っていた

ホームでの2組のシルバー隊は、いつのまにか合流し一つになっていた。

また、彼らは日々のトレーニングを欠かさない事を証明するかのように山まで一直線に伸びる道路を素晴らしい健脚で遙か先にすすんでいる。

それを見て朋子は、走り込みなどのトレーニングをしていなかった自分にがっかりした。

やはり、努力は裏切らないのは日々のセールスでも重々わかっていたことだったが。

道路の両脇の水田には稲がたわわに実っている。それを横目にみながら黙々と歩くが登山口までのウオーミングアップどころかぐったりくたびれてしまった。

今回は、山小屋泊まりということでテントは持たなくてよかったが肩に食い込むDパックの重みは15kgはあるだろう。

大学時代なら出発前には必ず体重計でザックの重さを計っていたのだが、数字に負けてしまいそうで昨夜は計るのをやめた。

しかし、大学時代から比べれば格段に装備は軽い。今日宿泊の小屋は山小屋と言っても緊急避難の小屋で管理人さんが常駐しているわけでもなく、もちろん食事の提供も販売もない。

食材は洋子と相談してフリーズドライでそろえた。会社近くのアウトドアショップで購入した物をその場で袋にわけ今日それぞれが持参することになっている。大丈夫とは思うが、もし洋子がこれなかった時の事を思わず考えてしまった。まあ、氣にしてもしかたない。山小屋で待つことにしよう。

もしかしたら、途中で追いつかれてしまうかもしれない。ここまでの苦行の道すがらそんなことを考えた。

草がぼうぼうに生い茂る登山口。そこからいよいよT岳に向かって山を登り始めた。

駅からの田んぼ道も急登であったが、いやいやT岳のとりつきは朋子には大変つらかった。

こんな時、明るい洋子がいてくれたらと何度も朋子は後ろを振り返った。

やっとのことでうっそうとした森を抜け、森林限界をこえて尾根づたいの道に入ったのは、登り始めて4時間後。

合間に3回の長い休憩を経てやっとたどりついた。

「尾根づたいの道は絶景よ。もしかしたら、赤とんぼや走りはじめの紅葉も見れるかもしれないわよ。」

打ち合わせの時にそう洋子は言っていた。

朋子は、赤とんぼは里の生き物であって、山頂付近に赤とんぼがいるわけはないと疑問に感じたが、その答えが

もうすぐわかると思った。尾根は山の天候をもろにうける場所だ。

普通、山の稜線は午後に雲が下界からあがってきて視界が悪くなる。そう聞いたことはあるが着いた尾根はすでに一面の霧であった。しかし運良くまだそんなに霧は深くなく小雨も交じる程度であった。

うっすらと見える尾根づたいの道は、洋子が言った通り、片方がはるか麓まで続く切り立った崖であった。

「ところどころは、両方ともガレ場で崖になっているところがあるから注意してね」

マップを指し示しながら洋子からそうアドバイスを受けたことを思い出した。

確かにここで足を踏み外せばまず助からないであろう事は容易に想像できた。

さらに遙か前方には両脇1mしか尾根がないところもあった。黙って朋子は尾根を行く。しかしながら、

尾根に出てからは、ところどころのせまい尾根さえ氣をつければ登りは楽だった。

しかし、あいかわらずまったく目指すT岳のトップは見えない。心配になりながらも、後ろから来る洋子は大丈夫だろうか。

霧が急速に深くなり始めた中で朋子は思った。

さらにしばらく行くと横に視界が広がり、稜線がなくなり急にただっ広い場所に出た。

「ここは賽の河原よ。山小屋の周囲2kmくらいにひろがっているわ。赤いペンキの岩に注意して進めば、

 賽の河原に入ってから30分ほどで、山小屋直下のテン場につくわ」

洋子が見てきたように言っていたことを思い出した。それにしても見事なほどに不氣味に広く風の音がとおる。

なんのおまじないか石がいくつか積み重なっている。思うに遭難防止のためと思うが、賽の河原をイメージし

朋子は背筋が寒くなった。山はあの世への道しるべ。大学のワンゲルの先輩が怪談話でよく話していたことも思い出した。

思わず「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えながら行く。霧が深いながらも強風が吹き抜けて短時間だが視界が開けた。

赤のペンキの石が山道に沿ってところどころにあるのがわかる。どこにどうやってすすむのかわからずに歩くより、見通しが持てるのはありがたい。

これなら迷わずに行けそうだ。朋子はそう思った、さらに朋子の心を明るくしたのはずっと先に人の姿が見えたことだった。よかった人がいた。それは朋子の前方1kmくらいかを歩いている人影、シルバー隊の脱落者か。姿を見た途端に急にさきほどより深くなった白色の中を足下だけ見て前に進む。

賽の河原に入ってから30分。もうそろそろ着いてもいいはずなのに山小屋の姿は見えない。ますますもって霧が深くなり前方目印の赤ペンキを見つけるのも一苦労となってきた。足下しか視界のない中で朋子はだんだんどっちに向かって歩いているのかわからなくなってきた。

思いついたように朋子は一度止まって休憩をとることにした。真っ白に囲まれた空間。なんだか息苦しさもある。

思い出して携帯をDパックから取り出す。ありがたいことにアンテナが2本立っている。

すかさず、携帯で洋子を呼び出す。ところが呼び出しているはずなのになぜかその呼び出しがどこかで鳴っている氣配。

洋子はでない。恐くなってさらに呼び出しをかけ続けていると、視界が50cmだった世界が突風によって広がった。

なんと、目の前に登山者が見えた。朋子の前方、わずか10mにザックなども白いカッパで覆っている白装束の登山者がいる。

助かった。霧で隠れないうちに朋子は、洋子に携帯をかけるのをやめその登山者の方に進んで行った。

ちょうど10m。先ほどの白装束の登山者がいた場所と思われる付近にたどりついた。

着いたとたんに急に携帯が鳴る。メール。送り主が表示されない。携帯を開いて見れば「さようなら」のみ。

携帯に目を落としているわずかな隙に、突然目の前に白装束が現れ、朋子は突き飛ばされた。

思わずよろめいて驚いた。なんとそこにあるのは平らな賽の河原ではなく切り立った崖であった。

「賽の河原のきれるところは崖よ。毎年道に迷った登山者が何人も命を落としているわ。だからあの山は毎年何人も死亡者を出している」洋子が最後に教えてくれたことを朋子は今になって思い出した。

突き飛ばされたはずみか、白装束の頭のカッパがはずれて長い髪が見えた。朋子は思った。あなたはいったい誰。

朋子が空からダイブするように落ちていく中で、無情にも赤とんぼが山頂に向かって飛んでいくのが見えた。




なし

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― 新着の感想 ―
[良い点] なぜこんな目にあったのでしょう。 分からないところが怖かったです。 [気になる点] 文章がたどたどしいかも知れません。 作者とは比べられないぐらい自分は下手ですが。 [一言] 面白かったで…
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