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放課後自殺倶楽部

作者: 安倍辰麿
掲載日:2012/02/02

初めまして、安部辰麿(あべのたつまろ)です。

以前、書き溜めたものをここで公開させていただきます。

何かを感じ取ってもらえれば幸いです。

ところどころ、陰鬱な表現が入ります。

そのあたりは予めご覚悟下さいね?


では、ご覧くださいませ。

【自殺未遂少女】


 こんな世界、もういらない。

 こんな世界、もう見たくない。

こんな世界なんか、いっそ壊れてしまえばいいんだ。

でも、私には世界を壊す力はない。

だから、私が壊れればいいんだ――。

 私はさっきっから、同じ言葉を反芻しながらこの場所に立っている。

 学校の屋上。金網のフェンスを越えた先に、私は屋上の端に足を掛けたまま佇んでいる。

ときおり強く吹く風が、私の身体を早く突き落とそうと急かしているかのようだ。

 一学期も一ヶ月過ぎた木曜日の三時限目、校庭には誰もいないことを知ってた上での隠密行動。

私が今から行うことは、誰かに見付かって騒ぎになったら終わりである。

その時は即座に決行してしまおう。

 見られなくても、もうすぐ、私の人生は文字通り転落するのだけど。

飛び降り自殺。

私がこの手段を選択したには、確固たる理由がある。

 私を日々苛めていたグループの女子の一人は(この時間の授業が退屈で仕方がないのか知らないけれど)、よく窓の向こうの景色を眺めているのを私は知っている。

 そこで、私が屋上から飛び降りる。すると空から降ってきた私は、その子と最後に面会出来てしまう。持てる限りの今生の恨みを、そいつの目に焼き付けさせてやるのだ。まるで直射日光に当たったカメラのフィルムのように、そいつの日常を容易に反転できるだろう。

 まさに最後の悪あがき。命を差し出して、私はそいつの人生を狂わすことが出来るのだ。

ざまぁみろ。

 そうだ。私が叫びながら落ちてやれば、校内の注目が窓際に向く。そうすれば、より多くの生徒を反転させることが出来るかもしれない。

今まで隠密行動を至上としてきたのに、いざ実装に移す段階で喚き散らすというコペルニクス的発想に、我ながら胸を張りたい気分だ。

「そろそろ、頃合いかな……」

 授業開始からニ十分弱、誰に言うまでもなく自身の呟きが出る。

 私はもう一歩、屋上の淵へ足を掛る。

 そのまま下を覗く。誰もいない。今から私はあそこへ落下するんだ。

 一陣の風が、私の身体を駆け抜け、制服のスカートがかすかに揺れた。

 決意を固め、飛び降りようとしたその時だった。

「待ちなさい、君」

 背後から、突然声が聞こえた。

 慌てて飛び降りようとしたが、それは叶わなかった。

 私の制服の襟口を掴まれているからだ。

 ……金網のフェンスの隙間から、手を突っ込んできやがった。

「間一髪、だね」

 私は後ろを振り向いた。

 そこには、眼鏡を掛けた冴えない男子生徒が立っていた。

 彼は、私をフェンスまで無理やり引き寄せる。

 首が締る。

「な、何すんのよ……! 苦し……」

「知れたことです。君が飛び降りるところを目撃しましたので、人命救助したのです」

「余計なお世話だ! このまま死なせて!」

 試しに抗ってみたが、そこは男女の力の差が物を言うようで、残念ながら逃げ出すことが出来なかった。

「君は、どうしても死にたいのか?」

 男子生徒は、何故か当たり前のことを聞くかのように、そんな質問を私にぶつけてきた。

 その態度が無性に腹を立たせ、私は声を荒立てて反論した。

「ええ、死にたいわよ! こんな世界、もういらないんだから!」

 その言葉に、ふんっ、と、鼻で笑う男子学生。非常に気に触る。

「そうか、じゃあ、僕と同じだ。僕もこんな世界なんて、至極どうでも良いと思っているんだよ」

「へぇ。だったら尚更、この手を離してよ」

「だからこそ、この手を離せないんだ。申し訳ないね」

 予定調和のように、私の抗議は彼の主張で掻き消された。

「僕は君みたいな人間を探して集めているんだ。この世界に価値を失った人間たちをね」

 よし、こいつは頭がおかしいんだ、きっと。

 私には、彼の言っている本質が全く理解できずにいた。

「君さえ良ければ、歓迎するよ。僕らの仲間にならないか?」

 その言葉と共に、彼は私に一枚のパンフレットを手渡してみせた。

 そこには、明朝体の印刷文字でこう書かれていた。

『放課後自殺倶楽部 入部希望届』


 私――緑山幽子(みどりやまゆうこ)は、世間一般の見解で言うならば、いじめられっ子の高校二年生である。

 小学校・中学校と些細なことでいじめられ、親はそのことを気に掛けてくれて、中学卒業とともに県外へ引越した。

 新しい高校は過去の私を知るものはおらず、このままうまくやっていけると思っていた。

 しかし、いじめられる原因は、私自身にあったとこの高校に入ってから気付かされた。

 今までのいじめの影響もあり、人の目を直視できないのだ。

 それが、初対面の相手にとっては無礼に感じるようで、気が付けば、中学以上の責め苦を私は味わう羽目になっていた。

 約一年、私は耐えてきたけど、流石に自分自身が原因ならば、もういい加減諦めが付くだろうと、授業中に屋上から飛び降り、クラスメイトをせめて呪ってやろうと思ったのだが……。

「僕は紫村だ。紫村 守(しむらまもる)。三年A組に所属している。そして、この倶楽部の部長をやっているんだ。よろしくね」

 目の前の眼鏡男の握手を無視して、私は図書室へ向う。

 この男、守に自殺を阻止され、さらには、怪しげな勧誘まで受けている真っ最中である。

「絶対、宗教関連だよなぁ、このチラシ」

「ん? なんか言ったかな?」

「いつまでストーキングするのだろう、このキモ眼鏡は、って言ったんですよ」

「はは……、君ってかなり毒舌だね?」

 ああ、そうだ。私は平時口が悪い。

 おおよそ、女性らしからぬ言葉を平気で言い放つ。

 さらに付け加えれば、今の発言、ジョークではなく、紛れもない私の本心である。

 ま、この『放課後自殺倶楽部』とやらに全く興味がないというのは嘘になるのだけど。

 ……怪しい事には変わりないけども、死にたがりを集めて何をしようとしているのかは、ちょっと私は気になった。

 図書館に入り、資料室の鍵を司書の席から取り出す。私は図書委員なので、資料室へ自由に出入りできたりする。よく現実逃避したい場合に、ここへひっそり籠城するのが、私の数少ない安息である。

「入って。今は授業中だし、なんか込み入った話のようだから、他人に聞かれちゃ嫌でしょう?」

 守は、赤ん坊のように無邪気な笑顔をさせながら資料室まで付いてきた。

 彼は、何が楽しくてこんなに笑顔なんだろう?

 本当に見ているだけで、私は腹が立ってくる。

「適当に座って。でも灯りは点けないで。先生にばれるから」

「そうかい、じゃぁ、失礼」

 そういうと、何故か私の至近距離に腰を下ろし、体育座りでこちらと向かい合う守であった。

「あのー、近いんですけど」

「いいじゃないか、同じ価値観を持つ人間に出会えて、僕は嬉しいんだ。これは僕の親しみの表れだよ」

 いらねーよ、そんなこと。

 それに、至近距離にいられると、私は相手の顔を見られないので、軽く気持ちを圧迫されて話し辛くなってしまう。

「悪い、諸事情あってさ、至近距離に人がいると……、気分が悪くなるの」

 人間には距離感というものがある。

 で、目の前の眼鏡男はその距離感を完璧に無視している。

「正直、ウザいんだけど……?」

 そう言うと、申し訳なさそうに守は顔をしかめ、体育座りのまま二歩ほど下がった。

「これはすまなかった。浅慮もいいところだ。自殺願望者には少なからず心の傷があるというのにね。僕は自分の感情の昂ぶりで、初歩的なミスを犯してしまった。気を悪くしたのなら謝る。このとおりだ」

 守は額を資料室のろくに掃除されていない床にめり込ませるように押し付け、私に土下座をした。

「あ、いや、そこまで謝ることはないよ」

 私が守の顔を上げるように促した。

 顔を上げた守の顔は、案の定、眉間から鼻頭にあたるTゾーンが灰色の埃に塗れていた。

 突っ込むのも面倒なので、私はそのまま放置を決め込んだ。

「で、守さんだっけ? この倶楽部は一体何なのさ?」

 単刀直入に私が尋ねると、待ってましたとばかりに説明を始める守。

「この『放課後自殺倶楽部』はね、その名の通り、自殺したい人間たちが集まって、残り少ない生を謳歌するために集う倶楽部さ。分かりやすく言えば、『死ぬ前に、生きている意味を探し出す』ことを目的としている」

 ……理解不能。むしろ理解もしたくねぇよ。

 目の前の埃眼鏡は、やっぱり狂人なのだろうか?

「勿論、倶楽部の名前どおり、死にたい人はどんどん自殺を図ってくれて構わない。今までの部員の自殺者は47人。みな、自分の生に意義を見付けて、満足しながら死んでいったよ」

 ……さらに理解不能。

 それって、殺人幇助だよね?

 やっぱり、この倶楽部はきな臭い。

「私パス。だって、怪しいもん」

 君子危うきに近寄らず。

 いくら自殺がしたくても、こんな奴の手を借りずとも立派に最期を遂げてみせる。

「まぁ、皆、最初はそう言うんですよ」

 困っちゃいますよね、と苦笑いをする守。

「哀れみを誘っても無駄だよ。こんなの入らないから」

 入部届けと書かれている紙切れを私は丸めて、資料室のゴミ箱へ放り投げた。

「よし、ストライク!」

「君って人は……、ええと、名前聞いてなかったね」

「名乗る必要があるの?」

「僕は名乗ってみせたよ? 人として最低限の礼節だからね、名乗りっていうのは」

 ……そう言われると、まるで私が礼節弁えない無礼な女だと言われているようで腹が立つ。

「……緑山幽子。緑色の山に、幽霊の幽に子供の子」

 ふてくされながらも、私は名乗ってやった。

 眼鏡男は満足そうに頷く。

「ふむ、幽子君か。儚げでキレイな名前だ」

 眼鏡男の守は、一人納得言ったような顔をして悦に入っていた。

 その言葉に、態度に、私は頭に血が昇るのを感じた。

「親はそういう意味で付けたらしいけど、小中学校がその名前のせいでいじめられ続けてきたんだから、そんなふうに言われるとムカつく」

 義務教育の9年間、『緑の幽霊』と呼ばれ続けた苦しみは、私以外の誰にも分かるまい。

 守は、何故か居た堪れない表情をして私から目線を逸らした。

「すまない。また、君の心の傷に不用意に触れてしまったようだ」

「……傷付きすぎて、最近はどうでも良くなってきた。近々、私、死ぬからさ」

 自殺する意志はまだ折れてはいない。

 むしろ、先程よりも死への憧れが強まっていた。

 目の前にいる眼鏡男のおかげで。

「君がどうしても死ぬというのなら、僕は止めはしない。でも、自殺には2種類あるということを、幽子君は知ってるかい?」

「は? 自殺に種類があるとしたら、首を吊るか飛び込むかなどの、死ぬ方法じゃないの?」

 私の問いに、首を横に振る眼鏡男。

 手段の方法じゃないよ、と守は苦笑する

「一つは、何も考えずに怨恨を抱いて死ぬ自殺。これはあまりにも悲しすぎる。この世界に打ち負かされた状態で、降伏宣言をするようなものだ。負けっぱなしで勝負を諦める自殺だ。そして、二つ目が――」

 眼鏡を左中指で直すと、ひと呼吸置いて続ける。

「自分の生きる意義を見付けて、幸福の絶頂のまま自殺する。これこそが、我が『自殺倶楽部』の本懐なんだ! 僕らは、その意義を見つけるお手伝いをしている!」

 幸福の絶頂のまま、死ぬって?

 そんなことが出来たら、生きてたほうがマシなような気がするけど……。

「信じられない、という顔をしてますね? そうそう、良かったら、今夜部会を開くんです。体験入部、してみないかい?」

 守の笑顔は、子供に風船を配るピエロのように屈託のないものであった。

 まぁ、体験入部だけなら、……いいかな。

 宗教だったら、一目散に逃げれば良いだけだ。

 それに、不謹慎極まりないが、人が死ぬところを目の前で見てみたい。

 いずれ自分が死ぬのだ。美しく幸せに死ねる方法とやらをこの目で見てみたかった。

「……いいよ。で、時間と場所は?」

「おお、ありがとうございます! では、時間は……」

 私のほんの興味本位から出た、些細な承諾。

 これが、私の奇妙な体験の始点だった。


【飛び降り自殺】


 四月末とはいえ、夜になれば肌寒い。

 私は、パーカーにジーンズという、全く色気とは程遠い服装で、指定された場所であるとある廃ビルの1Fロビーにいた。

 時刻は夜の23時を回るところだ。

「やぁ、幽子君、来てくれて嬉しいよ」

 守が、息を切らせながら走ってきた。

「おい、走ってここまで来たの?」

「まさか、このビルの下に障害物は置けないんだ。だから、みんな一区画離れた駐輪場にこっそり止めたりしてるわけだ」

 なんかよく知らないけど、私はたまたまこの廃ビルの近所に住んでいたので、それこそ歩いてやってきたのだ。

「ん、私とアンタだけ?」

 人がいないことを私が不安がると、守は時計を気にしだした。

「おかしいな、もうすぐのはずなのですが」

「遅刻か。そういや、参加者何人は来るんだ?」

「ざっと僕らを混ぜて10名ですね」

「多ッ」

 驚いた。

 もっと小数の集まりかと思ったら、二桁単位の人数がいただなんて。

「いや、かなり少なくなったほうですよ。みんな、入って程なく自殺してしまいますし。会場もこんな小ぢんまりとしたところじゃなくて、どこかの浜辺とかで集まってました」

 てことは、もしかしたら最盛期はもっといたのだろうか?

 もう立派な宗教だよ。

「あ、やっぱり、私帰る――」

 怖気付いた私は退散しようとしたその時、

「ああ、ここにいたのか、守君」

「遅いですよ、水谷さん」

 老年の夫婦だろうか、二人仲良く二階から登場してきた。

「遅いのは守君ですよ。皆さん、五分前には指定の屋上へ到着してますよ?」

 上品に微笑む老婦人。

 ここに居るということは、彼らも自殺志願者、ということになるのか。

「おや、可愛らしい方がいるね。守君のガールフレンドかな?」

 老紳士は、愉快そうに声を上げて笑い出す。

「ち、違いますって! 彼女は、その、入部希望者なんです!」

「さらに違う、ただの冷やかしだし」

 すかさず訂正する。

 決めた。この怪しい集会をすっぱ抜いて、新聞社に売ってやろう。

 ついでに、私のいじめのネタも流せば、いじめてた連中を苦しめられる。

 その姿を見届けてから、ゆっくり死ぬのも悪くはない。

 老紳士はニコニコしながら私の足元から頭の上まで一通り眺めると、納得したかのように頷き始めた。

「人の死に様を冷やかすとは、なかなか肝っ玉の据わった娘さんだわい! 守君は、強い女子の尻に轢かれる男だったか!」

 どこぞのご隠居のように高笑いしながら、老婦人と共に階段を上っていく老紳士だった。

「アレは何だったの?」と、私が聞こうと思い、隣の人物に意見を求めようと振り返ると、守は何故か酷く狼狽していた。

「す、すまないな、水谷夫妻は、いつも僕をからかっては楽しんでいるんだ。幽子君に不快な思いをさせるつもりはなかったんだ」

「分かったよ、それに、別に私はなんとも思ってないから気にすんな」

 その答えに、ほっと胸を撫で下ろす守。

 ……変な奴。

「てかさ、エレベーター使えば良いのに。さっきの夫婦。老人なんだし、階段は大変だろうに」

「ここはもう電気が通ってないのですよ」

 ああ、なるほど。見上げれば、寂れた廃ビルダもんな、ここ。

 私の素朴な疑問、コンマ1秒で解決。

 ということで、私たちも階段から屋上へ上がることにした。

 途中、当然ではあるが、水谷夫妻に追いつく。

 で、結果、私と守で一人ずつおぶさって屋上を目指すのであった。

「すまないね、お嬢ちゃん」

「いえ、体力は自信あるんで任せて下さい」

 老婦人の体は、ヘリウムガスが入った風船のように軽かったが、とても温かい命の鼓動を私に伝え続けていた。


 屋上に到着した。

 既に男女合わせて6名が、屋上で私たちの到着を待ち詫びていた。

「あ、部長が来たよ」

「もう、遅いよ、紫村部長」

「いやぁ、僕としたことが、すまない」

 守が部員に平謝りしながら、老紳士を下ろす。私も老婦人を下ろすと、守の後ろに立ち寄った。

「部会を始める前に、体験入部員を紹介したい。後ろにいる女の子が、僕の一年後輩の緑山幽子君だ。よろしく頼むよ」

 ほら、挨拶して、と守に促され、私は前へ押し出される。

 男女6人の目線が一斉に私へ注がれる。

 まずい、気分悪くなってきた。

「あの、ええと……」

「ちょっと、本当に高校生? 自己紹介くらい出来ないなんて、人としてどうなのかしらね?」

 私が皆の視線に釘付けになって狼狽しているところに、長身でやけに勝気な女性が声を荒げた。

「ご、ごめんなさい!」

 内心ムッとしながらも、その高圧的な態度から反射的に身を竦めてしまった。

 私の様子を見て、守はそっと私の肩に手を当て弁護しだした。

「里中さん、彼女はどうやら、他人の視線を恐れているようです。僕たち自殺願望者は、必ずしも完璧ではありません。むしろ、どこかに欠損といっていいほどのハンデを背負ってます。だから、むやみやたらに怒鳴りつけるのは良くありません」

 ……この弁護に私は正直嬉しくなった。

 彼は、短時間で私のハンデを見抜いてくれている。

 資料室でほのめかしてはいたが、そこまで明確に伝えていないわけだし、これは賞賛に値する。

 彼の才能なのだろう。

 里中、といわれた女性は、至極面白くなさそうに顔を背けて黙ってしまった。

 あれ? どこかで見たことあるな、あの女性の横顔。

 しげしげと女性の顔を見る私に気が付いたのか、今度は勝ち誇った表情で、私へと顔を向ける。

「ふふ、気が付いた? 最近、人気急上昇中の芸能人だしね。まさかここに居るとは思わなかったでしょ?」

 ……思い出した。

 美島ひなだ。

 CMで、横顔がアップで映っているから、それで印象深かったんだ。

 彼女は、私が小学校のときにアイドルグループの一員で人気を博し、私が中学卒業とともに彼女もグループ卒業、その後は映画・舞台・ドラマにバラエティと、ほぼ毎日TVに映っている超有名人だ。

 てことは、里中、というのは本名か。

「ダサいでしょ、本名が『里中瞳』って。本名は嫌いなの。一生付きまとうなんて耐えられない。だから死にたいの。私は永久に『美島ひな』でいたい」

 心底うんざりして肩を落とす里中。

 私のような一般人には分からない悩みなんだろうな。

 死にたい理由は、千差万別なんだなぁ。

 守は頃合いを計っていたのか、パンパン、と二回ほど手を叩いた。

 ここからが部会本番のようだ。

「はい、じゃあ、第48回自殺倶楽部部会を開催します」

 一同、拍手。

 私もそれに釣られて拍手をする。

 てか、第48回……っ?

「今夜は、部会初、二人同時の自殺です。もうお分かりですね? この部の古参である老夫妻、水谷さんご両人です!」

 おお、とどよめく部員たちだが、私はただただ唖然としていた。

「え、ちょっと、待って」

 理解が出来ずに話を断ち切ってしまったが、ここで引き下がるわけにはいかない。

「まさか、今から死ぬの? こんなに大勢いるのに? それに、何でお婆ちゃんたちなのよ?」

「幽子君、今は黙って見ててくれないか」

 守の険しい表情が、私の目線を捕らえる。

 その威圧感に私は怖気付いてしまい、半歩下がって様子を見ることにした。

「失礼、続けよう。水谷夫妻の目標が果たされたそうです。見事、お孫さんの手術が成功したらしいです。水谷さん、おめでとうございます」

 おめでとう、と老夫婦に祝福する部員たちの姿は、どうみても異様な光景である。

「目的を果たした人間は、この世に未練はない。僕らはまた今夜、幸せな門出をここから見送ろうではありませんか!」

 自然と拍手喝采が巻き起こる。

 一体、何が起きているんだろうか?

 私はただ、圧倒されるだけで傍観せざるを得ない。

「水谷さん、あれを皆に。幽子君にも渡してあげて下さい」

 老紳士が静かに頷く。

 スーツの内ポケットから、何かを取り出し、部員たちに配り始めた。

「はい、お嬢ちゃんも、どうぞ」

「あ、ありがとう、ございます……」

 それは、小さな青いガラス玉だった。

 どういう原理なのか、暗闇のなかでもぼんやりと光り輝いている。

 老婦人が私に語り掛けてきた。

「それはね、幸せの欠片なの。何故だか、この部に入って死を覚悟した人間は、幸せの結晶が空に漂っているのを見ることが出来るのよ。素手で掴むことも出来るわ。それが見えた時、人は幸福の絶頂を迎えるそうなの。皆さんに配ったのは、そのお裾分けよ」

「お婆ちゃん、今が幸せなら、死ぬことなんてないんじゃ……」

 私の言葉を制止して、今度は老紳士が話し掛けてきた。

「お嬢ちゃん、違うんじゃ。今が絶頂ということは、後は下るだけなんじゃ。一度掴んだ幸福を逃すのは、想像以上に苦しいことなのじゃぞ。だから、わしらはもうここで幕引きじゃ」

「待って、なんかおかしいよ?」

 そうだ、さっきまであんなにも忙しなく響いていた老婦人の心臓は生きてる証のはずだった。

 私のようにのっぺりとした陰だけの存在ではない。

 あんなに温かかったこの人たちはもう、世界に絶望なんてしていない。する必要がない。

 私は確かに人の死ぬところを見たかったけど。

 もっと私のように苦しんだ人間が恨み事言いながら死ぬものだとばかり思っていた。

 なのに、何で……?

「幽子君、これが『幸せに自殺する方法』なんだ。異論反論はもう少し待ってくれないかな」

 守の口調は、さっきまでの温かい柔和な印象はなく、使命感に満ちた冷たい口調であった。

 老夫婦が屋上のフェンスをよじ登る。

 部員たちは、それを当たり前のように手伝う。

 私は、ただ、何も出来ずに立ち竦んでしまっていた。

 よじ登りきった老夫婦は、最期にこちらを振り向いた。

 部員たちは、胸の前で両手を組み、祈りを捧げ始めた。

 守も目を閉じて一緒に祈りを捧げている。

「では、逝くかね。婆さん」

「ええ、いつでもどうぞ、あなた」

 二人はいとおしそうに手を取り合うと、満面の笑みを浮かべ――。

 たんっ、と、屋上の外へ二人揃って飛び降りた。

「いやぁぁぁ!!」

 私は泣き叫んでいた。

 何がどうなっているのか、全く理解できないのが怖くて仕方がなかった。

 3秒もしないうちに、不快で鈍い音が響いた。

「安らかに」

 その音を確認し、一言、離別の言葉を述べると、守は部会を終了させた。

 各々、用は済んだとばかりにそそくさと屋上を後にしていった。

 守が、泣きじゃくる私の傍へ駆け寄ってきた。

「ハンカチ、使っていいですよ」

 差し出されたハンカチをひったくると、私はぐちゃくちゃの顔面を無造作に拭き取った。

「体験入部で、考えを改める人も多いです。事前にもっと説明するべきでした。幽子君は、その辺の覚悟が座ってると思ってたので話していなかったのですが、それが災いしてしまいましたね。本当にすまない」

 守が深々と頭を下げてみせる。

 違う、私は泣いているのはそんなことじゃない。

「ねぇ、この倶楽部は、幸せになれた人から死ぬの?」

 自分を落ち着かせるために、真っ先に思い浮かんだ疑問を投げかける。

「そうです。遅かれ早かれ、人間は死にます。人間の死亡率は100%、例外はありません。しかし、全員が幸せな状態で死ねるかといえば、恐らく半数も満たないのではないか、というのが僕の持論です。だから、僕は幸せとは縁が程遠い、世界を憎み絶望する人々を集めて、最期のチャンスを掴んでもらうべく、この倶楽部を運営しています。同時に、幸せになれたら、望みどおりの形で自殺をサポートします。実際やっていることは犯罪ですが、魂の救済を第一に考えたら、僕は、法の合間を潜り抜けてでも、これからも手を差し伸べます」

 守の表情は、強い責任感を帯びた凛々しい表情だった。

 揺るぎない眼差しは、不思議と、私の心に平穏をもたらしてくれた。

「どうやら、落ち着いたようですね。安心しました」

 ほっ、と胸を撫で下ろす守。

「なんか、想像していた内容を遥かに上回っていたから、衝撃的で」

 落ち着いたとはいえ、私はまだ、頭の奥底がぐらぐら揺れるような感覚を覚えていた。

「まだ、足元が没来ませんね。階段下りるのに苦労しそうです。しかし、長くここにはいられない。僕が先ほど警察に通報したので、まもなく1Fに警察が来ます」

 そういうと、守は私の背中と膝の裏を支えに、荷物を抱えるかのように軽々と持ち上げた。

 ――この体勢は、まさか。

「お姫様抱っこですが、暫く我慢しててください。……恥ずかしいのは、僕も、同じなので」

 確かに、守の胸元から、尋常でない心拍数を私は感じていた。

 その後は、私たち二人とも、無言で1Fまで降り、猛ダッシュで現場から離れたのだった。

「そういえば、入部はどうしますか?」

 逃走しながら、守はしっかり私の勧誘の事を忘れていなかった。

私は毅然と返答した。

「入るよ。こんな馬鹿げた事が、大手を振ってまかり通っている世界なんて、やっぱり私はいたくない。早く死にたい」

 あらん限りのこの世への嫌悪感を述べると、守は一瞬だけ微笑み、区画奥の駐輪場へと消えていった。

 私もそのまま、共働きで両親が帰ってきていない自宅へ走って帰っていった。


 翌朝、私が起床すると、両親が馬鹿笑いしながら朝からはしゃいでいた。

「おはよう、どうしたの二人とも? ワライダケでも食べてハイになった?」

 鬱陶しいと顔に出しながら、私は洗面所に向おうとした。

 が、それを母親に遮られ、父親が見広げている新聞記事を見せられた。

 父親が指差す記事は、宝くじの当選結果だった。

「で、これが何?」

 まだ半分私は寝ぼけているので、二人のテンションについていくことが出来ない。

「幽ちゃん、当たったのよ、宝くじが当たったのよ!」

「信じられるか? 百万円だぞ! 幽ちゃん、何か欲しいもの、ないか?」

「……え?」

 百万円? 当たっただと?

「えええぇぇぇぇ!」

 一気に眠気が吹き飛んだ。


【入水自殺】


「あのガラス玉は、一度だけ持ち主若しくは持ち主の親しい人に幸福を与えるんです。タイミングや幸福の内容や、誰に起きるかは全くのランダムですが」

 昼休み。三年の教室で守をとっ捕まえ、昨日、私が自殺未遂を行った屋上へやってきた。二人とも、昼食を持参してである。

 そこで、今朝あった出来事を守に話した。

 水谷の老紳士から譲ってもらった幸福の欠片というガラス玉は、今朝、あの出来事の後に見る見るうちに風化してしまった。

「そして、幸福な出来事を持ち主が確認すると、不思議とガラス玉は風化して砂塵と化します。ほら、僕のも」

 学生服のポケットから出された欠片は、あっという間に風にさらわれて消えてしまった。

 守も、今朝、何か良いことがあったということだ。

 私は自販機で買ったイチゴ牛乳をちゅーちゅーすすりながら、守に向って相槌を打った。

「なるほど、そして、幸福の絶頂を迎えたとき、自殺願望者だけがその欠片を手にすることが出来るわけね」

 にわかに信じがたい話だが、実際欠片を受け取っているし、その後の顛末もすでに体験済みだ。

 どういう原理かはさっぱり分からないけども、あのガラス玉が瞬間的に人を幸福にさせるのは事実ということである。

「でもさ、それだったら、わざと死なないで、玉をずっと集めようと考える輩もいるんじゃないの?」

 私は、ふと浮かんだ質問を守にぶつけた。

「どうだろう、少なくても、今生存している部員には、そんな考えは持ち合わせていないはずです。それに、人間は不思議なもので、満たされてしまうと死にたくなるそうです」

「そうなのか?」

「ええ、『燃え尽き症候群』とはまた違うんですけど、本当に突き詰めて、極限までに幸福の絶頂に立てたとき、人間は次へ向うベクトルを失うんですよ。そうなると、水谷夫妻が仰ってたように、あとは坂を下るだけですから。人間は欲深いので、わざわざ下るのは非常に苦痛を感じるんです。そうなると、あとは惨めなものですよ? 有名人が没落する様子は、週刊誌などで幽子君も見かけるでしょう?」

 まぁ、屁理屈だと思ったが、一本筋は通った話だった。

 没落して犯罪に手を染めて逮捕された有名人は、この広がる青空に浮かべても足りないくらいである。あるいは、必死に栄光にしがみついて周囲から嘲笑の的になっている有名人だって、ここから見える家屋の屋根の数より多いだろう。

「繰り返し言いますが、僕はそんな惨めな最期を送るなら、自殺願望者には幸せな時期にやり遂げてほしいと考えてます。水谷夫妻も、幸福の欠片のおかげで、難病だったお孫さんの手術に成功して、順調に回復に向っているそうです。今朝の朝刊、見ましたか?」

「あー、そういやあったわ。日本初の手術が成功したとか」

 あれ、あの老夫婦のお孫さんの手術だったのか。

「欠片の効果は絶大です。所持者の心の中の葛藤や悩みをシラミ潰しに解決してくれます。いや、蹂躙や駆逐と言い換えても良い。故に、全て解決したとき、残るのは満足感と共に虚無感が漂うそうです。もう充分だって。死んだ部員の一人が、やり遂げる間際にそう教えてくれました」

 僕はまだまだ先になりそうですが、と付け加える守。

「確かに、家にもっとお金があればなぁとは、常々思ってたことだね」

 父親の安月給では、私のお小遣いが雀の涙なのだ。

「それが叶ったわけです。おめでとうございます、幽子君」

 いきなり守は握手を求めてきたので、私の心拍数は一瞬飛び抜けてしまった。

 何故、跳び抜けたのかは分からないが。

「あ、ありがとう。守」

 さりげなく、守の名前を口にすると、今度は守の動きが急にギクシャクしだした。

「どうしたの? 油が足りない錆付いたロボットの真似?」

「あ、あはは、そうそう、ちょっと芸風を変えてみようかと思いまして」

 そう弁解すると、守は即興で下手糞なロボットダンスを私に披露した。

 彼の目が泳いでるのが、さらに滑稽さを増している。

 その姿が本当に無様で、私が弁当を食べる余裕をなくすほど笑い転げた。

「ひーひー! あははははは! いいぞ、守! もっとやれよ!」

「幽子さん、もう勘弁してください……」

 顔を赤らめ、震えた子犬のように制止を呼びかける守をからかいつつ、この日の昼休みは終了した。

 去り際に、守が一言、私に願い出た。

「もし、良かったら……、明日も、お昼、ご同伴願えませんか?」

「いいよー」

 何も考えずに反射神経で私は返事をした。

 私は正直どうでも良いんだけど、教室と食堂にはいじめっ子たちがいるので、お昼を食べるスペースは屋上くらいしかない。

 資料室は、昼休み、司書の先生がいるので、弁当食べるのに鍵を持ち出したいとは言えず使用は不可能だ。

 一人でいるよりかは、話し相手がいたほうが良いに決まっている。ということで、『来たければ来れば?』くらいの調子で承諾した。

 守はその返事に、悲喜こもごもという表情を見せ、三年の教室へ戻っていった。

 ……やっぱり変な奴だ。


 その日から、私と守は、一緒に昼休みを過ごすことになった。

 昼のたった45分だけだったが、徐々に私にとってはなくてはならない日課となっていった。

 守は、その時間で色々な話を聞かせてくれた。

 彼がこの自殺倶楽部を立ち上げたのかと思っていたが、実は違った。

 彼は二代目で、先代が目的を果たす前に、後継者として選ばれたらしい。

 ちなみに、先代の目標は、『自分の跡継ぎになる人物を探す』ことだったらしい。

 企業の社長だったらしく、次期社長や次期部長を選出し終わり、最期は刃物で頚動脈を掻っ切ったとのことだ。

 守の家族のことも話してくれた。

 母子家庭らしく、守は父親の顔を知らないとのことだ。

「普通なら、こんな進学校へ通える余裕なんて、一般の母子家庭には出来ないんですけどね。皮肉にも、上手い具合に幸福の欠片が働いてくれて、今では僕の大学4年間分の費用まで、安心して確保できるくらいの貯金が出来ました」

 まじか、それ。

 本当、欠片の効果は絶大である。

「ん、守は進学するの? 自殺倶楽部部長なのに?」

 私がそれを口にすると、気まずそうにはにかむ守。

「ええ、残念ながら、僕の目標はなかなか叶わないんです。ですから、先のことを考えないといけません。もしかしたら、僕の目標は、一生叶わないかもしれませんから」

「ふーん、そしたら、守はずっと死ねないねぇ」

「……そうですね、叶わないですね」

 途端、口を重くする守。

「あー、私も守みたいな明確な目標があれば、すっぱりこの世とオサラバなんだけどな」

 そうなのだ。

 入部したはいいが、他の部員のように、死ぬ間際の目標というものが見つからないのである。

 いじめている奴を皆殺しにする、というのも考えたが、それが果たして人生の絶頂かと考えたら違うと思う。第一、殺人犯の娘が自殺しても、残された両親が喜ぶとは思えない。

 そのあたりは私も考えているのだ。

 どうせ死ぬなら、悲劇のヒロインであるべきだし。

「目標がないのなら、生きてみるという選択肢をいつでも選べますよ」

 守が、神妙な口ぶりで私にそう助言をした。

「幽子君がそう思っているのは、心のどこかで、『この世界はまだ捨てたものじゃない』と思っているからではないでしょうか? 実際、入部してから考え直す方だって多くいらっしゃいます。自殺倶楽部は、自殺を強要させるところではありません。あくまでも、自分自身の幸せの意義を見付けて、それでも死にたい方は、満足に死んでもらう手助けをするところですから」

「だーかーらー、その意義自体がさっぱり見付からないんだって。おかげでこっちはさ、死にたくても何だか踏ん切り付かなくて中途半端。最近はやや鬱憤溜まってるのよ」

 守の講釈を強制終了させ、私は弁当の残りを掻き込み始めた。

 腹が減っては死ぬ気も起きない。

 守も、それを見てか、購買のサンドウィッチに手を付け始めた。

 それから昼休み終了まで、私たちは会話をせずに、ただ互いに弁当を頬張っていた。


 その翌日の夜、前回の廃ビルに近い河川敷で部会が開かれ、中年の男性が入水自殺を遂げた。

 その人は、日頃、会社で窓際族と揶揄され、社内いじめに遭っていたらしい。

 私と同じ境地の人間がいたことに、驚きを隠せなかったと同時に、嬉しさを感じていた。

 男性は、今日の夕方、会社の同僚並びに上司計6名を、自宅から持ち出した包丁でメッタ刺しにして殺害。

 部会が始まるまで、この河川敷の脇にある雑木林に身を潜めていたらしい。

「この罪は、死んで遺族に詫びます。でも、自分の行いに後悔はありません! 皆さんお元気で!」

 そう言いながら、私を含める部員全員に、血塗れの手で欠片を2つ渡してくれた。

 守曰く、悲願の達成度合いによって、手に入る欠片の数が変わるらしい。

 前回の水谷夫妻よりも数が多いということは、それほど、彼が社内の人間を強く憎んでおり、殺害することによってその無念が如何に晴れたかの証明だった。

「さようなら」

 守は、沈んでいく男性の身体を見届け、部会を解散させた。

 私は今回の部会を通してひとつだけ、心に決めた。

 いじめっ子の奴らを皆殺しにするのは、絶対止めよう。

 あの男性の行いは間違っている。共感は出来るけど、やっちゃ駄目だ。

 独り善がりに人を殺して、後悔はないだなんて、虫が良すぎると私は気付かされた。

 確かに、私もいじめっ子たちは殺してやりたいほど憎たらしい。

 でも、あんな下種を殺したところで、私まで下種になり下がるのは御免だし。

 しかし、今回の部会、非常に後味の悪いものになった。

 その証拠に、守もいつになく表情が暗い。

「幽子さん、でしたっけ?」

 と、突然、私を呼び止める声がした。

 振り返ると、あの長身の女性、里中が険しい顔をしてこちらを睨んでいた。

「あ、はい、そうですけど」

 私はこの人がは苦手だ……。

 とにかく、周囲に威圧感を振り撒き、自分は一般人とは違うと必要以上に見下した態度を取るからだ。

「ちょっと、このあと顔貸してよ?」

 そういうと、里中は私の手を取り、あれよあれよと、私は里中の車に押し込められてしまった。

「夕食奢るわ。出すわよ」

 急発進するミニバン。後部座席で私は慣性の法則によりとんでもない体勢を強いられ、そのまま里中に拉致されてしまったのだった。


【自殺友達】


 車はあれから1時間ほど走っていた。

 隣の市まで里中は走らせ、ファミレスを見付けると、その駐車場へ車を停めた。

「さ、行きましょ」

「はい……」

 車の中は終始無言だった。

 それはそうだ。私は彼女が苦手だし、彼女もまた私を好意的に思ってないのがひしひしと伝わってきていた。

 店の中に入ると、従業員の男性がこちらへやってきた。

「いらっしゃいませ、あ、もしかして……、美島ひなさんですかっ? 俺、大ファンなんですよ!」

 従業員の目が途端に輝いた。

 忘れてた。

 里中は、売れっ子タレントの『美島ひな』なのだ。

 彼女は変装も全くしていないで、堂々とこの店内へ入ったのだから、そりゃ一般人は色めき立って当然だ。

「ありがとう。サイン、後でしてあげるね。ドリンクバー、2名お願いします。食事は後から注文するわ」

「か、かしこまりました、2名様、ご案内しまーす!」

 里中はさっさと注文を済ませると、はしゃぐ従業員に席に通すように促した。

 案内される途中、他の座席の客が、皆一様に同じリアクションをしたのは、私から見ても滑稽にしか見えなかった。

「ね、有名になっても良いことはないでしょ。ファミレス行くにも一騒動なんですもの。間違っても、いつもの素の口調で話せないし、疲れるわ」

 里中は席に座ると、既にぐったりとしていた。

 それほどまでの心労なのだろう。

「有名人、大変なんですね。一般人で心底良かったです」

 私が正直な感想を述べると、気に喰わなかったのか眉をひそめる里中だった。

「良いわよね、一般人の女子高生はおきらくで。あー、死んでしまいたい」

 そう呟くと、すたすたとドリンクバーへ飲み物を取りに行く里中。

 一人残された私は、『美島ひなの連れ』という奇異な視線に晒されることになってしまった。

 ……これは、吐きそうなくらい気分が悪くなる。

 止めろ、野次馬どもが。連れてこられた私が一番迷惑だっていうのに、そんな目で見ないでほしい。

 程なくして、里中が戻ってくる。

「はい、あなたも、烏龍茶でいいわよね?」

 茶色い液体がなみなみと注がれたグラスを私に寄越す。

「大丈夫です、ありがとうございます」

 ここは素直にグラスを受け取ることにした。

「うぇ、なんですかこれ」

 甘い。喉が焼けるほど甘い。

 こんな烏龍茶は初めてだ。

 私は里中に抗議を申し立てるが、当の里中は、同じような液体を当然のように飲み干していた。

「何言ってるのよ、烏龍茶にガムシロ3個は基本でしょう?」

「何処の国の基本だ、それ……!」

 糖尿病になって通風で苦しめばいいんだ、そんな国。

「何よ、折角入れてあげたのに……。まあいいわ。本題に入るわよ」

 ソファーから背を離して前かがみになり、私のほうへ身を乗り出してきた。

「あなた、部長の守君をどう思ってます?」

「は?」

 私はてっきり、散々私自身をなじられるのかと思っていたが、これでは質問の方向性が、何やら修学旅行の就寝前の会話のような気がしてならない。

「ですから、守君のことは好きか嫌いか、そう言っているんです!」

「ええっ?」

 ような気がする、ではなく、そのものだった。

「どうなんです? はっきり言って」

「あ、いやぁ、はっきりといわれても、私、守のことは変な友人としか見てないしなぁ」

 その返答に、俄然瞳の奥が燃える里中。

「それは本当ですか?」

「ああ、本当」

「よかった……」

 あー、なんだろ、この感覚。

 里中は芸能人であるが前に、一人の女の子なんだなーって思ってしまったわけで。

 確か、私の2つ上のはずだから、今年で19歳だったはずだ。まだまだ恋がしたい年頃なんだろう。

 私は既に諦めているので、そっちの方面は疎いんだけども、こう目の前で『恋する乙女』を見せ付けられると、飯が不味くなるんだよね。

 しかし、あの眼鏡を好きになる物好きがいるんだな、目の前に。

 あれだ、蓼食う虫も好き好きってやつ?

「ねぇ、彼と同じ学校なんでしょ」

「そうですけど」

「いいなー、私もあなたと同じ高校の出身なのよ。高校時代に戻りたいー」

 げ、OGだったのか。

 実家はこの辺りなのだろうか。

 どうりでよく部会に出席するはずだ。

 ……まさか、守目当て?

「まぁ、それは私の目標とはまた違うんだけどね」

 目標、といった途端、急に体の空気が抜ける里中。

 あ、守ゲットが目標じゃないんだ。

「よかったら、聞かせてくれませんか? その目標を。私、実はまだ目標が定まらなくて、なかなか死ねないんです」

 有名人の目標が参考になるかは知らないが、私とて興味は湧く。

 里中は呆れたとばかりに溜息一つついた。

「あなた、目標なしに死のうとしてたの? 何考えてるの、本当?」

「あ、いや、逆です。入ったは良いけど、目標が揺らいだというか」

 人殺しを目標にしたら、今夜みたいな結末だって知ったしね。

「なるほど、まぁ、参考にならないと思うけど」

 そういうと、ドリンクのお代わりいるかを尋ねる里中。今回は、私も一緒に注ぐ事にした。またガムシロを入れられかねないし。

 ドリンクを注ぎながら、里中は自身の目標を打ち明けてくれた。

「私はね、皆の記憶に永劫として、『美島ひな』でいたいの。何十年経っても、『ああ、あの作品は美島ひなだよね。あの衣装は美島ひなが使ってたよね』って言ってもらえる普遍的な存在を目指してるの」

 ……何やら小難しい話になってきたな。

「でも、なかなかそういうのって難しいのよ。生きてると、どうしても衰えてくる部分が見えてきてしまうでしょ。人って、良いところよりも悪いところばかり目に行くから。私はね、そういう惨めなものを大衆の目に晒したくないのよ」

「で、具体的のどうするつもり?」

「幸福の欠片のおかげで、私は今度、映画の主役に抜擢されたの。もうすぐクランクアップするわ。最後に、欠片の力を借りてでも、最高の演技を映像に残すの」

 なるほど、映画は確かに、ある種の普遍性を持っている。

 名作の映画となれば、それは一世紀経っても語り継がれるだろう。

「どうかしら、こんな話を聞いて、参考になるかどうか分からないけれど」

「いいえ、里中さん、あ、美島さんって、演技に真摯なんですね」

「な、なによ、今更褒めて」

 実際、ちょっと感動したのだ。

 ただのいじめられっ子に比べたら、まず発想のスケールが大きすぎる。

 なんせ、自分を半永久保存しようとしているのと同じことだ。

 概念化しようとしているとも言い換えていいだろう。

 生半可な試みでは、当然難しい。

 しかし、目の前の人物は、それをまもなく実現しようとしているのだ。

 これで感動しないほうがおかしいというものである。

 まぁ、見事に参考にならなかったのは否めないのだけれど。

「さぁ、何か食べましょう、あなたもいい加減、烏龍茶だけではお腹が満たされないでしょう?」

 席に戻ると、里中は食事の注文をしだした。

 ここは里中に甘えて、私はご馳走に有り付く事にした。


 翌朝、丁度日曜日なのは幸いであった。

 あのあと、意外にも私と里中は意気投合してしまい、カラオケで夜通し遊びまくったあと、彼女の家に一泊させてもらったのだ。

 事前に、友人と食事へ行くとは(部会出席の口実で)親に伝えていたが、泊まるとまでは思ってもなかった。

 それは、里中も同様で、やけに乱雑な部屋の中を見られるのを非常に悔やんでいた。

 今は実家ではなく、一人暮らしをしているそうだが、同じ女として、ゴミの山を我が城とは言いたくないというのが率直な感想であった。

 これは、ファンが見たら卒倒モノの光景だろうな……。

 私は、ガラクタの山を押し退けたスペースに寝袋を借りて寝ていた。

「あ、起きた? おはよう、幽ちゃん」

 夜通しのカラオケのせいか、若干擦れた声の里中が、キッチンで朝食の支度をしていた。

 そして、昨晩から、私の呼称が両親が呼ぶそれと同じになっていた。私は相変わらず、彼女を苗字で呼ぶことが確定している。

「意外だ。料理できるんだ」

 私が驚きをそのまま言葉にすると、

「あー、やっぱり、私って家庭的なイメージがないんだ。自覚はしてたけど、改めて言われるとへこむわ」

 などと肩を落としていた。

 家庭的って、周囲のゴミの山を見た上での発言なのだろうか?

「ほら、出来た。冷めないうちに召し上がれ。飲み物は牛乳しかないけど」

「うん、構わない」

「幽ちゃんはもっと牛乳飲まないと駄目だと思うわ」

「なんでよ?」

 里中が含み笑いをしながら、コップに牛乳を注ぐ。

「決まってるでしょ。17歳でその胸の薄さは、同性の私から見ても、非常に悲しい思いをさせてくれるから」

「なっ? 里中、てめぇっ!」

 くそっ、AAカップの何が悪い! 貧乳だって需要はある、はずだ……。

「ふん、里中はいいよね、足元が見えないんじゃいかって思えるくらい、胸の肉が前へ競り出してるんだから! 牛乳飲み過ぎなんじゃないの?」

 怒った私の顔がよほどおかしいのか、目に涙を浮かべて笑いを堪えている。

 悔しくて、私はコップに注がれた牛乳を一気に飲み干して、勢い良くテーブルにコップを叩き付ける。

「はいはい、お代わりねー。胸の話題でエキサイトする辺り、まだまだお子ちゃまねぇ」

 里中はニヤニヤしながら、私の空のコップに牛乳を満たしてくれた。

 ……ま、いいか。

 朝からブリブリ怒っても精神衛生上良くない。

 私は両手を挙げて、敗北宣言を行った。

「降参。里中には、私の口の悪さは歯が立たない。あと貧乳でスイマセンでした」

「ふっふーんだ。Bカップになってから出直してこい。それに、伊達に芸能界で揉まれてませんよ」

「胸を?」

「そうそう、プロデューサーのセクハラ酷いのよ、って何言わせるのよっ? 口の悪さのことよ!」

「ぱねぇ、里中! ノリツッコミなんて出来るんだ!」

「……最後の最後で、してやられたわ」

 ははは、と馬鹿笑いをしだす私たちであった。

 その時、ジーンズのポケットの中で、何かが崩れる音がした。

 そのポケットの中身は、欠片が入っているはずだ。

 気になって、私は手を入れて弄ってみる。

「あれ?」

 欠片の一つが、完全に砂塵と化していた。

「欠片が、もう使われた……」

「嘘? 早っ!」

 里中が驚いていたが、妙に納得したような顔をしていた。

「幽ちゃんと仲良くなれたのは、欠片の力のお陰かな、きっと」

 そう言って、いただきます、と作った朝食を頬張る里中。私もそれにあわせて食事を始める。

 美味かった。

 昨日の夜の私からしたら、こんな朝を迎えるなんて夢にも思わなかっただろう。

 それに一晩一緒に過ごして、彼女の傲慢な態度は、自分の弱さを出したくはないゆえの不器用さなのかも、と感じている。

 なんか、彼女のそういうところが私に似通っていて、急に親近感を持てるようになったのだ。

「お互い、いつ死ぬか分からないけどさ、その時期が来るまで、幽ちゃん、私の友達でいてほしいな」

「いいよー」

 深く考えずに返事を返した。

 今回欠片がくれたものは、掛け替えのない友人だった。


 月日は流れる。

 守との昼食、撮影の合間を縫っては私を遊びに連れまわす里中、補充・欠員を繰り返す部会、そして、手に入る幸福の欠片。

 再三言うが、幸福の欠片は何でもありだった。

 欠片の恩恵で、私の学校生活は、徐々に反転し始めた。無論、良い方向へ。

 まず、私の最大の禍根だった、いじめ問題が解決してしまった。

 簡単なあらましを言えば、里中――美島ひなとのツーショットプリクラを、いじめっ子に見付かった瞬間から立場が逆転した。

 騒ぎになるから特に言い触らしてはいなかったのだが、『芸能人に友達がいる』というだけで、ああも学校内の立ち位置がジャンプアップするとは思っていなかった。もっと最初から言うべきだったかもしれない。

 元いじめっ子たちの態度が急に軟化し、サインを私経由で頼み出したのだ。

 勿論、条件として、多少は復讐がてら顎で使うこともあるが、そこまで私は悪人ではないので、里中にサインをお願いして配布してたりする。

 おかげで、元いじめっ子からおべっかを使われ、ある種の崇拝じみた念までも感じるようになったのだ。

 更には、急に同学年の男子からの人気が出た。

 いじめっ子だけでなく、校内の一般男子に対しても、美島ひな効果は抜群だったということだ。

 というか、芸能人の友人=可愛いという陳腐な論理が見え隠れしていて、私は失笑せざるを得なかった。本当、同年代の男は馬鹿ばっかりだ。

 二ヶ月の短期間で、5人もの男子の告白を受けることになったが、全て断った。

 美島ひなに会えるかも、というあざとい気持ちが見えているのは勿論だし、AAカップの貧乳に目が眩むような変態には、その股間をこれでもかと蹴り飛ばしてやったこともある。

 ほらみろ、やっぱり需要があったじゃないか。あったらあったで悲しいけどさ!

 それになんといっても、私自身、どうもしっくり来なかったのだ。

 心の中で、何かモヤモヤが晴れない。

 おかしいなぁ、私、意中の相手なんていないはずなんだけどなぁ。


「どうかしましたか? 幽子君」

「ふぇあっ?」

 やば、イチゴ牛乳が! 気管に!

「だ、大丈夫ですかっ?」

 守が慌てて私の背中を擦ってくれた。

 数十秒後、どうにか落ち着きを取り戻した私。

「良かったです。そして驚かせてすまない。昼食中に、幽子君が呆けているのが珍しくて、声を掛けただけなんですが」

「え、あ、うん、もう大丈夫」

 そうか、今は昼休みだ。

 いかんいかん、最近なんか弛んでおる。

 時間の感覚まで喪失しかけているとは、かなり重症だ。

 守は心配なのか、まだ私の背中を擦っている。

『――トクンっ』

 あ、あれ?

 なんか、凄く恥ずかしい事されてる気がするんだけど。

 背中を擦られているだけなのに、体中に火をつけられたかのように発熱していくのが自覚できる。

 え、ちょっと、熱いよ、そんな、うそ、やだ、やだやだやだ――!

「いつまで触ってるのよ! 守のスケベ!」

 半ば狂乱状態で飛び出た言葉がこれだった。

 守は咄嗟に手を引き、すぐに自責の表情を浮かべた。

「僕はなんてことを……。幽子君は後輩である以前に、一人の少女でした。僕はまだまだ未熟だ。重ねて無礼を、この通り許してほしい」

 いつぞやのように、私の目の前で土下座をする眼鏡男。

 そんなことをさせるつもりではなかった。

 謝るのは私のほうだ。

「守、顔上げてよ、悪いのは私。親切でやってくれてた守に、酷いこと言っちゃった。ごめんなさい」

 守は顔を上げてくれなかった。

 上げる顔がないと思っているのだろうか。

「ねぇ、顔上げてよ。屋上の床は汚いよ。また資料室のときみたいにTゾーンが汚れるから。ねぇ、顔上げてってば」

 守の肩が小刻みに震えていた。

 守は、土下座しながら泣いていた。

 泣き顔を見せたくなくて顔を上げないでいるのか。

 そもそも何で泣いているのか?

 私には、何となく分かってしまった。

 今までの彼の反応を思い返せば、その結論へ辿り着くのは容易だった。

 途端、屋上の空間が息苦しくなった。

「止めてよ。そんな大泣きするくらい、自分を責めるなんて。私、気にしてないから」

 しかし、嗚咽が一層酷くなる。

 止める事が私には出来ない。

 どうすればいいか分からなくなる。

 怖くて立ち上がってしまう。

 守は、嗚咽交じりに何かを呟いた。

 しかし、上手く聞き取れない。

「なんて、言ったの?」

 聞いてはいけない。

 発言を取り消せ。

 そんな虫の知らせが矢継ぎ早に飛び交う。

 でも、怖いもの見たさの好奇心が、それらを押し込めてしまった。

「……っ、ください」

「え?」

 泣きじゃくる顔を上げ、あらんばかりの笑顔を見せて、守ははっきりと口にした。

「君が好きだ、君の自殺を止めたときから、ずっと。僕と付き合ってください」

 その言葉を聞いた瞬間、弁当を抱えて屋上から逃げた。

 返事なんてする理性は、あの言葉を聞いた瞬間に崩壊した。

 怖かった、何故だか知らないけど、受け入れたら何もかも消し飛んでしまいそうな予感がした。

 だって、気付かされてしまった。

 守は私の事が、いつのまにか好きで。

 守は、私が交際を受け入れたら、次の部会で死んでしまうのだろうと。

『僕の目標は、一生叶わないかもしれませんから』

 そりゃそうだ、私が気付かなかったら、守は一生涯死なずに済む。

 でも、気が付いてしまった。

 死ぬ条件が、揃いつつあった。

「やだよ、守が死ぬなんて」

 初めて、自分の気持ちを口にした。

 守のお陰で、倶楽部を知った。

 守のお陰で、昼休みは退屈しなかった。

 守のお陰で、里中と話すきっかけが出来た。

 守のお陰で、守のお陰で――。

 向った先は、資料室。

 司書の先生がいたが、有無を言わさず資料室の鍵を持ち出し、そのまま籠城した。

 埃臭い資料室の壁にもたれて座ると、堰を切ったかのように涙が溢れ出した。

「どうすれば、いいんだよ?」

 泣きながら、薄暗い室内を眺めて途方に暮れていた。

 ただただ、守への想いが、涙と共に溢れて止まることがなかった。

 結局、その日は授業を受ける気が失せ、学校を早退した。


 翌日の昼休み、守は屋上に来なかった。

 次の日も、そして次の日も、屋上に守の姿は見えなかった。

 守と校内で会うことは(廊下で擦れ違うくらいで)、極端に減ってしまい、日に日に私の苦悩は膨らむばかりだった。


 ある日、放課後を迎えたとき、校庭が何やら騒がしいことに気が付いた。

「おい、マジかよ!」

「うわ、本物よ!」

 一体何の騒ぎだろうか?

 私も野次馬根性で、教室から校庭へ目線を投げかける。

 そして、すぐさま校庭へ走っていった。

 そこには、生徒に四方八方から囲まれてる美島ひなこと、里中の姿があったからだ。

 校庭に1分も掛からず到着すると、人ごみを掻き分け、里中の下へ辿り着く。

「おお、幽ちゃん、遊ぼうよー」

「てめぇ! 遊ぼうよー、じゃねぇよ、バカァァァーッ! 学校中大パニックじゃない!」

「だって、幽ちゃんの携帯、電源切っているでしょう? 大事な話を早くしたくて、撮影終わったと同時にすっ飛んできちゃった」

 屈託ない笑顔でVサインをする里中。

 この仕草で男女生徒あわせて数十名が、歓喜のあまり卒倒、天に召されたようだが敢えて放置する。

 無論、里中の『笑顔で人間を気絶させる妙技』についても不問とする。

 ちなみに、授業中は携帯電話の電源を切ることが校則で決められている。

 校門出たら携帯電源オンに、というのがうちの高校の習慣だ。

 進学校らしいとえば、らしいのかもしれないが。

「じゃあ、行こうっかー」

 全く悪びれないでそう言うと、私の腕をがっちり組み、ずるずると校門まで引きずっていく里中。

 あれ、デジャヴ? これってデジャヴ?

 校門前には、里中の体型に似合わない大型のバイクが待ち構えていた。

 バイクには詳しくないけど、あれってハーレーとかいう車種だったような?

「里中、あれ、運転できるの?」

 その問いに、ぽかんと口を開ける里中。

「決まってるじゃない。今度の映画で必要だったから、頑張って取ったのよ、バイクの大型の免許。幽ちゃんも後ろに乗っけてあげるからね。気分爽快よ」

 はい、と後部座席(というかは不明)からヘルメットを取り出し、私に寄越してきた。

 反射的に私は被ったが、被ってよかったのかな、これ。

 里中がここに跨れ、と後ろの開いたスペースを数回叩く。

 覚悟を決めて、私は搭乗した。

「オッケー、しっかり掴まってね」

「胸を?」

「そうそう、幽ちゃん、強く掴んじゃ嫌よ、敏感だから優しくね、って、人が見てるじゃないの!」

「マジでぱねぇ、里中! これからは芸人にもなれるよ」

「なんでやねん」

 そんなやり取りを終えた後、爆音を轟かせてハーレーは風を切って急発進し出した。

 風が、バイクの爆音が、聞こえるはずの周囲の音をかっさらっていく。

 景色が流れて、流線状に視界に飛び込んでくる。

 何もかもが初めての光景。

 私は里中の背中に貼り付きながら、暫くこの風景を楽しむことにした。


 小1時間弱のツーリングを終え、いつの間にか山の高台まで来ていた。

 適当な空き地にハーレーを停め、私たちはガードレールすれすれまで歩み寄る。

 辺りはもう夕焼けのオレンジ色に染まっていた。

「下見てご覧。結構登ったね」

 下界の景色を促されるまま覗き込む。

 オレンジの色に染まった建物の一つ一つが輝いて、街全体が宝石のような美しさを魅せていた。

「きれい……」

 素直に言葉が漏れていた。

「それくらい、守君にも素直に言えたら良いんじゃない?」

 私は心臓が口から飛び出そうになった。

「何で知ってるのっ?」

「あ、そっか。言ってなかったっけ。実はね、守君とは以前からメル友なの」

 携帯をちらつかせて、はにかむ里中。

「守君ったら、幽ちゃんのことばっかりメールで相談してくるんだもの。守君のことが好きなのに、その相談に乗ってしまう自分も自分だけどさ。駄目駄目だよねー」

 そっか、里中は守の一つ先輩だし、何らかの接点はあるとは思ってはいたけど。

 そういや、守とは連絡先を交換してなかった、と今更気が付く。

 平日は毎日、昼食で顔を合わしていたし、休日は夜に部会で顔合わしていたから、特に連絡は意識していなかった。

「里中、でも、守の目標は……」

「分かってる。守君の目標は、『誰かに自分を受け入れてもらいたい』ということ。しかも、ただ受け入れてもらうんじゃなくて、自分の気に入った相手と、ってところが厄介よね」

「うん、だから、私が受け入れたら、守は」

「死ぬわ。間違いなく」

 きっぱりと、さも当然の如く里中は言った。

「ねぇ、この倶楽部、別に死なないで退部することも出来るんでしょ? いくら部長だからって、それくらいは認められるでしょ?」

 里中は軽く唸っていた。

 何かを考えているようだ。

「可能だけど、それは不可能だわ。あの倶楽部にいると、自分も死にたくなるの。幽ちゃんだって、まだ自殺する気でいるでしょ?」

 確かにそうだ。

 あやふやにはなりつつあるが、今まで自殺願望自体がなくなったことは、不思議と一瞬たりともない。

「人間、満たされ過ぎるのも問題よね。何かが欠けてるくらいの方が丁度良いのかも。もどかしいかもしれないけど、その欠落がある限り、人間は生きようと思えるのかもね」

 そんなことを里中は口にすると、ローライズパンツのお尻のポケットに手を突っ込み、私に無造作に何かを手渡した。

「これ、幸福の欠片……、と、招待券?」

 手渡されたのは、今までのものより、一際大きな幸福の欠片、いや塊だった。里中自身のカラーなのか、目映い黄色の光を放っていた。

 もう一つは、『試写会招待券』と書かれているチケットであった。

「私、お別れ言いに来たのよ」

 唐突に、そんな言葉を里中は発した。

「最高の演技を残すことが出来たわ。監督をはじめとする、その場にいた人間、勿論私を含めて、暫くは感動で鳥肌が収まらなかったくらい。その後、そんなでっかい塊が中にふわふわ浮いてるのが見えたの。ほら、今だって」

 里中が手を伸ばすと、まるで林檎をもぐかのように手首を捻った。

 すると、空中から、また大きな塊の光が出現したのだ。

「これもあげるよ。親友の幽ちゃんだけのサービス。他の部員には欠片すら渡すもんか」

 よっと、こちらへ塊を放り投げる里中。

 難なく私は、その塊を受け取った。

「守君には、生徒に囲まれる前に渡そうとしたけど、断られちゃってさ。『次は僕の番です』だってさ。心配で死ねなくなったらどうすのさ。全く、守君ったら」

 その目線は、どこか寂しげな印象を私は受けた。

「里中、本当は死にたくない?」

 そんなことを、私は聞いてしまった。

「どうだろう、ほんの少し、もう少しだけ、人生を楽しみたい気もするけど。幸福の欠片が見えちゃった以上、今度の試写会を逃したら私は下り坂しか待ってないしね」

 夕焼けの風に、里中の乾いた笑い声が交じり合った。

「観に来てよ。試写会。再来週の日曜日だからさ。ペアチケットだから、守君も連れてきてね」

 私は、その時ある考えが浮かんでしまった。

 いや、まさかそんな大それたことを出来るだろうか?

 でも、里中だったら、やりかねない。

「里中……、まさか、試写会中に、死ぬつもりなの?」

 ごう、と強風が通り抜けた。

一陣の風が、里中の髪を乱暴に揺らした。

「ええ、でも止めないでね。もう決めたことだから」

 夕日が沈む瞬間を、私は生まれて初めて見た気がする。

 里中の命も、あんなふうに儚く消えていくんだろうか……?


【死ぬ意味、生きる意義】


「守、デートしよう」

 私は意を決して、三年A組の教室で呆けている守に申し込んだ。

 周囲は阿鼻叫喚となり、守に奇異な目付きが集まる。

「幽子君、突然どうしたんですか?」

 あまりにも突然の爆撃に、ただ驚いて身体を硬直させる。

 里中と別れた晩、考えに考えた結果だ。

 それは、私も守が好き、ということだ。

 守といれば、これからだって楽しいに決まってる。守だって、私の事が好きなら同じように考えるはずだ。

 それを守に分かってもらえれば、死ぬことを諦めてもらえるかもしれないから。

「美島ひな初主演作品、映画『愛の中で』の試写会招待券、1枚で2名様までOK。つまり、あんたと私で! これを! 観にいくの! 分かった? 返事は?」

「は、はい!」

 動揺して、眼鏡がずり落ちる守だった。

 もうこうなればゴリ押しだ。

 有無を言わさず返事をさせ、私の携帯の連絡先を書いたメモ用紙を突き付ける。

「いい? こっちは真剣なの。ばっくれて勝手に死んだら許さないから。もし死んだら、墓石蹴り倒すわよ」

 半ば宣戦布告のような口振りになってしまったが、守は意図を汲んでくれたようなのでよしとする。

 そのままずかずかと3Aの教室を後にすると、再び教室から歓声が沸き上がってきた。

 さぁて、私も後戻りは出来ない。

 覚悟を決めて、守を説得しないといけないのだから。

 自分の教室に戻ると、既に噂が広まっていたことに驚いた。

 流石、閉鎖された学校という空間。

 色恋の噂など、伝染病のように瞬く間に広まっていくのだ。

 なんだこのラブパンデミック。

 でも、男性との交際が皆無の私に、色々と周囲が助言をしてくれたのは非常にありがたかった。

 行き過ぎて、下着のバリエーションや避妊具の話まで飛び出したが、そこまでは飛躍しすぎだというので諌めに回った。

 私の周囲の同級生は、そういうところまで進んでいるようで、話を聞いていてこちらが赤面するような内容も多々あった。

 守とそんなことをするのだろうか……、いや、いきなりのデートではないだろう。

 デートは再来週の日曜。

 丁度、夏休みに入るところだ。

 それまでに、私は、少しでも牛乳を多く飲もうと固く誓ったのであった。

 ……いや、他意はないけどね?


 夏休み初日。

 守とのデートの日。

 そして、里中が命を絶つ日。

 駅前の像の前で待ち合わせすることになったのだが、情けないことに私は寝坊をしてしまった。

 原因は、夜中まで何を着ていくべきか必死に悩んでいたのだ。

「胸元が乏しいから、ボーイッシュな魅力を活かしてみたら?」

「低身長で未発達な身体を逆手にとって、ロリロリで攻めてみるのもアリじゃない?」

「映画の試写会でしょ? もっと品格ある服装にしたほうが良いんじゃないの? 胸はパッドでいくらでも補強できるわよ」

「露出だよ! ナイチチでも露出すれば、男は漲ってくるんだよ、ヒャッハー!」

 チクショウ、揃いも揃って、胸のなさを指摘しやがって!

 奇跡的にAAからAカップに昇格したが、あまり代わり映えがないのが率直な感想なんだよな……。

 入水した男から貰った幸福の欠片の2個目が、まさかバストアップに作用するなんて思っていなかったけどさ。

 って、私は何を期待していたのやら……。

 結局、悶々としてしまい、いつの間にか爆睡。

 予定起床時刻を1時間弱回っていた。

 待ち合わせ場所に到着。

 予定より45分オーバーしてしまった。

「守、ごめん!」

「幽子君、相当慌てて来たんですね」

 可笑しそうに笑いを堪える守。

 そりゃそうだ。

 私も今頃気付いたのだ。

 頭はショートカットなのに、無理やり二つ縛りに束ね、ご丁寧にリボンで止めてるし、ホットパンツにキャミソールの上げ底ブラ着用、しかしほぼノーメイクという大惨状。

 要は、アドバイスを詰め込みすぎて、ごったごたになったまま寝てしまったのだ。

「まだ試写会に時間あるから、お手洗い行っていいかな? すぐ戻るから」

 守は無言で、数回頷いて見せた。

 でも、やっぱり笑いを噛み殺している。

 殺して! 誰かこのまま殺して!

 恥ずかしさで身が縮まる思いをしながら、私はお手洗いへ駆け込んだ。

 数分後、メイクを済ませて守のところへ駆け寄る。

「お、おまたせ」

 守ははっと息を呑むと、嬉しそうに笑ってくれた。

「幽子君は、すっぴんも可愛いけど、化粧をするとまた違った表情が見られるんですね。僕のためにキレイになろうという努力、本当に身に余る光栄で喜ばしいです」

「え、あ、うん……」

 駄目だ、気障な台詞と相まって、守の顔が直視出来ない。

 守の前でもじもじしていると、左手を握られた。

「え、えぇ?」

「もうすぐ、試写会の時間です。次の電車に乗り遅れると間に合いません、急ぎましょう!」

 左手を引っ張られ、駅構内へダッシュする守。その笑顔は今まで見たこともないくらい輝いていた。

 しかし、そんなに急いで走られると!

「うわっ」

 ほら、思ったとおりの展開が起きてしまった。


 何とか試写会は間に合った。

 指定席のチケットで本当に良かった。

 私の右肘と左膝には、絆創膏が張られている。

 しかも、右足首を捻ったらしく、さっきから激痛が止まらない。

 履き慣れないオシャレなサンダルをクラスの子から借りたのだが、それが仇となってしまった。

 駅前で急いで走ったので、勢いよく転倒してしまったのだ。

「申し訳ない、僕のせいだ」

 座席に着いた守は、8度目の謝罪を私に行った。

 守は簡易の救急箱を持ち歩いているそうで、絆創膏は彼の支給品である。

「いや、これくらい大丈夫。それよりも、ほら、出てきた」

 劇場が暗転し、舞台袖にライトが点される。

 そこから里中――美島ひなをはじめとする出演者と監督が登場した。

 会場全体から湧き上がる拍手。

 出演者たちは、一礼をすると、この作品について各人コメントをしていった。

 次に各報道陣のインタヴューが始まり、里中も、美島ひなとして嬉々と回答している様を、私は眺めていた。

 里中は、まもなく自分の命を幕引きしようとしている。

 私なんか、最近は生きようか死のうか曖昧になってきているというのに、なんて目の前の自殺志願者は、こんなにも生き生きとしてインタヴューに答えているのであろう。

 死を決意した人間とは、こうも開き直った態度が取れるのだろうか?

「里中さん、美島ひなでいるときは本当に嬉しそう」

 守は目を細めて、感慨深げに里中の姿を眺めていた。

「ねぇ、守。これで良いのかな」

 私は、ふと守に尋ねてみた。

「里中は、間違いなく最高の演技をこの映画に残している。幸福の欠片まで使って行った演技だ、後世に残る素晴らしいものだと思うんだ」

「何が、言いたいんですか?」

「何も死ぬ必要はない、これからも作品に関わり続けて、時機を見て芸能界を去れば良いだけじゃないか。なのに、里中は本当に死ぬ覚悟をしている。死ぬ人間が、あんなに楽しそうに笑っていられるなんて、私には信じられない」

 里中は、芸能界が好きなのだろう。

 違う自分になりきれることが許される世界に、永遠に名を刻みたくなったのかもしれない。

 でも、もっと他に方法があったような気がした。

 私は、このやり方は間違っている気がした。

 だから、守に聞いた。

「目標が叶ったからって、そこで終わりじゃない。ただ、次の目標を立てれば良いんじゃないかな? それでも、人は自殺したくなるのかな?」

 里中だけじゃない。

 この問いは守自身にも当てはまる。

 私が、守を完全に受け入れてしまったら、守は満たされて命を絶とうとするだろう。

 でも、そんなことしたら、残された私はどうなるんだ?

 多分、一生守のことを後悔し続ける。

 死の最期の瞬間まで、守のことを悔やみ続けるだろう。

 里中は、人間は欠けてるくらいが丁度良いと話していた。

 それは、もっと欲深くなって、もっと新しいことを見つけていくことだ。

 守は表情を固くしたまま、私の問いに答えない。

 答えて、くれなかった。

 それでも、私は精一杯の願いを口にした。

「守、お願いだから、死なないで」

 それが、私の今言える嘘偽りない言葉だ。

 親友がまもなくこの世を去る今、想い人にまで先立たれたら、それこそ死んでも死にきれない。

 そう考えたら、途端に不安が胸の中で広がるので、安心感を求めて守の左膝に右手を乗せる。

 守は何も言わずに、左手で私の右手を包んでくれた。

 彼の温度が心地よかった。

「さぁ、上映時間です」

 辺りが暗転しだした。

 スクリーンにカウントが映し出され、遂に上映開始となった。


 美島ひな初主演作品、『愛の中で』。

 時は近未来、戦争の中での悲恋を描いたものである。

 美島ひな演じるヒロイン役の妹は、血の繋がっていない義理の兄と二人暮し。そして、二人は兄妹という枠を超えて愛し合っていた。しかし、民族間のいざこざで、国は内紛が勃発、兄妹は互いに流れる血の違いから離れ離れになってしまう。成す術のないヒロインは軍に志願せざるを得なくなり、そこで功績を収め、指揮官として戦場へ狩り出される。だが、戦場で目の当たりにしたのは、同じく敵国で立身出世した兄の姿であった。図らずしも、同じ戦場で雌雄を決することになってしまった二人は、お互いの想いと自軍への使命感で激しく葛藤する。結局、妹は兄を倒すことを、兄は妹を救うことを誓い、戦場で遂にぶつかり合う。クライマックスでは、両者が一騎討ちにもつれ込む。勝負は妹が勝つと思われたその時、敵の一兵士が妹へ突然斬りかかる。兄は咄嗟にそれを体を張って庇い、命を落としてしまうという悲劇である。

 最後のシーン、ヒロインが大型バイクに乗って、兄の亡骸をおぶったまま地平線へ向かって走るシーンは号泣ものだった。

『兄さん、どこか遠くの世界へ行こう。私たちだけの世界へ』

 この台詞で、他の観客も一斉に嗚咽が漏れたのだった。

 上映が終わったあとも、劇場にいる全ての人が余韻に浸っていた。

 ベタな内容ではあったが、演者の迫真の演技に会場は圧倒されていた。

 まさしく世紀の大傑作になるだろう。

 出演者は最前列で鑑賞していたが、あまりの出来栄えにスタンディングオベーションをしだした。

 他の観客も、それに釣られて席を立ち拍手を送る。勿論、私たちもだ。

 しかし、一つの席だけ、座ったままのところがあった。

 美島ひなだけが、席に座ったまま微動だしなかった。

 それに気が付いたのか、関係者が彼女に立ち寄ると、異変に気付き悲鳴を上げた。

「誰か! 救急車を! 美島さんが吐血してる!」

 その知らせに、会場の空気は一転する。

 連鎖的に上がる驚きと悲しみの声。

 恐慌状態となり、蠢く群衆。

「本当に、やり遂げた……」

 呆然と立ち尽くす私。

 守るは静かに目を閉じると、

「お疲れ様です」

 と、一言呟くだけであった。


『美島ひな、試写会会場で謎の服毒自殺!』

 連日、このテロップがTVに出てこない日はなかった。

 彼女は死んでも、ワイドショーなどを賑わせていた。

 真相知っている私は、クラスの子達が持ってきた週刊誌の記事の酷さに、思わず唾棄する気分だった。

 愛人説や精神異常説や、はたまた犯罪など、当てずっぽうも良いところだ。

「里中、あんたは死んでも人気者だよ」

 彼女の自殺の効果は、恐らく彼女が思った以上に大きいものとなったはずだ。

 何故なら、試写会の後、『愛の中で』は哀悼という名目により、異例の早期封切をされた。

 瞬く間に日本映画の興行収益の記録を塗り替え、世界中で翻訳・上映された。

 更には、各国の国際映画祭で様々な賞を獲得、ベネチアでは、主演女優が死去後にも拘らず、主演女優賞が送られるなど、世界に『美島ひな』という名前が一躍知れ渡り、彼女の早過ぎる死を悼んだ。

 これにより、里中は、『美島ひな』として半永久的に人々の記憶に残る概念となる事に成功した。


 季節は巡り、12月の冬。

 私も守も、まだ自殺をしてない。

 里中の自殺以来、私は部会に参加しなかった。

 守も、今日に至るまで、私と屋上で昼食を採ることはなかった。

 つまり、あのデート以来(連絡先は交換したが)、口を利いていないことになる。

 それなのに、今日はどういう風の吹き回しなのか、私が屋上にあがると、守が先に弁当を広げていたのだ。

 昼休みに昼食を二人で取るのは、実は久々である。

「珍しい。もうここでは弁当食べないのかと思った」

 守の傍に私は腰掛け、購買で買ったパンの封を切る。

「もうすぐ、三年生は自主学習なので、学校に来なくてよくなるんです。そう考えたら、幽子君の顔が見たくなりました」

 いつもの調子で、気障な台詞を吐く守。

 その表情は、何かを思い悩んでいるかのようであった。

 受験のことかと思ったが、彼は既に10月中ごろで推薦の合格通知を手にしているとのこと。

 となると、例の倶楽部のこととなる。

「どうした? あんなに使命感に燃えていた倶楽部なのに」

「美島ひな、いえ、里中さんの死を経験してからというものの、倶楽部のあり方に疑問が生じたのです」

 唇を噛み締め、軽く吐息を漏らす守。

「彼女は、死ぬべくして死んだ、といえます。自殺することで話題を呼び、彼女という概念は私たちに深く刻まれた」

「うん、間違いない。これもも幸福の欠片の成せる業なのかね」

 制服のポケットには、まだ里中から貰った幸福の塊2個が大事にしまわれている。

 これが発動するときは、いつになるかは私の与り知るところではない。

 守が眼鏡の位置を正すと、私の言葉に続けた。

「恐らくは、その可能性が高いでしょう。でも、そこで僕はふと思ったんです。里中さんは、何故、親しい人間にだけ欠片を渡そうとしたんでしょうか?」

 そういえば生前、部会の奴らには渡すものか、と言っていた。

 気にも留めなかったけど、今言われてみれば謎である。

「さぁ、気分なんじゃないかな」

「そうかも……、いや、そうじゃない」

 私の答えを否定する守。

「幸福の欠片には限りがあります。目標の達成度にもよりますが、出現数は無限ではないそうです。でも、また次の目標を達成すれば、欠片は出現するからです」

「ちょっと、なにそれ? あたかも自分が体験しているかのように言うじゃない」

 守が静かに頷いてみせた。

 そんな、まさか。

「守、欠片が見えてるの?」

 ええ、と優しい笑みを浮かべる守。

 私は戸惑った。

 死ぬ条件は揃ってしまったからだ。

 守は死んでしまうつもりなのだろうか?

私の表情を見て察したのか、彼は首を軽く横に振った。

「大丈夫です、心配しないで下さい」

 ふと、守の腕が、私の小さな身体を包み込んだ。

「僕は、あの夏のデートの日から気が付いたんです。この欠片たちは、自分のために使うべき物だって。絶望から這い上がるための、天からの贈り物だって」

 抱きしめる腕に力が篭る。

 私の心臓は、今にも壊れてしまいそうなほど暴れまわっている。

「里中さんは、殆どの欠片を自分が死んだ後のことのために使ったんです。だから、部員に配るまでの個数がなかった。もっとも、気分的なものが働いてるのは確かでしょうが」

 抱きしめられた腕の中は、冬の風を跳ね飛ばすくらい温かかった。

「そのことに気が付いて以来、部会を行うたびに違和感を感じてきました。彼らは他人から貰った幸福でしか動こうとしていなかったからです。いくらでも、再起のチャンスがあったのにも拘らず、彼らは死ぬことに拘ってしまった。僕も、その一人だと気付かされたとき、ある後悔の念が押し寄せてきたんです。『僕は、立ち直らせることが出来る人間を、ひたすら死に追いやってきたのかもしれないのでは?』と」

 守の目に一筋の涙がこぼれた。

 自責の念に囚われているのだ。

 それもそうだ。

 守は今まで、『魂の救済・幸福な自殺』の大義名分で、様々な人たちの自殺の手助けをしてきた。

 立派な殺人幇助であるし、良心が痛まないわけがないだろう。

 社会は、そんな彼の行いが白日の元に晒された暁に、非難の嵐を浴びせるだろう。

 でも……、守は間違いに気が付いた。

 それならば、誰かが許してあげても良いのではないだろうか?

「私が許す」

 守の涙を、人差し指で拭ってあげた。

「守がやったことは褒められたことじゃないけど、間違ってるって気が付いたじゃないか。だったら、そのことを部員に伝えて止めさせればいいよ。大丈夫、守はいつだってうまくやってきた」

 私の体重を、守の胸に預けた。

「守のそういう真っ直ぐなところ、私は好きだ。挫けて落っこちそうになったら、今度は私が首元を引っ張って支えるよ。守を支えて、生きていく」

 今年の春、最初に出会ったときのように。

 今度は私が、守を引っ張ってあげる番だ。

「ありがとう、幽子君……」

 指し示すことなく、私たちは唇を合わせる。

 長くはなく短くもなく、触れ合った唇を離す。

「僕も生きる。君と共に生きる。もう死ぬなんて口にしない」

 そんな、温かい言葉を口にしてくれた。

 屋上は北風が吹き抜けているが、私は不思議と寒さを感じなかった。

 守の温もりがあれば、どんな困難にだって耐えられる。

 そう信じられた瞬間、私の周りにも、宙を漂う光り輝く欠片が見えたのだ。


 その日の夜、守は緊急部会を開くことにした。

 場所は、水谷老夫婦が飛び降りた廃ビルの屋上だった。

 突然の召集にも拘らず、守から聞いていた現行の部員が、全員集まったのは意外であった。どのような連絡手段を使っているかは、結局私には分からずじまいだったが、別に知らなくても良いとも思えた。

 私たち2名を含めて計13名。

 ふとこうして彼らを見てみると、気付かされるものがある。

 今の私には、彼らの欠片が見えるのだ。

 しかし、どれもくすんだ色をしている。

 あれは、自分の幸福を活かしきれていない証なのかもしれない。

 自分の幸福の欠片に気付かず、ただ絶望するだけで、他人の与える幸福のチャンスだけで動き、人生の選択の可能性を放棄してしまっている彼らを見ていたら、里中が欠片を分け与えたくなくなる気持ちも、守が感じた違和感も、今なら私にも納得できた。

 私も、最初はああだったのか。

 そう思うと、非常に居た堪れない気分が胸の中で広がった。

 それと同時に、ある種の怒りもこみ上げてきた。

「部長、急に集めて何かあったんですか?」

 部員の一人が守に尋ねる。

 守は小さく頷くと、声を張り上げた。

「今日、皆を呼んだのは他でもない。今日を以って、僕はこの自殺倶楽部の部長を退くことを決意しました。同時に、この倶楽部は解散することにしました」

 どよめく部員たち。

「この倶楽部をなくしてどうしようというんですか?」

「部長を辞めるということは、部長が今夜死ぬんですか?」

「幸福の欠片、見えるんですか?」

「部長、だったら早く私たちに欠片を!」

「満たされた死に向うための欠片を下さい!」

「あたしたちには、この倶楽部が必要なのよ!」

 徐々に詰め寄ってくる部員たち。

 その目は、どこか遠くを見詰めていて、この現実の景色が見えてないかのようであった。

「……化け物」

 小さく言葉にした。

 その言葉に、部員立ちの足が止まる。

「今、何て言った?」

 その中の一人の中年男が私を睨みつける。

 その視線に、私は恐怖心を煽られ、思わず慄いてしまいそうになる。

 咄嗟に、守が私の右手を握った。

 負けるな、と応援してくれているようだった。

「化け物に化け物って言って、何が悪い!」

 夜の屋上に怒声が轟く。

「確かに、私と守には幸福の欠片が見えている。でも、私たちは自殺なんてしない! 私たちはこれからも生きていく! だって、気付いたんだ。幸福の欠片は、他人に分け与えるんじゃなくて、どん底に堕ちた自分たちを救うためにあるんだって。現に、あんたらにも幸福の欠片はちゃんと漂ってる。でも、あんたらはそれに見向きをしようとしないで、他人の死を喜んで、そのおこぼれで満たされようと必死になっている。それで本当に幸せなの? 自分から何もしてないじゃない! 私はしたよ? 守のことが好きって気が付いて、デートも誘ったし、これからの人生、守と一緒に歩いていくことを決めたんだ! 守だって、この倶楽部が間違っていると気が付いたから、部長を辞めて倶楽部を解散させるって言ってるんでしょ? 何でそんなことも分からない? 人が死ぬことがそんなに喜ばしいか? そうだとしたら、あんたらはもう人間なんて呼べないよ、ただの化け物じゃないか! 人間だっていうのなら、ここに来る前にもっと最善尽くしてみやがれ! 何勝手に人生投了してんだよ、もっと足掻けよ、もっと這いずり回れよ、もっと無節操に生きてみろよ! お前ら見てると段々ムカついてくるんだって! 何で周囲にチャンスがあるのに飛び付かないんだよ? 何で意固地張って前しか見ようとしないんだよ? 気が付けば、手をほんの少し伸ばせば、すぐに欠片へ手が届くっていうのに、何であんたら一つ失敗したからって死のうとするんだよ? 頭使えよ、もっと! その気になれば、何度だって立ち上がれるはずだろうが! あんたらはちゃんと前に歩けるんだからさ! 女子高生に出来るこんなことを、何であんたらみたいな大人が出来ないんだよ? おかしいだろ、ありえないだろ? もっと胸張って生きていることに誇りを感じろよ! 自分自身を褒めてやらなきゃ、誰が自分を褒めるんだよ? 人の自殺を踏み台にしてまで、私は幸せになろうとは思わないし、これからも思わない! お前らに欠片は渡すつもりはない、幸せになりたければ、自分の欠片の存在に気付け、このクソ化け物が!」

 一気にまくしたてたので、半ば酸欠に近い状態になってしまった。

 お陰で、途中で支離滅裂になってしまったが、思いの丈は全て吐き出すことが出来た。

「幽子君、素晴らしい演説でした」

 守は、私を庇うかのように前に進み、部員たちに最後通牒を伝える。

「僕たちは間違いに気が付きました。だからこれ以上過ちを繰り返す訳にもいきません。皆にも、そのことを分かってほしかったのです。可能性はまだまだ残されているはずです。あなた方の周りにある、幸福の欠片がその証拠ですから」

 一息飲み込む守。

 今度は私が守の左手を右手で握ってあげた。

「自殺倶楽部は、廃部にします。以上」

 守の廃部宣言で、部員たちの意識が凍り付いていくのが目に見えて分かった。

 ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は泣き崩れた。

 その中で、一人だけ敵意を丸出しにするものがいた。

 先ほど、私に声を掛けた中年の男性だった。

「お前か、お前が部長をたぶらかして、廃部なんてそそのかしたんだな?」

 瞳に憎しみが宿っている。

 ドス黒い太陽が燃えているように、その目は私に向けて負の感情をぶつけてきた。

 そのあまりの恐ろしさに、私は足が竦んでしまった。

「さっきは威勢の良いこと言ってくれたじゃないか。俺たちが化け物だと? なら、お前らだって同等だ! 二人だけ都合よく幸せになれると思ったら大間違いだ、この人殺し!」

 中年の男は歯がぼろぼろだった。

 目の焦点が合っていない。

 保険体育で習ったことがある。

 覚醒剤などの薬物を使用すると、歯や骨が脆くなったり、身体に異常が現れると。

 まさかだと思うが、その男性はそんなことを連想させるに充分な風体であった。

「殺してやる。お前を殺して、欠片を奪ってやる。自殺倶楽部は俺たちが続けるんだ」

 男は私に駆け寄ってきた。

 足が竦んで、動けない――!

「幽子君!」

 守が男を制止させようと素早く羽交い絞めにする。

「早く逃げてください!」

「でも、守が!」

「僕のことはいいから!」

「でも!」

 そういっている間に、他の部員が私の手足を掴んできたのだ。

「あの人の言う通りだわ。この子を殺して、欠片を奪いましょう」

「ならば部長も殺そう。部長の欠片、俺欲しい」

「じゃあ、一緒にこの屋上から突き落とす?」

「そうしよう」

「そうだね」

「それがいい」

 他の10名の部員たちが、私たちに群がる。

 軍隊蟻に運ばれる餌のように、私たちは担ぎ上げられ、フェンスの上まで運ばれる。

 ビルの真下が見える。

 奈落の底のように、何もない暗闇が見える。

「離して! これじゃ、ただの殺人だ!」

 最後の悪あがきで、私はもがいてみるが、下手すると落とされてしまいそうだ。

「ああ、そうか、人を殺せば欠片が手に入るかもな」

「じゃあ、二人を放り投げたあと、殺し合う?」

「そうだな、沢山欠片が手に入るかも」

「そうしよう」

「そうだね」

「それがいい」

 その相槌が合図だった。

 私たちは、ビルの屋上から自由落下を始めた。


 ほんの二秒に満たない間の時間が、とても長く感じた。

 二秒後には、私たちの頭蓋骨はアスファルトに叩き付けられ、脳漿を血液と共に撒き散らし、首の骨は無残に砕け散り、四肢はあらぬ方向へ折れ曲がることになる。

 一秒経過。

 真っ暗な闇を、引力に導かれて真下へ飛んでいく。

 守が私の手を握ってくれた。

 守、凄く震えてるよ。

 あんなに目をつぶって怖がっている。

 あたしだって怖い。

 折角生きようと決めたのに、これでは心中じゃないか。

 地面が、目前に迫った。

 その時だった。

「――あれ?」

 止まっている。

 時間が止まっているのだ。

 二人とも逆さまのまま、地面にあと1m程のところで宙に浮いたままになっている。

 守も、この事態に気が付いたようだ。

「幽子君、これは一体?」

「私も、さっぱり……」

 コツン、と何かが落ちる音がした。

 黄色い水晶みたいな塊が二つ落ちていた。

 あれは、里中がくれた、幸福の欠片!

 家に置いていたはずなのに、何故?

「忘れ物、届けにきたよ、幽ちゃん」

 瞬きを思わずした。

 里中が、空から降ってきたのだ。

 突然の異常事態に、私と守は顔を見合わせるが、お互い言葉が見付からないでいた。

「まだ二人は死んじゃ駄目よ。幸福の欠片で助けてあげる。私はいつでも、二人を見守っているからね」

 そう言うと、風が一陣吹き抜けた。

 下にある欠片が風になびいて、砂塵と化して流れていく。里中の姿も一緒に消えていってしまった。

 と、同時に、自由落下が再開された。

 って、助かってないよ、これ!

 二秒経過。

 全身に衝撃が走る。

 激しい痛みが駆け巡る。

 そして、とてつもない臭気に嗚咽をあげてしまう。

 って、なんでこんな臭いの?

「ここ、ゴミの山?」

 廃ビルの1Fの入口前、大量のゴミ袋が積み重ねられ、うず高く山状になっていた。

 私たちは、そこに頭から突っ込んで着地したようだ。

 体は動く。ゆっくりと立ち上がる。

 どうやら、ゴミがクッションになって、大事に至らずに済んだらしい。

「ああ、明日は燃えるゴミの日ですね」

 守は思い出したように呟く。

「僕たちが部会を行うのは土日からね。今日は水曜日ということを忘れていました。ここのビルについて、事前に調べていたことがあるんです。それは、月木は燃えるゴミの日で、前夜になると、このビルの1Fの前にゴミを置く人が多いんです。ゴミ置き場ではないんですが、自然と置いていく人が多くなって、清掃局も暗黙の了解でここを回収経路に入れているようなんです」

「だから……、どういうこと?」

 私と守はゴミの中から脱出すると、衣服に付いたゴミを払い落とす。

「水谷夫妻の自殺した部会のときに言ったはずです。『この下には物を置いてはいけない』って。このビルの高さ、実は人間が飛び降りても、下に障害物があると生き残れちゃうんです。以前、僕が飛び降りたことがあるんで実証済みです。その時は骨折しましたが。怪我がないのは幸福の欠片の恩恵とでも思っておきましょう」

「ちょ、実証済みって……」

「この倶楽部、その時に入ったんです。もう2年前のことですけど」

 力なく笑う守。

 気が抜けたのか、その場にへたり込んでしまった。

「でも、妙ですね。僕らがこのビルに入り込んだときは、ゴミなんてなかったはずですが」

「里中の欠片のお陰だよ。ほら」

 私は腕時計を守に見せた。

 ビルに入ったのが21時。

 そして、現在時刻が日付が変わって深夜2時。

 なんと、5時間ほど時間跳躍をしていた。

「本当、何でもありだね……。5時間経過している間に、ここにゴミが置かれて、そのあと、私たちがこの時間へワープしてきたみたいだ」

 本当、時空まで捻じ曲げるなんて、里中は死んでからも人の真似できないことをやりこなす女だ。

 ゴミの山に着地させるという発想自体も、里中らしい。

 生前に遊びに行った、ゴミだらけの里中の部屋をふと思い出した。

 あんにゃろう、私がゴミの城って言ったことへの腹いせか、これは。

「とにかく、助かったんですね、僕たち」

 よろよろと立ち上がり、私の手を握りなおしてきた。

「うん、ここまでお膳立てされたら、何が何でも生きなきゃね」

 私も守の手を握り返す。

「そうですね、これからよろしくです、幽子君」

「ん、いいよー」

 守はいつものように静かに願い出た。

 やっぱり私は、特に深く考えずに返事をした。


 冬休みに入り、クリスマスイヴを迎えた。

 数日前に起きた廃ビル変死体事件の報道が、巨大ヴィジョンで流れていた。

『男女合わせて11名、お互いを殺し合いを行っていたことが判明、10名死亡、残り1名の男性も意識不明の重体でしたが、今朝未明に死亡が確認されました。病院関係者によると、死ぬ間際、「欠片が見える、俺のものだ」とうわ言を繰り返したということで、警察は事件との関連性を調査しています。なお、男性の腕には無数の注射痕と、自宅からは大量の薬物が発見されており、薬物による幻覚症状による、集団リンチ事件ともみており……』

 自殺倶楽部は、完全にこの世から姿を消した。

 これで良かった。

 これからは守が二度と過ちを犯さないように、私が傍にいてあげないとならない。

「幽ちゃん、お待たせです」

「遅い、3分遅刻」

「えぇっ、厳しいな、幽ちゃんは……」

 今日は守との2回目のデートである。

 あの事件以来、守は私の事を、里中のように『幽ちゃん』と呼ぶようになった。

 守曰く、命の恩人が呼んでいたように君を呼んでいたい、という相変わらず気障な理由からである。

「さ、今日は目いっぱい楽しもう」

 守が手を差し伸べる。

 私はそれに応えて握り返す。

「メリークリスマス、守」

「メリークリスマス、幽ちゃん」

 私たちは歩いていく。

 これからどんなことがあっても、こうして手の温もりが感じられれば、何があっても大丈夫だ。

 それに、どうせ死ぬなら、二人とも白髪になるまで生き抜いてやる。

 振り出した雪空を眺めながら、私は背伸びして、守にキスをした。

 人間、辛い時ほどよくよく周りを見ればチャンスが転がっていた、なんてことは往々にしてあるものだったりします。

 それに気が付くか気が付かないかも一種の才能だと筆者は思います。

 幽子の大演説がその才能を開花させる一助となれば幸いです。

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