第五話 勇者修行
「ぃあああああ!」
甲高い声で木刀を振るった軍侍。目の前にいた騎士の木の盾が割れ、腕を強打する。一瞬の怯み、その一瞬こそが、戦場での命を左右する。それを証明するように、軍侍の木刀が騎士の首もとに突きつけられ、わずか一ミリの間合いで止まる。
「ひぃ!」
尻餅をつく騎士。彼は小隊長クラスで中々の腕はあるはずなのだが、軍侍の前では、見栄も、自負も、誇りも、完膚なきまで踏みにじられて倒される。木剣(刀ではない)は刀身の部分全てがなくなり、盾は粉砕し、一瞬で首に刀を突きつけられたのだ。完敗。しかもこの実力なら、初めから一本取られていたのだ。遊ばれた挙げ句、抵抗もできずに負けた。二人の実力の差を思い知らしめる試合だった。
「そこまで!」
会場がどよめく。軍侍の相手は、曲がりなりにも小隊長。しかも指折りの実力者だ。それがこうも呆気なくやられたのでは、彼らの動揺も頷けた。
「ふん、準備運動にもならないか」
一応、礼儀として左手に剣を納めて一礼する。しかし彼の言葉は、その行動には相反する。
「もっとだ。もっと上等なやつを用意しろ」
彼が苛立ちながら言うのも、致し方ない。春樹が城から抜けて一週間。軍侍は元々剣道をしていたこと、また実戦的剣術が身に付いていることから含めて、魔法の習得の片手間に剣の復習をしている。しかし打ち合いに出される兵は、どれも軍侍の役不足。とてもお話になりはしないから、彼がこうなるのも頷けた。対する晴は、本人の強い志願により戦う術を学ぶことにした。適正から言って魔法を専攻したのだが、彼女にはかなりぴったりだったようで、普通なら灯火をつけるだけ、微風をふかせるだけで一ヶ月はかかると言うのに、今や彼女は中級魔法までは一つのジャンルを除いてすべて扱える。
魔法のランクには、最下級、下級、中級、上級、最上級、最高等級の六階級がある。振り分けの基準としては、殺傷性の高さ、効果範囲、術の使用魔力だ。とりあえずこのことは、また後述することにしよう。
「流石はグンジ様。あのものも余裕で倒されるなんて、私ども、頼もしい限りです!」
「ああ、姫。かような場所にいてよろしいのか?」
軍侍に水とタオルを持ってきたのは、この国――メリフィア城塞王国の王女、アルマリア・スルト・メリフィアだ。
「やだ、グンジ様またその口調! 堅いからやめてくださいと言ったじゃないですか」
「しかし……」
「そうねぇ。命令よ、皆と接するように私と接しなさい」
「……わかった」
「それにしてもグンジ様、連日稽古と魔法の習得に勤しむのはいいけれど、たまには休まれては?」
「いや、そうも言ってはいられない」
「やはり、ハルキ様ですか? 彼の判断の良し悪しは一概には決められませんが、こちらのことも学ばずに飛び出されたのでは、そんなに早く力は付けられないかと」
「それが、あいつの怖いとこさ。あいつは今ごろ、独学にしろ師を仰いだにしろ、剣も魔法も使えるレベルにはあるはずだ。一週間で、あいつはどんな状況にも対応しきる。まるで、初めからそこにいたように」
「適応能力が素晴らしいんですね」
「慣れが早いんだとよ」
「ぶぇえくしょっ!」
「集中せんか、馬鹿者!」
「いでっ」
どす、と分厚い本で叩かれ、金髪に琥珀色の目を持つ彼は、後ろに立つ師匠を恨めしげに見上げた。胡座をかいているからそうなるが、彼の師匠とて女性。立ち上がれば見下ろせた。彼女は赤髪に蒼い目、肌は健康的に小麦色に焼けている。年は二十代後半くらいに見える。背は百七十センチと女性にしては少し高い。引き締まった体躯は、彼女の第一印象をスレンダーと位置付ける。
「よいか、ハルキ。お前の体に宿る風を操作できん限り、ワシはお前に、魔法も、剣も教えんからな」
「な゛ーもー、わーってら。俺だって、あいつらに遅れはとりたくねえからな」
「しゃべる暇があるなら集中!」
「理不尽!? いでっ」
二度本で殴られる。しかし彼は掴みかけていた。内なる力、その根元たる他者にして自己の存在を。
「《氷柱千本》」
唱えると同時に、三つの魔方陣が白いローブを着た晴の周りに展開する。一つは、大気中の気体、水蒸気を一気に固体、つまり氷へ昇華させる陣。また一つは、それを細い針に形成する陣。そして最後は、任意に魔力を流すことで効果を発揮し、今それは生み出した氷の針にベクトルを与えるもの。
そして、千の氷柱が最後の魔方陣に流された魔力により方向性を持ち、一体のダミー人形に全て命中する。
「《氷華》」
次に、ダミーに対して魔方陣二つが敷かれる。先に発動したのは、先の氷を溶かすもの。そして次に発動したのは、ダミーを浸す水を凍らせるもの。しかし、ただ凍らせるだけではない。足元から、美しく儚い。氷の花が咲くのだ。全身を氷漬けにされたダミーへ、晴は一言、冷酷に呟く。
「散れ」
パァン、と涼しい音が響く。あとに残ったのは、溶けるのを待つ氷解だけであった。
術式発動の速さ、その行程、威力、美しさ。どれをとっても満点と呼べる演習に、同席したものは皆静かに拍手を送る。そんな中近づく、一人の老人。剥げた頭とは裏腹に白い髭は長く、シワだらけの顔、焦げ茶のローブを来ている。とこぞの誰かさんと同じく常に笑顔のため、好好爺の印象が強い。
「晴ちゃんの才はやはり目を見張るのぅ。一週間でオリジナルを作り出すとは。異世界に魔法があるとは聞かなんだが?」
「どちらかといえば、こういう物の変化についての学問があるんですよ。それは、物理学とか化学っていう学問なんですけど、その知識を応用してるだけですよ」
純粋な感動と称賛を込めた一言。晴はそれに丁寧答えた。
「なるほどのぅ。じゃがしかし、晴ちゃんや。君は保有魔力も、扱える系統も豊富じゃ。これは才と呼ばずしてなんと呼ぶかえ?」
「んーと、まあそこは置いときましょうよ」
ふふ、と静かに笑う。
彼らは今、着実に力を蓄えつつあった。全ては、来る決戦のため。そして、また三人が笑顔で再開するため。