第三話別れ、そして、旅立ち(前編)
三人は、一人一部屋を宛がわれた。しかし彼らは今、軍侍の部屋に集まっている。三人の部屋は並んでいたのだが、真ん中が軍侍の部屋だったのと、春樹の頼みで集まったのだ。盗聴されていないことを確かめた軍侍と春樹は、テーブルへ戻る。軍侍が晴の対面へ座り、春樹は晴のとなりに、人一人分の間を空けて座った。普通ならあり得ない行動に、軍侍が少し驚く。彼らは、いつ見ても手を繋ぎ、人目も憚らず密着する。それが、これだけのスペースが空けば、やはり不自然だった。
「さぁ……話をしようか」
いつものヘラヘラした笑みを消し、神妙な面持ちで切り出す春樹。
「といっても、俺はこれをもはや事後報告と同じ扱いで話すけどな」
「なにか、考えがあるの? それなら私も――」
「晴は! 晴は、ダメだ。影勇者の件もあるけど、それを差し引いても危ない」
晴の言葉を遮ってまで、春樹は彼女の意見を取り消す。それも、珍しい。彼ら二人はバカがつくほどのカップルだが、依存し合っているだけというわけではない。互いを尊敬し、尊重し、重宝し、そして、依存もしているのだろう。だからこそ、春樹の言動は目に見えておかしかった。しかし軍侍はこれで、ようやく春樹の考えを掴みかけてきた。それは、軍侍も考えたこと。
「お前、この城から逃げ出すのか?」
しかし春樹はブンブンと頭ん左右に振る。
「逃げ出すんじゃない。抜け出すのさ。そして軍侍とは別のルートで、魔王にたどり着く。俺はなにも全てを投げ出すわけじゃない。あえて言うなら、勇者稼業から完全に離れるだけさ」
「けど、それじゃ春樹、一人で行動するの?」
「ああ。晴には、辛い思いさせるよな。ごめん」
「また、遠くなっちゃうの?」
言って擦り寄ろうとする晴を、春樹は彼女の肩を持って制した。
「今夜にはもう発つ。それを考慮した装備も、手に入れたんだ」
「それを考慮したって、お前。あそこにあるものは全部特殊能力付きだってのか?」
「多分な。装備を自分のものだと決めた瞬間から、明らかに体や考えに違和感があったからな」
春樹は今でこそ感情豊かで人との付き合いを大事にする。しかし昔は、信頼するものとしか関わらず、閉鎖的だった。そんな彼がうまく人の世を渡り歩いたのは、自分自身、そして近辺の変化に敏いところがあったからだ。そんな彼が言うのだ。信頼はできる。
しかし、今の問題はそこではなかった。
「まあそれはいいとして……九重はどうするつもりだ」
「お前に任せる」
「は?」
「晴を、守ってくれ。多分これは、地球でも、こっちでも変わらねぇ」
絶対的信頼の証。自分の愛するものを、自分以外のものに守れと言うことは、想像を絶するほどに難しい。彼もできるなら、自分で守りたい。しかし春樹は自分の役割を把握していた。
自分には、軍侍のように他を圧倒する覇気はないし、実質の勇者も、勤まらない。影勇者は、晴に止められたこともあるが、それ以前に、自分ではいつか化けの皮が剥がれかねない。武を持った軍侍、演じ、騙すことに長けた晴。自分にはどちらともない。だが、一つだけ残された道はある。それを人は卑怯と罵り、下劣と蔑む。しかし、彼にはそれができる。否、それしかできない。
それが、暗の道。必要なもの、情報を得るためなら、影で人を痛め付け、殺め、その事すらすぐに忘れられるように暗躍する。夜襲奇襲は朝飯前。それだけが、彼に残された、有用性を示す道。
「軍侍、頼んだ」
「……ああ、頼まれた」
そのやり取りを最後に、この小さな、しかし、三人の道を決める重要な会議は終結し、解散となった。
「ごめんな、晴」
ここは、晴の部屋の前。今にも泣き出しそうな恋人を前に、春樹はなにも言えずにいた。否、言おうとはした。なにせ普段なら、言葉だけで彼女を紅潮させ、しばらくは口も聞けないほど悶絶させるのだから。しかし人間の頭と言うのは、必要なときに限って働かない。春樹はそんな自分の脳みそを深く呪った。
「……ごめん」
もう一度、謝る。それしかできなかった。
「ねえ、春樹」
声を僅かに震わせながら、晴は言う。
「ん?」
「ウチら、一緒に帰れるよね」
ウチ。それは晴の、昔の一人称。それが出ると言うことの意味を、春樹は知っている。だが、これは必ず果たせる約束ではない。帰れることを前提に話をしたとしよう。しかし春樹には、三人が笑って帰れる姿を、なぜか想像できなかった。思い浮かべても、自分の冷たい部分がそれを否定する。
だから彼は、答えを返す代わりに、晴の身を抱き寄せた。強く、きつく。応えるように、晴も首筋に手を回すように抱き締める。永遠にも近い沈黙が、二人を、温かく、包み込む。
二人は願っていた。このまま、時が止まればと。時間とは、離れて暮らすことになる恋人達の、最大にして最強の敵。どんな厳しい親よりも、交際を認めない親よりも、強く、無情で、抗えない。二人は、それを痛いほどよく理解していた。過去が、そうだったから。