その男、一隻眼につき。7
「…」
ボソッと呟いた「彼」の声は、周りの喧騒にスッと呑まれて瞬時に消えた。もうすぐ日付が変わる時間だと言うのに、若者達はまだ大通りを楽しそうに徘徊している。誰かのした息など、なかったも当然のように消し去っていく。「彼」はくすりと笑う。
「見つけにおいでよ、灰」
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「彼」が見つかったと連絡が入ったのは、灰と深岐が一時的に住宅街のマンションに引っ越してから1週間後のことだった。
「ちょ、この見た目ってことはさ、暫く外見変わってないよね。うわぁ、人間離れしてるとは思ってたけど、「彼」自身の身体だけはれっきとした人間だと思ってたのに」
食卓の上に新しいパソコンを開き、深岐は画面を凝視していた。添付された画像にギリギリ写っていたのは、全身黒の洋服に身を包んだオッドアイの青年だった。黒の短髪は耳に掛かる位で、詳しい年は18、9歳位。一見爽やかな好青年という感じだが、実際は10数年前に灰の目玉を奪った残酷な「人間」だった。
「だが「あいつ」に間違いは無い。この残っている目がきちんと覚えている」
灰はつまらなそうに画面に見入る。いつもならプリントアウトしたものを見るが、今はそれも面倒くさい。そしてぶっきらぼうに「また何か「取り込んだ」んじゃないか」と言い放った。「俺の目玉みたいにな」と付け加えて。
「え、人間のくせに、何かを取り込んで、その上で成長しているとか気持ち悪っ」
深岐は、やっぱり人間じゃないーと気味悪そうに顔を歪め、大きく万歳をしてパソコンから上半身を離した。
「そんなの知らん。成長するために取り込んだものが俺の目玉で無いことだけは確かだ、俺はれっきとした人間だからな」
深岐の後ろから画面を見ていた灰も、自嘲的に笑って画面から離れた。そしてふと、何かに気付いたように呟きだす。
「…そうか。年を取らなくなるだけの何かを取り込んだ。今まで取り込んできたものより大きなもの。俺の目玉を奪ったときには持っていなかった、更なるもの。だから今になって、急に俺にちょっかいを出してきた。いつ取り込んだかは不確かだが、その力を、自分のものにした。今度こそ俺に、更なる屈辱を味あわせて、叩き落すことが、可能になったから」
灰はぶつぶつと続けながら思考を整理する。ひとり集中しだす灰に、深岐は両手で顔を覆ったまま、灰に話し掛けた。
「…灰ちゃん、「彼」が取り込んだのは、何?」
「…わからない」
灰の思考はぷっつりと切られた。だが邪魔されたことを厭う様子は無い。
「そこまでは分からない…。情報が足りなさ過ぎる」
灰は諦めて、リビングにあったソファにボスッと腰掛けた。灰の持ち前の思考力を持ってしても、彼が何を取り込んだかまではわからない。長寿の妖?そんなの沢山いる。妖は長寿だらけだ。
「いやー、面倒くさい相手に好かれたね灰ちゃんも。でもなんで付け狙われてるの」
どんまいと慰める深岐は、素朴な疑問を投げかける。
「よく居るだろう、誰よりも強くなりたい、って奴が」
「おぉ、そのありがちな理由を持つ「彼」が自分の腕試しに、黒須家の当主になった灰ちゃんを選んだのね。わざと1回負かして、灰ちゃんにやる気を持たせて。黒須家の当主倒せたらかっこいいもんね!わぁ、凄い灰ちゃん!モッテモテじゃない!」
深岐は体勢を崩さないままふざけてみせた。灰は「気色悪い事言うな」と顔をしかめる。
「結局のところ、「あいつ」のあれやこれは、対峙してみるまで分からない。だが、逃げるわけにもいかん」
疲れたように灰は目を閉じる。
人間なのに、色々な何か奪い、取り込んで、力を付けていく人間。果たしてそれはもう人間だろうか。あの時より凶悪な力を取りいれ、強くなっている「あいつ」に、自分は勝てるのか。そんなこと、わからない。
「頭が疲れた…」
そういって灰はそっと意識を手放した。深岐はむくりと体勢をおこし、静かになった灰に近くにあったブランケットを掛け、またパソコンの前へと戻った。そして画面の向こう、静かに笑う青年を、ただただ睨み続けた。