その男、一隻眼につき。2
居間の食卓の上でパソコンを開き、かちかちとマウスをクリックしながら深岐がメールの確認をしている。初めて出会った頃は人型のとり方も分からなかったのに、今では人類文明の利器までお手軽に活用している。慣れとは恐ろしい。
「お、新しいお仕事のメールが1通来てるよー。後は相変わらず本家からのお顔を出してください寂しいですメールー」
「後ろのは削除しておけ。というかこの前拒否リストに入れなかったか」
「いやー新しいアドレスゲットしたようだー対応が早いね!」
こっちがこっちならあっちもあっちだ。確かこの催促メールを出しているのは80歳を超えた本家付きの執事だったはず。慣れとは本当に恐ろしい…。
「節目節目で顔は出しているだろうに…」
「大事に育てたお坊ちゃんがたまにしか顔出さないから寂しいんだよー」
そう言いながら深岐はメールの内容を見やすいように大きい文字でメモ帳に写していく。片目しかない灰が、画面を凝視して残りの視力を悪くしないようにだ。最初から手紙で送ってもらえばいいのだが、それだと着くまでに時間が掛かりすぎる。だから深岐が一々手間を掛けて文字におこしているのだ。最初は悪いと思ったが、本人は最初からパソコン、延いてはインターネットに興味津々だったので、中々スムーズにこの工程が出来上がった。
「ほいよ灰ちゃーん」
テーブルの反対側に構えていた灰に深岐がメモ帳を差し出す。灰は礼を言ってそのメモ帳を受け取った。
このご時勢、妖など信じている人間の方が少ないし、妖も住む場所を追われて、中々人前に姿を現さなくなった。それでも彼らは時に「怪奇現象」とか「神隠し」とかいう名目で人間にちょっかいを出したりしていた。それらの中で、危険性を含むものを制するのがここ最近の主な仕事だ。その他にも守護八家が一丸となって取り組んでいる大きな仕事があるのだが、それに最近大きな動きは無く、こういうちまちました仕事を繰り返していた。
本家や分家からは「当主にそのような仕事をさせるわけには…!」と何度泣かれたかはわからないが、部屋の奥で書類整理しているよりよっぽどマシだと自分では思っている。
中部の宵家の当主は座についてから既に180年を越すという非人間的長命で、力量はその歳月に比例していると言われる。近畿の銀家の当主は60を超える女性で、自分と同じ隻眼でありながら、「あれは妖か」と恐れられる脅威の「人間」の集団を率いる猛者だ。更に東北の巫家の当主は人語を解せない妖だろうとなんだろうと、どんな生き物とでも意思を疎通することが出来る能力を保持している。その他の当主達も、どいつもこいつも傍から見れば人間離れしている奴らばかりだ。
自分はまだ座について14、5年の若輩者だ。まだ4、5年という若い当主達もいるが、それでも彼らの手本になれる位立派で強い当主かと聞かれれば、瞬時に頭を縦に振ることは出来ない。黒須家の当主としても、守護八家の一員としても、自分は精進しなくてはならないのだ。
「三十路が云々悩むと禿げるぞー」
「…誰がだ」
1人メモを見ながらまじめに考えていた灰に深岐が水を差す。
「今たっぷりあるからって余裕ぶってると半世紀越えた辺りから後悔することになるんだからね!」
「お前もハゲにしてやろうか…」
「もう!人が毛根の心配してあげてるのに!」
深岐はやれやれ、とわざとらしく肩を竦めてパソコンを閉じた。
「別に劣等感感じなくても灰ちゃんにはその『一隻眼』があるじゃん」
「…人の心でも読めるのかお前」
怪訝そうに見つめる灰に、深岐はけらけらと笑い出す。
「読めるわけ無いでしょー!あたしはただのミズチですよ?でも何年灰ちゃんの従者やってると思ってるのさー」
深岐は手元においてあったブラックのコーヒーをグイッと飲み干し、「冷めちゃったー」と言いながらコーヒーメーカーに5杯目を注ぎに行く。因みに帰ってきてから2時間、ずっとセーラー服のまま。初めてランドセルもらった小学生かと突っ込みたくなる。コーヒーメーカーに嬉々として飛びつきながら、深岐は話す。
「あたしは灰ちゃんも十分凄いと思うんだけどなー。人間離れしてて。その真実を見抜く『一隻眼』の能力も、不幸から生まれた後天性のものとは言えさ、他の当主達に引けは取らないと思うんだけど」
いつも我侭言いたい放題の深岐だが、こういう時は従者らしくフォローしてくれる。毒気を吐いて人を害する妖と言われながら、そういうところは優しいものだ。
「だがこの力に頼るのは、「あいつ」に負けたも当然だ」
「あいつ」に空けられた孔を使うだなんて、屈辱過ぎる。今まで見ていたメモ帳をパシッとテーブルに置き、灰はスッと立ち上がる。そろそろ晩御飯のしたくを始めないといけない。深岐はすすっと身を寄せて、灰にキッチンへの道を譲る。深岐は料理は出来ない。別に人間の食べるものを食べる必要がないからだ。いや、コーヒーだって飲むし、出されれば主食も食べるし、他の文明の利器を使いこなしている辺り、面倒くさくてしないだけなのかもしれないが。
「ま、灰ちゃんならそうなるよね。別に灰ちゃんの元々の思考力があれば十分かー。あ、今日パスタがいい」
「…お前、よくそんなどす黒いコーヒー飲みながらそんなことが言えるな…」
「てへっ」
「可愛くないキモイ死ね自分の正体思い出せ」
「キモイって!そんな女子高生みたいな台詞!
え、ももももしかして灰ちゃんも女子高生に憧れっ…ってぎゃあっあっついーーーっ!!!」
イラッと来たので、思わず飲んでいたコーヒーのカップを下から叩いてやった。ざまあみろ。